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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

地域社会の発展を経済的視点で見つめ
行政と地元の橋渡し役で「まちづくり」を支える。

岸本高昌(きしもと・たかまさ)

岸本高昌(きしもと・たかまさ)


財団法人静岡経済研究所 企画部長 


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財団法人静岡経済研究所

地元静岡の経済を調査・研究するシンクタンク

「財団法人静岡経済研究所」は、静岡地域の経済発展をはかる目的で、1963年、静岡銀行が中心となって設立した財団法人です。静岡県地域の経済の現状を的確に把握し、課題を見つけて発展につなげていくための調査や研究を行っています。研究員は、静岡銀行、静岡県庁、静岡ガス、静岡信用金庫、静岡鉄道という、地元経済と関わりの深い機関からの出向者などで構成されており、現在、研究員は20~50代の約20人。それぞれが、観光や農業など、興味をもった分野をテーマに研究し、レポートを執筆しています。
 それを「SERIまんすりー」という情報誌で発表したり、セミナーや講演会を開き、企業や地域の皆さまに役立てていただいています。ときには、総合計画や産業振興ビジョンについて、長期にわたる調査を引き受けることもあります。
 時代の流れとともに経済状況は大きく変化していきます。かつては、静岡の経済の成り立ちや産業構造を調べ、これからの方向性や課題を提言していく……という内容が中心でした。もちろん、それは現在も継続していますが、今は経済のみにとどまらず、少子高齢化や教育、そして男女共同参画など、さまざまな社会問題と関連づけた考察が求められるようになってきています。そういったご要望にできるだけこたえるべく、多角的に地元経済をとらえる視点が、私たちには求められています。
 2012年には一般財団法人に移行する予定です。財団法人には2種類あり、ひとつは公益財団という形態。これは、公益事業をする比率が50%以上でなければならないという決まりがあります。一方、一般財団は制限がなく、比較的自由な活動ができるのが特徴です。地域のニーズが多様化していくなか、「公益事業に50%以上」という縛りがない方が、臨機応変に対応できる。ひいてはそれが経済の発展にも有効だろう、というのが移行の理由です。

時代のニーズに合わせたセミナーを企画提案


 私は現在、企画部長として、セミナーや講演会を企画・運営する部を統括しています。セミナーでは営業スキルに関するもの、管理職対象のもの、経理実務に関するものなど、さまざまなテーマを設け、昨年は1年間に12回開催しました。
 毎年行っているのが、4月に開催する新入社員を対象としたセミナーです。入社したばかりの社員を対象に、応接室で座る順番や挨拶の仕方といった、社会人としての基礎知識を学ぶ内容です。これは9月にも行い、ある程度仕事のポジションが決まった段階でフォローアップするしくみになっています。
 全体的にきわめてオーソドックスな内容のセミナーが多いのが、当研究所の特徴ですね。とはいえ、受講される方のニーズも、時代とともに変化しています。特に、ここ何年かは、コミュニケーションに関するセミナーが多く求められる傾向にあります。新入社員セミナーのように、やはり企業にとっては「人づくり」がもっとも重要だと感じていらっしゃるようです。社内や取引先、営業に関するコミュニケーションなど、社員教育や「人間力を高める」といった要望が増えているので、私たちもできるだけこたえられるよう、常にアンテナを高くし、プランを考えています。
 こうしたセミナーには女性も多く参加してくださいますね。きちんとデータを取ったわけではありませんが、女性の参加者が以前より増えていると感じます。企業の方も女性を、重要な人材として期待していて、スキルを磨いてほしいという思いがあるのではないでしょうか。それにこたえようと熱心に受講されている姿勢が、とても印象的です。

