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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

英語を通じた人材育成や子育て支援の活動が
女性や子どもたちが社会で活躍する原動力に。

鈴木克義(すずき・かつよし)

鈴木克義(すずき・かつよし)


常葉学園短期大学保育科 教授


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常葉学園短期大学

幼少時からの教育で培う「英語脳」の必要性

 英語は、男女に関わらず社会に出て活躍するための必須のツールとなりつつあります。大阪府立大の鹿野繁樹講師が2001年に1万4000人を対象に行った調査では、英語を使って仕事をしている人の年収は、そうでない人と比べ男性で約18%、女性では約40%高いというデータがあります。また、日本最大の総合家電メーカーであるパナソニックでは、2011年度の新入社員の8割が外国人です。昨年頃から大卒者の内定が出にくくなっている背景には、企業のグローバル化に伴い、外国人や英語堪能な人材を採用する傾向が強まっていることも一因となっていると思われます。これまでの社会の流れを鑑みれば、いずれ英語は「できて当たり前」という時期がくるでしょう。しかし、仕事で英語が使いこなせるレベルに到達するには、付け焼刃の勉強では間に合いません。子どもの頃からの教育によって「英語脳」をつくることが大事だと私は考えています。
 私は現在、常葉学園短期大学で英語教育に取り組んでいます。本学は「J-SHINE」という小学校英語指導者を認定する資格の認定校となっており、子どもに対する英語指導者を積極的に養成しています。「J-SHINE」とは、NPO法人小学校英語指導者認定協議会が認定する資格で、所定の科目の履修のほか、教育機関での50時間以上の実習を積む必要があります。本学の学生は、私が「J-SHINE」の講義をしている子ども英語スクールで実習を行うことで、本資格を取得することができます。また、同時に教職課程で幼稚園免許も取得できるため、英語幼稚園や民間の英語スクールにも多数の学生が就職をしています。
 私の担当する授業では、学生が行う算数や理科、クッキングなどの模擬授業を、すべて英語で進行させることもあります。英語の授業だけでなく、生活の場でのコミュニケーションも英語で行うような幼稚園への就職も視野に入れ、トレーニングを行っているのです。

幼・小一貫の「国際教育村」構想に関わる

 私の教え子の1人が就職した幼稚園に、山梨県の河口湖近くの森の中にあるマリア国際幼稚園があります。以前、英語教育に力を入れているということで学生を引率して見学に行ったのですが、そこでの光景は衝撃的でした。敷地内に一歩入ると、そこで使用されるのはすべて英語。この幼稚園では英語を「教える」ことはせず、日常生活のなかで英語を「使って」いるのです。工作をするときも、もちろん英語です。園児が日本語で先生に話しかけても、先生は英語で返事をすることを徹底していました。
 この幼稚園にはネイティブの先生もいますが、あくまでも彼らはサポート役。現場では日本人教員が中心となって指導を行っています。これは、事務長の庄司日出夫先生の「日本人の先生から学んだほうが子どもの英語力が伸びる」という考えに基づいています。日本人教員による指導では、子どもが日本語を使ってもコミュニケーションが成立するという安心感を子どもたちに与えることができ、且つ、子どもの理解力に合わせた指導もできるというメリットがあるのです。庄司先生にお話を伺ったとき、なるほどと思いました。
 庄司先生は現在、幼稚園から小学校まで一貫した英語教育を行う「国際教育村」を構想されており、私もお手伝いしています。今年春、一連の取り組みがテレビのドキュメンタリー番組で紹介されたことも追い風となり、来年には小学校の建物が完成する予定です。
 この小学校では、「学力世界一」と言われるフィンランド式のカリキュラムを取り入れることになっています。フィンランドの教育とは、日本のように暗記中心の、いわゆる知識詰め込み型ではなく、答えが決まっていない課題を与え、仮説検証のプロセスを通じて考える力を育んでいくもの。自分の興味のあることについて調べ、プレゼンするという流れを日常的に繰り返し、問題解決力を養っていくのです。興味があることであれば、調べることも楽しいでしょう。自分で調べたことであれば、忘れることもありません。このように子どもたちの興味関心を引き出し、自ら学びたいと思わせるような教育法は、私自身も取り入れたいと思っているものです。
 マリア国際幼稚園は、英語幼稚園だからといって保育料が高額なわけではなく、通っているのも近隣の子どもたちが中心です。今後このような幼稚園が増えていけば、子どもの英語教育を取り巻く環境も変わっていくと思いますね。

