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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

同じ人間ならば、より人間性を高めた者が勝つ。
駅伝指導でめざす、子どもの「人としての成長」。

萩倉史郎(はぎくら・しろう)

萩倉史郎(はぎくら・しろう)


山梨学院大学附属高等学校 教諭
山梨学院大学附属高等学校 女子駅伝部監督


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学校法人山梨学院 山梨学院大学附属中学高等学校

生徒を自らの手でオリンピックに送り出したい


 私は27年間の中学校教員生活を経て、高校教諭として新たな一歩を踏み出しました。今年4月、山梨県甲府市にある山梨学院大学附属高校に赴任し、体育教諭、女子駅伝部監督として生徒指導に当たっています。
 中学教員時代には、指導者として中学駅伝全国大会に18回中16回出場、うち全国優勝5回、準優勝2回、計10回の入賞を果たすことができました。中学生とは、本気になれば何でもできる。多くの生徒たちと関わるなかでそう教えられ、彼らの成長を見ることが教師としての楽しみになりました。義務教育の世界を知ることができたのと同時に、自分なりに十分満足できる成果を得ることもできました。
 教職生活も残り10年余り。以前から私は、高校に送った生徒が伸び悩む姿を見るたびに「何とかならないものか」と考えていました。また、今後も体育教諭、陸上競技指導者として現場に立ち続けたい。高校駅伝にチャレンジしたい。生徒を自らの手でオリンピックや世界選手権に送り出したい。そういう気持ちもありました。好きな道で生きたい――そんな思いが、新天地での指導を決断させました。
 長距離走とは、つらく、厳しいスポーツです。しかし、真面目にコツコツと走り続ける者、生活面での自己管理をきちんと行える者は、必ず結果が付いてくる。素質よりも、ハートが大事なスポーツなんです。指導次第で、誰でもぐんぐん伸ばせる可能性がありますから、その分やりがいもあります。私は、一生懸命指導し、生徒が一生懸命付いてくれば、誰にでも全国大会レベルの実力が備わると断言できます。
 駅伝の魅力というと、「チームの絆」とか「たすきの重み」ということがよく言われます。もちろん、仲間が待っているから100%以上の力が出せるということもあります。しかし、私は「絆」より「個」を重視します。それぞれが自分の役割をしっかりと果たし、1人の選手としての自己を確立していくこと。それがチーム力にも繋がると考えています。
 預けていただいた生徒は3年間、熱意と責任をもって指導に当たりたい。そして進路においても、生徒たちの多岐にわたる希望に対応できるよう、準備をすすめていきたいと考えています。

駅伝部員たちとの寮生活では体調管理を徹底

 現在、山梨学院高校女子駅伝部員は、12名すべてが寮で生活しています。私も同じ寮で暮らし、彼女たちと寝食を共にしています。日課は、朝5時半から1時間の朝練習をし、7時半から朝食。学校には8時40分までに入り、6時間の授業の後、午後4時半頃から2時間程度の本練習を行います。夕食後にはミーティングをし、消灯は午後10時としています。
 最初の頃は、規則正しい生活を送ったことがない子ばかりですし、1年生は高校生活にも不慣れで、すごく苦労していましたね。しかし、自宅通学が可能でも「朝練から参加したい」と、自ら希望して寮に入る生徒もいます。
 食事に関しては、平日2食が学食、昼は弁当で、いずれも管理栄養士さんが考えてくださるメニューが用意されています。休日は自炊になりますが、どんなものをつくったのか私が点検します。きちんと野菜をとっているか、タンパク質、鉄分は足りているかなどをチェックし、足りないものがあれば加えろと。もう半年になりますから、最初は何も作れなかった子もきちんと料理ができるようになりました。なかには、自分で作ったふりをして出来合いのお惣菜を入れてくる生徒がいて、「おいおい、わかるよ」などということもあるのですが(笑)。栄養バランスを重視してなんでも食べなければなりませんから、当初は泣きながらレバーを食べていたような子も、今では偏食もしなくなりました。
 長距離競技においては、体重管理も重要です。女子選手では、50キロオーバーだとかなり重い。しかし、4月に私が監督に就任した際、どの生徒もベスト体重からは程遠かったんです。12名のうち2年生の2名は、中学時代に私が指導した生徒なのですが、2人とも、中学卒業時から1年間で体重が10キロ以上増えていました。それを、この半年で戻したんです。クーリングダウンを長めにしたり、夏からは練習時以外の水分補給を減らしたりして、体脂肪率11%程度にまで絞りました。部員全員、練習前と練習後、就寝前と起床後の1日4回の体重測定も欠かしません。「食べたいものを食べて、強くなりたい」というのは無理な話なんです。

