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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

就業人口の減少に伴い、女性の労働力への期待が高まっている。平成22年の女性雇用者数は2,329万人、雇用者総数に占める女性の割合は42.6%と、いずれも過去最高となった(厚生労働省「平成22年版 働く女性の実情」)。本人が好むと好まざるとにかかわらず、社会は女性が働かざるをえない方向に進んでいる。それならば生きがいをもって働きたい。誰しもそう思うのではないだろうか。一方で、女性の社会進出により家族のあり方も変化している。「男性は仕事、女性は家事と育児」というモデルはもはや通用しないのだ。そんな状況を踏まえ、家族社会学やジェンダーを専門とする静岡県立大学教授の犬塚協太さんと静岡赤十字病院看護師長の下山美穂さんに、女性のキャリアとこれからの家族のあり方について語っていただいた。


犬塚協太(いぬづか・きょうた)


静岡県立大学国際関係学部国際関係学科教授、同大学男女共同参画推進センター副センター長。1991年東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。専門は家族社会学、ジェンダー社会学、歴史社会学。主要研究テーマは「近代家族の形成と変動」「グローバル化とジェンダー、家族の変容」など。市民活動にも深く関わっており、NPO法人男女共同参画フォーラムしずおか理事ほか、静岡県、磐田市、掛川市、焼津市、島田市、沼津市で男女共同参画審議会会長などを務める。

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下山美穂(しもやま・みほ)


日本赤十字社 静岡赤十字病院6-2病棟看護師長。富士宮市出身・静岡市在住。静岡赤十字看護専門学校卒業後、1991年に4年勤続した静岡赤十字病院を退職。渡米し、医療ボランティアなどに携わる。復職後、赤十字国際救援・開発協力要因基礎研修を経て、県内唯一の登録要員に。2004年イラン南東部地震、2010年ハイチ大地震の被災者救援事業に従事。一方で、2003年大学評価・学位授与機構 看護学授与(学士)、2006年静岡県立大学看護学研究科修士課程修了。2009年より現職。

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男性も女性も、新しい家族観をもてないでいる(犬塚)

――まずは、家族がどう変化してきたか、教えていただけますか。
犬塚: 日本の家族は、ここ40、50年の間に急激に変わってきています。大きな区切りは、1950年代中頃から20年間くらい。いわゆる高度経済成長期です。それ以前は「家」という考え方が主にありました。当時は農業中心の社会ですから、家の中の仕事も畑作業も、家族みんなでやる。働く場所も家の目の前にある。全員でがんばって働き、先祖代々の土地を守っていこうというのが家族のモデルでした。ところが、高度経済成長によって産業構造が根本的に変わりました。工業化、都市化が進んだことで、人々は家から遠く離れた場所に通勤し、勤務先から給料をもらって生活するようになります。そうなると、家の外と内で、家族のメンバーの役割が分かれてくるわけです。家と職場の行き来が難しくなりますから、外に出て働く人、家の中の仕事をする人と、分担せざるをえなくなった。そこで、日本では外へ行くのは男性、家に残るのは女性となりました。いわゆる「性別役割分業」です。その頃は日本型の雇用慣行があり、今と違って終身雇用や年功賃金が約束されました。男性1人ががんばって働けば、女性は無理に働かなくても豊かな生活を実現できたんです。このように、男性と女性がそれぞれに与えられた役割を果たす家族を「近代家族」と言います。

