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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

ボランティアで開眼、子育て支援を生涯の仕事に。
親子の健全育成を通じて、すべての子どもに幸せを!

岡田博次(おかだ・ひろつぐ)

岡田博次(おかだ・ひろつぐ)


さくらぎこども館 館長
東海福祉専門学校 非常勤講師


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「さくらぎこども館な毎日」

18歳の夏にやってきた人生の転機

 私が働く子育ての現場は、昔から女性が活躍しており、職員の8割から9割は女性です。ですから、よく聞かれるんです。男なのになぜこの仕事を選んだのかと。
 私は、保育の分野とは全く畑のちがう、静岡県立掛川工業高校の出身です。部活のバスケットに完全燃焼していた高校時代は、特に将来への目標もありませんでした。そのころ、校外活動の一つに「サマーショートボランティア」というのがあって、ボランティア活動をしておくと、進学や就職に有利だと言われたんですね。そこで、3年生の夏休みにボランティアに参加しました。それが、人生の転機になったんです。
 出かけた先は、今はもう無い「南郷保育園」というところでした。そこにいたのは、0歳から5歳までの子どもたち。それがもう、ただただ、かわいかった。女性の保育士ばかりの中に、男子高校生がやってきたわけですから、子どもたちも期待をこめて寄ってきてくれる。思いのほか、その場所が自分にしっくりきたわけです。以来、私は何度も南郷保育園を訪れるようになりました。
 南郷保育園には当時、34歳だった伊藤孝さんという男性保育士さんがいました。男性保育士が今よりめずらしかった頃で、「男でも、こういう仕事ができるんだ」という驚きがありました。この人と出会えなければ、この仕事についていなかったと思います。自分も、子どもたちの育ちのために、何かできるかもしれない。伊藤さんと同じ専門学校に入学して資格をとりたいと思うようになりました。
 人生には、いろいろな選択肢があります。大切なのは、好きなことを見つけた時に、思い切って飛び込めるかどうか。18歳の時に、好きな仕事に出会えた私は、本当に幸せでした。

自分が選んだ保育という目標に向かって

 福祉の道を歩むという選択を聞いて、驚いたのは周囲の人々です。両親はすんなり受けとめてくれましたが、工業高校の先生には反対されました。工業高校出身の男が、保育の世界に進むことなど無理だと一刀両断されました。しかし、私の決意は揺るがず、専門学校に提出する書類を自分で準備しました。先生も最後はしぶしぶ、推薦状を書いてくれましたね。
 私が入学したのは、東海福祉専門学校。今は学科が異なっていますが、「社会福祉学科」という学科で、児童福祉だけでなく、障害者福祉などの勉強をしました。3年間で、保育士と幼稚園教諭の資格を取得し、さらに1年間を専攻科で学んで、介護福祉士の資格も取得しました。
 クラスメート60人中、男子学生は9人。工業高校とは、男女の比率が逆転しました。けれども、居心地の悪さを覚えたことはありません。自分が選んだ道ですし、先生方は、保育の世界でも男性がひっぱっていくことが必要だと指導してくれました。専攻科にすすみ、計3年間在籍したのも、静岡県で開催される「わかふじ国体」の障害者大会で、ボランティアのリーダーを務めて欲しいと、当時の教頭だった兼子邦子先生に依頼されたのが理由でした。
 就職の時期を迎えて、保育園の男性保育士には給与面などで不安があるという現実を教えてくれたのも、兼子先生です。そこで、もう一度自分自身がやりたいことを再検討し、最後に選んだのが、児童養護施設「豊橋平安寮」だったのです。

