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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

ここはみんなの家、みんなが家族。
介護の現場で認知症の人々と1対1で向き合う。

杉山真由(すぎやま・まゆ)

杉山真由(すぎやま・まゆ)



株式会社まごころ介護サービス
介護支援専門員兼教育研修本部次長


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株式会社まごころ介護サービス

現場でお年寄りとふれあっていたい

 介護の道に入ろうと思ったきっかけは、認知症の祖母の最期を看取る両親に連れられて、病院に行ったときでした。
 母が祖母のオムツを替え、身の回りの世話をしているのを私は後ろで見ていました。母はそれまで介護をしたことなどありませんでしたが、母が母なりに最期の親孝行をしようとしている姿に、何か胸をうたれたのを覚えています。そのころ、短大を卒業してから仕事を転々としていた私は自分に自信がなく、両親からも認めてもらえず迷っていたときで、祖母の死をきっかけに「私もお年寄りのお世話が出来ないだろうか」と思ったのです。
 特別養護老人ホームに就職しましたが、当時は、まだ介護保険制度などなく、私の思っていた介護とはほど遠いものでした。夜勤も多く、体重は減り、体はボロボロ。それまでの私ならすぐに転職してしまっていたでしょうが、この仕事の魅力でしょうか、お年寄りが可愛くて、愛おしくて、辞められないのです。
 しかし、お風呂といえば週2回と決められ、機械の上に裸に寝かされ、時間になると機械から出されて――これがお風呂だろうか、ただ体をきれいにするマシンではないかと、疑問を持ち始めました。当時の施設介護では制度も整っていませんでしたし、それが精一杯で、どの職員も必死で業務をこなしていました。
 2002年、この仕事に就いてから私を応援してくれていた父が、病で亡くなりました。母は24時間ずっと1人で父を看ていましたが、大切な人を失ったショックがひどく、しばらくは1人にしておくことが心配でしたので、夜勤のない、今勤めている在宅介護中心の職場に移りました。
 働きながら子供を産み、1年間の育児休暇を取りました。10年以上ずっとこの仕事をしていましたから、1年間の休職は不安もありましたが、今までの自分の働き方やこれからのことを、ゆっくりと考えるいい機会となりました。考えた結果、仕事を辞めずに正社員として、しかも土曜・日曜は子供と一生に過ごせるといった、よくばりな希望をかなえるには、ケアマネジャ-の資格を取るしかなかったのです。子供を寝かしつけた後、ベッドからそっと抜け出して勉強をしていました。5年ほどかかって合格したときは、さすがにうれしくて涙がこぼれました。この資格取得は、私に自信を与えてくれました。

施設の中での役割と居場所を作る


 今、グループホーム(認知症対応型共同生活介護)でプランをたてるケアマネジャーの仕事をしながら、入居者さんと一緒に掃除や身の回りの世話をしています。介護の現場にもいられ、資格も生かせていると思います。
 グループホームは、認知症と診断された方で、家での介護は難しいがだれかの目や手を少し借りられれば共同生活が出来る、というコンセプトの施設です。比較的体は元気だが 数秒前のことを忘れてしまう、といった入居者さんが多いです。長い人生の中ではいろいろなことがあり、さまざまな思いを抱えながら家族も施設へ預けてくださっています。ここは入居者さんの本当の家ではありませんし、入居者さん同士も突然一緒に住むことになるわけで、みなさん仲良くというわけにはいきません。職員・入居者さんでさまざまな葛藤があります。同じ認知症という病を抱えている方同士ですから、「何度も同じことを言ってうるさい」などと、入居者さん同士で喧嘩になることも日常茶飯事です。
 だからこそ、わたしたち職員がどう関わるかが大切になってきます。私たちが家族になって1対1で心に働きかけていると、本当に愛おしく思えるようになります。何かをやってあげている、お世話をしてあげているなどという気持ちで関わったり、うわべだけで接していると、入居者さんに絶対伝わります。認知症の方の感覚や感情はとても豊かで、職員が本気でぶつかり、本気で寄り添っていけば、必ず気持ちは返ってきます。そういった1対1の本気のケアが出来るのが、グループホームです。だから、楽しいのです。
 どうしても、私は入居者さんを抱きしめてしまいます。「ありがとう」「〇〇さんのおかげです」と頼られたり役割を持つことで、入居者さんがだんだん生き生きしていくのがうれしいのです。これが、居場所づくりだと思います。「帰りたい」と言う方が家に帰ってもなお「帰りたい」と言うのは、帰りたい所は本当の自宅ではなく、自分にとって居心地のいい場所なのです。
 80歳まで夫婦2人暮らしをしていた男性が入居されています。妻が突然入院してしまったことを受け入れることが出来ず、親族からの相談でここに入居することになったのです。当初は、「家に帰る」と言って施設を出て行き、警察に保護されたこともあり、1分と目を離すことができませんでした。その方が、3カ月経ったころから目が生き生きし、ユーモアたっぷりに冗談を言うのです。自分のことを「ヤングマン」と言い、50で年齢が止っているので、職員が重い荷物を持っていると手伝ってくれて、他の入居者さんの車椅子を押して散歩に連れて行ったりしてくださいます。役割や居場所を見つけたのでしょうか。

スタッフの育成が、これからの私の仕事

 介護は入居者さんによって対応が1人ひとり違います。一緒に笑い、一緒に泣き、感情をともにして、家族になっていきます。
 そういった思いで一緒に働いてくれるスタッフを、1人でも多く育てたいと思い始めました。介護職は転職率が高い業界ですが、離職はしていません。つまり、会社を移っているだけで、この仕事から離れられない人は多いのです。それなら、一緒に働こうよ、どこへ行ってもたいして変らないよ、人間関係はどこへ行ってもあるよ。
 今、私はメンタルヘルスケアという資格取得のため、勉強を始めました。この職場に限らず、仕事上でみんなストレスを抱えています。特に、女性の多い介護現場では、子育てなどの家庭とのバランスに悩んでいる方も多いのです。
 これからは自分の経験を生かし、仕事に疲れてしまった方や迷っている方などの話が聞けて、そういった方の気持ちを少しでも楽にあしてあげられる、そのような存在になることが、今の私の目標です。

取材日:2010.12



静岡県静岡市生まれ 静岡市在住


【 略 歴 】

     
1995 OLから介護職に転職
2000 介護福祉士資格取得
2003 まごころ介護サービス入社
2009 介護支援専門員(ケアマネージャー)資格取得

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