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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

50歳で福祉に目覚め、68歳で孫の育児を体験。
世界が広がっていく人生は楽しい。

木村幸男(きむら・ゆきお)

木村幸男(きむら・ゆきお)


NPO法人静岡県ボランティア協会 理事
メンズ・サポート・しずおか 共同代表


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「勝手に映画ネチズンpart7」

男性電話相談員として相手の悩みに寄り添う

 私が市民活動や福祉ボランティアをするようになって、もうすぐ25年になります。しかし、自分から積極的にこの世界に飛び込んだわけではありません。さまざまな方との出会いがあり導かれたというか、引きずりこまれたというか……(笑)。
 そのころ、私は静岡銀行の広報文化室におりました。かなりのワーカホリックでしたね。退職した今も、思いがけない成り行きによって自分の居場所を確保でき、毎日、忙しく、楽しく過ごしています。
 現在、静岡市男女共同参画課の事業である「メンズ・サポート・しずおか」での男性電話相談のほか、在職時の経験を活かし、広報や編集講座などの活動を行っています。「メンズ・サポート・しずおか」は、4年前の立ち上げ時から関わっていますが、いまいちばん力を入れている活動だといえます。とはいっても、相談業務というのは、絶えず自己啓発と振り返りが求められるものなので、まだまだ発展途上です。
 静岡市による男性電話相談は、県や浜松市などと比較すると、後発ということもあり、もっと認知度を高めていく必要があります。相談者の年代は、あくまで推定ですが、40~60代くらいが中心。相談内容は家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス=DV)や夫婦問題に関するものが多く、そこから考えると、既婚者の方が多いようです。
 社会の水面下ではいろんなことが起きていることを、相談業務に関わって痛感する日々です。男性にも女性にも、夫婦にも家庭にも……。
 カウンセラーの役割は、まず相手に寄り添ってひたすら話を聞くということ。そして、一緒に考えることです。指導や啓発、助言はしないのが鉄則なんです。相談者の自立心を損なうような言動は、サポートにはなりません。相手の方が自身で考え、自分の道を探っていく手助けをする、長距離ランナーの伴走者のような存在ですね。決して上から目線でなく、私たちが同じ地平に立っていると相談者に感じてもらえるよう心がけています。

DV対策で重要なのは加害者を減らすこと

 男性電話相談に関わる以前、私は仲間に誘われて「静岡いのちの電話」設立発起人の1人となり、約7年間運営にも携わっていました。カウンセリングには、以前から興味があったのです。
 当時、一緒に福祉活動をしていたメンバーに「カウンセリングの勉強をしてみない?」と誘われたのがきっかけで、2年ほど勉強しました。「静岡いのちの電話」を立ち上げるにあたっては、入念な準備が不可欠だと思っていたからです。
 ところがあるとき、当時、浜松医科大学におられた大原健士郎先生をお招きし、仲間とお話を聞いたんです。大原先生は、自殺研究の第一人者として知られる方です。
 そのときの先生の言葉が今も忘れられないのですが、「勉強してもまだまだ十分とは思えない」と申しましたら、「自殺者は、あなたたちの立ち上げを待ってはいませんよ」と言われたんです。心がえぐられるような気持ちになり、本当にそのとおりだと思いました。
 それで、とにかく始めてみようということで、マンションの一室を借り、98年に「静岡いのちの電話」をスタートしました。
 相談員には守秘義務があります。ですから、相談業務が終わって家に帰っても、家族にどんな相談があったかなどという話はできません。しかし人間、自分の思いをどこかで吐き出したいという気持ちがありますね。それで、私が相談員の心のケアのような役割も担当していたんです。
 相談が終わって電話を切った後、私たちは「あの人はちゃんと眠れたろうか」「今何を考えておられるのだろうか」「自分の対応は、あれで良かったんだろうか」など、どうしても考えてしまいます。眠れなくなってしまうこともあります。しかし相談員のほうからは、当然、先方に連絡することはできません。それだけになおさらその後が気になって、辛い気持ちに耐えがたくなることは、珍しくないんです。
 あの頃の経験は、間違いなく現在の男性相談にも活かされています。
 男性電話相談のひとつの役目は、いい表現ではないかもしれませんが、「火元」をなくすことだと、私は思っています。DVについて言えば、近年、シェルターなど駆け込み寺的な場所も増えました。「被害者救済」という面では、世の中が改善されつつあります。
 こうした取り組みは、火事にたとえると消火活動ですね。しかし、それと同時に加害者を減らさなければ、事件そのものの件数は減らないわけです。被害者救済だけやっていても、加害者は減りません。男性電話相談は、少しでもトラブルを減らすための活動現場だと考えています。