子どもを守る最後の砦で情熱を燃やした3年間

 児童養護施設というのは、虐待を受けたり、身寄りのない子を育てる、子どもにとっての最後の砦です。この場所がなければ生きていくことができない子どもたちを、24時間、365日見守るという仕事に、自分をかけられる熱いものを感じていました。
 豊橋平安寮には当時、3歳から18歳までの子ども、約70人が暮らしていました。職員は24人で、うち男性は6人でした。私の仕事は、食事や風呂、宿題の手伝いなど、生活全般の世話をするというもの。当直は、朝9時から翌朝9時までの24時間勤務で、最初の2年間は、施設の2階に自分の部屋がある、住み込みの形でした。
 複雑な境遇を背負った子どもの中には、難しい一面をもつ子もいました。虐待を受けることで、発達障害を発症することがあるんです。最も難しいケースだったのは、小学校1年から3年生までお世話をした男の子です。彼には自閉症と、辛さから自分を引き離してしまう「乖離性障害」、愛情をかけられずに育ったために知らない人に甘えたり反抗したりする「反応性愛着障害」、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の4つの症状がありました。人の物を取るなどトラブルが絶えず、時にはパニックを起こし、暴れることもありました。施設中に響く奇声を聞くと、すぐかけつけたものです。
 そんな難しい子どもも、心を開いてくれることがあります。大事なのは、その子のためにかけた時間の長さや、接する大人の真剣さ。子どもは、大人が真剣に向かい合ってくれているかどうかを、感覚的にキャッチする力を持っているのですね。
 大人社会の犠牲になった子どもたちに対して、私が教えたかったのは、「自立」と「自律」です。自立とは、「納税・勤労・教育」という、国民の三大義務を果たすこと。そして自立のためには、自分を律することができなければならない。そのことを、私自身が児童養護施設で学んだのです。

子どもの本気にNOを出さない大人でありたい

 児童養護施設での私の役割は、兄であり、父であり、家族として接すること。中には、実習生として訪れた19歳の時から、今に至るまで、関わりをもっている男の子がいます。当時、中学2年生だった彼は、現在23歳になっています。
 彼が私に心を開くようになったのは、私が何度も施設に足を運んだことがきっかけでした。一番、距離が縮まったのは、中学3年生の受験生の時。夜中の1時や2時頃まで勉強を教えたこともあるんです。彼が合格し、高校1年生になった時に、私は職員として入社しました。時には、泣かすほど説教しました。兄弟のように遊んだこともあります。高校で彼がバスケットを始めたのも、私の影響だったのかもしれません。
 その後、彼は地元の企業に就職しました。最初はトラブルを起こすたびに、「先生、どうしたらいい」と連絡してきたものですが、今は職場の班長として、がんばっています。関わりをもった子の成長の様子を見ると、わが子のことのようにうれしいですね。
 児童養護施設の子どもとの関わりは、本当に重い体験です。私が子どもたちを受け止められたのは、私自身の経験によるのではないかと思います。思い出すのは、保育の道に進もうと決意した時、私の本気さを見ずに、NOを出した先生のこと。私は、子どもの思いに対して、簡単にNOを出す存在にはなりたくない自身の経験から、そう思ったんです。
 私の育った家庭は、良い意味で放任主義でした。昔ながらの「親父」だった父親は、私が間違ったことをしなければ口を出さなかった。母は、父親の二歩下がったところにいるような母親でした。両親が私の意思を尊重してくれたから、今の自分がある。親から認められる幸せを、同じように子どもたちにも伝えたいと感じていました。

自由度と行動力が魅力の「さくらぎこども館」へ

 25歳の時、社会福祉法人が運営する児童館「さくらぎこども館」に転職しました。結婚したばかりで、これから自分の子を育てようという時に、児童養護施設の勤務体制では、家庭生活との両立が難しいと考えたことが理由の1つです。
 もう1つは、児童養護施設のような最終手段が必要となる前に、そうした子どもたちをつくらないための手助けがしたいと考えたことがきっかけでした。児童養護施設と児童館。この2つは180度、性格が異なります。恵まれない境遇の子どもが身を寄せる、最後の砦が児童養護施設だとすれば、児童館は誰もが自由に来てもいい開かれた施設。子育て支援のできる、価値ある施設だと考えたのです。
 さらに、さくらぎこども館の大きな特徴は、民間の児童館であるという点です。現在、静岡県の連絡会に登録された児童館は44ありますが、民間の児童館はただ1つだけ。市町の児童館では年間行事などを決定する際に、予算や条例に対応するための手順を踏まなければならないのですが、さくらぎこども館では、いろいろな事業を、早くスムーズに決定することができる。その自由度と行動力は、大きな魅力です。また、民家を改造した建物や、山の斜面を利用した遊具など、ここならではの特徴があります。
 ここでは、主に4つの事業を展開しています。小学校1年生から3年生を預かる「学童保育」、どんな子も自由に遊びに来れる「児童館」、地域の人の生涯教育の場となる「クラブ活動」、親子の健全育成につながる「子育て支援事業」。60人から70人の子どもが参加する学童保育を含め、1日に約100人が利用しています。