全国高校駅伝入賞をめざしトレーニングの日々

 現在、彼女たちは12月に行われる全国高校駅伝を目標に練習に励んでいます。県予選は突破できても、全国大会では上位に食い込めないというのが昨年までの状況でしたが、今年は8位入賞をめざせるまでに仕上がってきています。
 基本的な練習メニューでは、刺激を加えながら体に負荷をかける「ポイント練習」を行う日と、ジョギングのみの日を交互に入れています。陸上競技は筋力や持久力で勝負するスポーツですから、少しずつでも毎日体を動かさなければなりません。ポイント練習の合間のジョギングは、そこで休み、疲れをとるためのものなんです。他に、腕振りやリズムの取り方、腕振りに合わせた呼吸法など、技術的なことについてももちろんうるさく言いますね。練習中は、走っている生徒を自転車で追いながら指示を出しています。
 大会前には、実際のコースで5、6回は試走を行います。そこでは500メートルごとのポイントで記録をとり、各自の目標ラップタイムを設定します。本番では、選手はそのラップタイムを腕に書き込み、確認しながら走るわけです。
 今年の1年生のなかには、過去の実績もなく、他のメンバーと比べて競技力のない生徒もいます。一緒に走っていても1人、ずっと後ろを付いてくるんです。しかし、入学以来真面目にがんばり続けていて、今はもう他の子に迫りつつある。中学時代からは見違えるほどレベルアップしています。そういう子は、そのうちに自分よりも速かった子を抜きます。そうすると、抜かれた子はそこで焦ってもう1度自分を見直す。一生懸命生活を正すんです。私もわざと「抜かれてるよ」なんて言って、ハッパをかけるんですけどね。

周囲の協力により中学でも理想的な練習環境を実現

 山梨学院高校では練習、食事、日常生活などすべての面において競技に集中できる環境が整えられています。しかし、公立の中学校ではそういうわけにはいきません。ではどうしていたのかというと、お母さんやお父さんたちが支えてくれていたんです。子どもの生活面、栄養面に目を光らせ、休日には練習場まで送り迎えをし、見守ってくださった。管理栄養士による栄養講座や調理実習に参加していただいたこともあります。子どもに苦手な食材を食べさせるための調理法などについても学び、家庭で実践してくださいました。
 大会時には、保護者だけでなく、学校の先生方や地域の方々が何百人も応援に駆けつけてくれました。周囲の人々が強力にバックアップしてくださったからこそ、生徒は練習に打ち込めたし、強くなることもできたんです。
 さらに、強くなるためには怪我をしないことも大切です。私は、中学教員時代から生徒たちの脚のケアについても十分に配慮しています。じつは、マラソンや中長距離選手の育成で有名な「佐倉アスリート倶楽部」でトレーナーをしている知人が、昔からボランティアで指導をしてくれています。本当に上手にほぐしてくれますから、ノウハウを学ぶことで、自分たちでも上手にできるようになっていくのです。
 中学生に厳しい練習をさせると、「やらせすぎだ」と言われることがあります。しかし、これまで私が指導していて大きな怪我をした生徒はいません。各年齢、力に見合った質と量を考慮し、適切なケアをしていけば、中学生だからといってブレーキをかける必要はないんです。
 生徒に風邪をひかせないようにするのも基本。私は、着替えひとつでも100%やれと言っています。部活後だけでなく体育の授業後にも、下着も含めてすべて着替えさせますし、うがいや手洗いも絶対に怠りません。
 以前、全国大会時に部員がインフルエンザにかかったことがあります。そのときのチームは優勝候補筆頭に挙げられていましたが、結果は29位。1人が感染した段階で、移動時の飛行機の便や宿泊先のホテルのフロアを分けたりしたのですが、結局4人にうつってしまったんです。私までやられ、そのときは点滴を打ちながら練習に出ました。もちろん、生徒には自分から離れるよう言いながら……。
 不用意な怪我や風邪によって後悔するのは生徒自身です。彼らにそういう思いをさせないよう指導するのも私の役目だと思っています。

