さくや姫プロジェクト|トップページ

本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。


2012年1月21日(土)に静岡県男女共同参画センター「あざれあ」にて開催された「さくやな祭り」にて、
「さくや姫」と「さくやな人々」によるトークLIVEが2本立てで行われました。
テーマは Part1が「夢」、Part2が「まち」。
それぞれの分野で羽ばたく6人の「フロントランナー」たちとともに、
未来の静岡と、そこで生きる子どもたちのために、今できることを考えました。




トークLIVE Part2:テーマ「まち」

デザイン、コンサルティング、若者の力、子育て……。自分にしかできないカタチで地域のまちづくりに取り組む3人。
未来を見据え、どんな「ふじのくに」づくりを目指すのか。


土屋慶史(つちや・よしふみ)


真宗大谷派成真寺 住職、真宗大谷派解放運動推進本部 女性室スタッフ。三島市出身・在住。自身が住職を務める寺の境内や本堂を開放し、さまざまなイベントを開催。毎月実施している「自然派ママたちの座談会」「こどもひろばin成真寺」をはじめ、地球環境を考える庵として寺を開放する「アースデイ地球庵」、ヨガ教室、地元アーティストによるコンサート、講演会などを開催する。2011年に三島市議となった妻・利絵さんとともに、子育てを通じたまちづくりに取り組む。

詳しくはこちら

久保田香里(くぼた・かおり)


学校法人静岡理工科大学静岡デザイン専門学校 校長。静岡市出身・在住。1990年に同校に転勤後、学生、企業、地域をつなぐプロジェクトを多数展開。企業や地域からの依頼で学生がイベント企画やデザインをする「シズデプロダクション」、街や企業とのコラボレーション作品展や卒業生などの活動紹介をする「サテライトギャラリー デザインファーム」ほか、2010年には学生と地元企業で新商品開発に取り組む「メイド・イン・静岡・プロジェクト」を開始。

詳しくはこちら

市来広一郎(いちき・こういちろう)


特定非営利活動法人atamista 代表理事、株式会社machimori 代表取締役。熱海市出身・在住。ビジネスコンサルティング会社勤務を経て2007年、熱海にUターン。2009年より小規模の体験交流型イベントを短期集中開催する「熱海温泉玉手箱(オンたま)」を主催。その他、耕作放棄地の再生に取り組む「チーム里庭」や、若者世代流出の実態を調査する「若者白書」の発行準備、2011年からは遊休不動産を活用したエリア再生を目指す「家守(やもり)」プロジェクトも展開する。

詳しくはこちら

寺、学校、NPO――異なる分野で取り組むまちづくり

お寺で何ができる!?(土屋)

土屋: ある学者さんが、大学の教室でこんな質問をしたんですね。「みなさん、仏教は好きですか」って。すると、8割9割が好感をもっていると言うんです。ひょっとしたら、自分の人生の大きな支えになるかもしれない、と。今度は「お寺、好きですか」と聞くと、4割5割ですね。まあまだ伝統文化として価値があるかな、と思う人もいる。ところが、最後に「お坊さんは好きですか」って聞くと、全く手が上がらない。実際には6割近いお寺が他の職業と兼業しなければ経営ができない現状にも関わらず、お坊さんというと「ファーストクラスで海外旅行ばかり行っている」とか「高級外車に乗っている」とか。そんなイメージで見られているんですね。だんだん、「宗教なんかなくても生きていける。お寺なんてなくてもいい、お墓だってお寺に作らなければいいんだから」というふうになりつつある。
そんな中で僕は、これまでどおり、お寺は年中行事とお葬式と法事だけしていればいいという時代ではなくなってきているなと感じておりました。では、何をしたらいいか。それにはまず、うちの境内に来てもらう。境内に来てもらって、おいしい、うれしい、楽しいって経験をしてもらう。そこから始めようと思ったんです。妻と2人で頭を悩ませながら、アースデイというイベントをしたり、本堂でコンサートを開催したり、あるいはいろんな教室を開いたりしながらお寺を開きはじめて何とか10年、今に至るところでございます。

地域の人にかわいがってもらえる学校を(久保田)

