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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

「問題を抱えているからこそ価値がある」
元少年院教官がたどり着いた青少年支援の形。

津富宏(つとみ・ひろし)

津富宏(つとみ・ひろし)


静岡県立大学国際関係学部国際関係学科 教授


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特定非営利活動法人 青少年就労支援ネットワーク静岡
特定非営利活動法人 セカンドチャンス!
キャンベル共同計画

立場が変わっても一貫して若者支援に取り組む

 ニート、少年院出院者、大学生。さまざまな状況におかれた若者たちに、私は一貫してかかわり続けています。
 私は大学卒業後19年間、法務教官として、少年院に収容された子供たちの矯正教育に携わりました。その後は大学で教鞭をとるようになり、青少年の就労支援団体「青少年就労支援ネットワーク静岡」を設立する一方、大学でも現在10近い学生団体に関わっています。2009年には、少年院出院者の社会復帰を支援する団体「セカンドチャンス!」を立ち上げ、出院者たちとも共に活動するようになりました。
 そもそも、なぜ若者支援に関わるようになったのか。それは、偶然の結果だと思います。しかし、活動を通じた出会いや発見が、新たな活動へと私を導いたのは間違いありません。さまざまな出来事が相まって、今の私の考え方が形成されていったのだと思います。私が自分の持ち場で全力を尽くすことで、手の届く範囲の若者たちが生き生きとしてくれたら。それが私の喜びであり、活動の源です。
 ですから、静岡県立大学の学生たちと取り組んでいる数々のサークル活動は、私の生活の中心となっています。たとえば、若者が社会に貢献できる場づくりを目的とする学生団体「YEC(若者エンパワメント委員会)」。YECは、中高生による企画実現の支援や社会の意識を変えるための「わかもの白書」の発行をとおして、若者や社会へのアプローチを行っています。学生主体のNGOとして立ち上がった「あおい」は、啓発誌「かぼちゃ」の発行、現地団体への資金援助をとおして、カンボジアの深刻な児童買春問題に取り組んでいます。
「ありのまま会」は、北海道浦河町にある精神障害を抱える人の地域活動拠点「べてるの家」を見学した学生が立ち上げたセルフケアの場づくりをしています。環境サークルCO-COは、静岡市清水区大内地区の方々と一緒に里山づくりに取り組んでいます。ほかにも、学生のキャリア支援に取り組むDREAM SEEDS、県内の外国にゆかりのある子どもと日本人の子どものかかわりをつくりだすリトルワールドキャンプ、こうした学生団体を支援する学生団体であるDDなど、いろんな団体があります。
 日本の社会は、根本的なところで、少しずつ変えていかなければならないのだと感じます。私は、落ち着きなく多様な活動をしていますが、1つひとつがそのための小さな取り組みなのだと思っています。

