新しいものを作り出すって楽しくて
揚げたコルネパンの中にアイスクリームを入れた「コルネット」を作るきっかけとなったのは、食パンの耳です。
息子が学校へサンドイッチを持っていっていましたが、中学生で食べ盛り。1回に食パンを6枚使います。耳は切り取るので大量に残っちゃう。捨てないで冷凍庫に入れておいて、夕食前の小腹のすいた息子用に砂糖をまぶして揚げパンを作っていました。いつも砂糖で息子もあきたのでしょうね。自分なりに創意工夫してジャムやマーガリンをつけて食べていました。あるとき、カップアイスをつけて食べたら「うまい! 暖かいものと冷たいものがコラボレーションするとおいしいんだ」。本当においしい。これを商品化できないだろうか。そこからが、夢と希望でワクワクするようなことの始まりでした。
パンをどうやって作ればいいかを考え出すのは、楽しかったですね。友人にも相談していろいろ面白い意見がでましたが、やっぱりコルネパンだ、ということになりました。ではパンを作ってくれる所を探そうと、友人たちの協力を得て、タウンページを見ながら浜松市内のパン屋さんにかたっぱしから電話をしました。話だけなら聞いてもいいというところがあると、仕事が終わってからお願いに行きましたが、「作る」といってくれるパン屋さんがないのです。どうしようと困ったとき、友人が近所のパン屋に聞いてくれて、「そんな熱い思いがあるなら、やってみよう」といってもらいました。いまのコルネットの原形です。1年近くかけて、どんなパンにするかをパン屋さんとじっくり相談しました。
2年かけてアイス揚げパンが誕生
パンの試作品作りをしてもらっている間をむだにできないので、並行して販売方法も考えました。移動販売車なら人のところへ行って売ることができる、コストもかからない。これでやっていこう!中古車を安くゆずってもらいました。車内は、息子と一緒にあちこちから材料や中古の機械を買い集めてきて、壁張って、床張って、手作りしました。車だけじゃなく店もほしいなと思い、母が美容院をやっているスペースを半分もらい、コルネットの本店にしました。店と美容院を分ける壁は大工さんに作ってもらい、あとは息子とペンキを塗ったり、こちらも手作り。店と車の両方を、数百万という安いお金で手に入れることができました。商品化しようとしてから1年半近く、販売に至るまでには2年近く。あっという間でした。2007年、「コルネット」を起業しました。
準備万端ととのって、いざ出陣です。365日売りに行っていました。平日は私1人、休みとつく日はすべて息子を連れていきました。最初は移動販売を遠巻きにみていた人が多かったのですが、そのうち、買った人たちがケータイでパシャパシャやって、ブログに載せてくれました。「ブログ見てきた」と人がやってきて、早くも、1~2カ月で反響が出始めました。ブログでブレイクしましたね。ホームページを作ったらすごくアクセスがあり、新聞や雑誌・テレビからも取材依頼がくるようになりました。
本店では、71歳になる母がコルネットを売っています。他県からも海外からもお客様が来てくれるので、母はいままで味わったことのない世界にいて、生き生きしています。
海外進出、シングルマザー支援、やりたいことはいっぱい
現在、移動販売車は委託販売で17台、直営店舗は5店、委託店舗は6店。県内をはじめ県外へもドンドン広がっています。中国やタイからも、食べにきていただいたり問い合わせがあったりして、いろいろな展開をしています。今後は海外店を出せるよう、楽しくやっていきたいと思っています。
私、昔からじっとしていることができなくて、何かやりだすとワクワクしてしまいます。いろいろな人と出会って、たくさんの友人ができて、チャンスもたくさんいただいて、楽しいですよ。うち母子家庭でしょ。楽しくしていないと息子に嫌われそうだったのね。笑って楽しくやりました。いまでもそう。そのせいでしょうか、いまコルネットで一緒に働いています。仕事は本当にやりがいがあります。
商売もなんとか軌道にのり、やっと私も少しはお役にたてるようになったので、これから、シングルマザーを支援していきたいですね。離婚して、コルネットをやって学んだことは「絆」です。絆って、血ってあるのだなあって。息子が休みを返上して手伝ってくれ、親子けんかもしましたが、コルネットがあったからそこでつながってこられました。同じ夢と目標をみることができました。でも、世の中は理不尽で、母子家庭にやさしくないですね。みんな大変な思いをして子育てをしています。だから、コルネットの移動販売車や委託店舗といった仕事を通して、シングルマザーの人たちと一緒に、仲間としてともにやっていけたらいいなと思います。そして、シングルマザーの人が、私のように絆を感じてくれればいいなとも思います。
取材日:2010.10