現代に必要な子育て支援とは、親子の経験値をあげること

 27歳の時から、「掛川市次世代支援行動計画推進地域協議会委員」としての活動にも参加しています。
 今の親は、親自身が育ちきれていない部分があると、私は思っています。その原因は、経験の欠如。経験不足からくる無知が、とても多い。それは、親ばかりが悪いのではありません。核家族化が進み、子育てを支えてくれる、おじいちゃんやおばあちゃんがいない。地域の中のつながりも薄れてきている。そこに、児童館の役割があります。さくらぎこども館では、経験豊富な女性スタッフが、子育てのアドバイスをする育児相談や、食育などの各種講座を開講しています。
 一方、子どもの経験の欠如も問題です。暑い夏に、多くの子どもたちはクーラーのきいた部屋の中で、バーチャルゲームをしていたりする。そういう実体験の少ない子は、たとえば石ころがあったとしても、どうやって遊んでいいかわからない。遊びの経験のある子は、石ころ1つを使って遊びを広げていくことができます。だから、子どもたちには児童館で、1つでも多くのことを経験してほしい。こうした経験を提供することで、児童館が親子の健全育成の架け橋になることができたら、と思っています。
 また、子どもの受け入れ態勢の多様化を図るために、「通学学級」の形で、発達障害児の受け入れを10月から計画しています。というのも、今、支援学級と普通学級の中間くらいに位置する、気になる子どもが増えているのです。児童館は、専門的な支援を行う場所ではないのですが、適切なサポートを受けられる場所へのパイプ役をしたい。問題解決への手助けができる場所でありたいのです。

20代の館長として、児童館の道しるべに

 さくらぎこども館には、現在、私を含め7人のスタッフがいますが、私以外はすべて女性です。ただ1人の男性職員としての私の役割は、力仕事や渉外活動など。また、幼い子どもたちよりも、学童期の子どもたちと接することに、男性の特性を活かせると思っています。
 最近、よく言われることに「9歳の壁」というものがあります。人格は10歳で形成されるので、9歳までに何ができるのかが大切だという考え方です。だからこそ、6歳から9歳までの学童期の子どもたちとの関わりを大切にしたいですね。挨拶の大切さや、友だちとの付き合い方を教えることで、「自立」の基になる「自律」を促したいと考えています。
 ところで、女性スタッフの年齢層は、60代、50代、40代、30代が各2人、一番若い人が20代。私は、スタッフの中で2番目に若い存在として、去年28歳の時に館長に就任しました。さくらぎこども館を設立した前任者の館長は、法人の理事長でもあった70代の方でしたから、私になってぐっと年齢が下がったことになります。20代の私が、館長という管理職をこなしていけるのは、児童養護施設での3年間の経験や、その後の多くの人との出会いがあったからだと思っています。
 さくらぎこども館の館長として、私はこの児童館の方向性を示す、「道しるべ」でありたい。70代の館長から、20代の館長へと引き継がれたわけですから、その変化をはっきりと示さなければいけない、と思っています。若さゆえの吸収力で、何にでもチャレンジし、さまざまな情報をスタッフに伝えていきたいですね。目下のところは、さくらぎこども館のことを、目や耳を通じて、いろいろな人にアピールしたい。掛川には、こんな児童館があるんだということを、静岡県の人に発信したいですね。