ところが、70年代中頃、近代家族は成り立たなくなります。右肩上がりの経済成長が止まったことで終身雇用も年功賃金も保証されなくなり、男性の雇用が不安定化したんです。そのため、80年代くらいからは女性も外に働きにいくようになりました。でも、それは「主婦パート」という形で、あくまで補助的な位置付け。家の中の仕事は、相変わらずすべて女性がやらなければならない。そんなアンバランスな状態におかれ、女性のフラストレーションや不満はどんどん溜まっていきます。結果として、高度経済成長期の理想的な結婚は実現しそうにないということで、その頃から未婚化、晩婚化が急激に進行しはじめました。さらに、今社会で大問題になっている少子化。もちろん、高齢化も。結局、90年代後半くらいからは、近代家族モデルは解体の方向に向かいます。具体的には、未婚化、晩婚化に加え、離婚の増加、DV(ドメスティックバイオレンス)のような事件も目立つようになりました。これまでの家族のあり方には限界がきているのに、なかなか新しい形へシフトできないんですね。家族のあり方そのものを根本的に見直すところまでいかない。男性だけでなく、女性も新しい家族観のようなものをもてないままでいるんです。古い価値観を引きずりながら、でもそれを実現できる社会ではなくなっている――。それが、今の社会全体を覆う状況だと思いますね。


「働かざる者食うべからず」という気持ちがあった(下山)

――下山さんは、看護師としての日々の仕事に加え、留学、大学院進学、海外での救援活動と、さまざまな経験を通じてキャリアを築いてこられました。結婚についてはどう考えていたんですか。
下山: 「結婚して奥さんになろう」なんていうことは、一度も考えたことがありません。私、「男の子だったら」といつも言われていたんですね。男兄弟がいなくて、父が男の子を期待していた中で産まれた女の子だったので。そのためか、勉強でも運動でも「男の子よりできない自分なんてありえない」と思っていたんです。学校を卒業後、働かない自分というのも想像できなかった。「働かざる者食うべからず」という気持ちがずっとあって。もちろん、働ける者は、ということです。35歳のときに結婚しましたが、仕事を辞める前提もまったくありませんでした。
犬塚: 子ども時代から、男性に期待される役割を、自らどんどんこなしてこられたんですね。でも、そうは言っても女性であられるので、親御さんとか周りの人から「あなたは女の子なんだから早く結婚しなさい」なんてプレッシャーはなかったんですか。
下山: ありました。「血統書付き」というようなお見合いをいくつもしてきました。でも、一応親の顔は立てるものの、1回目に相手の人から断ってもらえるっていうようなお見合いです。私は言いたいことをどんどん言うので。両親には、進学すら反対されましたね。最終的には看護学校に入りましたが、そこは学費が無料だったので、親が何と言っても私1人でも進学できるという状況でした。就職するときも、「1年で戻るから」と言っていました。好き勝手なことを続けるうち、親もそのうち「結婚しろ」と言わなくなりましたね。
犬塚: お見合いを重ねても、ご本人の中に結婚願望は出てこなかったということですね。
下山: はい。結婚しようと思ったのは、私が32歳のとき、母ががんになったことがきっかけです。私が看護をしていたのですが、初めて私の仕事を認めてくれて「結婚しなくてもよかったんじゃない」って言われて。そのとき、「あ、これは本音じゃないな」って思ったんです。本当は私に結婚してもらいたいんだなと。それで、家族をもとうと思いました。親を喜ばせるために結婚することにしたんです。それからはまた、お見合い、紹介の連続。時間はかかりましたが、共通の知人を通じて夫と知り合うことができました。
――結婚してからは、仕事と家庭のバランスをどうやって取ろうと考えましたか。
下山: 私の家はまさに、先ほどのお話にあった近代家族でした。母は家の中のことをきっちりとやっていた。父親が立てば何をしたいのかが分かるような母親で、私はそれを見て育ってきたんです。だから、私もそうしようと。それが主婦の務めかな、なんて思って初めはやっていました。そのうちに手を抜いてもいいことが分かって、便利なグッズなどを使うようになりましたが。仕事をしながら、家事も要領よくやっていたと思います。
――夫婦それぞれが仕事をしつつ、家事は下山さんがほとんどやっていたわけですね。そのことに疑問は感じませんでしたか。
下山: 私たちは、あまり一緒にいることがなかったんです。主人は出張が多かったし、私も当時は夜勤をバリバリやっていたので。私がご飯をつくる日は限られていたので、その日だけは完璧にしようと思ったんです。まるで仕事のように(笑)。新しい楽しみを見つけたような感覚でした。もちろん、すべて1人でやっていたわけではないですよ。結婚当時はちょうど、学士の資格を取るために勉強していたのですが、主人の両親がちょっとした用事を済ませてきてくれるようになったり。同居していたわけではないのですが。


