学校を地域に開き、生まれるつながり
本校は、地域や行政から依頼されたデザインやイベントを学生がお受けし、仕事の流れを体験する仕組みをとっています。学校という閉鎖的な場所で、相手が分からずただデザインしていても、それは学校の課題にしかならない。それがすごくもったいないなと感じたこと、そして、若者のアイデアが必要な時には少しお手伝いさせていただこうと。
仕事としてお受けする以上、オリエンテーションから始め、コンセプトや予算、納期をうかがって、提案する。プレゼンテーションをし、選ばれた学生は、例えばポスターだったら入稿まで責任を持ってやりきる。そういうことを15年以上続けています。
たくさんのお声かけをいただきますが、特に公共性の高いもの、社会に役立ちそうなものを選んでお受けし、教育に組み入れます。例えば、ゴミ減量の啓蒙活動の案件では、「そもそもゴミって何だ?」からスタートし、環境問題について考える機会をいただきました。認知症介護者支援の案件で、学生たちははじめて認知症とその家族について知りました。学校の中だけだと探せない課題が、ご依頼の中にあったりするのです。
街づくりへの参加も同じです。大道芸ワールドカップは、ポスター制作やポイントメイクが着地点になっていますが、そこに至るまでに学生は、大道芸とは?静岡市ってどんな市?というところから調べ始め、ボランティアに入って体験したりする。そこで、楽しそうな家族連れや街の賑わいや大勢のボランティアについて知る。それをポスターに表現したりするのです。毎日の通学路である伝馬町とのコラボレーションでは、地元小学生までを巻き込むようになりました。
最近は長い月日をかけた企業との商品開発にも取り組んでいます。企業に向き合い、様々な事情にまで深く入り込んでいくことは、学生といえども責任が重い出来事です。
学校の中のことだけど、実際は外に向けて開いている。開いておくと、いろんな方が来てくださるし、テーマもくださる。学生たちは学校の外とつながりを持つことで、色々な大人がいて色々な仕事があることも、外に出たときの自分の力も知ることができるんです。
ここ静岡で人材を育てるということ
私たちの今の思いは「静岡を元気にしたい」ということ。基本、県内出身の学生を県内業界人が教えることが使命の地方の学校としては、やはり地元静岡が元気であってほしい。静岡の今も元気にしたいし、学生の10年後は元気に業界で働いている30代になってほしい。アクションを起こしたり声を出したりできる人材に育てたいんです。
今の若者って、横並びで目立たないよう、出っ張らないよう生きやすい傾向にあると感じます。でも、自分のデザインを採用されたいなら、人よりもいいデザインして、いいプレゼンして伝えなくてはならない。特にこれからは日本の枠を越え世界を意識して静岡から発信していかなくちゃならない時代。生きていく力が必要なんです。そのためにも若いうちにたくさんの体験をして力をつけてほしい。ネットワークも作ってほしい。
そういう意味では、いい人材を地元で育て地元で活かす「人材の地産地消」は理想郷。それにはまず地元に何が求められているか知ることはすごく大事で、でも学校が学校の中だけを向いていると見えない。だから企業や行政や街の方たちと継続的に交流し、どんな人がいるか、どんなふうに動いてきたか、これからどんな人が必要かを知る。それを教育のシステムに落とすのが、私たち学校の役割です。デザイン活動にしても、表層的なデザインではなく、本質を知りデザインの力をつかってどう社会にお役に立てるのかを考えられる人に育ってほしいのです。
動いていて確信したこと、それはどんな大人たちも子供や若者には惜しみなく伝えてくれるということ。それは本能的なものなのかもしれないですが、教育現場には愛があります。そして、静岡の未来に向け私たち大人ができることはまだまだたくさんあります。
夢が「つながる・うまれる・ひろがる」場所
社会はまだまだ女性が働きにくいことに直面しながらも、学校作りに夢を見つけてきた日々。でも実は私、20代後半に本気でやめようと辞表を出したことがありました。頑張っても頑張っても成果が見えず燃え尽きそうになっていた時のこと。その時、法人の年配役員に呼ばれて、叱られると思ったら、1時間近くご自分の夢を語られたんです。最後に「こんなじいさんでさえ夢があるんだから、あの時じいさんのいうことをきいてやめなくてよかったと思う日が必ず来るよ」と。そのお気持ちが本当にうれしくて、人に支えられながら働いていること、そして夢をあきらめない勇気と覚悟にも気付かされました。
昔の本校を知っている方からは「ここまで変わると思わなかった」と言われます。確かに私たちはそう変わると信じて突っ走ってきましたが、走っていくと、どんどん仲間が増えてきたんです。「静岡デザイン専門学校」と名前を変え、学科も増えて、講師も150人を超えるほどに。その講師は現役で働く業界人ばかりですが、だんだんと「うちの学校」って呼んでくださる方が増えてきて、企業や行政、地域の方で日常行き来できる仲間も増えていった。卒業生や保護者の方々の協力も心強かったなぁ。学校って人と人が出会ったりつながったりしやすい場所だったのだと改めて感じています。しかも、人が人を育てる場所、大人と若者が夢に向き合う場所だから、今と未来もつながっている。そして、それらのつながりが自分たちだけでは実現できなかったことを可能にしていくんですね。人が集まると力や流れが生まれてくるんです。最近は大人同士が集う場所としての役割も感じています。特に、夢に向かう大人たちの場所として。
いつの間にか「シズデ」と呼ばれるようになった本校。「シズデに来るとなんだか元気になる」ってよく言われます。これからもシズデに関わるみんなが元気にハッピーに、つながり、うまれ、ひろがる、そんな場所でありたい。そして、一緒に走ってくれる仲間たちに感謝、あの日やめずに今日この日があることに感謝しながら、私自身も元気にみんなの夢をつないでいこうと思っています。
取材日:2011.1