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相手を思う声遣いが人の心を癒やして活性化させる。
ヴォイス・セラピーは「潤滑油」。

上藤美紀代(うえふじ・みきよ)

上藤美紀代(うえふじ・みきよ)


ヴォイス・セラピー実践研究家
フリー・アナウンサー



「声のもつ力」に気づく

 中学1年生のときにアナウンサーを志しました。小学校低学年のころから、5歳下の妹に本を読むと、両親に「表現力がある」とほめられたり、まわりから「上手ね」と言われたりしていましたので、声を出して本を読むことは好きだったのでしょう。そのころ、NHKのアナウンサー後藤美代子さんにあこがれ、「あの方のようになりたい」という夢もありました。
 大学時代は、アナウンサーになるための個人レッスンを受けて、第1希望のNHKにチャレンジしました。面接で「声が高いね。NHKは高い声を嫌うんだよ」と言われ、ショックを受けましたが、副調整室で見ていてくださったのがあこがれの後藤さん。「民放なら大丈夫よ」と、背中を押してくださいました。
 何とかSBSに採用してもらえましたが、NHKでの経験がトラウマとなり、声に自信を失ったまま厳しい研修を受けることになりました。しかし、私の声が電波に乗るようになると、「あなたの声を聴いていると、気持ちが穏やかになる」という手紙が何通も。そこで、自分で自分の声を判断するのではなく、人が聴いてどう思ってくださるかが大切なのだとわかり、大きな励みになりました。念願がかなって、ラジオのワイド番組を担当させてもらい、月曜から金曜まで午後の3時間を喋り通しという生活が6年ほど続きました。ときには体調のすぐれない日もありましたが、声を出していると元気になれるのでした。また、インタビューという仕事からは、こちらの声の表情1つで、相手の反応が全く変わってしまうことも教わりました。「声のもつ力」に驚嘆する毎日でした。
 父が70歳のころ、多発性脳梗塞を患い、やがて、脳血管性の認知症へと進行してしまいました。どんどん症状が悪化していく父を見て、不安や遣り切れない思いに襲われた母は、ヒステリックに「あなた、しっかりして!」と叱咤激励をしました。父の名誉や尊厳を守ってあげたいという愛情の裏返しでもあったその声は、悲痛な響きそのものでした。そのような母の声を聞くと、父の体は筋肉が硬直して動かなくなってしまうのです。やがて現実を受け入れることが出来るようになった母は、元のやさしい妻に戻り、父との関係も元にかえりました。声の掛け方一つで人が変わっていく、あるいは変わってしまうという現実を、両親からも学ぶことが出来たのです。
 アナウンサーの仕事や父の介護体験を通して、声による癒やし、ヴォイス・セラピーの領域は絶対にある、という確信をもつに至った私は、この領域で生きていくために、静岡大学大学院に新設されたヒューマン・ケア学コースに飛び込みました。44歳のときです。修士論文は「声のもつ力」についてまとめましたが、老人ホームなどの施設に半年近く通い、利用者の話し相手になりながら、1人ひとりがどんどん元気に前向きになっていく様子を見守りました。声には人を癒やし・活性化する力があることを確信しました。

さまざまな出会いが貴重な宝となる

 2005年3月に大学院を修了し、ヴォイス・セラピー実践研究家として活動を始めました。看護学校で講義をしたことなどから、介護、医療、福祉、教育などの分野からも声をかけてもらえるようになりました。5年経って、ようやくヴォイス・セラピーが広まり始めたかなと、てごたえのようなものを感じるようになってきました。よき理解者・支持者に恵まれ、心強くうれしく思っています。
 浜松のホスピスでは、朗読と傾聴のボランティアもしています。患者さんや付添の方は初対面にもかかわらず、読み語りを聴きながらまどろみ、ひとときを安らかに過ごしてくださいます。患者さんの穏やかな呼吸を耳にしながら、心を込めて読む。それは、私にとって至福のときです。読み終わると、患者さんが自分の人生を語ってくださることがあります。ズシンと重い言葉を受けとめるのに精一杯の情けないボランティアですが、命に寄り添う厳しく厳かな時間を、大切にしています。また、身内の方が患者さんには今さら照れくさくて言えないという話、例えば、「どれほど愛しているか」とか「いかに大事に思っているか」を、私に聞かせるのです。私を介して伝えることで、お互いの思いが通い合い安堵する。声によるぬくもりのコミュニケーション。部屋はとてもいい空気に包まれます。まさに、ヴォイス・セラピーの時間です。そういう出会いが、私のかけがえのない蓄え・財産になっていきます。
 県立こども病院でも、夜間の朗読と話し相手のボランティアをしています。夜、ママやパパが帰ったあとの病棟は修羅場で、看護師さんは大忙しです。頻繁に鳴るナースコール、その時間に治療の必要な子もいて、さみしくて泣いている子たちの相手をすることが出来ません。そのよう子供たちを少しでも慰められたら、看護師さんや親御さんのサポートが出来たらと、本を読んだり話し相手をしています。声で癒やされて安心して眠りにつくということがいかに大切か、子供たちの寝顔が教えてくれます。声のぬくもりが、自身を含め多くの人を幸せにしてくれることを実感できるボランティア活動です。

この仕事は私の天命

 上藤流ヴォイス・セラピーは「声をしっかり出して元気になりましょう」「相手を思いやる声の出し方・遣い方を心掛けましょう」「相手(人)の声に耳を傾けましょう」の3つを柱とする、コミュニケーション・スキルです。
 今、パソコンやケータイが普及して声を遣わなくなりました。人間関係を築いていくうえでの大切なツールであるにもかかわらず、特に若い人は声を遣っていません。腹筋が弱く、大きな声を出す必要も経験もなく成長してきたのでしょう、発声器官が育っていません。義務教育からしっかり教えていかないと。声は授かりもの、財産です。「声を忘れた日本人」、もっと声を見直していかないといけません。
 ヴォイス・セラピーの提唱と普及は、私の天命・使命です。この役割を果たすために私は生まれてきたのでしょう。40歳すぎてわかりました。この道を1歩ずつ進みながら人生を全うしようと思い、NPO「ヒューマン・ケア支援機構」を2011年3月までに立ち上げる予定です。科学技術が発達し、「いのち」に人の手が加わるようになりました。どこまで人間は生命を操作出来るのかという時代に、医療従事者は、倫理的・法的知識が乏しいままに臨床で働く不安があります。また、コミュニケーション能力の低下も危惧されています。そこで、倫理的・法的知識を静岡大学人文学部の先生方が提供し、私はコミュニケーションのスキルアップをお手伝いします。一方、ボランティア活動を希望する人の養成の場、さらに、ボランティアを必要とする施設などの窓口としても社会貢献できれば、と考えています。ボランティア活動の循環を作る機関になることも目標の1つです。
 現時点では、柱は知識やスキルの提供とボランティア活動の2本ですが、いずれ膨らんでいくことを期待しています。ここを拠点に、ヴォイス・セラピー実践研究家というより、社会に信頼され、社会的な役割をきちんと果たせるような存在になりたいと思っています。

取材日:2010.12



静岡県沼津市生まれ 静岡市在住


【 略 歴 】

     
1981 SBS静岡放送入社
1997 SBS静岡放送退社
2003 静岡大学大学院人文社会科学研究科臨床人間科学専攻ヒューマン・ケア学コース入学
2005 同研究科修了
2005 ヴォイス・セラピー実践研究家として活動開始
2011 特定非営利活動法人「ヒューマン・ケア支援機構」設立予定

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