久保田: 私が校長をしている静岡デザイン専門学校は、皆さんから「シズデ」と呼ばれていますが、よく周囲から「異端児」とも言われます。学生たちと毎日楽しく過ごしていますけれども、異端児は異端児らしく、いつも活気があり動きがあるいたずらっ子のような学校を目指したいなと感じております。私が長年ずっと考えてきたことは、「学校は地域の人にかわいがってもらえる存在でなければ」ということ。学生たちをかわいがっていただけるということはもちろん、「シズデに関わっていると楽しいな、元気になるな」と言われる学校になりたいなと。それで次々と、おもしがってもらえ、自分たちも楽しめることを仕掛けています。
自分のことを少しお話しますと、ここ「静岡県男女共同参画センターあざれあ」にぴったりな、男女雇用機会均等法が施行された年に就職しまして。静岡理工科大学という堅い学校法人に入らせていただいて、正直、女性が働き続けるって本当に大変なんだなということも感じながらここまできました。ずっと続けてこられたのは、学生と接することができる「学校」という場所だったからかなあと、今では感じています。

地元を知り、楽しみながらまちの魅力を伝える(市来)

市来: 昔、ショックなことがありまして。熱海に観光に来たお客さんが、「熱海にどこかいいところありますか」って地元の方に聞くんです。すると多くの方が「何にもないですよ」と答えてしまう。以前あったのは、観光客の方が3人の方に聞いたと。温泉で、タクシーで、旅館で。3人とも、そう答えたというんです。観光客の方は「熱海は初島もあるし起雲閣もあるし、すごいじゃないですか」と言ってくださったのですが、地元の人は「いやー、あんなところ行っても……」と言ってしまったと。地元の人が、地元を全然知らないんです。それが非常にショックでした。
地元の人が楽しんでいなければ、まちの魅力を伝えることなんてできないだろうということで始めたのが「オンたま」です。様々な体験プログラムを、住民自身がガイドするということを3年ぐらいやってきました。ただ、実は熱海では30代の若い世代の流出がすごい問題になっていて。それがなぜ、どのように起きているのか。それに対して何ができるのか。そこから、若者白書や家守事業を考えました。熱海には、空いている不動産が非常に多い。けれど、とても魅力ある街並みがあります。それが、結構知られていない。それを活かせないか。これからお店を始めたい、おもしろいことをやってみたい、楽しみながら生活したいと思っている30代に選ばれるようなエリアにできないか。そんなまちにしていきたいということからNPO法人を立ち上げ、活動しています。


あなたが描く理想のまちとは?

「片隅を照らすまち」(土屋)

土屋: 今から2年前の夏、大阪で3歳と1歳の姉弟が自宅マンションで餓死するという事件がありました。姉弟のお母さんは離婚し夜働いていたんですが、家出してしまった。毎晩、そのマンションからは泣き声が聞こえてきた。発見された後に検死してみると、先に姉が亡くなり、弟が後だったとわかった――。普通なら、体力のあるお姉ちゃんのほうが長く生きると思うんだけど、逆だった。つまり、そのお姉ちゃんは弟に食べ物を分け与えていたんです。マヨネーズなんかも、カラカラになるまでなめあっていた。私には子どもが3人いるからわかるんですが、子どもは自分が食べたいときは、絶対他の人にはあげません。でも、そのお姉ちゃんは切羽詰まっている中で、弟と食べ物を分け合った。この事件があったとき、僕は涙を流して、震えるくらい、腹がたちました。
この姉弟を殺したのは誰なのか。お母さんを家出させたのは誰なのか――「俺だ」。僕はそう思ったんです。というのも、全国の学校とお寺さん、多いのはどっちだと思いますか――実はお寺なんです。圧倒的に。もしお寺が、ママ友やパパ友と自分の子育ての苦しさや悩みをシェアしたり、育児そのものをお互い共有したり。あるいは、ご住職さんと一緒に、ご本尊の前で普段のあり方を懺悔したり。そういう時間が持てる場所だったら。地域や、苦しんでいるいろんな人たちにとって、死後だけではなく、今生きているその人にとっての人生に役立つお寺であったら。この母子の家の周囲500メートルには、お寺さんが3軒はあったはずです。お寺が何一つとして機能しなかったのは、これはやはり僕の責任だと思いました。
それと同時に、子どもや夫婦間、恋人間のドメスティックバイオレンス(DV)や、学校でのいじめ。「いじめ」って言葉はすごく牧歌的で、その深刻さをわからなくしていると思います。あれは、単なる虐待であり、暴力です。そういうことは、全国の、社会の片隅で行われる。見えないところで、陰鬱に行われるものです。僕は、そういった片隅にまでしっかりと光があたる、そういうまちづくりが必要じゃないかと思っています。