「自分が生きている」と確認しながら生きていたい(下山)

下山: もし家族に何かがあれば、仕事を辞めることもあるかもしれません。とはいえ、今と同じ形でなくても一生働き続けたいとは思っています。何らかの形で社会の役に立ちたいし、自分の手で自分の食べる分くらいは稼ぎたいという気持ちがあるので。うちは、子どもができたら会計を一緒にしようと話していたんですが、できなかったのでいまだに財布が別なんです。合理的でない面もありますが、精神的にはお互いに楽な気持ちでいられます。私は、「自分が自分でいる」とか、「自分が生きている」とか、そういうことを確認しながら生きていたいって思うんです。だからたぶん、こういう仕事をしているんだろうし。いろんなところに行きたいし、いろんなものを読みたいし、いろんな人に会いたい。それは仕事を通してもすごくできていることなんだけれど、たぶん限りはないかなと思っています。
――キャリアを積むことに関してはどう考えていますか。
下山: 看護師さんってすごくたくさんいるじゃないですか、世の中に。私は、みんなすごい人たちだと思うんですよね。だけど、その人たち自身は「いい仕事をしてる」とか、「自分が役に立ってる」とはあまり思っていない。自分の仕事を誇りに思っている人が少ないように思うんです。大切なのは、自分が何のために看護をしているのか、看護の価値とは何なのかってことを、自分で納得できるかどうか。それができないと、つらい。生活のために働いている人もいるけれど、それだけの理由でできる仕事ではないですから。私自身も、今まで何度も見えなくなったことがありました。それで資格を取ってみたり、海外で働く看護師さんに会ってみたり、別の場所で働いてみたり。そういう積み重ねがキャリアになっているのかなって思います。とにかく、誇れる仕事をしているのに、それを自覚できない看護師さんたちがたくさんいるのはすごくもったいない。自覚できれば仕事が楽しくなるし、看護師不足で困ったりもしないのにって思います。
――生活のためだけではなく、主体的に、自分が楽しいと思える仕事をするためには、女性がキャリアを追求できる環境も必要ですよね。
犬塚: 仕事を通じてやりがいや生きがいを追求するというのは、専門的に言えば「自己実現欲求」があるということ。それが最も満たされるのは、やはり仕事、職業を通してである場合が多い。自己実現できる仕事に巡り合うこと。あるいは、自分の仕事を通して自己実現できるように努力すること。それは男女に関わらず、誰にとってもすごく貴重なことです。看護の仕事はいわゆるプロフェッショナル、専門職ですよね。専門職として社会的にも認知されている仕事をもつ女性はまだまだ少ないんです。下山さんがおっしゃるように、それぞれが自己実現について本気で考えて取り組んでいけば、看護師を取り巻く状況が変わるっていうのはその通りだと思います。

一方で、自己実現欲求を満たせる職業に巡り合うチャンスが、社会の女性一般に広く開かれているかというと、必ずしもそうではありません。一般的にいうと、女性は結婚したら家に入ったり、将来復職するにしても、子どもが産まれたら一旦は子育てに専念する人が多い。でも、一度キャリアが途切れると、なかなか戻れないんです。看護という仕事は資格が活きる仕事ですから、復職すれば前と同じように評価もしてもらえるし、やりがいをもって働けるけれど、一般的な女性の場合は非常に難しいのが現実ですね。その問題が、女性の仕事と、自身の生活や家庭との両立における、大きなテーマになっていると私は思っています。