第3次産業をテーマに選びまちづくりに携わる

 私は1983年に静岡銀行に入行しました。大学時代4年間は東京で過ごしましたが、やはり地元静岡に根ざした企業で働きたいとの思いが強く、Uターン就職を選びました。
 当初は、たいていの銀行員がそうであるように、営業職として渉外業務を経験しました。1988年、27歳でこの研究所に配属になりますが、私としては、その異動にあまり違和感はありませんでした。といいますのも、静岡銀行は「地域とともにある銀行」ですから、静岡経済の発展のお手伝いをする役割をもっています。もちろん、研究所ではお金を動かすなどの銀行業務をするわけではありませんが、地域経済の動向や課題を研究し、その健全な発展につなげる役目を担う、という点では、趣旨や思いは同じなのです。そういう意味で、私も、それまでとまったく違う仕事をしているという意識はありません。異動当初も、今もそうです。
 これまで私は、茶業界、運輸倉庫、小売商業、ホテル・旅館業、ソフトウエア業などを担当してきました。第3次産業が多いのは、私が配属になった約20年前という時代背景と深く関係しています。
 静岡はかねてより「ものづくり県」といわれるほど、物作りに関する産業が盛んな地域です。しかし1980年代後半から90年代初めにかけてはバブル景気に沸いた時期ということもありますが、生活者のゆとりや豊かさを創造する余暇、文化教養、家事支援など生活支援に関するサービス業や、産業の高度化のため、企業の経営の効率化や新製品・サービスの開発、販売などといった産業支援のためのサービスが注目され始めた時期でした。言い換えれば、生活者の価値観が「ものの豊かさ」から「心の豊かさ」を求めるようになり、経済面でもソフト化・サービス化がはっきりとした形で表れ始めた時代です。それによって静岡のまちの構造も大きく変わってきたわけです。
 そして、それらと切り離せないのが「まちづくり」です。今でこそ「まちづくり」「地域おこし」という言葉が一般的になりましたが、言われ始めたのはここ15~20年ではないでしょうか。郊外の住宅地開発が進み、大型ショッピングセンターが郊外に進出し始めたことで、人の流れが、中心市街地から郊外へと分散しました。それによって、駅前などの中心市街地が空洞化し、大きな社会問題となりました。 この問題は全国的なもので、法律も作られました。1998年にできた「中心市街地の活性化に関する法律」いわゆる「中心市街地活性化法」です。
 商業をテーマに研究していた私が「まちづくり」に携わるようになったのも、商業とまちづくりが密接に関わりあっていたからにほかなりません。

官・民の「調整役」として、まちの未来図を提案

 現在、全国で105市108の中心市街地活性化基本計画が認定を受けており、静岡県内では浜松市、藤枝市、静岡市、掛川市、沼津市の5市6計画が認定されています。静岡県内のいずれの都市も計画の推進中ということもあるのでしょうが、法律ができる前と今とではあまり成果は上がっていない印象を受けます。
 というのも、中心市街地とは、商店街の商業機能のほか、オフィスなど業務機能、市役所などの行政機能など、様々な機能によって構成されています。それらは、それぞれハード・ソフトの両面で様々な課題を有しており、それらが相互に影響し合っています。商業活性化を目指す場合であっても「商店街だけでがんばればいい」という時代ではなくなっているんです。以前は、商店街でアンケートをしたり、舗道や街路灯を整備したり、ベンチを置いたり……といった取り組みが中心でしたが、それだとなかなか商店街が再生しない。なぜかというと、商店街だけでまちが成立しているわけではなく、オフィスや病院、市役所など、いろいろな機能がある中に「買い物」という機能も含まれる。だから商店街だけではなく、まち全体をよくしていかないと活性化しない、そのためには、商業者や、行政だけがまちづくりに取り組むのではなく、様々な立場の市民ができるだけかかわっていく。そういう考え方に変わってきているのです。
 地域おこしの取り組みも、経済的基盤がしっかりしていないと成立しません。商業だけでなく福祉や教育、いろいろな要素と結びついてこその経済振興ですから、「この商店街をどうにかしなければ」ではなく「まち全体の協力をどうはかっていくか」。それを行政、住民とで一緒に考えていきましょう、というのが、今のまちづくりの主流なのです。
 そして、まちづくりにおける、私たち経済研究所の立ち位置は、行政と住民の中間での調整役です。まちづくりに関する計画はおもに行政がつくりますが、行政の独断ではできません。当然、地元に商店街があり、そこに暮らす方たちの考えを把握しなければいけない。
 そのために統計調査をし、市民が望んでいるまちづくりや、企業の展望を判断するために、統計を分析する必要があります。ですが、行政は研究所をもっていません。そこで、私たちのような調査研究機関が、アンケートやヒアリングをし、市民や事業者の考えを知るための手伝いをするのです。単に調査するだけでなく、そこから浮かび上がった課題も整理し、最終的には、行政と議論しながら新しい計画を提示し、地元市民の同意を得てまちづくりを始めます。通常、私たちの調査から提案までは約1年を費やしますが、まちづくりは最低でも5年、10年とかかります。

