年間150本以上のライブが「つながり」を生む
なぜ年間150本以上もライブをするかと言えば、「ライブ以上に幸せを与えてくれるものがない!」というくらいライブが好きだからです。私が演奏するとお客さんが笑顔になって、その笑顔を私が一身に受け止めて――というステージと客席の間のギブ&テイクは、ものすごくポジティブなエネルギーを生み出します。ライブの間じゅう繰り返されるそんなコミュニケーションが、たまらなく好きなんです。
ライブは、一期一会の場でもあります。その日どんなにいい演奏をしても、毎日がリセット。毎日、振り出しに戻ります。そんな「毎日がチャレンジ」というハードルの高さも好きですね。いつも「今日が最初で最後のライブ」という気持ちで演奏しています。特にジャズは、その場で旋律を紡いでいきます。同じことは2度と起こりませんから、その日その場所でしか起こりえない化学反応を、ステージ上で探究しているんです。
私は子供の頃から人前で演奏するってことがとても好きでした。もちろんプロになる前と今では責任感のレベルがまったく違いますけれど、家でも発表会でも、私がピアノを弾くと家族やおじいちゃん、おばあちゃんが喜ぶ。小中高と進むにつれて、友達に「こういう曲弾いて」って頼まれたり、学校の行事なんかで演奏することが多くなって、ピアノの周りに友達の笑顔が生まれる。ピアノはその頃から、私と周囲の人たちとをつなぐ存在でした。
10年の歳月をへてチック・コリアと再び共演
チック・コリアさんと初めて出会ったのは17歳のとき。ヤマハのスタジオでお会いして、「弾いてごらん」と言われるままに弾いたら、「明日一緒にやろう」ということになって、翌日のステージで一緒に演奏しました。とにかく、すごく楽しかった。終わってほしくない時間でしたね。
その10年後、2006年の東京JAZZで再会し一緒に演奏して、翌年にアルバム『デュエット』をリリースしました。
チックと最初に一緒に演奏させていただいた頃の私は、いわば運転免許をとる前の「仮免」の状態ですね。10年後の東京JAZZのときは「若葉マーク」。やっぱり年輪が違います。でも「若葉」には「若葉」にしかできないこともあって、とにかく必死でした。
とはいえ若葉マークがついたことは大きな進歩です。チックがピアノをとおして伝えてくるメッセージに対し、こちらから返せることが増えて、コミュニケーションすることがいっそう純粋に楽しくなりました。東京JAZZの後、ブルーノート、武道館と回を重ねるごとに、お互いに対する理解が深まって、コミュニケーションも豊かになっていったように思いました。
演奏は、その人の人生が音になって表れるものです。その人が音にかけた思いのすべてが出るんですね。例えば、ウクライナ出身でアメリカに亡命していたピアニストのホロヴィッツが、60年ぶりに帰国した祖国ロシアでの演奏。DVDにもなっていますが、演奏開始1分で号泣してしまうような映像です。抱えてきたものの特異性や大きさ、年輪の深さを感じます。
人は誰でも生きていればいろいろな経験や体験をします。音楽というのは自分の鏡ですから、そういったものがすべて反映されるんですね。音楽は人の生きざまを映す鏡です。当然、年齢を重ねるほど「引き出し」が多い。それは音楽に限ったことでなく、年配の方と話していても感じることですよね。若い人たちには見えないところにある「引き出し」を、自在に開ける術を知っている。「引き出し」の多さは、音楽でたとえれば表現の幅の広さや深みということです。
ライブで演奏することは私にとって、生きていくことの大きな一部分です。その一方で、毎日とにかく一生懸命生きつづけること、人間としていろんな経験をしていくこと、いろんな方と一緒に演奏すること、そういうことすべてが自分の音楽の「引き出し」になって音楽を豊かにしてくれるのだと思います。
世界を旅しているからこそ感じる浜松の魅力
今は東京とニューヨークに自宅があって、ツアー先に近いほうで生活しています。年間100日以上ツアーをしていますから、旅先にいることが多いですね。
