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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

男女共同参画推進委員を務めた10年間の経験が、
子育てや地域に対する考え方を変えた。

西村泰彦(にしむら・やすひこ)

西村泰彦(にしむら・やすひこ)


K-JOINT 代表



「夢にも思わなかった」の連続だから人生は面白い

 30歳を過ぎたら人生は終わり。だから、今のうちに好きなことをしておかないと――。20代の頃、私は、そんなふうに思いこんでいました。今年、48歳になりますが、気が付けばいまだに、自分の好きなことをして、人生を楽しんでいます。
「人生のピークは20代」と信じていた私は、大学卒業後、一度は一部上場企業に就職しましたが、3年で退職。アルバイトで、そこそこの収入を得ながら、カヌーや釣り、自転車などのアウトドアスポーツ、海外旅行など、とにかく遊び三昧の生活を送りました。
 でも、そんな生き方も30歳までと、はっきり決めていたんです。「30歳以降は余生」だと思っていましたので、その後の人生の展開なんて、まったく想像できませんでしたね。
 まさか、フリーターをしていた自分が33歳で掛川市の男女共同参画推進委員になり、その後10年間も活動を続けることになろうとは、夢にも思わなかった(笑)。40歳間近で父親となり子育てに目覚めたことも、型染めの勉強をし、染物による地域活動を始めたことも、すべて完全に想定外です。

型染めを通じて人づくりやまちづくり活動を

 2人の息子は、現在、8歳と5歳。型染めを中心に、和文化を見直し、まちづくりや人づくりに活かしていく「K-JOINT」の活動は、今年で5年目を迎えました。ここ数年は、自分の育児体験をベースにした父親向けセミナーで、講師も務めさせていただいています。
 振り返ってみると、子供が生まれるまでの私は、自分の意見に固執し、周囲の人が手を差し伸べてくれても、それを拒否するようなところがありました。プライドが邪魔をして、相手の話に耳を傾けることができなかったんです。
 それが子供と接するようになったことで、変わらざるをえなくなった。子供は、そもそも論破することなどできない存在。むしろ、こちらが一方的に受け入れるしかない。子育てとは、文字どおり我慢の連続ですが、「仕方ないな」と思えるようになると、自分自身も楽になれる。
 子育てのおかげで、だいぶ肩の力が抜けて、いろんな人の意見も受け入れられるようになりましたね。そうしたら、自分の周りに、自然に人が集まるようになったんです。
 K-JOINTには、「掛川で一緒に」という意味が込められています。いろんな人たちとともに活動し、それぞれの個性を活かすこと。それが、現在の私が目指すまちづくり、人づくり活動だと思います。

思いがけず掛川市男女共同参画委員のメンバーに

 1996年から10年間、掛川市男女共同参画推進委員を務めた経験は、現在の自分の原点になっています。きっかけは、知人の紹介で就職した広告代理店が、掛川市の女性行動計画の冊子をつくる仕事をしたこと。私は営業担当でした。
 あるとき、冊子のダイジェスト版をつくる仕事をいただいて、なぜか私が編集をやることになったんです。営業マンである自分の領域でないのは百も承知でしたが、いただいた仕事のためです。推進委員の方に請われるまま、行動計画の内容に目を通し、3日間くらいかけて熟読し、私なりに内容をまとめて提出すると、何とOKが出た。そのときは、「1つ仕事が終わった」とばかり思っていたんです。
 ところが翌年、掛川市が、女性行動計画推進委員会を設立することになり、私に声が掛ったんです。行動計画の内容を熟知しているということと、推進委員に男性メンバーが足りないというのが、白羽の矢が立った理由です。
 でも、推進委員の会議の開催は平日。会社の仕事があるので、実質的に無理だろうと、たかをくくっていたんです。すると、掛川市長の名前入りの文書で、会社に依頼状のようなものが届きまして。小さな広告会社にとって、市役所は大切な顧客。会社からは「どうぞいってらっしゃい」と、なかば強制的に行かされる格好で、推進委員になってしまった。
 途中、辞めようとしたことは何度もあります。その都度、引き止められたり、辞められない事情ができたり……。気が付けば、誰よりも古株になっていました。
 結局、2005年の1市2町の合併にともない、旧掛川市の委員会が解散するまでの9年間と、新掛川市になってからの1年間の計10年間、推進委員を続けました。最後の2年間は、会長を務めさせていただき、2006年、男女共同参画社会づくり活動に対する知事褒賞を、男性として初めていただきました。

