「土で表現する意味」に悩んだ学生時代
幼少期から絵が好きだったので、その方向に進むとは思っていました。画家になりたいと漠然と考えていたんです。高校は芸術系の学校でしたが、そこで恩師から「先のことも考えて大学を選んだほうがいい」というアドバイスを頂きました。それで、絵以外で、本能的に好きなものを取ろうと、陶芸を選んだんです。陶器やガラスの器を見るのがすごく好きだったから。それが一番の理由です。
大学は金沢美術工芸大学に進学しました。金沢は加賀藩が工芸の職人を大事にしたこともあり、今も輪島塗や九谷焼といった伝統工芸品が盛んな町です。住んでいる人たちも知り合いに職人さんがいるのが当たり前という土地柄で、工芸を学ぶ学生にも優しい、とてもいいところでした。
でもそこで、大きな壁にぶつかったんです。高校までは制作で悩むことはなかったんですが、陶芸を教わったのが、伝統的な器よりもオブジェを作る教授で「表現力を身につけろ」「コンセプトをしっかりして、主張する作品を作れ」という授業が多かった。私はそこで、土で何を表現していいのか、分からなくなったんです。「器が好き」という気持ちだけで飛び込んだ世界で、彫刻みたいなものを作らなければならなくなった。ものすごく悩みました…学校に行かない時期もあったくらい。自分の中に、そういう引き出しが何もないことに気付いて、在学中は悩みっぱなしでした。
でも「土で表現することの意味を考えろ」と言われて悩んだことが、今となっては自分の芯になっているんです。金属や木でも表現できるなら、他の形で表してもいいわけで、土ならではの表現を考えなさいというのは、器でも同じことが言えるんです。実際、作品のデザインを考える上で、土の特性を生かしたものを作ろうと心がけて作ります。あの時悩まなければ、もっと上っ面で陶芸を考えていたかもしれません。
食卓を豊かにする「器の力」
大学卒業後すぐに陶芸教室に就職しました。技術も未熟でしたから、勉強させてもらいながら、接客、幅広い世代の方とのコミュニケーションの取り方など、そのとき学んだことは独立後とても役立ったと思います。
独立は必ずしたかったんです。大学でオブジェをやって、やっぱり私にはしっくり来ないと分かったので、独立して好きな器を作りたい気持ちが強かったんですね。
食卓で器に盛られた料理を見て、器一つでこんなに違うんだ、という「器の力」を実感していたので、器で食卓が豊かになるなら、それを作ることで自分の存在意義を感じられるかもしれない、と感じていました。今の食卓って、和洋中華なんでもあるので、そういったところに違和感なく使ってもらえる器を作るなら楽しいかな、と。
私は自分の個性を表現することにあまり喜びを感じなくて、例えば皆さんの食卓で使われて、食事がおいしくなるのなら、そっちの方が魅力的だと思うんです。
今も自分の器らしさは探求中です。独立当初作ったものと、今とでは全然違うし、どんどん変化している。でも、食器ばかり作って中だるみしたり、自分の表現力が定まっちゃわないように考えて作り始めたのが「灯り」。飾りと道具の間のアイテムですが、自分が思うままに作るには、ちょうどいいんですよ。
土で表現する陶器の「地産地消」
今は伝統的な焼き物の形が変わりつつあって、日本全国どこの土でも取り寄せて、静岡にいても備前のような焼き物を作れる時代です。でも、住んでいる土地の土で陶器を作って使う「地産地消」は、昔は当たり前だったんです。静岡にも古墳時代、窯がいっぱいありました。だから私も、ここで窯を構えて作るからには、ここの土で作ってここに住む人に使ってもらいたいな、と。科学的には可能だし、研究している方もいらっしゃるんですが、土の特性を見極めて、土に適した温度を探って何度もテストを繰り返さなければなりません。静岡の土は今のような1200~1300℃の高温で焼くには適していないんですが、でも、ちょうどいい温度を探れば、十分焼物になるということは、昔の人も証明しているんですよね。
静岡の土の陶器ですか? たぶん予想外の物ができるでしょうね。土から自分で作るので、市販の粘土より不純物を除き切れない分、すごく表情豊かになる可能性がある。土の中っていろんな金属が混じっているので、銅が入っていれば緑色がかるかもしれないし、鉄分が多ければ真っ黒になるかもしれない。自然の力を借りると、私があれこれ頭の中でこねくり回さなくても、自然の作用をうまく利用した焼き物になるはずです。
そうやって探っていくと結局、大学で学んだ「なぜ土で作るか」に行き着くんです。これからもずっと、たぶん一生追い続けていく「問い」だと思っています。
取材日:2010.10