職場で若者を育てる「静岡方式」の支援法

 少年院の職場を離れることについては、ずいぶん迷いました。しかし、ずっと1つの仕事を続けるより異なる仕事を経験し、いろんな立場で他者を感じられるようになりたいと考え、別の仕事に移る決意をしました。それがたまたま大学教員でした。
 転職と同時に、大学の場以外での社会活動をすることも決めました。そのときから考えていた計画を形にしたものが、青少年就労支援ネットワーク静岡(以下、就労支援ネット)です。
 私が少年院で関わっていた少年たちにとって、仕事に就けるかどうかは人生を決める問題でした。少年院を出て、職を得た少年の再犯率は10%以下、仕事に就かない少年では50%前後です。また、当時はまだ言葉としては存在していませんでしたが、いわゆる「ニート」の若者の数は、非行少年の数よりずっと多いわけです。そこで、当時は全国的にもなかった、働きたいけれども働けないすべての若者を対象にした就労支援団体を立ち上げようと思い立ったんです。
 就労支援ネットでの支援の仕方は他にはないもので、私たちは「静岡方式」と呼んでいます。一般的に、ニートの若者に対する支援は、キャリアカウンセリングなどのサポートを経て、実際に社会に出るための出口支援に入るというのが流れ。引きこもりから出てきた若者の支援の場合は、3年くらいの期間をかけて行っているところが多いのですが、私は事前ステップを踏むことなく、もっとスピード感のある支援ができると考えていました。というのも、少年院では半年か1年という期間しか与えられませんが、日々の体験を通じて少年たちに明らかに変化が起きるんです。自分自身の経験を顧みても、社会に出て初めて社会人としての自覚が生まれましたから、まずは実体験だろうと。4回の集合セミナーのみを行い、その後すぐに実際の「職場」に若者を送り込み、就労体験をしてもらう。まずは、挨拶ができるようになるだけでもいい。とにかく、現場で若者を育てていただくというのが「静岡方式」の発想です。「働けばよくなる」というポジティブ志向なんです。
 就労体験は雇用とは異なりますから、賃金は発生しません。といっても、「お試し」的な学生のインターンシップとは違い、あくまでも就労能力をアップさせることが目的です。目安となるのは3ヵ月間程度ですが、それに限定されません。受け入れ先の方と話し合いながら、本人が働けるようになるまで鍛えていきます。
 賃金が発生しないといっても、もちろん受け入れ先には相応の負荷がかかります。しかしそれでも、きちんとお願いしていけば、私たちと共に若者を応援しようと考えてくださる企業はけっこうあるものなんです。この世の中、捨てたものではありません。

市民サポーターによる終わりのない伴走型支援

「静岡方式」では、地域の市民の方々がボランティアの「サポーター」として個別に若者を支援します。現在県内で活動するサポーターは50名ほど。パソコン教室経営者や行政書士、元中学教員、お寺の住職夫婦、コンビニ経営者と、実に多様な人々からなる集団で、私もその1人です。彼らの多くは仕事をもち、地域に根付いた生活者。彼らの地域ネットワークを駆使することで、若者と彼らが希望する就労体験先を結びつけることも可能になるのです。
 この仕組みを始めるときは、非行少年や犯罪者を個別に指導する「保護司制度」を参考にしました。保護司とは、法務大臣の委嘱を受けたボランティアで、担っているのは地域で長く暮らす市民たち。非行少年や犯罪者が地域に溶け込めるよう相談に乗ったり、職探しを手伝ったりするほか、保護観察所に報告書を提出する役割も担っています。私は、少年院で少年たちの話を聞き、保護司が少年の立ち直りをいかに支えているかを知っていました。そこで、保護司制度を原型とした就労支援の仕組みをつくったのです。地域の人々が支援者となり、地域全体で若者を支えていくために。
 支援を始めてみると、この方法が正しかったことがわかりました。これまで300人以上の若者を支援しましたが、その8割近くが就労しています。最近では10年近く引きこもっていた女性が支援3ヵ月でアルバイトを始めた例もありますし、就労体験から雇用に切り替わることも多いです。今年に入ってからはついに、支援した若者のなかからサポーターが誕生しました。きちんと支えれば、みるみるうちに働けるようになる人が多いのだというのが私たちの実感です。
 一方で、私たちの支援には終わりがありません。彼らの多くは、私たちが支援する以前にすでに職歴があります。要するに、若者にとって困難なのは、就職することよりも働き続けることなのです。たとえ、職業訓練を積んでも、適応できる幅が狭いから、特定の職場ではうまくやれても、上司が変わるといったちょっとした環境の変化があると対応できなくなる。だから、職業訓練は機能しません。だからこそ彼らは、ただちに現場に入ることが必要だし、そこでうまくいかなければ次の現場を探す支援をしなければならないんです。
 その上で大切なことは、本人の希望を尊重することです。本人がしたいことでなければがんばることもできないでしょう。本人の願望こそ強みである。私たちはそう考えます。ですから、選択肢の説明は示しますが、答えを押し付けることはしません。私たちが行う「静岡方式」の支援とは、「永遠支援」、「伴走型支援」なのです。