男女にとらわれない「適材適所」が共同参画

 推進委員を始めた当時は、「男女共同参画推進」と言っても、なかなか理解されないことが多かったように思います。「男性も家事をするべき」と言っても、耳を傾けてもらえなかったし、「男女共同参画は悪」「多様な個性なんて認めない」と、面と向かって言われたこともあります。男女共同参画の根本的なあり方について理解を深めるというより、「これからはお父さんも味噌汁を作らなければならない」というイメージに、終始していたんだと思いますね。
「私たちにできることは何だろう?」と考えて始めたのが、情報誌「すてきなあした」の発行です。男性保育士がいると聞けば、会いにいって取材をし、女性のトラック運転手がいると分かれば、特集を組んだり……。今思えば、稚拙な発想かもしれませんが、仕事をするうえで、男性も女性も関係ないということを、私たちなりに、一生懸命伝えようとしていたんです。
 活動をするうちに、より若い世代にアプローチをしたほうがいいだろうと感じるようになりました。それで、絵本作りをしたこともあります。子供たちの発想は柔軟ですから、絵本を通じて、逆に私たちのほうが教えられることも、たくさんありました。
 男女共同参画について、専門家の方々にお話を伺ったり、自分なりの勉強をしていくと、地道な活動を、長いスパンで続けていく必要を感じるようになりました。
 私は男性ですし、もともと男女共同参画については素人です。なので、「私が共感できる考え方や活動であれば、他の一般の方にも、理解してもらえるのではないか」と。そうした自分自身の市民感覚を信じ、ときには行政や活動家の方々と、激しく議論することもありました。
 10年間におよぶ推進委員の経験でたどりついた、私なりの結論は、男女共同参画という言葉にとらわれず、家事でも育児でも、できるほうができるときにやればいいという、適材適所的なアプローチです。
 だから、K-JOINTの現在の活動に関しても、あえて男女共同参画を意識しないようにしています。「これって男女共同参画なのかも」と、結果的に周囲が評価してくれれば、それでいいと思っているんです。

「育児にマニュアルはいらない」を伝えたい

 男女共同参画の活動をしていたことで、掛川市が主催する「パパセミナー」や、同じく袋井市の「すくすくベビー」など、この5~6年は、お父さん向けセミナーの講師としても活動しています。
 セミナーでは、自身の体験談を話すことが多いですね。出産に立ち会った際の経験や、失敗話を話すことも多いです。男性だけでなく、夫婦両方で参加される方もいらして、多いときには、100名ほどの参加者があります。
 私自身、子供ができた当初、「子育てはこういうもの」「子供はこう育てなきゃいけない」という先入観がありましたね。「平均」とか「普通」ということにこだわりすぎて、マニュアルどおりにいかないと、イライラしてしまう。子供に当たってしまったり、無理に頑張らせたりしてしまった。
 でも、育児をしていくうちに、マニュアルは必ずしも重要ではないということがわかってきました。セミナーでは、そんな話をさせていただいています。自分みたいなごく普通の人間が、失敗しながらでも子育てをしてきたということをお伝えし、できるだけ多くの方に、安心して子育てに取り組んでもらえたらと願っているんです。
 受講者は、20~30代の自分より若い方たち。男性でも、子育てや家事に対し意識が高い方が多いと思いますね。奥さんに連れてこられたという方もいますけれど、そうであっても参加していること自体、夫婦できちんと話し合いがされているからだと思いますね。お父さんたちが「妊婦体験」をするために、お腹に大きなおもりを付けて奮闘している姿なんて、以前は考えられなかったことでしょう。
 どんな人でも、子供を抱くときは優しい顔をしています。女性も男性も関係ありません。ひとりでも多くの男性に育児に参加してもらい、そんな喜びを知ってもらえたらいいなと思います。