「若者が学び、育ち、つないでいくまち」(久保田)

久保田:先程お昼をいただきながら、お寺と学校って似ていると思いませんか、というお話をしましたけれども。
土屋:ええ。
久保田: 本校では、年齢的には高校を卒業した後の子たちをお預かりしているんですけれども、「可能性のある年代の人を預かっているな」と常々感じています。私は「若者」というと、子どもから30代くらいまでの方をイメージしているのですが、その若者たちが何をどんなふうに学んでいくのか、それをどうやってつなげていくのかってことを、いつもいつも考えています。
私は元々、静岡デザイン専門学校の前身の学校に、26歳のときに転勤しまして、ちょうどその転勤した4月に結婚したんです。そのときに、みんなから言われた言葉は、「もう結婚したし、先がないから左遷されたね」って。当時は、今の4分の1か、5分の1ぐらいのちっちゃな学校でしたが、最初の2週間ぐらいで打ちのめされたのは、学生や職員たちになんとなく自信がないことでした。飲みに行っても、「どこで働いてる?」と聞かれると「んー」と濁す。私、すごく変な気がして。自分の職場を言えない。これはどうにかしないとって、妙に奮いたたせられるものがありました。
それから、「なんで地元に学校が必要なのか」「必要な学校とはどんなものだろう」と突き詰めるために、300社くらいの企業さんを歩いて回りました。とにかく、どういう人材が必要なのかということを教えてほしくて。当時は20代で若かったものですから、「ねえちゃん、何しに来たんだね」なんて、いろんな町工場の社長さんに言われましたけれど。その中で見えてきたことは、学生が社会人になって世の中の人とつながっていく「入口」にあたるこの学校で、ちょっとした仕掛け――転んだり、泣いたりしながらも、いろいろ体験して成長していく仕掛けをつくることで、その後に、すごくつながっていくような未来図が見えたんです。ですから、私たちの学校では、基本的には教育現場を社会に開いて、社会の人が評価してくださる出来事を課題にすると決めています。
今、まちの中や地域の中で、何が課題なのか、どんなことが求められているのか。いつも探して、それを授業の中に組み込んで、取り組んでいく。その中で、つまずいたり、失敗して痛い目にあったりしながら、なにが大事なのか、どうしたら良いのかを体感していく。今、色々なプロジェクトを常に動かしていますが、すべてが、そこから何かを学びとり経験値を積み上げる場として運営しています。

「まちづくりをしなくても、まちづくりできているまち」(市来)

市来: 私たちのNPO法人atamistaですとか、machimoriは、そのうちなくなることが理想だと思っているんです。そもそも「まちづくり」とは堅いものではなくって、1人ひとりの生活に身近なことを、1人ひとりが変えていくってこと。自分の暮らしたいように暮らしていくために、自分の周りを変えていく。たぶん、それが結果的にまちづくりにつながっていくと思っていて、わざわざまちづくりなんかしなきゃいけないっていうのは、あまりいいまちじゃない。そういう意味では、まだまだ熱海にはまちづくりが必要だなと思いながらやっています。
私自身はサラリーマンをずっとやっていましたが、5年前に辞めて熱海に帰りました。元々、いずれは熱海に帰って熱海をなんとかしたいと思っていたんですね。私は今、33歳ですけれども、14、5年前、高校生から大学生ぐらいのとき、熱海のまちがどんどん暗くなっていったんです。旅館やホテルが倒産し、それによっていろんなお店も潰れて。夜逃げとか、誰誰が自殺したなんて噂話を聞いたり。私は熱海が非常に好きだったんで、なんとかできないかなあと、ずっと強く思っていました。私が好きなのは、「普段」の熱海なんです。まちがもっている雰囲気だったり、町内会のつながりだったり、お祭りがあったり。そのなかに、温泉があり、自然がある。なんとかしたいと思ったのは、もっと自分が好きなまちになればいいな。さらに言えば、自分が楽しみたいなと。その上で、熱海はまだ不十分だなと思ったんです。
先ほど、久保田先生が若者の体験ってことをおっしゃいましたけど、私自身も20歳くらいまでは、今こんなことしてるのが想像できないくらい引っ込み思案な人間で、体験量も少なかった。それが、旅をしたんですね。バックパックしょって、30ヵ国くらい行ってきたんです。20歳くらいでヨーロッパに行き、フランスやイタリアのいろんなまちに触れ、いろんな人たちと会話をした。そこで、すごく豊かな社会があるなって思いました。ゆとりがある。人生を楽しんでいる。それで、そういうことを熱海でできないだろうかって思ったんですね。体験がなければ、そんなことにさえ気づかなかった。体験も大事だし、その中で自分がどんな暮らしをしていきたいのかを描くことが、すごく大事だと思います。


