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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

女性たちが望んだ、新しい料理教室の形。
ビジネスモデルを先導し、女性の生き方を示す。

志村なるみ(しむら・なるみ)

志村なるみ(しむら・なるみ)



株式会社ABC Holdings 取締役

法政大学ビジネススクール
イノベーション・マネジメント研究科 客員教授


- WEBサイト -

ABCクッキングスタジオ

「未来」のため退任のタイミングをはかっていた

 20歳のときに出会った仲間と起業し、ともに育ててきた「ABCクッキングスタジオ」。その代表取締役社長のポストを、2009年、自らの意志で退任しました。周囲には突然だと思われましたし、そのせいで驚かれたりもしましたが、私にとっては突然でもなんでもなく、以前から考えていたことです。その時期をずっとうかがっていた、といってもいいほど。それくらい、私にとっては自然な、そして必要な選択だったと思っています。
 私たちが年齢を重ねるごとに、会社も年を取っていきます。1985年の1号店オープンから27年。27歳といえばまだまだ成長していける年です。でも、そのためには、現状に甘んじることなく刷新しなければいけません。もし、次のビジネスチャンスを感じ、新規事業会社を設立することがあるとしたら、私はグループの中で新たなアクションを起こすことはしないと思います。理由は、「ABC Cooking」の文化のなかの1つにしかならないのではないか、と感じるからです。27年前に、私たちがベンチャー企業として「ABC」をスタートしたように、未来に向かって違う道すじを切り開いて行ったほうがいいのではないかと思えるのです。
 私はどちらかといえばいつも新しいものをつくっていきたい方です。クリエイティブな意欲の方が強いのでしょう。だからこそ、今ある会社はいつか私の手を離れて独り立ちしていくことを期待して――それがこのタイミングだったのです。

ビルの1室から始まった若い女性向け料理教室

「ABC クッキングスタジオ」のスタートは、静岡県藤枝市の、駅近くにあった小さな雑居ビルの1室でした。1985年のことです。
 そこで私たちは、キッチングッズを販売する仕事をしていました。でも、残念ながら全然売れなくて。私の友人たちが言うには「鍋を買おうにも料理を知らない。でも覚えたい」というんですね。じゃあ、キッチングッズの販促イベントとして、料理教室を開いてみようか、と。「料理教室をやろう」と意気込んでノウハウをどこかから学んできたのではなく、事務所の一角にコンロを置いて、料理イベントを開催したんです。メインはあくまでも鍋の販売でしたから。
 そうしたら予想外なことが起こりました。今度は料理イベントの方に口コミで人気が集まり始めて。女性の口コミパワーはすごくて、たった12坪の事務所に、人が集まりすぎて大変なことになりました。
 当時はバブル景気まっただなか。若いOLさんたちもお給料をたくさんもらっている時代でした。ところが藤枝には、遊ぶところが全然なかったんですね。20代の女性の楽しみといえば、休日に静岡市内まで出て、映画を見たりショッピングすること。カフェも携帯電話もない、女性が居酒屋に入る習慣もない。喫茶店でお茶してパスタを食べるのが、せいいっぱいの娯楽でした。
 ですから、私たちが始めた料理教室も「同じぐらいの年頃の女の子たちがワイワイ集まって、お料理する」、「花嫁修業」としてではなく、趣味として料理を楽しむということが、娯楽の1つとして受けたんだと思います。その頃は私も周りのスタッフも平均年齢22~24歳くらい。生徒さんも同世代でしたから、まるでサークル活動。口コミの増え方は今でいう「Facebook」みたいでした。

「趣味」としての料理教室が圧倒的支持を得る

 その頃、料理教室といえば「料理好きなマダムがレパートリーを増やすために通うところ」。大御所と呼ばれる先生が1人いらっしゃって「ズワイガニを使った○○」とか「タイをまるごとおろす」といったことを教えてもらうところ。敷居は高かったですね。でも普通の20代の、調味料の使い方すら知らないような女の子は、そういうことを知りたいわけじゃないんです。おいしい肉じゃがやカレー、煮込みハンバーグを作れるようになりたかった。そういうことを教えてくれる教室は、当時は静岡県内にほとんどなかったと思います。
 当初からスタッフに栄養士や調理師もいましたから、ちゃんとした知識はもっていました。私も最初は料理の授業に立ちましたが、私だけがカリキュラムやメニューを管轄しなくても、他のスタッフがしっかりやってくれたんです。
 生徒さんはみんな仕事が終わってから来るので「1時間で4品作れますよ」という手品みたいな、それでいて実用的な料理が喜ばれました。普通の料理教室で使わないものも、じゃんじゃん使いましたよ。むしろ、それをウリにしていました。レトルト食品をうまくベースに使って「アレンジしたらこんなにおいしくなりますよ」とか、市販のめんつゆを使ってパスタを作る、とか。「そんなものを使うのは邪道だ」「手抜きだ」なんて声もあったようですが、気にしない(笑)。だって、「こんなに簡単でこんなにおいしいの?」と感激してくださる方の声も、たくさんいただいていましたから。
 レパートリーも増え、料理教室としてのレベルはどんどん上がっていきました。その頃には、私たちはもうこの世代にこのニーズがあることを把握していましたから、全国展開を目標に見据えていました。1991年、静岡を飛び出して横浜に、1993年には東京に進出しました。そこでもやはり、同世代の女性たちが多く足を運んでくれました。みんな、こんな料理教室を待っていたんです。

