仕事を機に伊豆へ、地域との関わりを避けた頃
「伊豆」と聞いて、みなさんどんな印象をおもちでしょうか。温泉、新鮮な海の幸、ワサビ。文学好きな人なら川端康成や井上靖などを思い出されるかもしれませんね。昔から静岡県内でも有数の観光地であり、今も伊豆に住む多くの人が観光産業に携わっています。
私は、今でこそ修善寺を拠点とする「NPOサプライズ」の代表として、清掃や観光を中心に、伊豆を盛り上げようと活動を行っていますが、伊豆に転居してきたばかりの頃は、この地に対してまったく無関心でした。
私は静岡市の両替町で生まれ育ちました。実家は飲食店を営んでおり、私自身も昔から飲食業で身を立てようと決めていました。高校卒業後、沖縄、アメリカに留学。帰国後、独立しようと、アイスクリーム店を創業したのです。テナントのお話を頂いたのが、天城湯ヶ島町(当時)の「浄蓮の滝」。1995年「飯倉のジェラート伊豆浄蓮の滝店」の開店に合わせて、静岡市から移り住みました。25歳のときです。
実は、たまたま妻が伊豆出身でしたので、私にとっても知らない場所ではありませんでした。それでも、私が伊豆に対していだいていたのは「強固なコミュニティー」というマイナスイメージ。地方の町にありがちな、年功序列も地域のしがらみも、25歳の若者には、とうてい受け入れられません。おそらく、生意気だと思われたのでしょうし、「静岡から来た若いやつが、伊豆の何を知っているんだ」という雰囲気を感じていました。
ちょうど観光業が全盛期の頃でした。アイスクリーム店も、朝8時から夕方6時までフル回転で営業し、売り上げも順調に伸びていました。本わさびをつかったジェラートや、南伊豆の酒屋「岩田商店」さんのために塩ジェラートを開発するなど、各地でジェラートをプロデュースしたり、新店舗を出したりと大忙しで、地域と関わる暇などありませんでした。
ただ、仕事に没頭することで、あえて地域との関わりを避けていた部分も、確かにありましたね。実際、「鎌倉や東京に店を出したいな」と、私の意識は伊豆ではなく、他の方面を向いていたのです。
私は、今でこそ修善寺を拠点とする「NPOサプライズ」の代表として、清掃や観光を中心に、伊豆を盛り上げようと活動を行っていますが、伊豆に転居してきたばかりの頃は、この地に対してまったく無関心でした。
私は静岡市の両替町で生まれ育ちました。実家は飲食店を営んでおり、私自身も昔から飲食業で身を立てようと決めていました。高校卒業後、沖縄、アメリカに留学。帰国後、独立しようと、アイスクリーム店を創業したのです。テナントのお話を頂いたのが、天城湯ヶ島町(当時)の「浄蓮の滝」。1995年「飯倉のジェラート伊豆浄蓮の滝店」の開店に合わせて、静岡市から移り住みました。25歳のときです。
実は、たまたま妻が伊豆出身でしたので、私にとっても知らない場所ではありませんでした。それでも、私が伊豆に対していだいていたのは「強固なコミュニティー」というマイナスイメージ。地方の町にありがちな、年功序列も地域のしがらみも、25歳の若者には、とうてい受け入れられません。おそらく、生意気だと思われたのでしょうし、「静岡から来た若いやつが、伊豆の何を知っているんだ」という雰囲気を感じていました。
ちょうど観光業が全盛期の頃でした。アイスクリーム店も、朝8時から夕方6時までフル回転で営業し、売り上げも順調に伸びていました。本わさびをつかったジェラートや、南伊豆の酒屋「岩田商店」さんのために塩ジェラートを開発するなど、各地でジェラートをプロデュースしたり、新店舗を出したりと大忙しで、地域と関わる暇などありませんでした。
ただ、仕事に没頭することで、あえて地域との関わりを避けていた部分も、確かにありましたね。実際、「鎌倉や東京に店を出したいな」と、私の意識は伊豆ではなく、他の方面を向いていたのです。
何気ないブログの記事が、清掃活動のきっかけに
伊豆の地に足がつかないまま、仕事をこなす日々が過ぎていきました。それを覆す出来事が起こったのは、2008年のことです。