未来の静岡を担う子どもたちが、地域と共に輝くために

「まちづくりのプロ」も必要(市来)

土屋: 僕はお寺を変えていこうと思ったとき、最初は何をしたらいいかわからなかったですね。うちの場合、境内に車を20台くらい置けるし、本堂には人が70人くらい入りますから、場所だけはあった。けれど、何もできない。そんな状態のときに頼りにしたのは、やはり、同じくまちをつくっていこうっていう人たちです。その中でも私が手掛かりにしたのは、仕事や生活の合間を縫って活動している人たち。アースデイももともとは、三島で開催していた人たちがいまして、その人達にやり方を教えてもらいました。ですから、私にとってまちづくりとは、どこかボランティア的で、仕事や日常生活、育児の合間にやることだというイメージが強いんです。でも、お2人の場合のようにまた違ったモデルがありますね。
市来: 私自身もまちづくりなんてしたことがない人間で、何もわからないまま熱海に戻り、ゼロからスタートしました。でも、会社を辞めるときに会社の人たちに宣言したんです。「NPOで2000万円プレーヤーになる」って。会社の仲間や上司には優秀な人が多かった。でも私は、その能力が社会とか今とは違う分野で活かされていないのがすごくもったいないと思っていたんです。だからこそ、僕がプロとしてまちづくりをすることによって、そういう方法もあるんだっていうことを示したい。そうすることで企業の優秀な人たちにどんどん、まちづくりとかNPOという業界に進出してほしい。そのためには、自分自身がきちんと成功しなければいけないなあと思ったんです。それで、まちづくりをしなくてもいいまちをつくるために、あえてまちづくりのプロという道を選んだわけです。
土屋:プロフェッショナルな、ビジネスとしてのまちづくりが必要だということですね。
市来: ボランティアによる地域活性化の取り組みにも、良い面はいろいろあると思います。ただ、限界があるとも感じます。たとえば、人口減少の問題。熱海では、30代の流出を止め、流入を促進するのが私たちの求めている成果です。これを実現するためには、活動を継続し、拡大していかなければなりません。それは、ビジネスで利益を上げることと似ています。ビジネスとは、最初は心ある経営者の方が社会貢献を目的に始めたことだと思うんです。トヨタとか、ホンダとか。あくまで成果を上げるために、企業としての発展が必要だったと。まちづくりにおいてもそうです。そのために、ビジネスという手法が必要なんじゃないかと思っています。
土屋:活動をする中で、20代30代の人との出会いはあるんですか。
市来:3年くらいは、一緒に活動する20代30代は非常に少なかったです。けれども、やっていくうちにだんだん仲間が増えてきました。今は、地元の若者だけじゃなくて、大学生がインターン生として半年間、あるいは1年間休学してうちで働いてくれています。

若者が「揺さぶられた」ときのパワーに驚き(久保田)

