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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

ユーカリの素晴らしさに魅せられ、全国各地を営業。
100年後の「文化遺産」をつくる。

倉田明紀(くらた・あき)

倉田明紀(くらた・あき)



株式会社くらた 景観事業部


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エコウッド景観協同組合

100年先への思いから生まれた「神の道」

 羽衣伝説で知られる三保の松原に、2009年、新しい観光名所ができたのをご存じでしょうか。「神の道」という、御穂神社と三保の松原を結ぶ全長500mの参道です。樹齢100年以上の老松並木の間をまっすぐ伸びる木の道は、ユーカリでできています。くらたのベテランの職人たちが、100年先に思いを馳せながらつくった道です。
 くらたはもともと、静岡の地場産業である家具メーカーとして、室内家具や仏壇などをつくってきました。しかし80年代なかば以降、家具だけでやっていけるかどうか、今後の方向性についてさまざまな模索をしていました。
 そんなとき父がたまたま訪れたオーストラリアで、100年以上経過した木造の鉄道橋や桟橋を見たんです。木については知り尽くしていると思っていただけに「雨風にさらされているのに、なんて丈夫なんだろう」と驚きました。その木材がユーカリだったんですね。1989年のことです。でも、どこで買えるのかも、どうやって加工するのかもわからない。当時は全く情報がありませんでした。
 当初は何年もかけて、ユーカリをビジネスとして確立していく予定でしたが、バブル崩壊後のあおりで経済状況が急激に悪化しました。同時に中国から安い家具が入って来るようになり、全国各地で家具店がバタバタと倒産し、業界全体が一気にガクッと来てしまった。それで、くらたも思った以上に早く方向転換を図らないといけない状況になったんです。
 ところが、オーストラリアから日本への新規供給は非常に難しいということ、700種類あるユーカリのうち、特に高品質なものの調達には専門的なノウハウが不可欠で、現地にユーカリに詳しいコーディネーターが必要ということなどがわかってきました。
 父は何度もオーストラリアへ足を運び、人脈を築き上げてコーディネーターを探し、何軒もの製材所をまわり、ようやく日本に輸出してもいいという製材所を見つけました。

家具メーカーからユーカリビジネスに新規参入

 本格的にユーカリビジネスをスタートしたのは94年。96年には「ユーカリ研究会」を立ち上げました。毎月1回、家具問屋さんや設計事務所の先生、建材会社や土木会社の社長さん、静岡県工業技術センター(現・静岡県工業技術研究所)で木の研究をされている方などに集まっていただき、ユーカリ活用の可能性や将来性などについて研究しました。
 その結果、ユーカリは屋外で使うのがいちばんいいだろうと。それで、販売ルートを探りはじめたのですが、これまでの家具ルートが全く使えない。建築土木と家具のマーケットは全く違うんですね。完全にゼロからのスタートで、営業担当は私1人。日本全国を飛び回り、ユーカリの可能性をアピールしました。
 まずは実績づくりということで、県庁や市役所などの仕事にかかわっている設計事務所さんを紹介していただき、ユーカリの素晴らしさ、オーストラリアでの実績をお話させていただいきました。そういうなかで最初からお仕事させていただいたのが、ツインメッセ静岡の「ボードウォーク」です。
 いちばん苦労したのは、ユーカリの経年変化でした。「わが社のユーカリは100年たってもほとんど腐りません」と申し上げても「そんなことはお宅の実績からではわからないじゃないか。オーストラリアと日本では気候が違う」と言われてしまったり、色が銀ネズミ色になることを嫌がるお客様がいらしたり……もちろん100年たっても大丈夫だろうとは思っていましたが、ずいぶん悔しい思いもしました。
 今では15年以上の実績がありますが、腐食したというクレームはこれまで1度もありません。色が銀ネズミ色になっていくことも、「京都の古寺と同じで変わっていくことがカッコいい」「自然である証拠」など、人々の認識が変わってきたおかげで売りやすくなりました。実績を積みながら技術向上に努めてきたわけですから、お客様あっての技術。なので当社では納めてから15年以上経ったものでも、すべてメンテナンスや改修を行っています。