浜松は帰れるゆとりがあったら、いつでも帰りたい場所。お正月は必ず帰りますし、ライブで帰ることもあります。地元でのライブは、他とはちょっと違う気持ちがあります。家族や親戚、お世話になった先生など、自分が今こうあることに対し、感謝を示さなきゃいけない人たちが来ますから。
帰って来ると、浜松駅のホームに降り立った瞬間、「落ち着くなあ~」と思いますね。まちの景色や香り、人の歩くスピードや雰囲気、それらすべてが自分のDNAに組み込まれていることを感じます。18年間すごしたまちですから、無条件にリラックスできます。
浜松は確かにのんびりしたまちなんですが、でも「ここぞ」っていうときの熱気はすごい。凧あげ合戦で有名な「浜松まつり」のときは、普段が想像できないくらいです。私も小さい頃は毎年行っていました。
2006年に、浜松をPRする「やらまいか大使」に就任させていただきました。地元の魅力というのは、世界を旅するほど深みを増していくものですね。浜松は私にとって永遠のホームタウンです。
80歳で現役、3世代の観客を前に演奏したい
ピアニストになるということは、自分にとって疑いようのない当たり前のことでした。いろんな経験したいと思って、高校卒業後は普通の大学にも行きましたが、ピアニストを諦めたとかそういうことではなかったんです。どんな夢であれ、本当にやりたいと思っている人はやるのだと思いますよ。自信がなくても自信をつけるよう、何らかの努力をしていくのだと思います。
でも、美術を志すなら本物の絵を見に行くとか、音楽なら生の演奏を聴きにいくとかという体験はすごく大切だと思いますね。自分が向かっていく理想形が見えるし、子供でもイメージしやすいですから。
私もかつてはバイエルをやりましたが、別にバイエルが楽しいわけではなかったです。バイエルさんには悪いけど(笑)。その後、いろんな曲を弾かせてもらえるようになって、だんだん楽しくなっていくわけです。でも、うまく弾けないときに自分の演奏だけ聴いていると、その曲を「いい曲」とは思えないじゃないですか。そんなとき、生で演奏している人を見たこと・聴いたことがあると、こんなふうにできるものだということが、子供なりにわかる。「自分が練習不足だからできないんだ、いつかあんなふうに弾けるようになるかもしれない」っていうことがわかるんですね。そうすると、今の自分とすごい人との点が直線で結ばれて、練習の先に実現するものがイメージできるわけです。
私も今でもライブに行くのが好きです。すごい演奏に心が奮い立つこともあります。それは点と点とが結ばれる瞬間ですね。「少しでもああいう境地に近づきたい」、そう思います。
「夢」という言葉はすごく漠然としているので、「夢」をまず「目標」にして、そこから逆算して自分が何をしなきゃいけないかということを考える。その「目標」を5年後、10年後に設定したら、そこから逆算して、今の自分が毎日何をしていかなきゃいけないかを実践していく。漠然とした夢は叶えられません。きちっと目標にして、ロックオンして、あとは自分で自分に与える課題を毎日こなしていくということですね。
私も目標はたくさんあります。そこに向かって時間を逆算して日々を過ごしています。1年後にかないそうな目標もあれば、10年後、20年後というものもあります。
いちばん遠い目標は、今から50年後。おじいちゃん・おばあちゃん世代になった私のファンの人たちが、孫と子供とを連れてライブに来てくださること。孫に「わしらの趣味はすごいんだぞ」って私を紹介して、3世代一緒に見に来てくれる、そんなライブがしたいです。
私もそういう年代まで健康でいたいし、ちゃんとライブができる身体でありたい。そのためには、食生活を含めきちんと健康でいるためのメンテナンスをしていかなきゃいけませんね。うちの家系は長生きなので100歳くらいまでいけると思うんです(笑)。80歳で「まだまだこれから」と思える、そんなピアニストになりたいというのが、私の最も長期的な目標です。
取材日:2010.09