「ボランティアはいらない」の叫びに衝撃を受けて

 そもそも、私がこういう世界に入ることになったのは、静岡県ボランティア協会と静岡県社会福祉協議会から、福祉・ボランティアの広報活動のアドバイザーになってほしいという要請をいただいたことがきっかけです。
 私はその頃、静岡銀行に勤務し、広報室長として社内報の編集長もしていました。「業務に支障がない範囲で、地域のお役に立つのであれば」というトップの理解があったので、お引き受けしました。つまり当時は、福祉やボランティアに対し、自分自身の思い入れや確固たる意思があったわけではないんです。
 活動を始めて気付いたのは、いくら広報の分野で経験やノウハウをもっていても、福祉やボランティア活動を正しく理解していなければ、自分の強みを役立てることはできないということです。
 それで、必然的に勉強することになりました。休暇をもらい、特別養護老人ホームで、短期間の宿泊体験をしたこともあります。そのうち、障害者の友達もできました。
 そこで、「広報とは何のためのものか」、改めて考えてみました。私なりの答えは、「人がより良い人間関係をつくり、より良く生きていくためのもの」。それは、福祉でも、男女共同参画でも同じだと思いますね。私の専門分野である広報の道の先に、そうした世界が広がっていたんです。
 活動を始めてみて驚いたのは、障害者や高齢者、子供たちなど、いわゆる「社会的弱者」と言われる人たちのために、自分を捨て、献身的活動をしている人たちが存在していること。自分の身近にそういう人々がいたということは、衝撃的でした。目からウロコが落ちましたね。
「自分もそういう人間になりたい」と強く思いました。その衝撃で、さまざまな活動に対する主体性が、芽生えたのだと思います。
 ハッとした出来事が、もう1つありました。ある研究集会に参加していたとき、軽い脳性麻痺のある人が「ボランティアはいらない。友達が欲しい」――突然そう叫んだんです。
 ものすごい指摘だと思いました。身を切られたような、身を切られて血が出たような、それほど大きな衝撃でした。彼らが望んでいることは、時間を共有し、相互理解を深めて友人をもつことなんです。
「かわいそうな人を助けてあげよう」という気持ちは、善意には違いありません。しかし、彼らが望んでいるのは、一時的なボランティアのサポートではなかったんです。

女性問題はすなわち男性問題という気付き

 男女共同参画の活動に関わるようになったのは、10年ほど前。静岡市女性会館から、女性のための編集講座を依頼されたことに始まります。
 女性会館などでの活動を通じ、男女共同参画に関する基本的なことを知るにつれ、「女性問題は男性問題でもある」と、感じるようになりました。女性問題の多くは、男性の存在があって起こっていることに気付き、もっときちんと勉強したいと思いました。
 埼玉県にある国立女性教育会館で行われた男女共同参画に関する啓発講座などに、2年間で40日くらい通ったりもしました。男性は少なかったし、「自費で勉強に来ました」と言うと、びっくりされましたね。
「女性問題は男性問題でもある」という気付きは、男性である私自身の生き方の問題にも、大きく繋がっています。私は正直、生まれながらの「ジェンダー男」ではありません。なので、学ぶことで、自分の生き方を見つめ直していきました。
 私には兄が1人おりますが、彼は全寮制の学校に入っていたので、実質的にはひとりっ子として育ちました。周囲の友達もご近所も、兄弟が5~6人いてもおかしくない時代でしたから、私はいわば「マイノリティ」。中学生くらいまでは特に意識しませんでしたが、だんだん自意識が芽生えてくると、学校集団に違和感を覚えるようになりました。ひとりでいることが自然で、群れをつくることは嫌いでした。
 社会に出ても、集団のなかで個を否定され、個を捨て去らねばならない。でも、サラリーマン時代も、あまり協調性はありませんでした。家で勉強したいと思えば、職場の付き合いを断ることもありました。若い頃に一度だけ、「銀行を辞めたい」と思ったこともあります。
 でも、結局は辞めませんでした。今のように、自由に転職ができる時代じゃありませんでしたし、働く人たちの意識も違いました。定年まで勤め上げるのは当たり前で、「男性は妻や子を養わなければならない」という性別役割分担意識が、今と比較にならないくらい強かったんです。現実的には、「ひとりが好き」なんて言っていたら、社会では生きていけないし、仕事もできません。ひとりの男として、この社会で生きていくためには自分のなかの何かを押し殺す必要があったような気がします。