すべての父親が子育てにかかわるべき理由

 自宅にいる時は、4歳の長男と2歳の長女と一緒に過ごしています。服を着せ、ご飯を食べさせ、遊び、お風呂にいれる。家にいる時間、育児は私の役割です。普通のお父さんに比べれば、ずっと深く関わっていると思っていますね。
 子どもとの関わり方は人それぞれですが、私には、父親は自分の子どもと関わるべきだと思います。父親にとっても、わが子の子育ては幸せなことですし、母親の負担を減らすことにもなる。しかし、何より大切なのは、子どもに与える影響です。
 母親にも父親にも遊んでもらえることは、子どもにとって大切な経験です。親にかまってもらえない子どもは、どこか感覚的に未発達になってしまう。人と触れ合うことで、子どもは多くのものを吸収し、人間の幅を広げていくのです。
 そういう意味では、保育の仕事は、子どもへの影響力が強すぎて怖いと感じることがあります。自分の一言が、子どもの人生を左右してしまうこともある。そのリスクを負いながら、子どもと真剣に関わる。ただ楽しいばかりではなく、責任を伴うのが子育てなんです。ですから、少なくとも両親には、子どもとしっかり関わりをもってほしいですね。
 今は、男性が子育てしにくい時代ではない、と感じます。公園にも、子どもを2~3人連れていたり、スリングで赤ちゃんを抱いている父親がいて、それがスタイリッシュに感じられたりする。男女共同参画の分野では、男性の育児休業取得率が少ないと言われていますが、育児休業をとらなくても、男性が育児に関わることは可能だと思います。ただ、母親が大変な時には、ぜひ手助けしてほしい。わが家でも、来年2月に第3子が生まれます。出産の時には、有給休暇を1週間くらいとろうかな、と考えています。

男性も女性も特性を活かし、補い合う社会が理想

 男性の立場で子育てに関わっているという点から、「掛川市男女共同参画推進審議員」にも選ばれました。活動を通して、県立大学の犬塚協太先生や、パワフルな女性たちとも知り合うチャンスを得て、とてもプラスになりました。勉強してみると、男女共同参画社会は、男性にとっても意義があるんですね。
 ただし、男女共同参画社会というと、女性は社会進出すべきとか、男性も家事をすべきというような風潮があるようですが、それは少し違うのではないかと感じています。男女共同参画とは、性差による不平等をなくすということだと思いますが、それは男女が同じことをすればいい、ということではない。保育の現場でも、私は、子どもたちの兄や父の役割はできても、母の役割はできないのです。男性には父性があり、女性には母性がある。男女の違いや特性を生かしながら、社会や家庭での共通の目的のために、できることを補い合えば良いのではないかと思っています。
 児童養護施設時代の同僚だった妻は、私の最大の理解者です。妊娠中の彼女は、今は仕事をしていませんが、一番の相談者であり、パートナーです。残念ながら、私は家事が苦手なので、風呂掃除とゴミ出し、皿洗いくらいしかできませんけれども。 
 将来は、男女共同参画社会という言葉がなくなればいい、と思っています。特別な言葉を使わなくても、お互いを尊重しあえる社会であればいいですね。
 実は今、学校で教鞭もとっています。隔年で非常勤講師をしている浜松学院大学では、「児童厚生員」の資格取得のために、児童館職員の現場の話をしています。母校の東海福祉専門学校では、非常勤講師として「児童福祉論」の授業を受け持っています。
 東海福祉専門学校では、現在も男子学生の数は少ないですね。男子学生には、女性にはできない仕事をしろ、と言っています。女性ができる仕事においては、きめ細かさや包容力の点で、男性はかなわない。だからこそ、道具を使いこなす技術とか、遊びのダイナミックさとか、男性の特性を生かす道を探すべきです。
 私の将来の夢は、いつか自分で児童養護施設をつくること。あるいは、それまで培った経験をもとに、子どもたちと関わっていくこと。保育は、常に自分自身を成長させられる仕事なのです。

取材日:2011.7



静岡県掛川市生まれ 掛川市在住


【 略 歴 】

2000県立掛川工業高校 卒業
東海福祉専門学校 入学
2004児童養護施設「豊橋平安寮」入社
2007「社会福祉法人 未来 さくらぎこども館」入社
2008浜松学院大学 非常勤講師
2009掛川次世代育成支援行動計画推進地域協議会委員
2010掛川市男女共同参画推進審議員
さくらぎこども館館長
2011東海福祉専門学校 非常勤講師

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