女性の場合は、キャリアを追求して自己実現していくというイメージがしにくい面がまだあります。1つには、ロールモデルの数が絶対的に足りないこと。「あんな生き方もあるのか」「こんなこともできるのか」という、いろんなモデルの中から自分に合った生き方を探すことができない。道を切り開き、キャリアを実現したり継続してこられた方がまだ少ないんです。自分の人生のイメージを描けないままに、今までの役割モデル――ジェンダーと言いますが――に流される。結局、何か違うなって思いながら結婚したり、子どもができて仕事をみつけても、補助的な仕事が中心でフラストレーションを抱えている女性が多いと思うんです。一方、下山さんは仕事を通して自分のあるべき姿を追求しようという意思を若いときからしっかりと持ち、そこを中心にご自分の生活を組んでこられた気がするんです。そういう生き方をみなさんができればいいんですけれど。


自立する意識を一生を通してしっかり持って(犬塚)

下山: 私は、もともと看護師になりたかったわけじゃないんです。先ほど言ったように、家を一度は出てみたいという理由で看護学校を選んだので、就職してもすぐに辞めようと思っていました。その中で配属されたのが、誰しも働きたくないと思うような厳しい科だったんですね。毎日研修を受け、勉強して。いつしか周りから「すごいね」って言われるようになって。人手も足りないし、辞める理由もないからと、気づいたら4年。自分自身が分からなくなるっていうか、「ここにいるのは、みんなは私だと思っているかもしれないけど、本当は別の人間が私の役を演じている」というような気持ちがあって。どうにかしようと思って、海外に行くことにしたんです。日本にいるかぎり、看護の仕事は後についてきます。自分で食べなきゃいけないって思っているので、その手段として。でも、それをやったらまた絶対自分が見えなくなる。だったら外に行こうって思って。

アメリカでは、言葉が話せないことで散々な思いをしました。その中でやっと見つけた居場所が、病院でのボランティアだったんですよ。4年病院にいたから、言葉が理解できなくても、そこにいる人が何をしているのか、何をしたいのかが分かるわけです。そこでちょっとずつ役に立つ自分ができてくると、アメリカの看護師さんたちとも話ができるようになって。アメリカの看護師さんは、日本とはまったく違いました。自立してるっていうか。免許も更新制で、一生勉強を続けるのが当たり前。そして、すごく自分の仕事に誇りをもっている。私、自分の仕事を「業務」だと思っていて、そんなふうに考えたことないなって思って、戻ってきたんですよ。本気で仕事について考えたいと思って、この仕事と向き合えるようになるまで、まあ、10年かかりましたね。そんなに簡単ではなかったです。
犬塚: 下山さんには、一貫してぶれてないというか、変わっていないところがあると思うんですよ。たぶん子どもの頃からだと思うんだけど。それは、女性とか男性とか関係なく、人間は自分できちんと働いて食べて、生きていかなきゃいけないんだと。誰かに寄り掛かったり依存したりするよりも、まずは自分の2本の脚でしっかり立つ。経済的にも精神的にも、それは絶対必要なことなんだっていう気持ち。じゃあ、具体的に何をするのかっていえば、それは看護の仕事じゃなくてもよかったかもしれない。それは前提としてあるんだけど、その上でアメリカでの転機があり、「したいこと」「できること」っていう、自分の自己実現に通じる道が見えてきた。そのときに、下山さんのキャリアの方向性も見えたと思うんです。どんな女性にも言えることだと思いますが、女性はどうしても、最後はどこかに逃げ場所があると考えることがこれまで多かった。ただしそれは、女性だから自動的にそう考えるわけではない。今までのジェンダーっていうもののせいなんです。それが長い間、結婚だったんです。
下山: そうですね。
犬塚: ところが、その道はだんだん塞がれてきています。結婚以外にも、もっと可能性が広がってきたと見るべきかもしれないけれど。だけど、若い人も含めてまだまだその逃げ場所としての結婚意識がどこかにあって。それがあると、本気になって自分の道を追求したり、ましてや自己実現を図るということは、どんな仕事に就いてもできない。下山さんを通して多くの女性に伝えたいのは、自立する意識を一生を通してしっかり持ってもらいたいということ。基本的には、自分自身の力でしっかり生活する。それと、生きている実感が持てるような、自己実現の願望を満たしてくれるものをみつけてもらいたい。この2つが一致するのがいちばんいいことですが、一致しなくてもいい。両方があって、どちらも持ち続ける。そんな生き方を見出していただきたいと思います。


