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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

性を明るく、正しく、真剣に考える授業を展開。
固定観念にとらわれない価値観を中学生に示す。

山下泰(やました・ひろし)

山下泰(やました・ひろし)


藤枝市立青島北中学校 生徒指導主事



身近な「男女差」で「気づき」を引き出す授業

 私は今、藤枝市立青島北中学校で国語の教師をしています。生徒たちの学校生活を支える生徒指導主事でもあり、同時に、ライフワークとして「性教育」にも取り組んでいます。
 性教育といっても様々なとらえ方がありますが、私は男女共同参画の考え方と重なる面が大きいと考えています。性について考えることで、性別にこだわらずに生きる素晴らしさを伝えることができますから。
 1つ、授業を例にしてみましょう。「なりたい仕事調べ」という授業、おもに中学1年生に行う内容です。まず黒板の左右に「男子のなりたい仕事」「女子のなりたい仕事」のベスト10を書き上げます。すると男女ではっきり違うのがわかります。例えば「プロスポーツ選手」は女子のベスト10には入らないし、看護師やペットショップ店員は男子のベスト10には入らない。これを認識したら今度は「男子」「女子」の札を入れ替えます。男子にケーキ屋さんや幼稚園の先生、女子にサッカー選手や大工、という感じです。
 生徒たちから、最初は「変だ」という意見が出ます。理由は「男の看護師さんは注射が痛そう」「女のパイロットだと飛行機墜落しそう」そんなイメージなんですね。
 そこで写真を見せます。いわゆる女性の職場で働く男性、その逆の人も紹介し、「こういう人が増えると、どんなプラス面、マイナス面があるだろう」と問いかける。5人ぐらいのグループで考え、意見はどんどん黒板に貼っていきます。マイナス面は「何か嫌な感じ」「男性の職場に女性が1人だと仕事しにくい」などの意見です。でも、その頃には気づく生徒も出てきます。「変」って「気持ちの問題では?」と。そう、マイナスに上がる意見は、多くが「感覚」なんです。プラスの理由の多くは「選択肢が増える」「女子だからこの仕事はダメと言われなくなる」というものです。
「感覚」は気持ちを変えることで解決できる。その結果、選択肢が増え、10年15年先にきみたちが仕事に就くとき、性別にこだわらない方が選べる仕事の幅が広がる。将来の自分のために、普段から「女だから、男だから」とこだわるのはやめよう、と。そういう流れにもっていきます。

メディアが植えつける「男子女子」が題材

 次に「なぜそう思ってしまうのか」という授業に進みます。赤ちゃんは「男だから女だから」とは考えていないだろうに、いつどうやってそんな意識が生まれてくるのか、という問題です。
 少年漫画と少女漫画の雑誌を1冊ずつグループに用意し、それぞれの特徴を挙げます。少年漫画で描かれているのは圧倒的に「戦い」なんですね。戦い、スポーツ、強い方がいい。そして少女漫画の半分ぐらいは「恋愛」。目が大きくてかわいくて恋をする……そんな漫画やアニメーションを目にすることで「男の子は強くて運動ができる方がいい」「女の子はかわいくて恋をするのが好き」というイメージを植えつけられてしまう。もちろん全員が漫画を読んでいるわけではないですし、それだけの影響ではないですが、周りにそう言われれば「そうか」と思ってしまうのが人間です。それを私たちは「隠されたメッセージ」と呼んでいます。漫画をはじめとするさまざまなメディアによって、みんなの考え方が決められているということに気付かせる――それがいわゆる「メディアリテラシー」です。この授業は、情報を主体的に読み解くメディアリテラシーを養うためのものなんです。
 職業の授業は、近年生徒の反応が変わってきまして「通っていた幼稚園に男の先生がいた」という子もなかにはいます。ただ、残念なことに、漫画は驚くほど変わっていませんね。15年間同じ題材で授業ができることに愕然とするほど、メディアが発信する「男子像、女子像」は変わっていないんです。

学校の性別分けは減少、根強く残る暗黙の分担

 こういう授業を中学の学級活動や道徳の授業でしたり、地域や保護者の方、小学校などに出向いて話す機会もあります。特に、町内会などで集まって下さる方々は比較的高齢の方が多いこともあり、今の学校の状況や、漫画の話などを、興味をもって聞いて下さいます。
 学校の現場を10~20年前と比べると、明らかに変わってきているのが男女の分け方です。15年ぐらい前から名簿が男女混合で五十音順になり、持ち物も、男子が青、女子は赤、ではなくなっています。男女でジャージの色が違うという学校も少ないですし、家庭科や技術科はかなり前から、最近は体育でも男女一緒の「共修」が増えました。もちろん身体測定などは別ですよ。
 ところが、学校内で男女共同参画が進んでいるかというと、残念ながらそうでもないんです。特に中学校はトップである校長は男性であることが多い。藤枝市の中学10校のうち女性の校長は1人、女性の教頭も本校だけだと思います。平成23年度生徒指導や学習・研修関係のリーダーには男性教師が多く、給食や図書は女性の先生が多い――要するに暗黙の分担みたいなものが、根強く残っているように思います。
 そういう話をすると「それは適材適所ですよ」と言う人がいますが、新しく入った教師を、男性女性区別なくきちんと育てようとしているかというと、そんなことはないのでは……と私は感じます。同程度の能力だと判断すれば、大きな仕事はまず男性教員にふる。女性教員には日常的な仕事を分担する。うまくできたとき「よくできた」と高く評価されるのは男性の方で、女性の方は「あのくらいの仕事はできて当たり前」という評価になりがちです。その積み重ねで中堅になるわけですから、鍛えられ方が違っている。適材適所というけれど、「適材」を性別ごとに作っているように思います。ただ、これも少しずつ変わってきていますが……。
 そういう意味では教育の現場より一般企業の方が意識改革が進んでいるところもあるかもしれません。「能力」の前に、それを育てる「意識」が大きく影響すると、私は思っています。だから、これからの世代には、「性別にこだわらない」という意識を持ってほしい。そう考えて、授業をしているわけです。

