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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

ゴールは、社会で自分を表現できること。
ひきこもりの当事者と親への支援活動に尽力。

三森重則(みもり・しげのり)

三森重則(みもり・しげのり)


NPO法人サンフォレスト 代表(ひきこもり支援相談士)


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NPO法人サンフォレスト
KHJ静岡県「いっぷく」 

孤立し苦しむ「ひきこもり」の支援を続ける

 一般的なひきこもりの印象として、「本人の怠け、親の甘やかし」ではないかという意見があります。しかし、ひきこもりの当事者にとって、自宅は決して居心地の良い場所でもなければ、親が甘やかしているわけでもないことを、まず強調しなければなりません。私は、ひきこもり支援を続けて10年になりますが、そのなかで見えてきたものは、まだまだ不十分な公的支援と、周囲の無理解の中で孤立して苦しむ家族と当事者の現実でした。
 厚生労働省による社会的ひきこもりの定義は、「さまざまな要因の結果として社会的参加を回避し、原則的には6ヵ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態を指す現象概念」となっています。統合失調症やうつ、強迫性障害のような精神疾患や、発達障害をもつ人がひきこもりになることもあれば、とくに疾患のない人がなることもあります。何らかの原因――学校でのいじめや人間関係のもつれ、職場での不適応などから、家庭以外の場所で活動をすることに耐えられなくなり、緊急避難的に自宅にこもってしまうことが始まりとされています。
 現在、厚生労働省が推定するひきこもりの数は、約60万人。韓国や台湾など、アジア圏の国々に多く見られ、日本ではとくに多く発生しています。個人主義が発達した欧米に比べて、集団の中で自分の位置を見出す日本人は、集団からはじかれてしまうと心に大きな傷を負ってしまうことが、関係しているのではないでしょうか。
 国は対策として、2003年に最初のガイドラインを作成していますが、明確な支援の方向をつかみきれず、各自治体で足並みがそろわないのが現状です。
 静岡県の場合は、「静岡県精神保健福祉センター」を中心に、県内7カ所の健康福祉センターでひきこもりの相談にあたっています。しかし、市町村によっては、病気と診断されない人や、21歳以上の人は対象からはずれてしまうなど、課題も抱えています。

ひきこもりには、家族で支え合う支援が必要

 ひきこもりの対策には、本人だけでなく、親への支援が重要です。というのも、子供の異変に気付いて焦った親が、無理に仕事をさせたり、学校に行かせるといった不適切な対応をすることで、ひきこもりの状態が悪化してしまうのです。
 その背景には、親がひきこもりに対して正しい理解や知識を持っていないことや、地域の支援施設や医療機関の中にも、適切な指導ができる機関がまだ少ないという現実があります。私が相談にあたったケースでも、せっかく足を運んだ医療機関で「親が甘やかしている」と叱責されたり、相談機関で「本人を連れて来ないと支援できない」と言われた、という話を複数聞きました。
 一方で親は、育て方が悪かったと自分を責め、友人や親戚から孤立したり、仕事や習い事を辞めてしまう。そうした悪循環を、親子でおこしてしまう例が数多く見られます。
 ひきこもり当事者の平均年齢は30歳ですが、実際には10代から50代まで幅が広いのが特徴で、親の半数は50代以上。一刻も早い支援が必要です。
そこで、ひきこもり家族の支援をめざして立ちあがったのが、東京都に本部をもつNPO法人「全国引きこもりKHJ親の会」。その静岡県支部である「KHJ静岡県 いっぷく会」の設立当初から、私は事務局の一員として、ボランティアでお手伝いをしてきました。
「いっぷく会」では現在、約70家族が所属しており、会費を出し合って、自分たちで会の運営にあたっています。その目的は、互いに支え合うことで親の孤立を防ぎ、親自身が少しでも元気になること。問題を抱え込まずに、前向きに取り組めるようになることです。
 具体的な活動は、まず親自身の交流会から始まり、ひきこもりの知識や本人との関わり方を学ぶ勉強会を開くようになりました。一緒に勉強したり、家族との交流を重ねるうちに、私はやがて、訪問や相談活動も行うようになりました。そんな中で次第に感じるようになったのが、専門的な支援の必要性だったんです。