家族でも個人の人生がまずあると考えるべき(犬塚)

――下山さんは、結婚して変わったことはありますか。
下山: 私の職場の仲間の中には、もちろん結婚している人もいますが、していない人もたくさんいます。結婚って、私たちみたいな仕事をしていると、物理的にいいことはないんです。でも、私は結婚をすすめるよって言っていますね。私自身は、結婚を通してすごく人として成長させてもらっていると思うんです。相手を大事にすること、大事にするにはどうすればいいのかっていうことを家族から学んでいるかなって。それは結婚したから学べたことであって、独身でいたら気づかなかったし、学ぶ機会もなかった。相手に感謝される機会もなかったですよね。それは物理的には見えないところなんですけど、人として生きている以上は、たぶん、結婚したほうが絶対得だと思うんです。それに、私自身もすごく大事にされていると思いますし。

私にとって夫はパートナーです。2人で1つの道を歩いているという感じではないけれど、がんばっている自分をいちばんよく知っているのは夫。それまで、1人で過ごす楽しみは知っていたけれど、それに加えて2人で楽しむこともできるようになった。それも結婚してよかったことの1つですね。じつは、昨年夏に夫は失業したんです。勤めていた会社が倒産して。でも、別に私の生活はあまり変わらない。夕食を作るのは彼の仕事に今はなっているけれど。私は、夫が再就職するにしても、しないにしても、好きなことを自由にしてもらいたいとだけ思っています。
――下山さんは、物理的なことを言えば1人でも生きていけるけれど、2人で生きる道を選ばれた。それは、2人でいて、お互いに相手を思い、支え合いたいと思われたからなんですね。そして、自立しているからこそ、すごく自由でいらっしゃる気がします。
犬塚: それはすごく大事なことです。労働環境はどんどん不安定化しています。若い世代を中心に、非正規雇用でしか働けない男性も増えています。以前の家族モデルはもう、幻想にすぎなくなっている。あるいは、無理にそういう家族をつくっても、リスクを抱えることになる。いつリストラされるか、給料を減らされるか分からない。それが、今の男性を取り巻く状況です。はっきり見えてきたことは、やはり、「お父さんは仕事、お母さんは家事育児」という、みんながそれぞれの役割をこなしてはじめて1つのセットになるという家族には、限界があるということです。

それより今は、家族でも個人の人生がまずある、と考えてもらいたい。1人ひとりがどう生きるかを考え、その中で必要があったり、お互いに望むことがあれば、家族をつくっていくと。それはある意味「たまたま」です。それだって、必要がなくなれば解消すればいい。お互いに望んで家族をつくっても、家族ありきではなく、あくまで個人が単位であるべきです。といっても、家族がバラバラであるということではありません。イギリスの社会学者であるギデンズは、家族がなくても生きていける人たちが、あえて家族をつくるのだとしたら、そこにはピュア――純粋な関係性が生まれると言っています。つまり、いろんなものが削ぎ落されて、本当にこの人と一緒に生きていきたいのかどうかという問いが残る。それはどちらかの意思が変われば終ってしまう不安定なもので、シビアといえばシビアです。だけど、夫婦や家族の意味がよりピュアになるということは言えると思います。


弱い人間同士が支え合ってつくるものが家族(犬塚)