少年院出院者が疎外される社会の現状

 法務教官をしていた19年間は、とても充実した時間を過ごしました。少年たちとの共同生活を送るなかで、彼らが今何を考えているか、感じているかを読み取り、正面から彼らと向き合って話し合う。夏には共に草刈りをして汗を流す。そんな毎日の繰り返しのなかで彼らの気持ちが少しずつ変化していくのを感じることができました。彼らの多くは、朝起きて勉強して、夜になったら寝てという当たり前の生活習慣も身に付いていませんから、規則正しい少年院での生活は自信を取り戻す、ひとつのきっかけになります。少年院に収容されている期間は、本人にとって社会的な時間は止まっている状況ですが、決してマイナスではない。プラスに作用させることが可能なんです。
 しかし、難しい面もあります。少年院出院者の再犯率は20~25%、少年院への再入率は10~15%。彼らの気持ちに変化が起きても、大抵の場合は家庭問題など、その子を取り巻く環境は変わっていません。少年院出院者ということで一層就職しづらくなる現状もあります。ましてや、少年院に入る子どもたちは、もともとさまざまなものに心を傷つけられています。社会に戻っても、社会の対応によっては、少年たちの疎外感や除外感はむしろ高まっていくんです。ですから、私はそれを乗り越え、ほとんどの子どもが何とかやっていることにむしろ驚きを感じます。
 法務教官には、少年院出院者と個人的な関わりをもってはならないという暗黙のルールがあります。ですから、社会に送り出した子どもたちのその後について詳しく知ることもできません。彼らのことが気にならないといったら、それは嘘になります。しかし、少年院出院後のことについては、法務教官である限りかかわることはできないというのが、法務教官の認識です。

犯罪を行う人の弱みを強みに転換するアプローチ

 法務教官時代には世界に向けて目を開く機会をいただきました。26歳のときにはアメリカの大学に留学し、犯罪学に出合いました。私を導いてくれたのは、日系3世のロス・マツエダという犯罪学者。彼の研究分野は犯罪原因論で、犯罪がなぜ起こるのかについて純粋に追求し、データをもとに理論を実証していく研究です。
 彼が用いた理論によれば、人は、他者の眼に自分がどう映っているかを意識することで自己を形成すると言います。つまり、周囲の人々が自分をどう見るかということが自己形成の鍵になるのです。さらに言えば、犯罪を行った人々に立ち直ってもらいたいのであれば、周囲がその人に対する見方を変えなければならないということです。
 具体的には、私たちは彼らをどんな眼で見なければならないのか。勉強するなかで私が行きついたのは、物事の弱みではなく強みに着目するアプローチです。静岡にきてニートの支援を続けるなかで、私は精神障害者の就労支援について学びました。先ほど申し上げた「べてるの家」では、問題点こそ強みだととらえ、さまざまな活動が行われています。また、元犯罪者による、犯罪者の社会復帰支援の分野では、「傷を負った癒し手」という言葉も知りました。これは、傷を負った者、つまり犯罪を行った者だからこそ、他の傷を負った者に手を差し伸べることができるという発想です。
 マイナスの経験は、プラスの経験に転じることができる。当事者にこそ価値がある。私は、この前提をもつことが支援する側に求められるのだという結論に至りました。