「優勝するチーム像」「優勝する人間像」とは

 私がこれまで中学で指導してきたのは、陸上の経験も特別な素質もない、地元の普通の子どもたちばかりです。しかし、そんな子どもたちが全国の舞台に上がり、1番をとってきた。その姿を、私は何度も見てきました。
 昨年12月に行われた全国中学駅伝では、男女とも、私が指導した御殿場市立富士岡中学校が県代表として出場し、女子は3年ぶり2度目の優勝をしました。しかし、区間賞(区間1位)はなし。全体としては小粒なチームだったのですが、私は夏頃から「今年は優勝する」と言っていたんです。
 大きな力になったのは、1年生の存在。ぐんぐんと伸びてきて、上級生と変わらない実力をつけていました。ですから本番では、スピードのある子を全国トップクラスの選手が集う1区に、安定感があって、ラストスパートに切れのある子をアンカーに配置しました。
 そして、3区にもってきた3年生の主将ががんばった。2キロ区間で、想定タイムより20秒も速く走ったんです。レースの最後はアンカーのトラック勝負となり、ゴール時のタイム差は3秒でしたから、この20秒は大きかったですね。
 3年生はもともと2人いましたが、1人が受験勉強に専念するために退部し、昨年7月の時点で3年生は彼女1人になっていました。その子はおとなしい性格で、どちらかというと人の後をくっついていきたがるタイプ。でも、1人になってからは自覚が生まれ、一生懸命チームをまとめだしたんです。後輩も彼女を慕い、「先生に怒られたときはどうやって謝ればいいのか」なんて聞いたりしている。それとともにタイムも上がってきて、3000メートルの記録を春から50秒縮めました。そして、チームでも速いほうではなかった彼女が全国大会で走り、優勝に大きく貢献したんです。
 私は生徒たちによく言うんです。「優勝するチーム像、優勝する人間像をおれは知ってるよ」と。こういうチームになれば勝つ。こういう人間になれば勝てる。みんながそうなるように自分は教えてるんだよ、と。苦手なことでも投げ出さず、がんばってやっていく力。自分の弱さを克服し人間として成長できる力。私はそういうものが欲しいのだと言っています。
 自分たちがやっていることは、人間同士の勝負です。同じ人間なのだから、より人間性を高められた者が勝つ。私はそう確信しています。

実業団でオリンピックをめざす教え子も

 私が最初に教えた子どもたちは、今では42歳になっています。教え子の子どもを教えることも増え、思わずお母さんの名前を呼んでしまって「それは母の名前です」と言われたり。お母さんになって、陸上をしている娘さんを「みてください」と連れてくる教え子もいます。
 実業団チームに入り、オリンピックをめざしている者も何人かいます。その1人が、御殿場中学校で女子が全国大会3連覇をしたときのメンバーである勝又美咲。彼女は現在、第一生命女子陸上競技部に所属し、長距離走選手としてトレーニングの日々を送っています。クロスカントリーやハーフマラソンで実績を積み、今年2月に東京マラソンで初マラソンに挑戦しました。20キロ過ぎまでトップを走りましたが、結果は5位。本人は優勝するつもりで調整を続けていましたから、この結果は不本意そのもの。しかし、マラソン選手として次に繋がるレースになったのではないでしょうか。
 美咲の2歳上には、田顔朋美という生徒がいました。ジュニアオリンピックなど全国規模の大会でほとんど負けなしというとても強い選手で、美咲も彼女に憧れて駅伝部に入ってきたんです。しかし、高校時代に怪我をし、その後実業団に入りましたが思うような活躍はできませんでした。それから大学に入って栄養学を学び、現在は、管理栄養士として働いています。実業団チームの栄養管理も担当しており、選手としての経験も活かされているようです。じつは、私も彼女に栄養講座をお願いしたりしています。