専門家の応援集団が総合的な支援に乗り出す

 いっぷく会では現在、ひきこもり支援で20年以上の実績を持つ東京在住のカウンセラーを招き、勉強会を行っています。勉強会では、ひきこもりのメカニズムや毎日の生活の中で有効な声掛けの方法など、具体的な知識を学んでいます。定期的に行うこの勉強会のスタイルは、静岡県支部で始まったもので、今では他の地域の支部会でも行われています。
 そんな経験から、私は、専門家の応援による総合的な支援をめざすことにしました。静岡県内には、それぞれの立場で引きこもり問題を研究する専門家がいらっしゃるのですが、その1人ひとりを訪ね、協力をお願いしました。その結果、静岡大学の教授陣をはじめとする専門家5人に理事となっていただき、ひきこもりの総合支援組織であるNPO法人「サンフォレスト」が誕生しました。その際に、私も職員として組織の運営に関わることになりました。
 サンフォレストでは、ひきこもりの当事者と家族の訪問や相談、講演会の企画、ひきこもり関連の調査研究などを行うほか、いっぷく会との協働事業として、グループカウンセリングの企画・運営や、当事者の居場所の運営を行っています。
 中でも、私が力を入れているのが、訪問と相談活動です。現在、訪問は月に5~6件、相談は約10件を実施しています。口コミで活動が伝わり、今では約4割がいっぷく会会員以外の家族です。なかには名古屋や山梨など県外から依頼を受けることもあります。ひきこもりの当事者への訪問を依頼された場合は、まず家族との面談を重ねながら、私への警戒感が解けるのを待ちます。折を見て当事者に手紙を書いたり、電話をかけるなどのアプローチをし、本人の了解が得られた時点で、はじめて面談するようにしています。

訪問と居場所活動で問題解決のゴールをめざす

 ひきこもりは、軽度なら家の中を動けますが、重度になると自室にこもり、さらにベッドの上などの限られたスペースから動けなくなります。そうなると、食事もトイレもベッドの上。ビニール袋などを使って用を足し、親が処理をするという状態となります。閉ざされた空間の中でさまざまな悩みを抱え、自問自答するうちに激しい強迫症状を呈する場合もあり、何時間でも手を洗ったり、服も着替えず、髪も伸ばし放題になることもあります。さらには、統合失調症の発病に至る場合もあるんです。
 また、高年齢の場合や、ひきこもりの状態が長引くと、回復も難しくなります。私が会った当事者の最高年齢者は54歳でしたが、彼はコミック類など1970年代の物に囲まれて生活していました。彼の中では、時が1970年代で止まっていたんですね。
 もちろん、改善に向かうケースもあります。たとえば、学校教諭の厳しい指導が原因で中学2年でひきこもりになり、私が会った時は18歳になっていた青年。私はまずは親との訪問を重ね、1年をかけて彼に私と話をすることを了解してもらいました。最初は玄関から部屋にいる彼と5分間の会話をかわし、次第に会話の時間を延ばして廊下まで入れるようになり、最後は部屋に入って話をすることができるようになったんです。やがて「高校に行きたい」と言うようになった彼は、通信制の高校に入学、静岡市の通信高校のサポート校に通えるまでになりました。彼は現在24歳で、都内にある大学の3年生になっています。強迫症状とうまくつきあいながらアパートで1人暮らしをしています。
 ひきこもり支援のゴールはどこか、という点についてはさまざまな意見があります。部屋や家から外へ出られるようになることをゴールとする場合もあります。しかし私は、それはゴールまでの道のりの、3分の1程度に過ぎないと思っています。大切なのは、社会の中で自分らしさを表現できるようになること。そのためには、家から出られるようになった当事者が安心して過ごせる居場所を用意し、社会参加への橋渡しをすることが大事です。そこで静岡市の公共施設の1室を借り、月に2回、ひきこもり当事者の居場所を確保しています。そこでは、人間関係を築いてもらうことを目的に、ゲームを行うなどの活動を続けています。