転任した中学で出合った斬新な「性教育」


 私は今58歳ですが、こんな授業をしていてもつい、男女の役割に固定観念をもつ「ジェンダー・バイアス」的な見方をしてしまうことがあります。他の同世代の方と同じように、男子はこう、女子はこう、という背景で生きてきましたから「荷物を運ぶから男子来て」と声をかけて、その瞬間「女子でもいいじゃないか」と思い直したりすることは、今でもありますね。そもそも、こういうことを意識し始めたのは、性教育を始めた25年ぐらい前からです。
 1976年に大学を卒業し、地元である藤枝で教師生活をスタートしました。性教育に出合ったのは1987年、33歳で焼津市立東益津中学校に転任したのがきっかけです。当時の校長が性教育を積極的に進めており、私も他の学校に授業を見学に行きました。
 そこで見た性教育の授業は、とにかく新しかった。
「交際」についての授業でした。「恋愛」という言葉は使っていなかったですが、交際について教室で真剣に考えるなんて、私自身は当然経験がありません。ですが、生徒たちが楽しそうに、それでいて真剣に考え発言しているのを見て「こんな風に物を考えさせることができるんだ」「生きていくのにとても大切なことかもしれない」と感じたのです。
 国語という教科は他の教科より「人生を考える」要素が多いような気がします。それと同じで性教育も、直接「自分の生き方」を題材に「人生」を考えさせている。中学生には中学生なりの人生を考えたり、語り合う楽しさがあるんじゃないか――。
 こんな授業をしたい。するからには、いい加減ではなくちゃんと学びたい。そう思いました。それで「“人間と性”教育研究協議会」に入会し、性教育についての学習を始めたのです。

性教育の授業を作るため勉強会に参加

「“人間と性”教育研究協議会」は全国組織で、私は静岡地区に属しています。会員は教師を中心に、産婦人科医、助産師、大学の先生など。2カ月に1回の勉強会では「科学的な知識をもつ」「世の中の情報を正しく把握する」そして「心理的なことを知る」という考えを踏まえ、互いに学びながら、どんな授業を作って行くかを話し合います。 例えば「命が生まれる」というテーマの授業を作る場合、出産のメカニズムを教えるのですが、それには性交の話が不可欠です。しかしそこだけに終始するのではなく、そのなかに心情面をどう入れるかといったことを工夫するのです。資料が必要な場合は各自持ち寄ったり、専門家に話を聞きに行ったりして、みんなで1本の授業を作り上げていく。
 もちろん、こういう授業が苦手な人もいますから、同じように性教育を見学しても、私のように関心をもたなかった教師もいます。
 振り返ってみると、私自身は「女の子が好きなことを好きなところがある男の子」だったかもしれないですね。例えば小学生の頃、人形の服を作ったことがあります。何着か作って、今も手元に残っていますよ。姉がいますが、年が離れているのでその影響というわけではなく、自発的に作ったんです。だからといってバカにされたり、親からとがめられたりといったことはありませんでしたが、もしかしたら「生きにくさ」とまでは言わないにしろ、軽い「違和感」を子供の頃に感じていたのかもしれません。そして成長し、性教育やジェンダーという考え方と出合ったことで、「これだ」とすんなり受け止められたのかも……今になってそう思います。