拡大する会社を引っぱった優秀な女性スタッフ

 今の「ABC」を象徴する「ガラス張りのオープンスタイル」が注目を浴びたのは1999年、埼玉県大宮市(現さいたま市)の「大宮ロフト」に開店したときです。約100坪のスタジオに毎日150人前後の若い女性が押し寄せる――それが評判を呼び、全国から多くのデベロッパーさんが見学にいらっしゃいました。ここから大逆転が始まり、全国のショッピングセンターや駅ビルから出店オファーが相次いだのです。
 少人数制で、おしゃれな教室。魅力的なメニュー。それから講師と生徒の年齢が近かったことも、若い生徒さんたちに受け入れられた理由だったと思います。もともとの出発点も、私たち20代のスタッフでしたから、身近で先生との距離が近い方が、質問しやすいし話題も合うし、友達感覚で付き合える。賛否両論ありましたが、生徒との年齢差が1~2歳しか離れないように、講師を配属していました。
 急成長した会社をともに築いてくれる人材の採用にも力を入れました。若いだけ、やる気があるだけではない、ちゃんと「実績」をもっている女性を積極的に採用しましたね。例えば、大学時代にサークル活動でキーマンになっていた人、大きなイベントを手がけたことがある人。ファストフードのアルバイトで何年も働き、評価された人や自分でお店をもっていた人もいました。「今までは何もないけど今から頑張ります」という人は、いくらアピールされても採用しませんでした。こちらも真剣なんです、過去の実績をもって「この人なら」と安心して任せられる人にしか、会社を任せたくないですから。
 結果的にリーダーシップのある女性が集まる会社になりました。一度募集をかければ100人単位で応募がありましたし、彼女たちの多くは、マネジメントを学びたい、商品開発に携わりたい、といった高い志をもっていました。なぜそんな人材が集まってきたかというと、男性社会のなかでは、そういう仕事は女性には任せてもらえないのです。最近は女性の社会進出も進んで、少しは変わってきているかもしれませんが、当時、女性は部長職にはどんなに頑張ってもなれないし、自分が上司として新卒の男性を育てても、キャリアでなく「男女の差」で追い抜かれる。それが辛くて悔しくて会社を辞める優秀な女性がたくさんいたのです。
 私自身、高校卒業後にアパレルでアルバイトをしましたが、その頃から女性が能力を発揮して働ける場があまりにも少ないことに忸怩たる思いでいました。だからどうしても「優秀な女性が思う存分働ける場」にしたかったのです。

若い女性ばかりだから実現できたマーケティング

「ABC」のスタッフは9割が女性です。「女性ばかりの集団は大変じゃないですか」と、もう何百回も質問されましたが(笑)、全然大変じゃないですよ。最初から「うまくいく」と思っていました。逆に、若い女性の集団だったからよかったんです。みんな頭が柔軟で、一致団結して同じ方向に向かって頑張れたから。人も集まってきていたし、これは日本で他にはないマーケットだという手ごたえもあった。拡大の仕方を間違なければ大丈夫、「日本一の会社を実現できる」という確信がありました。
「ABC」はよく「マーケティングが上手ですね」と言われます。生徒さんもスタッフも20代の女性、企画のトップもマネージャーも全員女性ですから、自分たちがほしいものを開発し、手に入りやすい値段に設定する……ということをずっと繰り返していたんです。そこが他とは違うところでしょう。
 他の企業は、20代女性向けの商品開発にも、50代の男性幹部が最終決定権をもっていますよね。「ABC」は私が最終決定権を持っていて、同世代の女性の部長、マネージャー、プロジェクトチームが次々に開発してきます。それに可否をつけるのが私の役割ですが、私がダメ出しをしたものに対して、彼女たちはものすごい勢いで説得してくる。私も納得いくまで質問を続け、さらにいいアイデアへと昇華されてヒット商品になったものもあります。これまで出したなかで外れたメニューというのは記憶にないですね。
 例えば、4年前に発案した「1 dayレッスン」。当時23万人の会員がいましたが、それを100万人にしたいという発想からできたレッスンです。年に2回くらい、クリスマスケーキだけ、バレンタインだけ、という感じでレッスンを受けて下さる生徒さんを呼び込みたいな、と。安くて楽しくておいしい、お土産つきのものが、女性にはうれしいですよね。
 他にも、食品メーカーとのコラボレーションなど、女性が「面白そう!」と思うもの、他にはないものをうまくキャッチして送り出してきた、という自負はあります。