犬塚: もう1つ言えることは、人間はもともと弱いものであるということ。今の社会では、高度経済成長期の頃のように男はみんな強い、一人前に働いて自立できるなんてことは言えません。しかし、そもそも人間って、元気ではつらつとして、経済的にも精神的にも自立できる時期が一生の中でどれだけあるか。今、高齢化が進んでいますよね。人生の後半期になり、そういうことができなくなっていく人たちがどんどん増えている。あるいは、人生の中で自立できない時期が延びているとも言える。さらに言えば、産まれてから子どもである時期っていうのは、誰でも自立なんてできないです。人間は必ず弱い状態で産まれてくるんです、他の動物以上に。だから、必ず他の人間がケアをしないと生きていけない。人間とは、人生の初めと後半にケアが必要な時期があるもの。つまり、めいっぱい働いたり、自立できる時期なんていうのは、実は長い人生の一部分だということなんです。近代社会では、その一時期を基準に、そういう人間を標準モデルにして世の中の仕組みをつくったんだけれど、むしろ、逆なのではないか。つまり、もともと人間とは弱く、人のケアを受けないと生きていけないということがベースになるのではないか。家族をつくる意味もそこに見えてくる気がするんです。仕事はできる。自立もしている。でも同時に、いつどうなるかわからないっていう不安やリスクも抱える、弱い人間同士が支え合ってつくるものが家族なんだという認識をもつ必要があると思います。
――とくに男性側の認識を変えるには難しい一面もありそうですね。
犬塚: 私は男性だけど、男性では家族とか女性の生き方を専門的に研究している人間って珍しいんですよね。それもひとつの偏りです。男性の生き方に対する考えは、女性以上に古典的なところがあって。でもそれは仕方がない。男性は「家族を養うのは男」みたいなことを刷り込まれてきているから。しかし、男性がそう思いながらも、その責任が果たせない状況が生じている。一部の人は、それを自己責任だと言います。本人の努力が足りないと。でも、本当は全然違う。社会の構造が、男性ひとりが働いても家族を支えることができないようになってきているんです。そのことに男性自身が気づいて、肩の荷を下ろすこと。あるいは鎧を脱いで、ありのままの弱い部分もさらけ出すこと。これまでのモデルとは違う生き方を追求するほうが男性自身も楽だし、自己実現の可能性も広がる。別に男性だからって、みんなが仕事で自己実現したいと思うわけではないんですよ。家事が好きとか、子育てが生きがいという男性もたくさんいるはず。女性が今まで外に出ることをシャットアウトされていたように、逆に男性はその部分がシャットアウトされていた。女性と同じように、男性も本当はもっといろんな生き方をする可能性があるんです。たとえば、今まで入っていかなかった、家族あるいは地域社会という領域にも。私は、これからは女性の自己実現とか、女性が仕事や家庭を両立しながら自分らしく生きていくためにこそ、男性をそういうふうに巻き込んでいって、男性自身を変えていく。それがカギになってくるんじゃないかと思うんです。


主人が幸せだって言うならいいか、と(笑)(下山)

 
犬塚: 私のパートナーは保育士なんですが、お互いに相手のことに干渉したりはしないですね。ルールも一切ない。家事も、手の空いているほうがどんどんやる。そのほうが後で2人の時間ももてるし、家族のために今日はこれをやらなきゃいけないとなると、それは負担になるから。お互いに、基本的には1人ひとりの人生なのだから、それぞれが別々にやりたいことをやればいいと思っているんです。趣味も、合う部分もあれば合わない部分もある。合わない部分だと「こんなことやって何が楽しいのかな」って(笑)。けれど、楽しんでいる人間がそばにいてくれて、満足しているっていう雰囲気がそこにあるのはいいですね。それでこっちもうれしくなったりしますから。共通の関心事については、将来は連れ合いと一緒に教会で子どもたちの世話をするボランティアをしたりしたいですね。彼女は子どもが大好きで、今も仕事以外でも関わっているんです。僕も昔はやっていたけど、今は忙しくなってなかなかできないから、いずれまた夫婦一緒にね。あとは、お芝居ですね。2人とも、宝塚がいちばん好きなんですよ。一緒に観に行ったり、一緒に行けなくても、CSの宝塚専門チャンネルを暇さえあれば観て。その時間はお互いに満足して、話も尽きなくて。そういう共通の趣味があるっていうのはすごく助かっているかもしれない(笑)。
下山: そうですね(笑)。羨ましいですね。私は富士山が好きで、友達と毎年登っていたんです。主人はまったく興味がなかったんですけど、仲のいい友達が亡くなって。彼が代わりに登るよって言ってくれたんですけど、登れなかったんです。体育会系じゃなくて(笑)。それから、計画を練り、練習をし、やっと登れるようになりました。一緒にすることはそれくらいですね。彼は読書が趣味で、とにかく本が好きなんです。部屋も、本屋さんどころじゃない、図書館みたいな感じなんですよ。私も本は好きですが、同じ本を2度3度と読むタイプじゃない。彼は何度でも読む。
犬塚: それは私はね、よくわかります。うちにも、毎年1回は必ず読み返して何十年になるっていう本が山のようにあるし。それは嫌がられます(笑)。本ってどんどん増えるじゃないですか。早く捨ててくれとか、売ってくれとか言われるんだけど、そうはいかない。だからそこはね、個人的にはぜひ理解していただきたい(笑)。
下山: まあ、主人が幸せだって言うならいいか、と。百科事典みたいな感じですよね。何でも知っているから。人としてはすごく尊敬しています。
犬塚: 下山さんはパートナーの方に尊敬の念ももてるし、ご本人も満足だし、いいじゃないですか(笑)。