中学時代の思い出を胸にそれぞれの道を歩む

 今年、長距離種目で全米一の名門であるコロラド大学に入学した湯田佐枝子は、富士岡中学校の卒業生です。彼女は、中学時代からコロラド大への留学を希望していて、今年、その念願を果たしました。
 コロラド大の練習拠点は、高地トレーニングのメッカで、世界中から選手が集まるコロラド州ボルダーにあります。湯田は、コロラド大を出て日本の実業団に入るか、現地で実業団選手の通訳者を派遣する会社を興したいという夢を、中学生のときからもっています。高校時代には兵庫県の強豪校の副主将としてチームを率いましたが、昨年の全国高校駅伝前に疲労骨折、開会式では私の顔を見た途端に泣きだしました。しかし、「走れるな」というと「ハイ」と返事があり、見事にチームの16年連続入賞に貢献しました。さまざまな経験を経て現在、新たな目標に向かってアメリカでがんばっています。
 富士岡中で湯田のさらに2歳下にあたるのが、古屋佳奈と田中結女。先輩たちの背中を追いつつ、現在私の指導のもと、山梨学院高校で練習に励んでいます。
 私は、大会のときによく生徒たちに言ったんです。「お前らな、いつかお母さんになって子どもが中学生くらいになったときに言うことをきかなかったら、この会場に連れてきて、お母さんは中学生のときにこんなにがんばったんだって言えよ」って。全国大会の優勝旗にはメンバー全員の名前を刺しゅうしたテナントを付けるんです。この優勝旗を見せれば、どんな子どもでも言うことをきくぞ。それだけ価値のあることをみんなはやっているんだ。がんばっているんだっていうことをよく言いました。
 陸上競技を続ける者もいれば、まったく違う道をすすむ者もいる。看護師になった子もいるし、シングルマザーになって奮闘している子もいます。いろんな子どもがいますが、中学生のときにがんばった思い出は共通のもの。その思い出があれば、どこにいっても大丈夫だと私は思うんです。

好きな道をすすめるのは妻の理解のおかげ


 私自身も、中学時代に陸上をはじめました。小さな頃から箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)を見ていて、いつか自分も箱根を走りたいと思っていたんです。私は御殿場市出身で、富士岡中が自身の母校でもあります。御殿場から箱根まではすぐですから、箱根駅伝はずっと身近なものでした。実力は県で5、6番というところ。東海大会止まりという感じです。
 大学は、やはり箱根への憧れから日本体育大学を選びました。当時の大学長距離界は日体大と順天堂大の2強時代。私の在学時の箱根駅伝での成績は、1、2、4年時が2位、3年のときに優勝しています。しかし、私自身は走ることはできませんでした。アキレス腱を痛めたこともあり、いいところまではいくけれど、だめでした。
 一方で、教師になりたいという気持ちも中学生の頃から強くもっていましたから、教員採用試験に受かったことで御殿場に帰ってきました。自分で言うのもおかしいですが、部活や体育の授業のときと、クラスで担任として生徒と接するときとは、ずいぶん違うと思いますね。部活の練習では厳しさ120%ですが、担任としては「先生っておもしろいね」なんて言われます。新人の頃、ベテランの先生方に「生徒は生ものだから。毎日生きているかどうか点検しなきゃ」と言われたものですから、子どもたちをつっついたり、頭をなでたり、耳を引っ張ったり(笑)。「今日お母さんとけんかしただろ」なんて言って、毎日生徒をからかっていました。
 現在、長男は大学4年、長女は大学3年。父親としてはまったくだめな私です。家族旅行もなし、子育ては妻に任せっぱなし。子どもたちが思春期の頃には父親としての出番を待ち、彼らと接したつもりですが、勝手に成長したという感じです。私が子どもたちに指導したことと言えば、早く寝て早く起きる。そしてご飯をしっかり食べる。これくらいです。我が家では、朝食は5時。私自身は毎朝4時くらいに起きて走り、その後シャワーを浴びてから朝食。6時には家を出て生徒たちと朝錬をやっていました。
 しかし、妻は愚痴1つこぼさず、そんな私の仕事を理解し、励まし、応援してくれています。今年のインターハイ前には生徒をうちに泊めて、御殿場で調整合宿をしましたし、私はほとんど家に帰らないので、妻のほうが山梨までしょっちゅう来ます。息子と一緒に来て、生徒たちと一緒にバーベキューをしたりもしましたね。
 今回の転職では単身赴任となり、老いた両親の世話も彼女に任せた状態です。それでも「好きなことをがんばりなさい」と送り出してくれた。本当に感謝しています。

