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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

趣味を仕事に活かし、技術を磨いて残業を削減。
家族との時間を大切にするための宣言。

有限会社牧野設備

有限会社牧野設備


代表取締役

牧野高彦(まきの・たかひこ)


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有限会社牧野設備

他にはない、オリジナルの「参画宣言」

 私が代表を務める有限会社牧野設備は、2010年7月、静岡県の「男女共同参画社会づくり宣言事業所」として登録しました。
 宣言内容は以下の3つを掲げています。まず1つ目が「好きこそものの上手なり」仕事以外に趣味を持とう!幅広い人間力の創造。2つ目が「仕事の能率化と家庭生活の充実」プロとしての技能を高め、能率アップで残業時間を減らそう!そして3つ目が「人にお世話をするように、人のお世話にならぬよう、そして報いを求めぬよう」地域との関わりを持とう!です。
 他の宣言事業所とはずいぶん内容が違うようですが、書き方については県でも特に定められていないようでしたので、いちばん当社らしく、そして私らしい言葉を選んで書きました。
 当社は、おもに公共水道工事や一般住宅の水回り設備の工事、電気温水器の取り付けから雨どいの修理など、水回りに関するあらゆることを手がける会社です。こういう仕事ですから、父の代から今までずっと、この金谷の地で、地域の皆さまに支えられてきましたし、これからもそうありたいと思っています。この男女共同参画宣言も、地域の皆さまのために、少しでも何かお役に立てれば……と思って登録したものですが、社員に折に触れ話していたこと、私の頭のなかだけで考えていたことが、こうして明文化することによって、自分自身にも従業員にも、わかりやすくなった、という点でも、「宣言」はとてもよかったと思っています。

夢中になれる趣味が、仕事にプラスになる。

 もちろん、それぞれの宣言内容には、私自身の経験に基づいた意味があるんです。
 趣味をもつことで仕事にも活かせることがあるのではないか――それが「好きこそものの上手なり」。誰でもそうだと思いますが、仕事で苦手なことって、他の人に頼んだり後回しにしがちですよね。でも趣味なら、少々不得手なことでもちょっと頑張ってみようかと思えるもの。そこから得る知識も技術も、たくさんあると思うのです。
 私には4人の子供がいます。長男、次男、三男と、4人目が長女です。長男が小学校に上がり、ボーイスカウトに入ったのを機に、ボーイスカウトの活動に関わり始めました。私自身も子供の頃、入団をすすめられたのですが、風邪を引きやすい体質で、よく学校を休んだりしていたので、結局入らずじまいだったんですね。それで、子供はぜひにと思って、3人の息子たちを入れたのですが、私もその活動のおもしろさに目覚めてしまって。指導者のなり手が少なかったこともあり、1989年からは指導者としてお手伝いをしています。
 それ以前にも幼稚園や小学校のPTAで役員になったりしたときにお便りを作らなければならないことがあったんです。ボーイスカウトも同じで、パソコンでワードを駆使してみんなに配るお便りを作るわけですね。すると、自分が楽しんで続けていることに対しては、どうにかしてでも覚えようとするものなんです。仕事ではないことをきっかけに、ワードの操作を覚えて、今では仕事に役立っています。好きな趣味を続けていれば、そのスキルが結果的に人間力の幅を広げることがある、それを実感したんですね。
 従業員もそれぞれ、自転車やアウトドアなど、何らかの趣味をもっていますから、仕事の外で得た知識が、仕事で役立つことだってあるんだよ、と伝えたいですし、夢中になれる趣味を大いに推奨したいですね。

残業ばかりの経験から、家族のための効率化へ

「仕事の能率化と家庭生活の充実」。これは単純に、技術を上げて手際よく仕事をこなせるようになれば、残業しなくてすむということです。残業がなくなれば、早く帰って家族との時間をもてるようになる、それで家庭円満になるんじゃないか、と。実は、私にも「残業ばかり」の頃があったので、特にそう感じるのかもしれません。
 私は1979年に大学卒業後10年間、静岡市清水区にある建築事務所で1級建築士として働いていました。最初は独身でしたから、会社の近くにアパートを借りて一人暮らしをしていたのですが、朝会社に行き、夜は寝に帰るだけ、という激務ぶり。それは結婚してからも続き、自宅のある金谷から清水まで、始発の電車に乗って帰りは終電、間に合わなければ車で帰り、少し寝てまた朝早く出ていく……という毎日でした。そんな日々の繰り返しですから、当然、家事、育児になんて関われません。自炊をしていましたから、家事はひと通りできましたし嫌いではありませんでしたが、何より時間がなかった。それでも合間を見て何らかの手伝いをしていたものの、男女共同参画とは正反対の働き方だったと自分でも思います。きっと、妻も大変だったでしょうね。
 1988年に会社を継いでからは昼間に仕事をするという生活リズムが定着しました。もちろん夜に図面を描くこともありましたが、清水に通勤していた頃に比べれば、通勤時間がないだけでも、かなり時間に余裕が生まれます。妻も働いていましたので、子供の幼稚園の送り迎えが難しいときには、私も協力できるようになりましたし、金谷町(当時)の商工会や青年会議所の活動に関わるようになったのも、その頃からです。
 当社は転職を経験している従業員も少なくないのですが、みんな多かれ少なかれ、似たような経験をしているようです。「前の職場にいる頃は子供の寝顔しか見られなかった」という人もいますね。