中立の立場に問われた「汗をかいているか?」

 私も長年、清水市(当時)や裾野市などの駅前活性化事業に携わってきました。なかでも、特に印象に残っているのは、浜北市の長期まちづくりプランの策定支援です。
 浜北市は2005年に浜松市と合併しましたが、私が関わっていた1998年頃は、合併しない方向で市政が進められていました。合併しないためには浜北らしい「いいまち」になる必要がある。市のさまざまな部署の担当者とプロジェクトチームを結成し、活性化に向けた長期的なまちづくりプランをつくりました。結果的に合併してしまいましたが、浜北区となった今も、区の特性を生かしたまちづくりには、当時の計画の理念が盛り込まれています。
 私は、まちづくりに関わる際、地元の人の意向――その土地に対する愛着や将来への希望といった「思い」を、どう計画に反映さるかが大切だと感じています。まちづくりは、そこに住む市民のためであるべきだと思うからです。ただ、浜北市に限らず行政と市民との間に、また市民の間でも温度差やギャップが生じることがあります。たとえば、駅前地区の活性化の場合、そこで商売をしている人と、生活をしている人、また、地区外から駅前を訪れる人とでは、それぞれ駅前の活性化に対する考えは異なります。私たちは「地元経済や歴史・文化をいちばん把握している」立場として、そのギャップを埋める役割を担います。
 ある日、商業ビジョンを巡って、様々な立場の市民グループとディスカッションをしていました。私は中立の立場として「今、まちを訪れてくれている人の立場に立った商業集積のあり方を改めて考えてみたらいかがでしょうか」「こういう考え方はどうですか」などと様々に問題を投げかけていきました。
 すると、参加者のひとりが私に、「あなた自身は地元のために汗をかいたことがありますか?」と問いかけてきました。「こうしてみたら、ああしてみたらと言うけれど、実際に活動してみないと、まちづくりの醍醐味も大変さもわからないだろう」と。
 そのひとことはショックでしたね。もちろん仕事の立場上、どちらかに偏った発言はできません。汗をかくこともできない。それは先方もわかっていたと思います。しかし当時の私は、まさに、自分が住む地域の活動をほとんどしていなかったのです。
 私も仕事を離れれば市民のひとりです。地元のために、私なりの汗のかき方があるのではないのか――。
 のちに消防団や、子供の中学校のPTA役員を引き受けたとき、そのひと言が頭をよぎったのです。