製品をとおしてユーカリの素晴らしさを伝える

 ユーカリには700種類以上ありますが、くらたのユーカリには耐久性が高く、かつ燃えにくいという特長があります。その一方で、硬くて木目が複雑なことから加工が非常に難しい。ユーカリビジネスに参入した当初、1カ月ほどオーストラリアの職人さんを日本に呼び、技術指導をしていただきました。また当社には、もともと家具で培ってきた長年の技術の蓄積とノウハウがありました。
 くらたの敷地内にある展示場には、たくさんの試作品があります。なかには失敗作もあって、今だから言える技術の未熟さがわかったり……。この展示場は15年以上におよぶ私どもの試行錯誤の歴史そのものです。
 ユーカリを手掛けて間もない頃に開発した製品に「フロッピーチェア」があります。厚さ6㎜のユーカリ板は、座る人の体重に合わせてしなります。普通の木材は6㎜では折れてしまうんですが、ユーカリは粘るので折れないんですね。この椅子は97年に「静岡さいこうデザイン」を受賞しました。
 開発時、オーストラリアからの情報やデータで、ユーカリという素材の威力はわかっていたつもりでした。しかし「フロッピーチェア」のために静岡県工業技術センターで実際にデータをとって、6㎜の板1枚だと60kg、5枚なら200kgという結果を見て、他の木材とは一線を画するユーカリの特異性を実感しましたね。そういう気持ちは椅子をつくったデザイナーや職人も同じだったと思います。
 もう1つ、ユーカリ研究会で出た話がヒントになって生まれたプロモーション用の製品で、ユーカリの灰皿があります。木の灰皿ですと燃えてしまうようなイメージがありますよね。たいていの木が300℃前後で火がつきはじめるのに対し、ユーカリは1,000℃まで燃えない。難燃性が高いんです。天然木なので使い込むほど味も出てきます。
 「毎日亀の子タワシでこすって、どんどん使い込んでください」ってお配りしました。本当に何個つくったかわからないくらいたくさん……多分、数千個はつくったと思います。疑い深い人は「本当に燃えないのか」って、ガスレンジに置いて火をつけたんですよ!「本当に燃えなかったね」と後で言われて。もう笑い話です。

世界レベルの職人技をオープン化して活用する

 ユーカリは木材のなかでも決して安価ではないので、販売はなかなか大変です。一時はユーカリを諦めて別の安い木材でやっていこうかという話が出たこともありますが、結果としてやはりユーカリ一本で行こうと。というのも、ユーカリがちゃんと扱えれば、どんな木材の加工もできるんです。ユーカリはそのくらい扱いにくい。
 最近、オーストラリアのデザイナーが、うちの仕事を絶賛してくれて「オーストラリアに来ればいっぱい仕事があるよ」と言ってくれました(笑)。ある大手ゼネコンさんにも「いろいろ情報収集した結果、自分たちが求めている技術は最終的にくらた以外になかった」と。この10数年で世界レベルの技術に到達できたことは、本当に嬉しいです。同時に大きな責任も感じています。
 職人は修業中の新人も含め全部で7人。なかには当社で40年以上というベテランもいます。土を掘ったり、モルタルを塗ったり……家具職人だったころは、こんな土木工事のような作業をするとは思っていなかったでしょうね。ベテランの職人さんが文句ひとつ言わずにやってきてくれたおかげで、会社全体のチームワークも士気も上がったと思います。
 これまでの家具の仕事ですと、大量ロット生産で問屋に出荷するので、エンドユーザーの顔がなかなか見えないわけです。ユーカリの仕事では、良くも悪くもダイレクトに声が聞こえてきます。そのぶん緊張感もありますが喜びも大きい。
 去年から、湘南海岸のデッキの改修や新たな拡張部工事のお仕事をいただいたのですが、江ノ島あたりがテレビに映ると、つい身を乗り出して見てしまいます(笑)。職人たちも家族と遊びに行ったりしているようですね。
 地域の後継者育成という観点からも、当社が若手の職人を育てていくことは重要です。さきほども申し上げましたとおり、ユーカリが加工できればほとんどすべての木が加工できますから、自分たちの技術を抱え込むのではなくできるだけオープンにして、可能な限り多くの人に活用していただきたい。技術を共有することでユーカリの素晴らしさを知っていただくのと同時に、社会で幅広く役立てていただきたいと思っています。

取材日:2010.8



静岡県静岡市生まれ 静岡市在住


【 略 歴 】

1992 家業で静岡家具メーカーの株式会社くらたに入社
1994 オーストラリア産のユーカリの素晴らしさに魅せられた父とともに、新規ビジネスをスタート。営業担当として全国各地を飛び回る
1997 「エコウッド景観協同組合」を設立
2009 「神の道」(静岡市)完成。静岡の新たな観光スポットに

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