自らの子どもを英語幼稚園に通わせ効果を実感


 私が静岡県に移り住んだのは、長女が3歳のとき。住む町は、子育て支援の充実度を重視して選びました。最初は職場が菊川市にあったので、通勤にも便利な藤枝市へ。藤枝は人口が増えていたこともあり、元気のある町という印象を受けたんです。その後、富士市へ転勤になったときに選んだのは、沼津市です。というのは以前、沼津にある学校法人の加藤学園で「イマージョン教育ディレクター」を務める、ボストウィック博士の話を聞いたことがあったからです。
 加藤学園では、「英語漬け」を意味する「イマージョン教育」を、90年代前半から幼稚園から高校まで一貫して取り入れています。英語漬けなどと言うと、日本語能力が衰えるのではないかと心配する人も多いでしょう。じつは、私自身も以前はそういう意識をもっていました。しかし、博士の発表によると、イマージョンクラスの子と普通クラスの子では、イマージョンクラスの子どものほうが国語のテストの平均点が高いという結果が出たというのです。その背景には、外国語を学ぶことで逆に日本語に対しての興味が増すという傾向があるようで、それならばと、娘を加藤学園幼稚園のイマージョンクラスに通わせることにしたわけです。
 加藤学園幼稚園では、「英語の日」と「日本語の日」を1日おきに設定する「パーシャルイマージョン」を採用しています。これは、自然に英語と日本語を習得できるいいシステムだと思いますね。娘も入園して3ヵ月ほど経つ頃には、英語を聞きとるようになりました。現在は高校2年生ですが、国語も得意で文学小説なども好んで読んでいます。幼少時から英語に触れることで「英語脳」を手に入れたことに関しては、「パパに感謝してる」と言っていますよ。
 娘が通っていた頃は、加藤学園幼稚園のイマージョンクラスは1クラスでしたが、現在は2クラスに増えており、待機児童もいるそうです。また、静岡市内にも数年前から英語幼稚園があり、私も長男を通わせたのですが、ここは不便な場所にあるにもかかわらず口コミで人気が広まっています。このように、英語幼稚園の需要は確実に増していると思いますね。
 現在、静岡駅のすぐ近くで英語幼稚園を作る計画もあります。都市の中心市街地では子どもの数の減少に伴い、閉園する幼稚園が増えています。そうした空き施設を英語幼稚園として復活させるプロジェクトが進んでいるのです。マリア国際幼稚園のように、近所の子どもたちが誰でも通えるような英語幼稚園や小学校を静岡につくるのは私の念願でもあるので、ぜひ実現させたいですね。

アメリカ留学で英語力とディベートスキルを磨く

 私自身について言うと、幼い頃から英語教育を受けた経験があるわけではありません。しかし、映画好きだった父に連れられ、小さな頃から月2回は映画館で洋画を観ていました。私は、この頃に英語を聴いていたことで自然と「英語耳」をもつことができたんです。
 英語は、日本語とは音の周波数やリズムが全く異なるため、日本語しか聞いていない脳ではうまく聴きとることができません。自然に聴きとるには、早い段階で英語に触れることが望ましい。幼少時であれば、私のように聴き流すだけでも、音声の記憶は脳に刻まれるのです。
 とはいえ、高校に入学する頃まで英語は苦手でした。ただ文章を読んで訳すだけの授業に興味がもてなかったんですね。それが変わったのは、友人に誘われて社会人の英語サークルに参加するようになってから。ここでは高校の授業とは違い、テキストの会話文を覚え、みんなで役割を決めて演じる「ドラマタイズ」やディスカッションが中心。続けるうちに英語がだんだんと好きになり、教師をめざすようになりました。当時から「英語教育を変えてやろう」という思いもありましたね。
 大学卒業後は高校で8年間、教員として勤務しました。しかし、30歳のときに退職、アメリカの大学院に留学しました。きっかけは、高校・大学生向けのホームステイ・プロジェクトの同行教師として海外に行ったこと。アメリカ、イギリス、ニュージーランドに1ヵ月ずつ行きましたが、現地で自らの力のなさを感じたんです。自分が教えている英語と現地で話されている英語の違いを実感し、「このまま教え続けてもいいのだろうか」と考えるようになりました。ずっとこのままでいたら、自分自身も成長できないという焦りのような気持ちもありました。
 ですから、アメリカの大学で日本語を教えながら大学院に通えるプログラムがあることを知ったときは、飛びつきました。高校教師を辞めることに、迷いはありませんでしたね。
 アメリカでは、英語教授法について学んだのですが、「生まれて初めて学問をやった」という気持ちでした。大学院の授業は、講義をただ座って聴くのではなく、ディスカッションやディベートをしながら、答えを探っていくもの。フィンランド式の教育に通じる部分もありますね。学生は課題を与えられ、それについて自分で調べることが常に求められます。厳しい授業に最初は辛いと感じることもありましたが、やがてそういう授業でこそ力がつくことを実感しました。
 アメリカでは、英語力を磨くとともに、ディベートを日々繰り返すことで論理的に話を展開する手法や、コミュニケーションスキルについても学ぶことができました。