伊豆の観光業が下降気味になってきた頃、私自身も少し時間に余裕ができました。2004年に仕事でお世話になっているバス会社のゼンマイ式ミニカー「チョロQ」を紹介するブログを立ち上げ、その後2007年から静岡県東部・伊豆地域限定ブログ「イーラパーク」でも「飯倉ジェラート日記」というブログを始めました。来店されたお客様を顔写真入りで紹介するほか、日常のちょっとしたことをつづっていたんです。
2008年1月3日も仕事でした。休憩時間にトイレに行った際、ゴミが落ちているのに気付いたのです。よく見ると、トイレだけでなく駐車場にもゴミが放置してある。正月三が日といえばかなり観光客が多いときですが、それにしても年始3日目です。これはひどいな、と携帯で写真を撮り、「まだ1月3日なのに、こんなにゴミを放置する人がいるとは……」とブログにアップしました。いつものように、軽い気持ちで、です。
ところが、この記事にコメントがついたんです。「観光客のモラルが低い」「環境破壊だ」、きわめつけが「飯倉さん、がんばってきれいにしてね」と……。
戸惑いましたね。こんな反応は予想外でした。ゴミ問題を訴えようと思っていたわけではなく、ましてや「ゴミを片づける」なんて考えは、当時の私の頭の中には1ミリもなかったのです。観光協会が行う半年に一度の清掃活動も積極的ではなく、地域で行われる側溝の掃除にも仕事を理由に顔を出しませんでした。
結局、それらのコメントによって、後に引けなくなった私は、掃除をしなければならなくなりました。「ブログに書いておいて、自分では掃除しないの?」ということになりますから。
「なぜ私がゴミを拾うんだ?」と、腑に落ちない思いをいだきつつ、店の従業員や近くの道の駅のスタッフ、ログハウスのご主人などと「3月6日にゴミ拾いをする!」と、ブログで宣言したのです。
伊豆の観光業が下降気味になってきた頃、私自身も少し時間に余裕ができました。2004年に仕事でお世話になっているバス会社のゼンマイ式ミニカー「チョロQ」を紹介するブログを立ち上げ、その後2007年から静岡県東部・伊豆地域限定ブログ「イーラパーク」でも「飯倉ジェラート日記」というブログを始めました。来店されたお客様を顔写真入りで紹介するほか、日常のちょっとしたことをつづっていたんです。
2008年1月3日も仕事でした。休憩時間にトイレに行った際、ゴミが落ちているのに気付いたのです。よく見ると、トイレだけでなく駐車場にもゴミが放置してある。正月三が日といえばかなり観光客が多いときですが、それにしても年始3日目です。これはひどいな、と携帯で写真を撮り、「まだ1月3日なのに、こんなにゴミを放置する人がいるとは……」とブログにアップしました。いつものように、軽い気持ちで、です。
ところが、この記事にコメントがついたんです。「観光客のモラルが低い」「環境破壊だ」、きわめつけが「飯倉さん、がんばってきれいにしてね」と……。
戸惑いましたね。こんな反応は予想外でした。ゴミ問題を訴えようと思っていたわけではなく、ましてや「ゴミを片づける」なんて考えは、当時の私の頭の中には1ミリもなかったのです。観光協会が行う半年に一度の清掃活動も積極的ではなく、地域で行われる側溝の掃除にも仕事を理由に顔を出しませんでした。
結局、それらのコメントによって、後に引けなくなった私は、掃除をしなければならなくなりました。「ブログに書いておいて、自分では掃除しないの?」ということになりますから。
「なぜ私がゴミを拾うんだ?」と、腑に落ちない思いをいだきつつ、店の従業員や近くの道の駅のスタッフ、ログハウスのご主人などと「3月6日にゴミ拾いをする!」と、ブログで宣言したのです。
ゴミを拾って見えたもの、本当に閉鎖的なのは
3月6日当日、6人で山道を掃除しました。開店前1時間、浄蓮の滝から半径5キロを歩いてゴミを拾い、軽トラック1杯分のゴミを集めました。これもブログで報告しました。すると、ブログ仲間が「当日は参加できないから、近所でやります」と沼津で仲間を募り、掃除してくれたのです。