「弱者」を支えることは社会の責任

 当時は、妻が風邪で熱があっても、仕事に行かなければならなかったし、子どもが産まれて、乳飲み子だった頃も、「仕事に差し支えるから他の部屋で寝てくれ」とか、平気で言っていました。男は仕事、女は家事と育児――という伝統的な性別役割分担を、忠実に履行していることに、何の疑問も感じていませんでしたね。
 ですが、男女共同参画について勉強するようになり、そういう考えは、だんだん変わっていきました。私自身は、「男性優位社会」のなかで、かなり優遇されて生きてきましたが、もし自分が女性だったら、職場でも、家庭でも、あらゆる場所で、怒りたくなるようなこと、人権を無視するようなことがたくさんあることに気付いたんです。
 私は真面目に生きてきたつもりだけど、偏見や差別意識はあったと思いますね。人事担当のときは学歴に対する偏見もあったし、「銀行員」という立場から、上から目線で人と接していた部分もあったのではないかと思います。
 今は、さまざまな「弱者」と呼ばれる人たちに手を差し伸べ「ともに生きる」ことが、すべての人間の責任だと思っています。50歳を過ぎるまで気付けなかったのは恥ずかしいことですが、今後も何とかして、弱者の人権を守ることの大切さを広げていけたらうれしいです。
 昔は世の中の「陽の当たる場所」しか見えていない自分でしたが、「陽の当たる場所」は、世の中全体のせいぜい2~3割くらいじゃないですか。そう考えると、自分に見える世界が、だいぶ広がりました。

3歳の孫の育児を体験して気付いた女性の偉大さ

 68歳のとき、3ヵ月間ですが、孫の育児を経験したことでも、自分の世界が大きく変わりました。第二子を妊娠した娘が、3歳の子どもを連れて、わが家に戻ってきたんです。あいにく妻が膝と腰を痛めて、家事が一切できなくなってしまった。そこで、まともに動けるのは、自分だけでした。
 普段の私は、ひとりでいるときなど、昼食に30分かけるのさえ「時間がもったいない」と思ってしまう人間です。昼食は、5分か10分でさっさと済ませて、その分、勉強したり原稿を書いたり、自分の好きな仕事をしていたい。
 でも、そのときばかりは、私が家事をやるしかないので、仕事は中断し、子守りと家事に専念しました。
 朝食をつくって、3歳児を含む家族に食べさせ、後片付けをしたら、着替えをさせたり、散歩に連れていったり、あれこれ世話を焼きます。洗濯物を干したりしていると、あっという間にお昼です。昼食は、外で買ってきていましたが、後片付けしなければならない。
 幼稚園に入る前の3歳児は1日中、誰かが世話をしなければなりません。夕食はディナーサービスを利用して、ときにはヘルパーさんの力も借りていましたが、「主夫もどき」をしている間、自分の自由な時間は、1日2時間もありませんでした。
 お母さんというのは、1日家にいるのに、退屈に感じるどころか、ゆっくり本を読んだり、音楽を聴いたりする時間もないのだなと、実感しましたね。同時に、改めて驚異的だと思ったのは、共働きのお母さんです。彼女たちは、毎日、家事も仕事もこなしている!
 妻は、子どもを2人育ててきました。今更ですが、私は何も手伝わずに、妻はひとりで子育てしてきたわけです。気付くのがあまりに遅かったけれど、本当に申し訳ないことをしたなと思いました。
 これまで40年間、私の生き方をずっと容認し、力強く支えてくれた妻・美千代は、私のいちばんの理解者ですね。彼女は、私が帰ってくると、「わざわざお茶なんかいれなくていい」と言っても、お茶を出しちゃう人なんです。でも、いれてくれた人に対し「いらない」なんて言うのはあんまりです。だから、今は素直に「ありがとう」と言うようになりました。
 昔に比べれば、ワンマンじゃなくなったと自分では思っていても、妻の手にかかると、私の評価はいまだに「ニセ男女共同参画男」……。なかなか厳しいです(笑)。