結婚8年目にやっと授かった長男

 子供が生まれたのは、私が39歳のときです。31歳で結婚したので、8年目にして授かった子供でした。妻は一度流産を経験していて、その後は、なかなか子供に恵まれなかったのですが、私も妻もどうしても子供が欲しかった。それで、一緒に不妊治療に通ったんです。
 不妊治療を始めるまで、治療を甘く考えていましたね。妻は妊娠したことがあるわけだし、病院に行けば、すぐにでも授かるものだろうと。ところが、最初のオリエンテーリングで、人工授精や体外受精の確率を聞いて、愕然としたんです。そんなに難しいものなのかと――。それでも、1年間くらい2人で治療に通った結果、幸運にも比較的早めに授かることができたんです。
「妊娠した」と聞いたときは、信じられないという気持ちと、今はまだ喜ぶのはまだ早いという気持ちが半々でした。流産したときの悲しみが大きかったので、「生まれるまでは大喜びしてはいけない」と自分に言い聞かせていました。そんなこともあって、生まれてきた長男を初めて見たときは、いろんな感情が一気にあふれてきましたね。

明け方3時の授乳が子育て参加のきっかけに

 実は、私は、子育ては女性がやるものだと、ずっと信じていました。お風呂に入れたり、自分にできそうなことを手伝うのは構わないけれど、子育てのメインは女性で、男性はあくまでサポート役だと思っていたんです。
 私の両親は2人とも教師で、どちらも定年間近まで、仕事をしていました。しかし、同じ仕事をしていたにも関わらず、家事をするのはすべて母。父は何もしない。典型的な「昔ながらの家族」でしたね。母は、今でこそ過去の不満を私に漏らしますが、当時は、そんな素振りは一切見せなかった。だから、私もそれが当然のことだと思っていました。
 子供が生まれたとき、すでに男女共同参画推進委員をしていましたが、両親のもとで植え付けられた感覚は、根底の部分で、何も変わっていなかったのでしょうね。その頃は会社を辞めて起業し、妻と2人でデザイン関係の仕事をしていたのですが、最初はほとんど妻が子供の世話をしていました。
 あるとき、仕事を終えた夜中の3時頃、自分がミルクをあげたら妻が助かるかなと思って、何の気なしに代役を務めたんです。そうしたら、そのあくる日、息子が泣いているのに、妻は一向に起きない。私がやると思って安心したのでしょう。その次の日も、そのまた次の日も、子供が泣いているのに、妻は全然起きなくなってしまった。子供は可愛いですし、「まあいいか」と。何の気なしに手伝ったら最後、午前3時の授乳は、その後ずっと、私の仕事になってしまいました(笑)。
 授乳をしてみて、母親でも父親でも、育児はできるんだなということに気付きました。そうであるなら、自分にできることをもっとしてみようと、料理も始めました。子供の離乳食も、試行錯誤しながら作りましたね。
 積極的に子育てに関わっていると、子供もなついてくるものです。私の場合、次男より長男と接する時間が長かったので、長男は今でも、何かあると必ず私のところに来ます。今年、小学校3年生ですが、飲み会などで、夜、私がいないことがあると、「パパがいないと眠れない」と、妻に訴えるそうです。
 親離れしてもらいたい気持ちもありますが、むしろ私のほうが、子離れできないようにも思います。釣りに行ったり、キャッチボールやドッジボール、サッカーなど、本当によく一緒に遊んでいます。妻を家事や子育てから解放するために、3人で自転車で出かけることもありますね。