「おもしろい」。そう直感で思いましたね。ネットを通じて、だれかがそれぞれの町をきれいにする。しかも「一生懸命」ではなく楽しんで。これって、ネットだからできることじゃないか――。
私はブログをはじめた当初から、インターネットの「つながる力」に注目していました。例えば、「チョロQ」をブログで紹介すると、全国の読者からコメントがあり、ときには「チョロQ」が送られてきた。つまりネット上では、地域も年齢や性別も関係なくコミュニケーションが取れるんです。ですからネットを利用したこの活動に、疑問は持ちませんでした。むしろ可能性を感じた。同年10月、「特定非営利活動法人NPOサプライズ」を立ち上げたのも、そのためです。
清掃活動を始めて、私自身大きく変わったことがあります。以前は、地域と関わりをもとうとせず、地元の人に「静岡から来た」と言われるたび「閉鎖的だな」と思っていたんです。そんな地元の人たちの家の前のゴミを拾いつつ「こんなにゴミが落ちてるじゃないか」と思っていたのですが、ふと自分をかえりみたとき「じゃあ、自分はどうなんだ?」と。自分も、足元のゴミすら拾えていなかったじゃないか。そう気付いたのです。
伊豆が閉鎖的なわけではなく、本当に閉鎖的なのは自分だった。自分の心が周りを閉鎖的に見せていただけだった。要するに、東京進出や店の拡大ばかり考えて、自分の足もとに落ちているものにも気付かなかった。もっと地面に近いことをやらねば……閉鎖的な自分を取っ払って、地域ともっと関わろう。ゴミ拾いを通じて、そう思うようになったのです。
「おもしろい」。そう直感で思いましたね。ネットを通じて、だれかがそれぞれの町をきれいにする。しかも「一生懸命」ではなく楽しんで。これって、ネットだからできることじゃないか――。
私はブログをはじめた当初から、インターネットの「つながる力」に注目していました。例えば、「チョロQ」をブログで紹介すると、全国の読者からコメントがあり、ときには「チョロQ」が送られてきた。つまりネット上では、地域も年齢や性別も関係なくコミュニケーションが取れるんです。ですからネットを利用したこの活動に、疑問は持ちませんでした。むしろ可能性を感じた。同年10月、「特定非営利活動法人NPOサプライズ」を立ち上げたのも、そのためです。
清掃活動を始めて、私自身大きく変わったことがあります。以前は、地域と関わりをもとうとせず、地元の人に「静岡から来た」と言われるたび「閉鎖的だな」と思っていたんです。そんな地元の人たちの家の前のゴミを拾いつつ「こんなにゴミが落ちてるじゃないか」と思っていたのですが、ふと自分をかえりみたとき「じゃあ、自分はどうなんだ?」と。自分も、足元のゴミすら拾えていなかったじゃないか。そう気付いたのです。
伊豆が閉鎖的なわけではなく、本当に閉鎖的なのは自分だった。自分の心が周りを閉鎖的に見せていただけだった。要するに、東京進出や店の拡大ばかり考えて、自分の足もとに落ちているものにも気付かなかった。もっと地面に近いことをやらねば……閉鎖的な自分を取っ払って、地域ともっと関わろう。ゴミ拾いを通じて、そう思うようになったのです。
「観光とボランティア」で若者を動かす仕組み
「早朝にゴミ拾いしてもだれにも会わないだろう」という理由で「影奉仕」と名付けたボランティアは、静岡県内17支部に増え、今も清掃活動を続けています。また、より多くの人が参加できるように、「100万人の清掃活動」のサイトを立ち上げました。今日で連続510日、参加者は累計約2万人。IDを共有し、いつでも好きなときにゴミを拾って写真を撮り、ブログにアップする。それだけで参加したことになります。その気軽さと「ネット上でだれかがやっている」という仲間意識が人気で、国内はもとより、遠く南アフリカのナミビア共和国やスペインに住む日本人も参加しています。
思いがけない効果もありました。清掃を始めてから、会社の売り上げが伸びたのです。遠くからの観光客をターゲットにしていたのが、活動を通じて知り合った三島や沼津の人が店に足を運んでくれた。期せずして「地元」というマーケットにアプローチしたことになったんです。ネットを通じた活動ではありますが、私の基本テーマは「デジタルを使ってアナログを作る」。デジタルはあくまでツール。それを使って人と人が出会う仕組みを作らなければなりません。そういう意味で、この清掃活動はとても象徴的です。