残業をなくす、資格取得とスキルアップを

 もちろん、ただ時間内に帰ればいい、というのではありません。残業をなくすためには、仕事に必要な技術を身につけ、仕事の能率を上げることが不可欠です。水道工事という仕事柄、あらゆる資格が必要になってきます。管工事施工管理技士や土木施工管理技士、配管一級技能士など、土木、建築、配管に関係する資格が、それぞれほしいところです。労働安全衛生法関連の資格も必要ですね。
 従業員には、そうした資格を積極的に取得してほしい。仕事しながらの勉強はもちろん大変ですし、2カ月に1回は何らかの資格試験を受験しているような状態で、実際かなり忙しいのですが、自分自身のためにもなるものですから、会社としても後押ししています。技能士の競技会への出場をすすめたり、私も技能士試験会場の補助をしていますから、従業員に指導したり。受験には費用もかかりますが、合格すれば受験費用は会社負担、というバックアップ体制も整えています。
 私も一級建築士をはじめ、さまざまな資格を取っていますよ。例えば、2005年に取った配管一級技能士。この試験では、時間内に決められた配管を作ることが求められます。手際よく、かつ正確な作業が必要とされますから、試験を経験したことで、現場での仕事が早く、かつ正確になりました。つまり、資格が実際仕事に役立ち、能率が上がったという経験を、私自身がしており、その大切さも実感しているんですね。時間内に仕事が終われば、おのずと残業はしなくてすむようになる。家族との時間をもつためにも、技術はどんどん磨いてほしいと思っています。

地域に役立つことで地元に根ざした会社に


「人にお世話を……」の一文は、実は日本のボーイスカウトの初代総長であった後藤新平さんの言葉を引用させていただいたものです。当社は、地域との関わりの中で、関係を築き上げていくことで仕事をいただき、仕事が成り立つのだから、地域活動で役立つことをする、それに見返りを求めない――ボーイスカウトでの活動の時によく唱えるこの言葉と同じではないか、と思ったわけです。
 例えば、先ほどの配管一級技能士の試験。私が受験したのは2005年、50歳の時でした。その時にお世話になったのが「静岡県管工事工業協会」の志太榛原地区の方々です。試験対策の講習会を開いていて、私もそれを受講したおかげで練習でき、試験に合格できた。そうして地域の皆さんにお世話になったのだから、今度は私が恩返しとして教える側に回り、同じように合格を目指す地元の若者たちをサポートしようと、今は試験の補助をしています。
 PTAなどの役員もそうです。積極的に引き受ける人は少ないようですが、私は「回り番」だと思って、なるべくお引き受けするように心がけてきました。幼稚園のPTA会長が2回、小学校、高校でも引き受けましたね。誰かがしなければならないことですから、1人が何回もするよりは、なるべく大勢の人に引き受けてほしい。人前で話す機会が多いですし、自分の子供だけでなく他の子供の情報もわかります。母親だけが子供の情報を知っているのではなく、父親もその情報を共有できる。それは父親にとっても、人間力をアップさせる絶好の機会だと思います。
 島田市が主催する「パパの子育て講座」に、先輩パパとして参加することがあるのですが、私は「PTAには積極的に参加しましょう」と話しています。子供が小さいうちに、お父さん方にそういうことを話しておくことで、近い将来積極的に引き受けて下さる人が増えるかな、と考えているんです。