家族生活の弱さや脆さが目に見える形で現れた(犬塚)

――東日本大震災後、家族間のつながりがあらためて見直されている気がします。今後、家族のあり方はどう変化していくと思いますか。
犬塚: 個人的なことで言うと、ちょっとおもしろいことがありました。私は出身が神戸なんです。父親がいるので、毎年、年末年始に顔を見にいくんですね。新幹線で行くんですけど、去年は結構空いていたんです。ところが今年はえらく混んでいて。帰省客がすごく多いんですね。もちろん、統計を取ったわけではないのでそれだけでは何も分からないのですが、震災以降、今まで知らん顔して帰らなかった人が帰省しはじめたのかなと感じたりはしました。

私たちの日常生活とは、実は非常にもろい土台の上に立っていて、当たり前の毎日を平和に過ごしていると思っていても、一気にそれが崩れることがあります。家族を失う方もいるし、家族生活の基盤が一瞬で失われることもある。でも、それは特異なことではなくて、本当は誰にでも、明日にでも起こる可能性がある。地震大国の日本ではなおさらですよね。それはつまり、先ほど言ったように人間は本質的に弱い存在で、たまたま強い時期があるように見えるのと同じことなんです。本当はケアが必要なのだと。それを基準に考えたら、人々が最低限きちんと生きていけるようなケアを、個人でも家族でも国でも、誰かがやらなければ社会は成り立たないはずです。そういう意味では、その弱さが目に見える形で現れ、壊れてしまった部分をどうやってみんなで再生させていくのかという点に関心が集まったことは、私たちにとって貴重な経験だったと思います。

私自身のことを言えば、阪神淡路大震災のときに実家が半壊しましたし、母親は箪笥の下敷きになりかけ、父親に何とか引っ張り出されたような状況でした。母はすでに末期のがんだったのですが、そのときに病状が一気に悪化し、7ヵ月後に亡くなったんです。家は壊れ、親を失い、家族がまさに破綻したわけです。そういうことを経験してしみじみと思ったのは、家族のよさというよりはむしろ、脆さとか危うさといった、普段は表に出ないネガティブな面が一気に出てくるものだということ。ですから、私は家族というものを、どこか本質的には信用していない部分もあるんですよ。やっぱり、自分という人間は1人だと。でも、弱い人間同士が寄り添って生きることに意味を見出すなら家族をつくればいいと、そんな家族観が広がるきっかけに今回の震災がなるのであれば、すごくいいなと思います。私たちは「あらためて家族の大切さに気づきました」とか、「人と人の絆が大事だと思いました」などとあっさり口にしてしまいがちです。それはもちろん悪いことではないけれど、しかし、そのときに思う家族のあり方とか、絆について考えたときに、結局以前の近代家族モデルに戻っていくということだけでは、むしろあまり意味がない。今回の出来事は、変化のきっかけにはたぶんなるでしょうが、どちらの方向に変化するのかということを、注意深く見ていたほうがいいと思っています。