男性の意識改革に求められる漢方薬的アプローチ

 男女共同参画社会の実現には、まだまだ問題がたくさんあると思います。特に難しいと思うのは、男性の意識改革ですね。性別による役割分担意識は、子供の頃の家庭環境などによって、刷り込まれてしまいます。
 学校教育では、だいぶ意識改革が進んできたと思いますが、社会教育では、まだまだですね。
 社会教育を充実させていくには、行政やNPO、企業などが、もっと積極的に動くべきだと思います。正しい知識や情報を提供するなど、啓発活動の場をつくることで、少しずつ意識を変えていくことも必要です。
 また、意識改革を実現していくには、漢方薬を飲ませるような戦術をとらないといけません。高熱を冷ます対処療法でなく、いわば体質改善ですね。持続的な啓発が可能な社会システムが必要だと思います。
 男性が考えなきゃいけないことのひとつは、自分の妻やパートナーが、自分と全く同じ権利を享受しているかどうかということ。身近にいる人なら、わかるはずです。
 相手が、自分と同じように自由を、もしくは不自由を感じているかどうか。相手が、自分がしていない我慢をしていないか。世間から、同じ人間として、等しく扱われているかどうか。
 つまり、女性の人権が全く同じように確保されているかどうかをしっかり知ること。それが、男性の意識改革のコアになる部分だと思います。

本当の意味でのリベラルを目指し今なお奮闘中

 意識改革をするのは難しいことですが、不可能ではないと思います。
 私は、長い間、男性中心社会――個を否定する集団主義の社会にどっぷり浸かっていて、生きにくさを感じる半面、優位性を享受している面も、正直ありました。しかし、ジェンダーの勉強を始めてからは、男女という意識や固定観念にとらわれない、本当の意味でのリベラルに到達しようと、努力し、もがいています。
 そういう意味では、まだ「お手本」にはなれていません。漢方薬が効いていない部分もあって、自分の意識のどこかに、女性差別意識が残っているかもしれない。私に対し、妻や娘が批判的な目をもっているのも、多分、そういう部分が垣間見えるからだと思います。でも、面と向かって批判してくれる人が、傍にいるというのは、素敵なことじゃないでしょうか。
 そういうわけで、私の男女共同参画度は、思想面では90点。残念ながら、行動面では55点くらいかなあと思っています。
 実は、私は今年から、後期高齢者なんです。でも、この齢になっても、「懐かしい」という言葉が大嫌いです。過去を振り返って、懐かしがるより、未来を見つめて生きたい。歴史から学ぶのはいいけれど、アルバムを見て「あの頃は良かったね」なんていうのは、苦手なんです。
 私はいつでも、新しいものに出会うことに、生きる喜びを感じられる人間でいたい。古い友達も大切だけど、これからも新しい出会いを追い求めていきたい。たとえ、人生の残り時間が少ないとしても、前向きに、さまざまな活動の場、発言の機会をもち続けていきたい。生きている限り、世界を広げていけるような、そんな自分であれたらいいなあと思っています。

取材日:2011.6



静岡県静岡市生まれ 静岡市在住


【 略 歴 】

1958株式会社静岡銀行 入行
1985広報室長 就任
1992静岡県教育委員会ボランティア活動推進委員
1993株式会社静岡銀行退職 しずぎんホール「ユーフォニア」事務局長  
静岡県社会福祉協議会社会貢献活動研究会 代表
1996しずぎんホール「ユーフォニア」常務取締役
1998「静岡いのちの電話」設立準備発起人
2000静岡市女性会館運営協議会 委員
2004静岡県男女共同参画センター交流会議 副代表
2007静岡県広報アドバイザー
2008メンズ・サポート・しずおか 共同代表

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