そもそも、観光と清掃は一体なんです。お客様を迎えるとき、店周辺をきれいにするのは当たり前ですし、どの協会の定款にも「清掃活動」を定めています。私は観光業ですから、考えるのは「どうしたらお客様が伊豆に来てくれるか」。それが自分のなかで清掃と結び付いたのは、大きな収穫でした。
ただ、国内旅行は1996年頃を境に、下降線をたどっています。特に20~30代が旅離れしており、ピーク時に比べて年間300万人減っているという話を聞いています。私の主観ですが、インターネットや携帯電話の普及が理由ではないかと思っています。若者は、通信にお金と時間を使う分、旅行に行かなくなっているのです。
でも、本当に若者は動かないのでしょうか。だって、ネットを通じて、多くの若者がゴミを拾ってくれた。これを観光に結び付けられないか――それで生まれたのが「ボランツーリズム」、ボランティアを目的とした観光です。
思いがけない効果もありました。清掃を始めてから、会社の売り上げが伸びたのです。遠くからの観光客をターゲットにしていたのが、活動を通じて知り合った三島や沼津の人が店に足を運んでくれた。期せずして「地元」というマーケットにアプローチしたことになったんです。ネットを通じた活動ではありますが、私の基本テーマは「デジタルを使ってアナログを作る」。デジタルはあくまでツール。それを使って人と人が出会う仕組みを作らなければなりません。そういう意味で、この清掃活動はとても象徴的です。
そもそも、観光と清掃は一体なんです。お客様を迎えるとき、店周辺をきれいにするのは当たり前ですし、どの協会の定款にも「清掃活動」を定めています。私は観光業ですから、考えるのは「どうしたらお客様が伊豆に来てくれるか」。それが自分のなかで清掃と結び付いたのは、大きな収穫でした。
ただ、国内旅行は1996年頃を境に、下降線をたどっています。特に20~30代が旅離れしており、ピーク時に比べて年間300万人減っているという話を聞いています。私の主観ですが、インターネットや携帯電話の普及が理由ではないかと思っています。若者は、通信にお金と時間を使う分、旅行に行かなくなっているのです。
でも、本当に若者は動かないのでしょうか。だって、ネットを通じて、多くの若者がゴミを拾ってくれた。これを観光に結び付けられないか――それで生まれたのが「ボランツーリズム」、ボランティアを目的とした観光です。
ボランツーリズム始動、東北へボランティアも
ボランツーリズムの代表的な例が、2010年1月に行った、「旅館を掃除し、無料で泊まる」というプランです。
伊豆市に「落合楼村上」という老舗旅館があります。木造の建物が国指定登録有形文化財に指定されている、由緒正しい宿です。でも地元の人は泊まったことがないから、当然、お風呂も料理も知らない。地元がいちばん地元を知らないんですね。
そこで、地元向けにモニターができないか、「落合楼」の村上昇男社長に相談しました。すると、「落合楼」では全館掃除するのに従業員総出で3日かかることがわかった。私たちのメーン活動は清掃ですから、こう提案したのです。「朝から掃除し、夕方までに終わらせれば、旅館は休業せずにすみます。その場合、宿泊費を半額にしていただけませんか」と。すると社長が「無料にしましょうよ!」と言ってくださったのです。メールマガジンを配信し、呼びかけに応じたのは21~65歳30人のメンバー。「掃除ボランティアと引き換えに無料宿泊」という企画は見事成功したのです。
東日本大震災のときも、すぐにボランティアの必要性を感じました。4月5日に私がひとりで現地に入り、帰ってから企画を立てました。ボランツーリズムの理念は「だれかを助けて、観光する」。5月9日金曜日の夜に出発し、土曜日に到着。そのままボランティア活動をする。その夜は温泉旅館に泊まって帰ってくる、というスケジュールです。バス1台をチャーターし、36人が参加者しました。
