「女が紳士服を作るなんて」と言われた
紳士服の作り方を独学で覚えました。父親に「女の子も手に職が必要だ」と言われ、とりあえずと思って本屋に行ったら、ぶ厚い紳士服の本がありました。その本が私の師匠です。本の字を1字ずつ追いながら製図をしました。完璧に独学です。最初は、父親の服をほどいて元に戻す作業をしました。17~18歳の小娘が勝手に作っていることを、みんな信じませんでした。
当時、女の子は紳士服の見習いにはなれなかった。男の人は丁稚奉公から入るので師匠や兄弟子がいますが、私はいない。自分でコツコツ覚えました。紳士服を選んだのは、お金になると思ったから。それにあのころ、みんな洋裁や和裁や編み物を習っていましたので、誰もがやっていることはしたくなかったですね。
洋服屋のズボンを作らせてもらっていたとき、職人さんはみんな男の人だったので、コツを聞いて覚えました。若い女の子が聞くので教えてくれましたよ。女で得した部分も少しはあります。私が最初に心がけたことは、仮縫いで直しを出さないよう気を遣いました。女だし若いし大丈夫だろうか、とお客さんに心配かけさせたら、次に続かない。始めは「女が?」と思われていました。女の分際で、女のくせにとずい分言われてきました。今は「女じゃないね」と言われます。これは褒め言葉でしょうかね。
30歳で店を立ち上げました。ところが、45歳のとき交通事故に遭い左腕に障害を抱えることになりました。
洋服の静岡県技能士会で、足の悪い人がアビリンピックに出場していると聞いて、私も障害者手帳を持っているから出られると思い、そこから私の挑戦が始まりました。アビリンピック世界大会はオリンピックと同じで4年に1回。1度優勝すると次から同じ種目には出られません。また、連続では3回しか出られません。県予選で1位になった人だけが全国大会に行けます。そして、全国大会で1位になった人だけが世界大会に行けます。厳しいですよ。よし、1位を取るまでがんばろう!と誓いました。
2004年、初めて紳士服の部に出場して、全国大会で3位に入賞しました。2006年に全国大会で1位になり、翌年に念願の世界大会に出場しましたが、残念ながら3位。それから婦人服の部に挑戦し、今年、全国大会で1位に輝きました。全国大会は世界大会のない年に毎年あるので1位は3人。でも、世界大会に行けるのは2人だけ。選ばれるかどうかドキドキしていましたが、行けることになりました!
日本代表として、一生懸命がんばります。
わかることは何でも教えます
大会はオープンで、みんなが見ている前で作っていきますので、意識したら出来ません。紳士服は半分作って持っていき、会場で襟と袖を付けて6時間で仕上げます。婦人服は生地、型紙、裁断してこちらも6時間で仕上げます。大会に行く前に、時間を刻んで練習をしていかないと時間内には仕上がりません。終わると体重が2キロくらい減っていますね。でも、出場するたびに何か必ず賞を取ってきました。日本の紳士服の部出場者で、女性は私1人です。厳しいけど楽しい!
2004年の全国大会で宮城へ行ったとき、微差で3位。4位が山口の方でした。競技だからマネキンに出来上がった服を着せますが、私は、マネキンに合わせた服を作ります。山口の方は、人間に合わせた服を作られていたので、私の紙型を提供しました。紳士服の部は半分出来たものを持ってくるので、大会のボディーに合わなかったらそこで負けです。翌年の大会でその人は2位でした。すごく喜んでくれました。
世界大会に出場するスリランカの方が、勝手がわからなくて聞いて回っているのに、周りは教えない。それなら私が、と教えてあげました。私、同じ大会の出場者にわからないところを教えます。わかることはドンドン教えます。人に教えて自分が1位取れないなら、出ないほうがいい。自分が負けたら、それだけの力量しかなかったわけです。みんな同じスタートラインからヨーイドンすればいいのです。
負けず嫌いです。だから、金メダルを取るまでがんばります。体力や気力は年齢ではありません。困ったとき「何とかなる」ではなく「何とかする」です。負けず嫌いの性分が私を支えています。
若い障害者に技術を伝える
実は、ローンで家を建てて5年目に事故に遭いました。ここまで手が回復して賞を取れるようになった最大の理由は、お金です。左手が利かなくなったが仕事をしないと生活費がない、夫の給料は全部ローン、私が働かないと。まさに仕事がリハビリでした。手が動かなくても、製図や裁断はできるので、裁断は台の上に乗って足でおさえてしました。使えば動くようになります。絶対やらないといけないとなると、やれます。
今、富士身体障害者福祉会の役員をしています。障害者は外へ出ないし、仕事がありません。若い障害者の人に私の持つ技術を教えていきたいと思っています。ズボンや裾のリフォームがちょっと出来るだけでも、収入つながっていくのでは。だから、技術を身につけてほしい。だれにでも出来ることからやっていけばいいのです。でも、親が亡くなったなど必要に迫られてからでは遅いですよ。そういうことを、若い障害者の人に訴えて教えていきたいと思います。
取材日:2010.12