土屋:久保田先生は、教育者として関わっておられる20代30代の方を見て感じられることってありますか?
久保田: 東日本大震災が起きたときに、私もびっくりする状況が起きたんです。3月の震災後、4月の始業式で学生たちに会ったら、今までにない緊張した空気があって。これは何だろうと思って、始業式が終わった後、いろんな学生に聞いてみたんです。そうしたら、津波の映像などをたくさん見て、本当に心が揺れていて。「私たち、今ここでこんなに平和にしていていいのだろうか」「僕たちは何もできないんじゃないか」というようなことを本気で考えているんです。私はそこで、あ、若者たちは本当に、まだまだ力があるって思ったんです。こんなに大きく心が揺さぶられることがあるんだって。ですから、その揺さぶられている心が、形になったら強いなって思いました。そしてうれしいことに、しばらくしていくつかのプロジェクトが学生たちから立ち上がってきたんです。
1つはですね、私たちの学校がもっている「デザインファーム」というサテライトギャラリーで、卒業生を発起人に自分たちがデザインしたポストカードを集めて売るというチャリティー活動が生まれました。それが在校生と卒業生のネットワークであっという間に広がって、2週間くらいで大量のポストカードが集まりました。プロのイラストレーター講師陣もすぐ動いてくれて、学生たちの気持ちを盛り上げてくれました。2つめは、アップリケをつけた防災頭巾を被災地に送る活動。これも、防災頭巾を寄付していただく企業探しや、縫う人を集めるなどの動きが色々起こり、大学生や主婦などボランティアの輪が広がりました。
また、学校のすぐ近くにある伝馬町通りで、学生たちが「絆」をテーマに、子どもたちを巻き込んだ企画を立ち上げました。「絆てんま(伝馬)で届け」のキャッチコピーとともに何十種類もの大きな旗をデザインし、地元の小学生と校庭に並べて一緒に写真を撮ったんです。旗は伝馬町の街路灯に設置するもので、並べると7色の虹になるようデザインしたんですね。その写真を印刷したうちわを作って、そこに小学生と学生がメッセージを書いて、岩手県の大船渡小学校に送りました。夏には街の方々と一緒にチャリティーイベントを行い、似顔絵描きや手作り雑貨販売の売り上げ金も大船渡小学校に送金しました。伝馬町の小学校においても防災や命に関する教育の機会に使っていただき、未来につながる教育題材に発展したんです。彼らの揺さぶられた心が、本当に強い力になるんですね。私はまちづくりにおいて、プロの立場でやってくださっている方々の中に学生を巻き込むことで、損得関係ない、突き動かされるパワーがジョイントできるかなって思っています。もちろんそこには心揺さぶられ街の方と共有する何かがないと、が前提ですが。

子育て中のお母さん、お父さんは社会の埋もれた財産(土屋)

土屋: お2人とも、うまい形で若い世代に訴えかけておられる。聞いていて、本当に羨ましくなってきました。実は僕は、20代30代の若者に働きかけるということで、大失敗した人間です。以前、若い世代でこのお寺を楽しい場所にしようとしたんですね。「成真寺青壮年の実行委員会」というものを作ろうと。青年というと、だいたい14歳から29歳くらい、壮年というと40歳くらいまで。そのぐらいの世代で集まっていろんな企画をやっていこうと思ったんです。で、チラシを作って、撒いて。相当撒きました。檀家さんはもちろんのこと、あちこちに撒いて。それで、第1回目の会議です。20人分くらいの茶菓子の前に座ってね、何人くらい来るかな、と。何人来たと思います?――ゼロですよ。結局、誰1人来なかったんです。落ち込みましたね。1人でも来てくれたら、2人で始めようって思えるんだけど、誰も来ないとどうしようもないですよね。広いお寺の庫裡で頭抱えてどうしようかなと悩んでいると、妻が「よっちゃん、お茶にしなよ」って……。もう何やってもダメだと思いました。
だけど、全く予想外だったのが、妻が2人目の子どもの出産を契機に、お母さんたちの会を作っていいかって言い出したんです。僕は失敗した経験から、絶対にうまくいくものかって思いました。だけどまあ、手伝うよと。それで「ママたちの座談会」という会を月1回始めたんですね。まず来てくれたのは、うちの前に住んでいる「あいちゃん」というママ。お子さんが4人いるんですけど、「私、これから何でも手伝いますから一緒にやりましょう」と言ってくれた。で、妻と僕と、あいちゃんの3人がメンバーになった。活動を始めてわかったんですが、小さなお子さんを抱えるお母さんや、あるいは「イクメン」のパパさんっていうのは、社会の埋もれた財産なんですね。みんな社会経験もあって、いろんな魅力をもっている。けれど、子どもがいるばかりに全く能力が発揮されていない。だから、子どもと一緒に活動できる場を作ったことでお母さんたちが集まりだしたんです。そして、僕自身が進めるアースデイの活動でもつながりが生まれた。私と妻の両輪で、2つのグループで、ようやくお寺を運営していけるようになったんです。あの暑い夏の夜、茶菓子の前で1人身を小さくした、あの経験があるからこそ、今があるんですね。