K-JOINTはメンバーそれぞれが個性を発揮する場

 私は男女共同参画推進委員を退いた後、委員会で培った経験を活かすために「共同参画交流会議」という団体をつくりました。「男女」という言葉は、あえて使っていません。男女共同参画を声高に叫ぶより、そこにいる人の力を皆で活かせるような組織にしたほうが、面白いのではないかと考えたんです。
 立ち上げメンバーは、以前、推進委員を一緒に務めた女性たちです。その頃、私は型染めを習い始めていたので、日本の伝統文化に関わる要素も取り入れたいという思いもありました。それが、現在のK-JOINTの活動に結び付いています。
 K-JOINTでは、掛川の紺屋を復活させるプロジェクトとして、自分たちで染めた布で風呂敷を見直す活動を市に提案したり、「国民文化祭・しずおか2009」では、掛川市が主催した「お茶の間カフェ」を、型染めの布で彩るプロジェクトなどを行いました。
 月に1回、型染め教室も行っています。参加者の8割が女性です。夏休みには、子供たちが宿題の一環として、手ぬぐいづくりをしたり、地域のお母さんたちが、祭り用の手ぬぐいづくりをしたりという活動もしています。
 K-JOINTの作品には、バッグやシャツ、甚平などもあります。これらは、バッグ作りや裁縫が得意なメンバーが、それぞれ特技を活かして生まれたものです。また、昨年からは着付けのできるメンバーを中心に、浴衣や着物の着付けを学びながら、街を歩く「掛川カランコロン」を立ち上げ、楽しんでいます。私たちは、「自分たちがおもしろいと思ったことを楽しんでやる。そうした活動が、まちづくりや人づくりに少しでもお役に立てば」と考えているんです。適材適所を念頭に、メンバーの個性を活かす場をつくることも、自分の役割だと思っています。

男女共同参画という言葉すら存在しない社会が理想

 K-JOINTの活動を始めた頃、立ち上げメンバーの1人である女性に相談したことがあるんです。「うちの子が言うことをきかないけど、どうしたらいいだろうか」と。彼女とは、男女共同参画推進委員を4年間、一緒に務めた仲間でもあります。
「西村さんは子供を『いい子』にしたいというより、『自分の言いなりになる子』にしたいんじゃないの?」と言われましてね。「そんな子に育てたら、あなたの顔色ばかりうかがう子供になるわよ」と。
 ショックでしたね。確かにそのとおりだと思いました。一方で、身近に率直なアドバイスをしてくれる女性がいることは、ありがたいし心強い。
 K-JOINTの女性メンバーには、しょっちゅうダメ出しをされています。でも、考えてみれば、人の意見を聞こうとしなかった自分が、いろんな人に教えられ、支えてもらえるようになった。聞く耳をもつようになったことで、少しずつ成長させてもらっているのだと思います。
 10年間におよんだ男女共同参画推進活動のなかで、さまざまな声を聞く機会がありました。「子育てが大変な仕事であることを認めてもらいたい」「夫にはせめて、自分のことは自分でやってもらいたい」――そんな切実な声を聞くうちに、私自身の考え方や生活も、いつしか変わっていったのだと思います。
 男女共同参画が自明の理となり、当たり前であるがゆえに「男女共同参画」という言葉すら存在しない――。そんな社会が理想だと、私は思います。実現はまだまだ先かもしれません。ですが、K-JOINTの人づくりやまちづくり活動を通じて、そういう社会の実現に、少しでも貢献できたらいいなと思います。

取材日:2011.6



静岡県掛川市生まれ 掛川市在住


【 略 歴 】

1992静岡県余暇プランナー(第1期生)
1996~2006掛川市女性行動計画推進委員(2005年からは掛川市男女共同参画推進委員)
1998デザイン会社Hobo Planetを設立
2005~掛川市「パパセミナー」講師
2006~袋井市「すくすくベビー」講師
男女共同参画社会づくり活動に対する知事褒賞 受賞
2007任意団体K-JOINT(ケー・ジョイント)設立。掛川市市民活動推進モデル事業に
掛川市教育委員会「お父さんのための家庭教育出前講座」講師
2009「お茶の間カフェ染め布彩りプロジェクト」で「国民文化祭・しずおか2009」に参加

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