ネパールで知った、同じ目線の支援の大切さ


 私は、キリスト教信者の家庭に育ちました。親に連れられ、小さい頃から教会に通っていましたが、中学に入り忙しくなったのをきっかけに行かなくなりました。やがて、横浜の大学の工学部に入学。車が好きだったので、将来はエンジニアになりたいと考えていました。ところが都会での1人暮らしは寂しく、私は再び、近所の教会に通うようになりました。そこで出会ったのが、渡辺英俊牧師です。渡辺牧師は、弱い者や苦しんでいる者の側に立ち、差別することなく生きること、そうした人々を受容することの大切さを教えてくれました。また、教会で知り合った友人の弟が知的障害者だということを知り、初めて障害者をもつ家族の苦悩と向き合うことにもなりました。そんな経験から、大学4年の頃には、私は牧師になりたいと思うようになっていたんです。
 そんな頃に勧められたのが、ボランティア活動でネパールに井戸を掘るという「ワークキャンプ」です。不衛生な水で炊事をしていたネパールの農村では、乳幼児の死亡率が非常に高かったのです。私には、神学校にいく覚悟を決めるために何か1つ、自分に課したいという思いがあり、参加を希望しました。費用をまかなうための募金集めをしながら、ネパール語と井戸堀り技術を勉強し、半年後に仲間と3人でネパールを目指しました。
 行く先は、首都カトマンズからバスで8時間、そのあと徒歩で2日かかるという、標高2000メートルの小さな村。もちろん電気もありません。ワークキャンプでは、まず村人が井戸を希望することが必要でした。その上で、彼らにも資金や労力を出してもらい、一緒に作るのがルールだったのです。1週間の話し合いの末、谷からわずかに水が出ているところを掘って、タンクを作ることになりました。井戸は2カ月以上かかってやっと完成し、村の人たちにはとても喜んでもらえました。その井戸は、今でも使われているそうです。
 この経験から私が学んだことは、支援とは、する側が主体ではなく、される側が主体であるということ。彼らにとって何が必要なのかを同じ目線で認識し、できることがあればお手伝いをするというスタンスが大事だということです。

自分自身のひきこもり体験を乗り越えて

 ネパールから帰国した私は、神学校に入学しました。そこで「学校で学ぶだけでなく、実際の奉仕活動の現場に携わることが大切だ」と指摘され、横浜にある日雇い労働者の街「寿町」でボランティア活動を始めることにしました。寿町は日雇い労働者だけでなく、高齢者や障害者も多く住む地域です。私はここで、老人会や学童保育所、身体障害者作業所、福祉センターなど、さまざまな施設の活動を経験しました。
 最初は学校が休みの日だけ、手伝いに行っていたのですが、次第に学校に通うより寿町にいる時間の方が多くなりました。寿町での活動に、私はすっかり情熱を傾けるようになっていたのです。社会の底辺に住み、学歴や家柄、財産といった鎧を脱ぎ捨てた「裸の人間」の中に、私は人間本来の優しさを見出しました。
 寿町では当時、精神障害者の取り組みが遅れていることが、問題になっていました。そこで地域作業所を設立しようという活動が始まり、そこに参加していた私は、神学校卒業と同時に、作業所の職員として働くことになりました。しかし、福祉の勉強を専門にしてきたわけではない私には、寿地区の精神障害者との関わりは荷が重く、数年後には心身ともにボロボロになってしまったのです。
 やむなく辞職した私は、富士宮市の山奥に自分で小屋を建て、農作業をしながら日々を送るようになりました。当時は全く認識していませんでしたが、これが私の「引きこもり体験」だったのでしょう。この体験が、のちにひきこもり当事者の気持ちを理解するのに、ずいぶん役立ちました。私にとって幸いだったのは、時折、心配して訪ねてきた両親が私を理解し、黙って見守ってくれたこと。おかげで、約半年後には富士宮市で塾の講師と家庭教師を始めることができるようになっていました。
 ひきこもりの子供たちと関わるようになったのは、この頃のことです。軽い障害をもった子供の家庭教師をしたことがきっかけで、知的障害、自閉症、聴覚障害、身体障害、不登校の子供たちと接するようになった私は、「うちの子がひきこもりになっている」という相談を受けたのです。「ひきこもりとは何だ」というのが、私の第一印象でした。それから私なりに相談に乗っていたのですが、そんなときにひきこもりの親の会を設立するための講演会が開かれることを知ったのです。それが「いっぷく会」との出会いになりました。