どう働きたいか。自分で取捨選択し、貫く意志

 女性が多いことでワーク・ライフ・バランスの必要性も強く感じていました。といっても、独自に制度を確立していたわけではなく、法律的な産休制度を整えただけ。あとは自由です。というのも、女性が結婚出産後も働き続けるには、家族の協力が不可欠ですよね。だから、みんな家族を説得しなければならない。どう働きたいか、彼女たちが自分で考え選択するのです。育休を取って赤ちゃんと一緒にいることを選択した人は、その間もキャリアを積む同僚に仕事で追い抜かれても仕方がない。何に重きを置くかは人それぞれですから、あえて拘束はせず、各自の生き方に任せました。
 私の場合は31歳で長男、33歳で長女を出産しましたが、産後1カ月足らずで仕事に復帰。子供は静岡の祖父母に預けました。会社がちょうど成長の過渡期で、長く休むわけにはいかなかったし、幸い、祖父母が全面的に協力してくれましたから。東京で仕事をして、毎週水曜日と日曜日に戻る生活を繰り返すなかで、もちろん非難されることもありましたが、私は気にしませんでした。自分で選択したんですから、貫けばいいだけの話です。
 参考にする、しないは自由ですから、私の働き方に賛成する人もいれば反対の人もいますよ。よく話していたのは「私は子供が10歳になるまで一緒にいられない母親だったけど、彼らの人生の相談に乗れるキャリアを積んでいる。このことは将来、子供にとってもプラスになるはずだし、たとえば娘や息子が留学したいと言ったら資金援助もできる。私はそういう母親になろうと思い、そういう道を選んだ」と。
 何かを捨てないと何かを得られない、一長一短ということです。それがどんな決断であっても、その時に何を捨てるかは、自分で選択しなければならない。子供を親に預けるのが嫌です、という本音の声もありましたし、出産結婚で自分のキャリアのスピードを落とすのが嫌だとはっきり言う人もいた。彼女たちが自ら考え選んでいく形でいいと、私は思っています。

「働き続けられる環境づくり」に向けた新たな一歩

 私は、父親が経営者だったこともあり、「ABC」創業当時から経営者の目線で事業に関わり続けてきました。時代も移り変わっていきますし、今後会社をどういう形で存続させていくかということがもっぱらの課題だと思いますね。「ABC」も私が抜けた後に組織開発が止まるのは怖いことですし、常に変化は求められていくものだと思いますので。
 次の大きな課題は、女性が年を重ねても働ける環境をつくることだと思っています。一般的に大手企業が抱える課題と同じですが、キャリアを積んだ経験豊富な30代や40代の女性幹部が、グループを卒業せずに働き続けられる場所が必要だと考えています。そのために、新規事業を小さく細かく立ち上げていくのも1つの方法だと思います。
 注目しているのは、日本文化の価値の1つに「サービスレベルの高さ」があるということです。世界中の人が、日本のきめ細やかな、高いレベルのサービスを受けたいと思っています。私が知る日本の30年間でも、それらを背景としてサービス業が増え続けて来ました。
 もう、身の回りに置く「モノ」は最小でいいのだと思います。私は、モノに溢れた生活をすることではなく、充実した時間を過ごすこと、素敵な思い出を作ること、健康で明るくストレスのない暮らしをすること――そんな欲求を満たせるサービスを提供する、もう1つの発展性のあるビジネスを誕生させることに向かいたいと考えています。

取材日:2011.11



静岡県藤枝市生まれ、東京都在住


【 略 歴 】

1984藤枝市でキッチングッズ販売の仕事をスタート
1985ABCクッキングスタジオ1号店オープン
1987株式会社ジェンヌ 設立
1990初の県外店、横浜・元町店オープン
1993東京都内に進出(渋谷)
1995長男出産。1997年に長女出産
1999「大宮ロフト」にガラス張りのスタジオをオープン
2003株式会社ABC Cooking Studio に社名変更
2007代表取締役社長 就任
2009代表取締役社長退任。ABC Holdings取締役に就任
2011全国115校、生徒数約27万人に
中国・上海に出店(初の海外進出)

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