短歌と盆栽は似ています
長年、短歌と創作アート盆栽をやっております。アート盆栽は50年ぐらい、短歌は女学校のときに教えていただいたから、もっと前から。この二つ、一見全然違うものですが、どちらも日本の伝統的なもので、短歌には「五・七・五・七・七」という枠があり、盆栽は鉢という枠がある。私は似ていると感じるんです。
子育てがちょっと落ち着いてから、最初は東京に造花を習いに行きました。もともと花が好きでしたし、手仕事も好きでしたから。当時は造花全盛期で、結婚式ではみんな造花のブーケを持つのがブームでした。ブライダルのブーケを作るのに、それはもうすごく忙しくて。
アート盆栽は、葉や木の幹、花びらなど、すべてを、紙や布、テープなどを使って作ります。ありとあらゆる材料、アートフラワーやパンフラワーの材料も必要なら使いますね。微妙な色合いのものは自分でも染めます。ただ造花を作るだけじゃなく、盆栽の基本を知った上で作品に仕上げるんです。花びらは一つひとつ手で切るし、松葉も一つひとつ手作業で撚るのだけど、めんどうでしょう。こういう手仕事をする人は減っていますね。もっとパッとできるものが喜ばれるみたい。本当は自分の感覚で切って、染めて、挿すのが一番いいんですけれど。
静岡といえばお茶、だから茶の木はいくつも作っています。ライフワークみたいなものでしょうか。茶の花もいいですね。控え目だけれど、魅かれます。フラワーアレンジメントもアート盆栽も、基本的には同じ。きれいなものは、世界中、どんな形をしていても美しいんです。
激論に感じた、伝統を超える難しさ
昔から静岡には文化人がたくさんいらっしゃって、私も短歌の同人誌「亞」に、立ち上げから参加していました。私たちの短歌は、前衛的な短歌。伝統的なものの型をやぶっていきたいという思いから作られたものです。この会には小川国夫先生をはじめ、同じように県下の前衛的な歌を目指す方が集まっていて、とても鮮烈でエネルギッシュでした。楽しかったですね。
当時、衝撃を受けたのが、片山静枝さんという、静岡の女流歌人の第一人者の歌です。幻想的で超現実的で、日常を超えた歌。私が習ったのは、日常を日記のように淡々と歌うものでしたが、私はそれより、自分の気持ちをはっきり、もっと強烈に出す歌がとても魅力的でした。こういう歌を私は求めていたんだ、と。昭和36年ぐらいのことです。
短歌とアート盆栽が同じだと感じるのは、そういうところです。どちらも、リアルなものをちゃんと自分の心の中で写生し、消化した上で、リアルから抽象的に写す作業がいるのです。そして写したものは、リアルなもの以上に印象的でなければならない。例えば盆栽は、葉のギザギザを省略してもギザギザに見えるように作る。葉の色も、緑じゃなくても、赤や黒や銀色でもいい。短歌で言えば、抽象的にして、それで読む人にちゃんと普遍的に通じ、感動するか、ということです。それがなければ一人よがりですよね。
伝統的なものの型を破るのはとても難しいけれど、「亞」のメンバーは本当に熱心に、そういうことを議論し合いました。今はメンバーが高齢になったり、流派が分かれたり、いろんな事情でお休みしているけれど、復刊に向けて動き出しているんです。
すべてを表現せずに感動を伝える
盆栽で一番大切なのは余白。そして短歌は余韻。すべてを表現しきらないで、伝えられるところがいいですね。ガーデニングは、きれいな花も散ったら捨ててしまうことがあるけれど、盆栽は、散った姿も一生だから、実になるところ、未来を感じるものも挿していくんです。短歌も、歌を詠んだ後に感じる「余韻」がある、だから全部読んではいけないといわれています。全部、何もかもを言い過ぎると、逆に感動は半減するものです。でも現代は「言いなさい」と言われるでしょう。日本の伝統と少し違ってきているのかしら、と思います。でも私、外国のものも大好きなんですよ。
今85歳で、今まで辛いこともたくさんあったはずなんだけど、楽しいことしか覚えていないんです。戦争があったり、意地悪されたり、いろいろあったはずですが、こうして歌を詠んで、花を作ってるとなんだか楽しい。楽しくないと楽しい花ができないですから。
こんなに長く続けられたのは、夫や子供たちが理解してくれたから。ありがたいことです。こんなふうに「ありがたい人生だった」と思って一生を終わりたいんだけど、まだまだやりたいことがいっぱいあるんです。
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