先輩パパとして、子育て世代をサポート

 子育て支援に関わるようになったのは、「先輩パパとして話を聞いてくれないか」とのお誘いをいただいたことがきっかけです。今年は6月と10月に開きました。親子で公民館に来てもらって、母親と子供でクッキングをし、その間にお父さんたちとの話し合いの中に入って、疑問や質問に応えたりするという形です。お父さんたちからはいつも、子育てで何ができるか、子育てを手伝えと言われても、どこまでできるか分からない、という質問が相次ぎます。でも最近はお母さんも、夫に手伝ってほしいけれど、何を手伝ってもらったらいいのかわからない。という人が多いような気がするんです。昔はお母さんのお母さんから「こうしたらいいよ」と伝わって、それが父親の方に伝わってきたものでしたが、今は核家族が多いですから、そういう情報の伝わり方はしていないのかもしれませんね。
 意外だったのは、私たちの時代より、子育てをしたがるお父さん、余裕のあるお父さんの方が多いということ。だから、この講座に来てくれるお父さんはみんないいお父さんです。積極的ですしね。本当はそうじゃないお父さんに来てほしいのですが。
 わが家の子供たちは4人とも水泳を習っていたので、ほとんど水泳中心の生活でした。スイミングスクールや大会への送り迎えなどは積極的に私が出ていきましたし、幼稚園の送り迎えの都合で、一緒に会社に連れてきて、しばらく待機させておく、ということもありました。ですから自然と、働く姿、子供と関わる姿を見てくれていたような気がします。子供が気を遣っているのかもしれないけれど、今でも私が「行くよ」と声をかけると、買い物や旅行に一緒に行くことが多いんです。
 今年、島田市では家族と地域の時間作りを推進するよう10月7日に学校を休みにしました。土曜日も合わせるとなんと4連休。そんな自治体の取り組みに賛同すべく、いや、チャンスと思って、子供のいる従業員は有給休暇を取ってもらい4連休にしました。おのおのに家族とのレジャーを楽しんでいたようですよ。

男女共同参画との関わり、きっかけ

 2007年からは、島田市男女共同参画市民協力員(啓発推進員)としても活動しています。男女共同参画に関わるようになったのは、以前、静岡県の「奥大井・南アルプスマウンテンパーク構想」の連絡会に声をかけていただいたのがきっかけだったと記憶しています。その時に男女共同参画に携わっている役員の方とも面識をもったんですね。
 ただ、今でこそ男女共同参画をきちんと納得して理解しているつもりですが、最初に金谷町の「男女共同参画推進委員会」に呼ばれた10年ほど前は、なんとなく腑に落ちないもやもやした気持ちを抱えていました。というのも、まだ今のような男女共同参画ではなく、いわば「男性が女性にこきおろされる会合」という印象だったからです。
 町内の、男女共同参画の意識をもった女性たちが集まって、こう言われるわけです、「男は仕事ばかりで女に家事を押しつけている、女性が仕事をすることを肯定しろ!」。今の男女共同参画は「男性も女性もそれぞれの性別にこだわらず互いの個性を尊重する」というのが一般的ですし、私もそういうことを後に学びましたから、そのことに対しては理解していますが……。
 2005年、島田と金谷が合併してから、再び男女共同参画推進委員に呼ばれました。そこではメンバーがみんな男女共同参画を今風に理解してくれていたので「男性も女性も、それぞれの個性を尊重し、うまく発揮できるように」という今の男女共同参画の考え方に、今度はすんなり入って行けました。それからは、市内各地区の公民館で講演会をしたり、や産休、育休をテーマにした寸劇を手伝ったりと、広報活動を行っていました。もちろん、寸劇には私も出ますよ。

金谷を元気にするのが地元企業の使命

 地域との関わりについては、合併浄化槽のメリットを伝えたり、環境のことについて学校で出前授業をおこなったりしています。ボーイスカウトでも野外を中心に活動しますから、自然を守りたい、環境に関してお手伝いしたいと会社としても積極的に働きかけています。
 また、「KKP24」――金谷活性化プロジェクトという、金谷の町おこしにも力を入れています。春と夏にイベントも開催して、なんとか町を盛り上げたいと思っています。
 残念ながら、島田市と合併後、金谷は少しずつ低迷してきていると感じています。おもな機能が島田の方へ移ってしまいましたから、町の動きが少なくなり、産業もだんだん右肩下がりになってきている。人口も減っています。
 私の3世代ぐらい前の金谷は、島田にないものがいっぱいある、魅力的な町でした。合併前は小学校卒業までの子供は医療費をすべて町で負担していましたから、子供のいる若い夫婦もたくさん住んでいたのです。合併後、金銭的な面も含めて「金谷に住みたい」と思う人が少なくなってしまった。アパートも空き部屋が目立ちます。ですが、そこであえて何かを見つけて、金谷っていいよ、住んでみたいな、と思う若い夫婦が出てくるのが理想ですね。そのためにも、金谷の町を仕事や生活といった「生きていく」ためのベースが整った元気な町にするとともに、男女共同参画の推進も行う必要があると考えます。私たちの子供がこれから結婚し子育てしていくときに、いい町を残してあげたい。それが、ここに生まれ育ち、ここで働く人間の、使命だと思うのです。

取材日:2011.10




【 沿 革 】

1928牧野鉄工 創業
1959牧野設備に名称変更
1975有限会社牧野設備 設立
2010一般社団法人持続性推進機構(IPSuS)「エコアクション21」登録
男女共同参画社会づくり宣言事業所 登録

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