父親、市民のひとりとして地元に関わって

 まちづくりに関わり、そこにエネルギーを注ぐ人々と触れ合うことで、私の地域活動への関心はさらに強くなっていきました。そして、私自身の地域との関わりは、娘が小学校に入学した12年前、1999年に始まりました。きっかけは小学校PTAの父親組織「ふれあい委員会」に入ったこと。今、各地の小学校に設けられている「おやじの会」のようなものです。私は、PTAの組織だからみんな入るものだと思って申し込んだのですが、同じ学年に私ともうひとりだけ。でも他の学年には「父親も小学校と関わろう!」と活動している先輩たちがたくさんいました。
 ふれあい委員会は学校の行事に積極的に出ていました。バザーで店を出して焼きそばやチョコバナナを売ったり、設営、買い出しも父親がやります。夏には子供たちとキャンプに行き、1月には校庭で、正月のしめ飾りを持ち寄って焚火にする「どんど焼き」をやりました。地域の人たちにも来ていただいていましたね。
 男女共同参画は、女性も男性も互いの生き方を尊重し合うという考え方ですよね。そういう意味では、多くが母親を中心に活動するPTAに、父親が入り込む「ふれあい委員会」は「男女共同参画」のさきがけだったのかもしれません。
 そんな父親仲間から、静岡市の青葉公園にある「別雷神社」の神輿会に誘われ、おみこしの担ぎ手になったり、消防団にも誘われて入団しました。娘が通った静岡市立城内中学校ではPTA会長も務めました。引き受ける際にはもちろん迷いましたが、それでも自分にできることなら、と思ったのは、まちづくりに尽力する方々を知り、自分のごく身近で「地域のために汗をかく」仲間と触れ合ったからかもしれません。 「人に誘われて」という形ではありましたが、地域のなかに飛び込んでみたおかげで、私自身は「地域コミュニティーの希薄化」を感じることは少ないです。
 ただ、今後の「担い手」となると厳しいですね。例えば、神社のおみこしは100~150人いないと出せないのですが、それだけの人数が町内でなかなか集まらない。防災訓練も高齢者が中心。若い人たちはめったに出てきません。みんなで集まって力を合わせなければできないこともある、ということも、おみこしを担いでみればわかるのです。自分たちの地域を自分たちで守る、担っていくという自覚をもつことが必要ではないか。私自身も地域のなかに入って初めて実感したことです。

高齢者雇用に見付けた「皆が暮らしやすい」法則

 私は今、静岡県男女共同参画会議の委員に名を連ねています。仕事上、前任者から引き継ぎという形で受けた役割ですが、仕事の中で「男女共同参画って、こういうことなんだろう」と気付いたことがいくつかありました。
 ずいぶん前のことですが、行政からの委託調査事業で高齢者雇用についての調査を受けたことがあります。労働者の高齢化が進むなか、今後、企業が高齢者雇用にどう対応していくべきか、というテーマで調べたものです。そのとき私は報告書に、こんなフレーズを書いたのです。「高齢者が働きやすい職場は、他の人たちにとっても働きやすい職場だ」
 若い人なら重い荷物を持ち上げて運ぶことができますが、高齢者は力があまりないから難しい。でも高齢者の人は働きたいし、会社も働いてもらいたい。そういうときに会社がどうするかというと、重いものを運搬するための機械を入れるのです。リフトを導入したり、ガイドレールのようなものをつけることで、力が弱くてもボタン一つで荷物が運べるようになる。確かに高齢者が働きやすいようにと整えたことには違いないのですが、それによって若い人や女性も指ひとつの操作で仕事ができ、生産性や効率が上がる。それはもう「高齢者のため」だけではなく、「社員みんなのため」そして会社全体のためになるということです。
 そしてこれを男女共同参画に当てはめれば「女性が暮らしやすい社会は、男性にとっても暮らしやすい社会だ」と、置きかえることができます。先ほども申しましたが「部分をよくする」のではなく、それによって全体がよくなる取り組み、意識こそ、地域全体でもつことが、どの分野においても必要なのではないでしょうか。
「ふれあい委員会」も、父親だけの問題ではなく、父親が学校にかかわることで、母親や子供、そして地域にもつながりをつくる役目を果たしていました。家庭も学校もふくめた、地域全体がよくなることをめざす。商店街だけでなく、まち全体がよくなるようにまちづくり計画をつくる。どちらも、広い視野でみれば、住む人が汗をかく「まちづくり」と同じなのです。

取材日:2011.7



静岡県静岡市生まれ 静岡市在住


【 略 歴 】

1983株式会社静岡銀行 入行
1988財団法人静岡経済研究所 出向
2000静岡市静岡消防団第1分団入団
2008財団法人静岡経済研究所 企画部部長
2009静岡市立城内中学校PTA会長
2010城内中学校区健全育成会会長

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