地域で起きた反対運動がまちづくりの原点(久保田)

土屋:お2人は、本当にしんどいな、やめてしまおうって思ったことはありますか。
久保田: 挫折って言うと、ずーっと挫折……。この学校に転勤してからの10年くらいは、もう毎日打ちのめされて。学生たちをじーっと観察し、元気をもらい、「もう1回考えよう」って。それを繰り返していました。学科を新しくして少し先も見えてきた頃、とうとう新校舎が建つことになったんです。その当時は周辺に高い建物がなくて、すごい建設反対運動が起きたんですよ。あれ以降、あんなに派手に看板が出た反対運動、見たことがないぐらい。看板の作り方って皆さん、ご存知ですか? 最初、ちゃんとベニヤ板を真っ白く塗るんです、土台をね。その後、黒と、大事なことは赤で書く。大きく「太陽を返せ」とか。学校は電車の中から見て目立つ位置にあるんですね。で、線路伝いに看板がたくさん出まして。私が担当者になって、説明会や話し合いを20回近くやりました。ほんとにすごく心が痛くて痛くて、眠れない日々も過ごしましたが、今となってはいい勉強をさせていただいたと思っています。
私はあそこで最終決心したんです、学生たちが反対看板がずらっと並んでいるところを、下を向いて歩かなきゃいけない、こんなつらい思いはもう絶対させないと。地域や社会で「あ、シズデの子?」って、「にこっ」としてもらうことが必要なんだと。それがまちづくりへとだんだん発展して、三島や地元の伝馬町のお手伝いをさせていただいたりするようになったきっかけですね。原点は、あのすごく大きな白い下地に、黒と赤で書かれた看板なんです。今ではもちろん、当時の説明会に参加された方々も学校の応援団ですよ。
市来: 私は熱海に帰ってからの1、2年、仲間との関係で悩むことがありました。これから熱海でやっていこう、この道で生きていくと覚悟を決めて帰ってきたんですが、1、2ヵ月でつまずいて。私は、それまで自ら何かを言い出し、リーダーシップをとるっていう経験があまりなかったんです。その中でずっとやっていて、自分の思いは大事ですけど、知らず知らずのうちにそれが「自分勝手」になってしまっていたんですね。それで、振り返ったら付いてくる人間がほとんどいなかったという。あるプロジェクトをやっていたとき、最初8人くらいいたメンバーが最後に3人に減ったことは、とてもショックでした。ただ、「あそこがダメだった」と後から言ってもらえたのは、すごくありがたかった。他の人の意見を、それまでの自分は聞こうとしていなかったと気づかされました。

理想のまちを実現するために必要なこととは?

「理想は高く、一歩目は低く」/「一人一人の思いと行動」(市来)

