「伝わる」筆文字はこうして誕生した
今から5年前、勤めていた広告代理店でチラシ用に字を書いてほしいって頼まれたんです。書道は小学校1年から習っていて師範をもってました。
どんな字を書いていいかわからなかったので、とりあえず楷書と行書と草書という書道の基本的なスタイルで書いて渡したら、「面白くない」とあっさりボツ!ショックでしたが理由を聞いてみたら、「うまいだけの文字ならパソコンでも書ける。もっとオリジナルで人に伝わる文字でないと広告には使えない」と言われてしまったんです。
その時は内心、「大安売り」なんて書道で習ってないと思いました。お手本があって、それをきれいに真似する「臨書」が当たり前の世界ですから、オリジナルの字なんて書いたことがない。
誰かに教わろうと思ったんですけれど、とりあえず自分で書いてみようかなと思って始めたのがブログです。「伝わる字」というのが1つのミッションだったので、ブログならいろんな人が見てくれるかなと。伝わればコメントも来るだろうし、実験というか自分の訓練というか、自分でできる手段としていちばん手っ取り早かったのがブログでした。
最初に手ごたえを感じたのは、「葡萄」という文字。今までにやったことのないスタイルで書こうと思って、冷蔵庫を見たらたまたま葡萄があったんですね。で、葡萄という字を書いて真ん中に葡萄を置いてみたんですよ、ポンと。それをブログに載せたら、たくさんコメントが来て、「面白い」と。そこからアイディアを文字にしてはブログで発表するようになりました。
ピンチからの決断。派遣社員から起業家へ
起業したのは2006年4月です。その3カ月前まで、起業するなんて思ってもいませんでした。ブログの手ごたえはそれなりに大きくなっていましたけれど、まさかそれで起業するとは……。
派遣社員時代は、時間だけはゆとりがあったので「SOHOしずおか」主催のセミナーに何度か参加して、いろいろな分野で起業された方のお話を聞いていました。世の中にはこういう人たちもいるんだなあと感心はしてましたが、私のような人間が起業するなんて、絶対に無理だと思ってました(笑)。
そのとき、ちょうど契約が切れることになり、次の仕事を探さなくてはならなくなっていたんです。派遣会社で私のコーディネーターだった方に以前から、「起業してみたら」とアドバイスをいただいていたんです。最初は「1人でなんてできません」って言っていたんですが、いざ契約が切れるタイミングに、「ほら、その時がきたよ」っておっしゃるんです(笑)。「行動しないと!今すぐ始めるべき」なんて言われてしまうと、「この人はここまで言うんだ」と思う半面、「じゃあやってみようか」と。
起業してこれまでと「いちばん違う」と感じるのは、「仕事に対する自分の楽しみの度合い」ですね。派遣だと、決められたことしかできないですから。人に指示されないで自分が思うことができるのはいいですね。
もちろん起業すればすべて自己責任ですから、プレッシャーはあります。それは非常に強い。趣味のブログなら好き勝手に書けますけれど、プロとしてやっていくとなれば、クライアントが望んでいることをくみとっていかなきゃいけない。1つ1つの仕事が真剣勝負ですからプレッシャーも感じます。
「字は1日にしてならず」はまだまだ続く
今年4月から武蔵野美術大学に通っています。起業して今年で4年。最初は、いろんな方から依頼を受けることが嬉しくて仕事をしてきたんですけど、お客様からのリクエストもだんだん変わってきました。今まではタイトルになる筆文字の部分だけ頼まれていたのが、一緒にビジュアル部分もとか、全体をデザインしてほしいなど、要望が多様化してきたんです。
筆文字だけを渡すと、どうしても全体のイメージと合わなくなっているようで、心苦しく思うこともありました。だから筆文字以外の部分も含め、トータルでデザインできなければと思ったんです。
実は昨年、「東京コンテンツマーケット」で賞をいただいたとき、審査員の方に見破られてしまったんです。「あまり美術やってないでしょ」って。「筆はいいけど作品にブレがある。見ればわかるよ」と。
自分の弱みをうすうす感じていたときに、そう言われたものだから、じゃあ最初からちゃんと学んでやろうと美大に入りました。
書道を長くやってきたという部分での自信はあります。好きかどうかと聞かれると、もう筆で字を書くことが日々の習慣になっているので、よくわからないのですが、唯一やめずに続けてきたということは、多分好きなんでしょうね。ダンスも英会話もせいぜい1年。短いのは半年でしたから(笑)。
字というのは奥が深くて、1日でできるものではありません。私の師匠にも、「今日はうまく書けたと自分で思ったらもう終わりだ」と言われてきました。作品をつくるのに、どんな努力も惜しまないという姿勢を貫いていきたいですし、いろんな人に喜んでいただくために、もっと幅広く豊かに自分の表現を追究していきたいと思っています。
取材日:2010.8