東北へのボランティアは6月24日に2回目を実施。その後8月から1月まで、毎月行う予定です。参加者の多くが大学生、女性も多く含まれています。「旅行に行かない」といわれていた若者が、参加費1万5000円を払ってまでボランティアに行くのですから、先ほどの「旅離れ」とは逆の結果です。
年齢が上の世代の人たちは不思議に思うかもしれませんね。「なぜお金を払ってまでボランティアに行くのか」と。しかし若者は「目的」があれば動きます。ただ単に「旅行に行く」のはいやだけど、だれかを助けるためなら出向く。それが、ボランティアと観光を結び付けた「ボランツーリズム」。その機会を作るのが私たちの役割なんです。これからもいろいろな場所で、ボランツーリズムが広がっていけばいいと感じています。ですから、ノウハウを汎用できるようシステムを構築し、オープンソースの配布も行っていきたいと考えています。
伊豆市に「落合楼村上」という老舗旅館があります。木造の建物が国指定登録有形文化財に指定されている、由緒正しい宿です。でも地元の人は泊まったことがないから、当然、お風呂も料理も知らない。地元がいちばん地元を知らないんですね。
そこで、地元向けにモニターができないか、「落合楼」の村上昇男社長に相談しました。すると、「落合楼」では全館掃除するのに従業員総出で3日かかることがわかった。私たちのメーン活動は清掃ですから、こう提案したのです。「朝から掃除し、夕方までに終わらせれば、旅館は休業せずにすみます。その場合、宿泊費を半額にしていただけませんか」と。すると社長が「無料にしましょうよ!」と言ってくださったのです。メールマガジンを配信し、呼びかけに応じたのは21~65歳30人のメンバー。「掃除ボランティアと引き換えに無料宿泊」という企画は見事成功したのです。
東日本大震災のときも、すぐにボランティアの必要性を感じました。4月5日に私がひとりで現地に入り、帰ってから企画を立てました。ボランツーリズムの理念は「だれかを助けて、観光する」。5月9日金曜日の夜に出発し、土曜日に到着。そのままボランティア活動をする。その夜は温泉旅館に泊まって帰ってくる、というスケジュールです。バス1台をチャーターし、36人が参加者しました。
東北へのボランティアは6月24日に2回目を実施。その後8月から1月まで、毎月行う予定です。参加者の多くが大学生、女性も多く含まれています。「旅行に行かない」といわれていた若者が、参加費1万5000円を払ってまでボランティアに行くのですから、先ほどの「旅離れ」とは逆の結果です。
年齢が上の世代の人たちは不思議に思うかもしれませんね。「なぜお金を払ってまでボランティアに行くのか」と。しかし若者は「目的」があれば動きます。ただ単に「旅行に行く」のはいやだけど、だれかを助けるためなら出向く。それが、ボランティアと観光を結び付けた「ボランツーリズム」。その機会を作るのが私たちの役割なんです。これからもいろいろな場所で、ボランツーリズムが広がっていけばいいと感じています。ですから、ノウハウを汎用できるようシステムを構築し、オープンソースの配布も行っていきたいと考えています。
性差、年齢、地域の壁を取り払うのは自分自身
こうした取り組みはいずれも、「観光」という視点から伊豆を見たときに思いついたものです。
伊豆市は現在、人口3万5000人を下回り、高齢化率は30%超。景気のいい話は聞けません。でも、私たちはこれをどうにかしたい。
私たちがもっとも基本的と思う地域貢献は「納税と雇用」です。先日、私たちのNPO法人も非営利申請を取り下げたところです。ここに仕事を生み出し、若者の雇用を生み出せたらと考えています。それが今後の目標です。「ゴミ拾いで世の中を変える」なんてことが実現できれば、他の地方自治体のモデルになれるのではないでしょうか。