「キーパーソン」が家族でない場合もあります(下山)

下山: 私が看護師として感じていることは、家族でなくても、お互いに大事な人として存在し、支え合っている人たちがいるのが、すごく大切だしいいことだなということ。私の諸先輩方にもそういう人たちがいます。そういう人たちの絆ってすごいんですよ。誰かが病気になったっていえば集合したり。それは家族ではないかもしれないですけど、家族以上にサポートができていて、連携もある。そういうつながりが震災のときにも力を発揮するのかなって思います。私は最近、身近なお年寄りから何かを頼まれたら断らないでやろうと意識しているんです。ご近所でも、実家の近くでも、主人の実家の近くでも。身近に子どもがいないような人たちは、畑の世話でも何でも大変になるじゃないですか。人の役に立とうというか、自分もそういう人たちと関わって、普段からつながっていることが大事じゃないのかなって思いますね。私自身、子どももいないし、主人ともいつでも一緒にいられるわけじゃないですから。本当の家族というか、戸籍上の家族はこれ以上は増やせないのが現実なので。
犬塚: そうですね。おっしゃるとおりだと私も思います。とにかく私たちは家族という言葉にすごく弱くて、ある種の幻想というかロマンをもちすぎていて。でも私は、家族という言葉にも中身にもこだわる必要はないと思っているんですね。むしろ、こんな社会状況の中でこれから世の中がどうなっていくかを見据え、少なくても既存の家族のイメージ以上に強い他者、他人同士のつながりをもつこと。すでにいくつかできてきていますよね。そういうものが新しい絆だと私は思うんです。その中である種のものをこれからの家族と名づけてもいい。もちろん名づけなくてもいいけれど。一方で、他の誰でもない存在としてお互いを必要とする、承認欲求を満たすものとしてこれまでの家族が残るかもしれないし、そこから他の人間関係を巻き込み広がっていくこともあるかもしれない。とにかく、どんな家族的なるものをこれから作っていくのかということがいちばん大事なのかなって思うんです。
下山: 私たちは、患者さんに「キーパーソン」を聞くんです。いざというときの連絡先ですね。これはもう絶対に必要なんですよ。ところが、キーパーソンがいないっていう人がけっこういて。家族ではない場合もでてきています。でも、マニュアルとしてはそんなことは許されないんですよね。
犬塚: 看護学生さんあるいは現役の看護師さん自身は、今おっしゃったように、キーパーソンが家族じゃないような時代になってきていることをどう理解されているのか。私は看護学校でも20年くらい教えているんですけど、いつもすごく気になります。まず連絡は家族にするもの。しなきゃいけないっていう形ではちょっと困るなと思うんだけど、どうなんでしょう。
下山: 新人さんとか、経験がない人たちにはやっぱりそう指導します。でも私の立場からすると、何かあったときに本人の代わりになる人、本人が最後に会いたいと思う人でもあるので、個人的に「実はどなたに」って。
犬塚: それがまさに今の社会の家族の変化を現していると思うんですね。「主観的家族論」と言うのですが、今多くの家族に対する認識は主観的家族になっているんです。私にとって家族だと思うものが家族だという。極端なことを言えば、ペットが家族ですっていう人もいます。そういう状況になってきているんだということを、看護の現場にいる人にはぜひ知ってほしい。
下山: そうですね。
――そういう新しいつながりを容認するような、社会の仕組みや周囲の理解が必要だと。
犬塚: 日本の制度はまったく追いついていない。私は、そもそも戸籍というもの自体が、社会の変化やあるべき方向性に逆行するものだと考えます。でも一方で、それが多くの人の意識に根付いているのも確か。だから、すべてをいっぺんに切り替えるというわけではない。ただ、家族観が多様化していることを前提に考えなければいけないということだけは言えますね、間違いなく。

※対談の内容には個人の見解も含まれます。