市来: チームがうまくいかなくなってどうしようもない、となったとき、私自身が立ち戻ったのは「理想は高く、一歩目は低く」ということです。私の理想は、100年後も豊かな暮らしができるまちをつくること。でも、原点に立ち戻り、今自分ができることは何だろうというところから出発すると。何もできなかった私が最初にしたのは、思いをもって行動している人のところに話を聞きにいき、取材をして、ウェブで発信することでした。それだけのことですが、でも、そこから始まっています。そこから、今につながっている。低いところから一歩ずつ進むことで、どんどん、どんどん広がっていくって、私自身体感しています。
「オンたま」では、これまで熱海観光の担い手であった人とは違う人たち――たとえば、農家さんや漁師さんといった人たちが、地域の魅力を発見し、発信しています。これまで、トータルで160くらいの企画が生まれ、参加した方は4,000名ほどになります。いちばんの成果は、それが一過性のイベントでなく、日常化したということ。まち歩きの企画に参加した人が、自分の友達が熱海に来たときにガイドをする。ガイドをした人が「オンたま」期間中だけでなく、年間を通じて何十回と企画をする。あるいは、今まで連携が生まれなかったところ――たとえば、旅館と地元の干物屋さんがつながって、その店の干物を食べ、旅館に泊まるという商品が生まれたり。いろんな人たちが交わる機会をつくることで、いろんな連携、いろんな商品が生まれています。熱海に別荘をもっているけれど、今まで年に数回しか来なかったという人に、「毎週来るようなった」と言っていただいた例もあります。それは、「オンたま」などを通じて農業体験の機会を得て、自らも熱海に畑をもったからです。そうやって地域と深く関わる人が増え、コミュニティにも変化が起きていますね。
さらに言えば、熱海では、今まで古い体制の中で力を発揮する場がなかった若者や女性たちが、まちの前面に立って活動しています。そういう人たちにこそ、次の時代の熱海をつくっていく力がある。私は、まちをつくっていくために必要なのは「1人ひとりの想いと行動」だと思っています。「こうしたい」という想いを、実は1人ひとりがもっている。1人ひとりがどんな想いをもって、どんな暮らしをしていきたいか、そこにしか答えはないんじゃないかなと。僕らに求められるのは、それをいかに引き出せるかということなんです。同年代や私より若い世代の人たちには、自分が違和感をもっていたり、思っていることがあるのであれば、まずは何でもいいから動き出してと言いたいですね。すると、全然違う世界が見えてくるぞと。自分が身をもって体感したので、そういったことは伝えていきたいなと思っています。

「がんばらない」/「権力を使え」(土屋)

土屋: まず大事なこと。あんまりがんばらない。1人でがんばってしまう人たちって1人で潰れてしまうことが多いんです。「うまい人」ってのは、本人はそれほど動かない。周りの人が盛り上げていってくれる部分があるんですね。僕もそうです。僕自身は、1人で全部やろうとしたら潰れてしまいます。今は、「親子を集めてくれたら、こんなことをします」とか、「ヨガを教えます」とか、「コンサートをしたい」という人たちがいて、僕はその横にいればいいというだけなんです。あまり本人ががんばらずにいろんな方たちとうまく付き合う。そして、先ほど市来さんの話にあったように、ちゃんとその人たちの話を聞きながらやっていく。これが1つの成功のコツではないかと思います。
そしてもう1つが「権力を使え」です。私たちにとっての権力というのは、行政です。税金を払えと言われたら、払わなきゃいけないでしょう。誰も断ることはできません。では、行政に対しての権力というと、これは議員です。市では市会議員、県では県会議員、国では国会議員がその権力です。それでは、議員に対する権力とは? それは、実は市民なんですね。市民の上に行政があり、行政の上に議員がいて、議会があって、その上に市民がいる。この「3すくみ」の関係があって初めて民主主義とはうまく動くんです。ところが、私たちはあまりにも権力を使わない。「政治家は何もしてくれない」なんて話を聞きますが、実際に議員に声を上げたことのある人がどれくらいいるでしょうか。だから、行政を、議員を動かして、自分たちのまちを活性化させていくことが大事ではないかと思います。
たとえば、三島市では「後援申請」というものがあります。申請すれば「三島市後援」となり、市の公の機関にチラシを撒くことができるんです。幼稚園から小中高まで全部です。チラシも、ボランティア登録をすれば、無料で印刷させてもらえます。これは三島市のシステムで、サービスは自治体によって違います。しかし、大事なのは、市民が行政サービスを活かす知恵をもって自らの権利を行使すること。市民も行政も、政治も企業も教育も連携しまちを盛り上げていけたらいいなと、そんなふうに思います。

「若者に色々な大人の背中を見せる」(久保田)