子供のひきこもりが両親の変革をもたらす

 ひきこもりの問題を抱える親に私がまずアドバイスすることは、「当事者の生き方を受け入れ、今のままでいいんだよ、という気持ちを示してほしい」ということです。家族との関係が良くなれば、家庭の居心地が良くなって、当事者は引きこもっていた部屋から外に出てくることができます。ですから本人を変えるというより、まず家族に変わってもらうことが大切なんですね。
 そうして相談が進むにつれて、親に変化がおこるようになります。子供のひきこもりに直面したことで、夫婦は、自分たちの家庭の在り方や、家庭での役割分担、お互いの向き合い方を、問い直すことになるんです。そこで初めて、母親が家事と育児を担い、父親は仕事に没頭するという、役割分担意識で硬直している家庭の在り方にも疑問をもつことになります。
 それからは、夫婦の関係性も変わってきます。それまで家庭を顧みなかった父親が、家庭をより大切に考えるようになる。仕事の時間を工夫して、当事者と関わりの時間を作ろうとするようになったり、家事を手伝うようになったりします。一方、それまで当事者の世話で家に張り付いていた母親は、仕事や習い事に復帰するようになります。
 私自身は、離婚を経験しています。今にして思えば、私の中にはどこかに、「妻とはこうであってほしい」という思い込みがあったのかもしれません。妻の目線に立って考えることができず、夫婦の問題を一緒に乗り越えていくことができなかった。そんな思いがあるだけに、ひきこもり支援で出会った親夫婦の努力には頭がさがります。
 ひきこもりは辛い経験です。しかしその危機は逆に、家族が変わるチャンスなのかもしれません。
 男女共同参画社会とは、ひきこもりに限らず、男女が話し合い、理解し合いながら、共に問題に取り組む社会だと思います。いっぷく会では、ひきこもりを正しく社会に認識してもらうための啓発活動や、当事者の社会復帰の支援活動をとおして、男性も女性もいきいきと活躍できる社会を実現しようと、今年の3月、「男女共同参画社会づくり」の宣言を行っています。

ひとりひとりに適切な支援の充実が理想

 以前の日本社会には、障害をもつ人や人づきあいが苦手な人を受け入れる、ある種のおおらかさがありました。ひきこもりが顕著になってきたのは、バブル崩壊後のこと。能率や合理性を求める現代社会は柔軟性を失い、企業や社会はゆっくりと人を育てるゆとりを失ってしまった。つまり、社会にうまく溶け込めない「ひきこもり」は、個人の問題なのではなく、現代が生んだ社会問題とも言えるのです。
 一方で、ひきこもりは単に病的な状態であるばかりではないと、私は思っています。当事者の中には、「人生とは何か」「生きるとは何か」という哲学的な思想をめぐらす人もいます。これは人間にとって、大切な問いなのではないかと思うのです。
 大切なのは、そんな体験をした人が社会復帰を果たすことができる、多様な支援を実現すること。そのためには、公的な支援の充実が望まれますね。
 サンフォレストの活動においては、相談と訪問活動に関わるスタッフを増員するなど、さらに支援活動を充実させたいと考えています。また、当事者の居場所も公共施設を借りるのはなく、自前の施設を確保したいですね。ひきこもりの家族が自由に集まり、話ができるサロンなどもつくりたいと思っています。
 ひきこもりの支援をする上で私が心がけているのは、ひとりひとりにどんな支援が必要なのかを常に考えること。1つの方法論で対処しようとすると、結果につながらないことが多いのです。当事者や家族との出会いが、私にとって、常に新しい勉強だと考えて活動を続けていきたいですね。

取材日:2011.10



静岡県静岡市出身  富士市在住


【 略 歴 】

1981ネパールワークキャンプに参加
1982農村伝道神学校入学
横浜市寿町でのボランティアを始める
1990横浜市寿町精神作業所設立
1997家庭教師や塾の講師を始める
2002KHJ静岡県「いっぷく会」設立
2008NPO法人「サンフォレスト」設立

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