成長に合わせて伝えることで育まれる命への意識

 性教育の授業を続けることで、私自身は直接批判されたことはありませんが、5~6年前「性教育バッシング」が盛んになった時期がありました。男女共同参画もそうだと思いますが、「男でも女でもない人間をつくるのか」「更衣室を一緒にするのか」という少々的外れな批判があったと記憶しています。
 私が保護者会や地域の勉強会で話をしている限りでは、おおかたの人は「ちゃんと学校でやってほしい」と考えているという印象です。むしろ「私たちに言わないで、教室で生徒に言って」という保護者もいるくらい。親の意識も変わってきているのかもしれません。
 実際、教室では「あまりふざけられない」という意識が生徒にあるので、性の話も猥談にならない。もちろん、こちらもそうならないように進めるわけですが、親子や友達間だと、偏った話題に陥りがちなだけに、教室できちんとした正しい言葉を使って教えることが必要になってくるわけです。
 ただ、高校でもやってほしいと、私は思っています。というのも、中学で教える性教育はどちらかというと「予習」であり、セックスに関わる部分は特に、生徒は他人事と受け取りがちです。ですが高校はもう「予習」ではない。私たちが中学で教えて完了、ではなく、高校でも教え方を変えて同じことを語り続けてほしいのです。
 ある人に言わせると、命の大切さ、生命の誕生については、小学校低学年、高学年で各1回、中学校1年と3年で各1回、高校で1回、と視点を変えながら続けることによって、子供のなかに何かが育ってくる。小学校低学年のうちは「生まれる自分」ですが高校生は「生む自分」という視点になります。ですから、アプローチを変えながら繰り返し伝えることで、子供のなかに「命」について腑に落ちる部分が育つわけです。
 現実には、近隣の高校ではなかなかフォローしてくれないようなので、できれば中3の終わりまでに性感染症や避妊、中絶についての問題点、リスクなどを教えたい。昨年度の3年生には、卒業前にデートDVについての授業をしました。知っておくことで、自分の身を守れる、ということもあるからです。

地域の意識を変えるために少しずつ働きかけを

 藤枝市では2001年から「男女共同参画プラン」として、市内各地域をモデル地区に指定し、さまざまなモデル事業を展開しています。私も広幡地区がモデル地区になった時、学校職員として事業に携わりました。以来、藤枝市の男女共同参画に関するアドバイザーや委員などを任される機会が増えています。
 ただ、地域、町内会などにはまだまだ男女共同参画の考え方が浸透していないと感じますね。それでもイベント的に、防災訓練でいつもの役割を逆にして、女性が放水を、男性が炊き出しをするということをしたモデル地域がありました。翌年からもとに戻っているとは思いますが、こういう試みも、しないよりしたほうがいい。最近は景気の低迷や高齢化の影響で、労働や福祉の現場で「男だから家事はしない」などと言っていられない時代になってきていますから、今後少しずつでも意識は変わるかもしれません。
 私がアドバイザーをしているとき、「すごく変えようと思わなくてもいいから、そうでもないんじゃない?そうばっかりでもないみたいよ、と言う回数を増やしてほしい」と何度もお伝えしました。正面から「その考え方は違う」と言いにくくても「いいんじゃない、男の人がやっても」という回数を増やしてください、と。そうすることで、言っている人自身も、聞いている人も、少しずつ変わっていくはずです。今なお、国の大臣は男、校長も男ですから、世の中を変えるのは大変でしょう。でも、「いいじゃん」と思える人間の数は増やしたいし、出会った子供たちには柔軟に考えられる意識を広めたい。そのためにも教師という立場で教育ができるチャンスを最大限に生かしたいですね。

性を真剣に考えることが前向きに生きる力に

 性教育を通じて、若い世代に伝えたいことはいくつもあります。「知らないより知っている方が安全に生きていける」ということ。DVや性感染症などについてがそれですね。そして、最近よく言われる「自己肯定感」。自分らしく生きていく方法がある、それでいいんだよ、という考え方です。交際の授業には必ず「同性愛」についても触れます。もちろん当事者は大いに悩むだろうけれど、落ち込まなくてもいい、そういう生き方もありなんだ、とまず自分自身が認めること、その大切さを伝えたいですね。
 そして、セックスに関わることは「エロ情報」だけではない、ということ。性を真剣に、明るく考えることは、生きていく上でとても大切だと考えるからです。
 私自身ジェンダーや性を学ぶなかで、面白い、楽しい、これでいいんだ、と物事をプラスに考えられるように変わっていったこととも関係しているかもしれませんね。もともと能天気なタイプですが、さらにいろんなことがプラスに受け止められるようになった気がします。例えば、中学3年生の男子が泣いていたら、たいていの人は「男のくせに泣くな」と思うでしょう。でも男だから泣いてはいけないということはないし、その生徒にとっては泣くほど辛いことがあったのかもしれない。「何かあったのか」と、それが男子でも女子でも歩み寄れる、そんなふうに接することができるようになりました。
 男女の性別的役割分担にしても、男性が外で働き、女性が家にいる、という形ができたのはここ何十年かのことだと聞きました。そもそも生物的なものでも、200年300年と続いてきたことでもない。それなら今から変えられるはずです。性教育を通じて「変えられる」、その可能性を考える授業を、これからも続けていきたいと思います。

取材日:2011.10



静岡県藤枝市生まれ 藤枝市在住


【 略 歴 】

1976藤枝市立西益津中学校で教師生活をスタート
1987焼津市立東益津中学校に転任、性教育に出合う
“人間と性”教育研究協議会に入会、性教育について学習を始める
1994藤枝市立広幡中学校に転任
2001広幡地区が藤枝市男女共同参画課から「男女共同参画推進モデル地区事業」に指定される
この事業に学校職員として関わる
2002藤枝市男女共同参画プラン・後期アクションプログラム策定委員を委嘱される
2005藤枝市男女共同参画推進モデル地区事業(高洲地区)のアドバイザーを委嘱される
以後5年間、アドバイザーを続ける

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