スウェーデン訪問が出院者支援活動のきっかけに

 これまで、少年院出院者に対して私が抱いていた思いが1つの形になるきっかけがありました。それは、2008年にスウェーデンを訪れたときのこと。私はストックホルム犯罪学賞という、犯罪学のノーベル賞をめざして創設された賞の審査員として毎年スウェーデンに行く機会があり、その年は現地の青少年支援団体を訪問することにしていました。学生団体「YEC」設立にも繋がるのですが、ニートの支援をしているうちに一般の若者支援にも興味が広がっていたんです。
 そのときに訪ねた団体の方が連れていってくれたのが「クリス(KRIS)」の少年部門「ヤング・クリス」。クリスは元受刑者が、刑を終え釈放されてきた人々の支援をしている団体です。「出所者は施設を出ると孤独でたまらなくなる。だから自由に来れる場が必要だ」。元受刑者の若者の話を聞くうちに、私には「同じことが日本でもあったら。法務教官だったときとは違う立場から、非行少年に役立てるかもしれない」という強い思いが芽生えていました。そうして生まれたのが「セカンドチャンス!」です。
 その3年前、私は以前勤めていた浪速少年院の出院者と偶然出会っていました。彼は、当時私が非常勤講師をしていた大学の学生で、私が少年院の元教官であることを知って声を掛けてくれたんです。それ以来、彼は私にとって貴重な友人となりました。スウェーデンで真っ先に頭に浮かんだのも彼のこと。そこで帰国後すぐに彼に話をし、彼と一緒にセカンドチャンス!の活動を始めました。
 彼は私の提案を聞いた時、「やらせてください」と言ってくれました。彼は、社会にお返しをしたい、人の役に立ちたいと思っていたんです。彼のように立ち直った若者の過去をプラスにとらえ、間違いを犯した人間だからこそできる支援をする――それがセカンドチャンス!の存在意義です。
 現在、セカンドチャンス!はたくさんの方々にサポートしていただいています。非行少年の親として当事者運動をされている方、元保護観察官、弁護士、カウンセラー。薬物依存症の人たちの自助グループ「ダルク」のメンバーたち。そして、少年院院長など私の先輩方……。さまざまな人に声を掛けていくなかで、セカンドチャンス!の趣旨に賛同してくれる出院者にもたくさん出会いました。彼らは今、全国各地での交流会や少年院などで体験談を語る講演活動を通じ、出院者たちの居場所づくりに努めてくれています。

すべての人々の多様な声が響き合う社会を

 現在の私の活動は、決して終着点ではありません。あくまでも通過点にすぎないと考えています。
 青少年の就労支援においては、地域で支援を積み重ねていくことで、私たちの住む静岡にヒューマンネットワークを広げ続けたい。支援をする側も受ける側も、皆地域の担い手です。そういう意味で、私たちの活動は地域づくりでもあるのです。
 さらに、「静岡方式」を全国に広げたいという希望もあります。現在、秋田県で「秋田方式」として同様の取り組みが始まっています。そういう動きが全国にどんどん広がれば、若者の就労支援の現場はずいぶんよくなるだろうと思います。最近、NPOのノウハウをまとめて、『若者就労支援「静岡方式」で行こう!!』(クリエイツかもがわ)という本も出しました。この本を、全国の方に読んでいただきたいと思っています。
 犯罪学の研究もまだ途上です。犯罪学に関する世界中の研究を集め、たとえば再犯率の減少や、街頭犯罪の減少に繋がる有用な取組みの方法を共有する。このための世界的なプロジェクトである「キャンベル共同計画」の活動を、日本で推進していくこと。それが犯罪学者としての私に与えられた課題の1つです。
 セカンドチャンス!の活動においては、肩書きや立場にとらわれず、誰もが個として繋がり合い、支え合っていける社会づくりを目指したい。この社会のすべての人々の、多様な声が響き合う社会をつくっていきたい。そう考えています。
 この先、どんな出会いがありそこから何が始まるか、予測することはできません。ただ言えるのは、それらはすべて繋がっているのだということ。私は、多くの人にそれらが繋がっているのだと伝えたいし、繋がっていることを実感できる社会をつくりたい。それがすべてに共通する、私の目標です。

取材日:2011.10



東京都生まれ 静岡県静岡市在住


【 略 歴 】

1983東京大学教養学部教養学科 卒業
法務省多摩少年院 法務教官
1988ウィスコンシン州立大学マディソン校社会学部修士課程 卒業
1993法務省浪速少年院 統括専門官
1996法務省矯正研修所 教官
1999国際連合アジア極東犯罪防止研修所 教官
2002静岡県立大学国際関係学部 助教授
キャンベル共同計画 参加
青少年就労支援ネットワーク静岡 発足(2004特定非営利活動法人認証)
2009セカンドチャンス! 発足(2010特定非営利活動法人認証)
2011静岡県立大学国際関係学部 教授

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