久保田: 教育の基本は、若者にいろんな大人の背中を見せることだと思います。しかも、元気な背中を。今、景気が悪くて大人が元気ないですよね。若者に元気を出せって言う前に、自分たちが元気を出すってこと。それがすごく大事かなって。私たちの学校は今、非常勤講師を含め150人くらいのスタッフを抱えています。あらゆるジャンルのデザイナーたちです。1人ずつ、年々決めて増やしていったわけですが、1つの採用基準が学生たちに元気を与えられるかということなんです。
また、当然、1人ひとりはジャンルもパワーも限られています。土屋さんからもありましたけれども、人の力を借りる。人の力を借りて助けてもらいながらいくと、どんどん大きな力になっていく。若者は、全部自分でやろうとするんですよね。それを、大人たちが、自分たちでさえ人の力を借りてコトを実現しているんだからってところを見せて気付かせたいんです。それから、先程ご紹介したデザインファームは、学生の作品発表の場ですが、本当は卒業生たちや講師の作品を見てもらう場でもあるんです。作品を見れば、普通のおじさんだと思っていた講師陣のことも「やっぱりすごい人だった」となる。提示の場ですね。とにかく「大人たちを見てよ」というつもりで、いつもいろんな方々に学校にお越しいただいています。
私自身は、いつも校長らしからぬ「バカ」なことをやるんです。それも学生たちに見せていて。シズデでは、球技大会とかボーリング大会で仮装する文化があるんですが、私はそれもおもしろがっています。とにかく絶対校長はおもしろがってくれると学生たちに伝わっていたほうが動くとき安心かなと思いまして。あるとき、ハロウィンをやりたいと学生たちが言ってきたので、じゃあ、企画書を書いてきて、と。基本的に企画書がないとOKを出さないんです。で、どんなことが起きたかっていうと、授業中、妙な格好した学生たちが普通に授業を受けている。私たち職員もこっそり「ドンキホーテ」に行って、いろいろ仕込んで。朝礼のときから魔女みたいな格好をして、知らんぷりしながら普通に仕事するっていう1日になったんです。参加する人としない人がいるんですが、それはどちらでもいいんです。参加しない人は、参加している人が楽しんでいるのを見ています。大事なのは、彼らがその後どう動いていくかってことだと思うんですね。
今、その仮装から発展して、昭和の家族の設定でパフォーマンスをやるアート集団ができたんです。「ノーマジーマモーテンテン」という女の子4人組なんですが、父、母、長女、次女、の設定でかなりゆるい雰囲気を醸し出していて、思わず笑ってしまう。そうしましたら、いつの間にかポスターのビジュアルで採用していただいたり、各地のいろんなイベントで引っ張りだこになってきまして。今では日に日にファンが増えている状況なんです。こんな風に、若者って何かのきっかけによって、動くとおもしろいと知れば動くんです。でも、時代感も含め、たぶんその一歩が出にくいから、最初はちょっと背中を押してあげる。それが、まちづくりの仕掛けに乗っかっていける人、地域のリーダーを育てていく。「動いたほうが、なんだかおもしろい」って感じる人が集まってつながって未来を動かしていくのかなと思っています。

「あんな人になりたい」と思ってもらえる大人に(土屋)

土屋: それぞれの方のお話は、非常に共通する部分がありますね。私のお坊さんの友達で、中学生くらいの娘さんをもつ人がいるのですが、その娘さんと友達が、将来何になるのかって話をしていたそうなんです。友達の女の子はこう言ったそうです――どうせ世界は滅びるじゃないって。中学生くらいの子に、どうせ世界は滅びるから未来を描いたってしょうがないよって言わせてしまう社会って、やっぱり病んでいますよね。中学生、小学生の子でも、将来あれになりたい、これになりたいって考えられる世の中が当たり前だと思うんです。「あんな人になりたい」って言ってもらえる大人に、私たち1人ひとりがなっていく必要があるし、「こんな世界、こんなまちで生きたい」って思えるまちをつくっていく必要があるんじゃないかと。それには市来さんの「理想は高く」ということ、久保田先生の「大人の姿を見せる」ということ、この両方がとても大切なことじゃないかと思います。そういうまちづくりを目指していけたらなと思いますね。

※対談の内容には個人の見解が含まれます。

< TOPページへ
>トークLIVE Part1「夢」へ