その足がかりとして、若者が交流できる拠点が必要です。そこから生まれたのが、「伊豆夢(イズム)」や「伊豆市若者交流施設9izu(クイズ)」。伊豆夢は2カ月に1回、参加費1000円で伊豆の政策や観光について情報交換できる場です。9izuは、地元の高校生や都内の大学生による「伊豆市大学生サークルSizu(サイズ)」にボランティア等の情報を発信する中核的存在として4月にオープンしました。 私自身、地域の中に入っていくのには時間も勇気も必要でした。ですから、若者が地域に入り込むきっかけとして、ファーストコンタクトを取る場所であるように、と思っています。実際、ここからビジネスに関する人と人とのつながりが生まれています。やっぱりいちばん大切なのは「人」なんです。
ここでは女性スタッフも健闘してくれていますね。9izuスタッフの松永実菜は「女性で伊豆を活発にしよう」と立ち上げた「修善寺小町」の会長です。観光業には女性の視点が不可欠なんですね。家庭の行楽のカギをにぎるのは、たいてい妻ですから。伊豆もいろいろな場面で、まだまだ男社会。女性の集団があることで、モニター活動やイベントなどへの働きかけが可能です。この先、女性のイマジネーションが、伊豆を元気にしてくれることを期待しています。
男女共同参画の観点でいえば、観光も清掃も、性別や年齢の差はないと、私は思います。東北のボランティアツアーで女性が多かったのは、1泊2日だけの日程によって、女性が参加しやすくなったから。19歳の女性も63歳の女性もいっしょに泥かきをしていました。だれかを救いたい、何かをしたいというなら、性差の壁などないはずです。 かつて私が「閉鎖的なのは自分だった」と気付いたように、偏見を取り払い、気概をもって伊豆に飛び込んでくれる若者を、これからもサポートしていきたいと思っています。
伊豆市は現在、人口3万5000人を下回り、高齢化率は30%超。景気のいい話は聞けません。でも、私たちはこれをどうにかしたい。
私たちがもっとも基本的と思う地域貢献は「納税と雇用」です。先日、私たちのNPO法人も非営利申請を取り下げたところです。ここに仕事を生み出し、若者の雇用を生み出せたらと考えています。それが今後の目標です。「ゴミ拾いで世の中を変える」なんてことが実現できれば、他の地方自治体のモデルになれるのではないでしょうか。
その足がかりとして、若者が交流できる拠点が必要です。そこから生まれたのが、「伊豆夢(イズム)」や「伊豆市若者交流施設9izu(クイズ)」。伊豆夢は2カ月に1回、参加費1000円で伊豆の政策や観光について情報交換できる場です。9izuは、地元の高校生や都内の大学生による「伊豆市大学生サークルSizu(サイズ)」にボランティア等の情報を発信する中核的存在として4月にオープンしました。 私自身、地域の中に入っていくのには時間も勇気も必要でした。ですから、若者が地域に入り込むきっかけとして、ファーストコンタクトを取る場所であるように、と思っています。実際、ここからビジネスに関する人と人とのつながりが生まれています。やっぱりいちばん大切なのは「人」なんです。
ここでは女性スタッフも健闘してくれていますね。9izuスタッフの松永実菜は「女性で伊豆を活発にしよう」と立ち上げた「修善寺小町」の会長です。観光業には女性の視点が不可欠なんですね。家庭の行楽のカギをにぎるのは、たいてい妻ですから。伊豆もいろいろな場面で、まだまだ男社会。女性の集団があることで、モニター活動やイベントなどへの働きかけが可能です。この先、女性のイマジネーションが、伊豆を元気にしてくれることを期待しています。
男女共同参画の観点でいえば、観光も清掃も、性別や年齢の差はないと、私は思います。東北のボランティアツアーで女性が多かったのは、1泊2日だけの日程によって、女性が参加しやすくなったから。19歳の女性も63歳の女性もいっしょに泥かきをしていました。だれかを救いたい、何かをしたいというなら、性差の壁などないはずです。 かつて私が「閉鎖的なのは自分だった」と気付いたように、偏見を取り払い、気概をもって伊豆に飛び込んでくれる若者を、これからもサポートしていきたいと思っています。
取材日:2011.7