生徒のことがわかるのは毎日一緒にいるからこそ

 高校での教え子のなかには、実業団チームを含め、卒業後すぐに社会に出る子もいます。ですから、生徒たちには即戦力となるよう、電話の取り方から立ち居振る舞いまで指導します。「社会人になるということは、おれと同じ立場に置かれるということ。今のままじゃ使えないぞ」と、うるさく言っています。
 競技に関していえば、高校生には実業団選手に負けないレベルが求められます。その分生徒たちにはつらい練習をさせますが、将来に夢をもたせてあげたい。田中結女は現在、5000メートルの高校全国ランキング2位というところまできました。しかし、以前はプレッシャーに負けて結果が出ず、自信を失っていた。その頃は自分に甘えてでたらめな生活を送り、ウエイトも絞れていませんでしたから、当然です。他の生徒もそうですが、そういう状況は本人がいちばんわかりますから、自信がもてるわけがない。ですから、今年の夏休みは相当追い込んだ練習をさせました。
 女子生徒を見ていると、自信を支えに走っている部分が大きいような気がします。ですから1回崩れると、どんなに強い子でも普通の女の子に戻ってしまうんです。でも、いいイメージができて自信がもてるようになると、パンッと壁を越えてしまう。自信とは、普段の生活の積み重ねによって得られるものです。ですから、私は「自立」だけでなく「自律」が大事なのだと言っています。ここぞというときに、きちんとやるべきことをやること。ウエイトが絞れていなければ、5時半からの朝錬前に1回走っておく。そのくらいの意欲が欲しいです。
 よく、「どうしたらこんなチームがつくれるんですか」と聞かれることがありますが、答えは1つ。生徒と毎日いること。毎日一緒にいるから見えることがあるんです。私は、妻より生徒たちと顔を合わせている時間のほうが長いですから。気持ちが入っていない生徒がいれば、グラウンドの外に追い出し、1週間面倒をみないこともあります。本気でがんばっていたり、それでも苦しんでいる様子が見えれば、がんばりを認め、励まします。結果が出たときだけでなく、悩み、苦しみながら努力しているときに誉めること。そうすることによって、子どもは自分の弱さを克服する力を得て、成長していくのです。

取材日:2011.10



静岡県御殿場市生まれ 山梨県在住


【 略 歴 】

1984日本体育大学体育学部体育学科 卒業
裾野市立東中学校教諭(以後、裾野市立須山中学校、御殿場市立西中学校)
1993第1回全国中学校駅伝大会 御殿場西中学校 男子3位
1995御殿場市立御殿場中学校 教諭
1997~99第5~7回全国中学校駅伝大会 御殿場中学校 女子優勝
1999県知事表彰(全国大会3年連続優勝)
2000長泉町立北中学校 教諭
県中体連陸上競技部 長距離強化委員(~2010)
2005御殿場市立富士岡中学校 教諭
2006~08「スポーツ王国しずおか」構築プロジェクト委員
2007文部科学大臣優秀教員表彰
2010第18回全国中学校駅伝大会 富士岡中学校 女子優勝
日本陸上競技連盟優秀指導者章、河野謙三章 受賞
2011山梨学院大学附属高等学校 教諭 女子駅伝部監督就任

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