海外で感じたワーク・ライフ・バランスの魅力

 海外での生活は、私のライフスタイルにも大きな影響を与えました。
 アメリカでは、エスニック・マイノリティや女性など、不利益を被ってきたとされる人々に対する差別撤廃措置である「アファーマティブ・アクション」や「ポジティブ・アクション」が、身近なところにまで浸透しています。私の周囲でも、大学職員には黒人女性が多かったですし、どの大学のキャンパスにも必ず託児所がありました。学生結婚したカップルは、お互いに支え合って、キャリアを高め合っていました。
 フロリダでホームステイしたときには、受け入れてくれたのが車椅子で生活をする1人暮らしの老人だったことに、いい意味でのショックを受けました。アメリカでは、マイノリティや女性、障害者などの弱者とされる人たちがのびのびと暮らしている姿に、学ぶべきところがたくさんあったように思います。
 イギリスでのホームステイの経験は、ワーク・ライフ・バランスについて考えるきっかけになりました。私がそこで見たのは、一家の父親が午後4時に帰ってきて、揃って夕食を食べた後、家族みんなで散歩に出かけ、パブに立ち寄る日々の暮らし。彼らは、収入は決して多くないにもかかわらず、とても幸せそうだったのが印象的です。あくせくしている日本人って何なんだろう。そう思わずにはいられませんでした。自分が結婚したら、絶対に夕食は家族と一緒に食べられるようにしようと思いましたね。
 私が子育てに積極的なのも、海外で見てきたことが影響しているのだと思います。長女は生まれてすぐに保育園に預けたのですが、1ヵ月ある夏休みの間は自分で育児をしようと園を休ませたんです。この夏休み中の育児は、娘が0歳と1歳の2年間実行しましたが、私にとってとても貴重な時間となりました。
 妻は当時公務員でしたが、私のような夏休みはなかったため、私は1ヵ月間、長女と2人きりで向かい合う毎日を過ごしました。川辺の土手に2人で座ってご飯を食べたりと、幸せな瞬間がたくさんありましたね。あるときは、集中授業を頼まれたため、娘を連れて大学に行き、教壇の脇にベビーカーを置いて授業をしたこともありました。
 このときの経験は、子どもと2人で夫の帰りを待つ妻の気持ちを理解できたという点でもよかったですね。1日中子どもの面倒を見ていて、だんだんと気持ちが鬱屈してくる感じもよくわかりました。ですから、夏休みが終わった後もなるべく早く家に帰ろうと思うわけです。男性の育児参加は、そういう意味でも非常に重要だと思いますね。

ディベートを活用し男女共同参画推進に取り組む

 私は大学院を修了したのち、福岡県の短期大学に赴任しました。そこで、男女共同参画推進の活動にも関わるようになります。私はそれまで、企業や自治体主催のディベート研修を行う機会がたびたびあったのですが、久留米市の依頼で、女性が社会参加していく上で必要な発言力を養うためのディベート講座を行うことになったんです。市の女性政策室の担当者によれば、女性は会議で発言することが少なく、終了後に担当者のところにきて意見を言うこともあったのだそうです。しかし、それでは会議が意味をなさないので、公の場で筋道を立てて自らの意見を述べられるような人材を育てたいとのことでした。
 もちろん、「女性は人前で意見を言うのが苦手だ」というのはステレオタイプであり、得意な女性もいれば、苦手な男性もいます。最終的に必要なのは、男女の区別なく、すべての人に政策決定にかかわる機会を均等に与えること。ディベート教育はそのステップであり、論理的に話すトレーニングを積むことで、誰でも会議のオブザーバーから主役になれるようにしていくことが目的であることは言うまでもありません。
 静岡に来てからは、静岡市男女共同参画課主催の「しずおかディベート大会」も行いました。これは、一般市民を対象とし、「男性の育児休業を義務化すべし」「議員候補者の男女同数法(クオータ制)を制定すべし」「選択制夫婦別姓制度を導入すべし」といったテーマについて肯定側・否定側に分かれて公開ディベートを行い、勝敗を判定するものです。男女の機会均等に関するテーマを取り上げたディベートを私は「男女共同参画ディベート」と呼んでいますが、このディベートには、テーマについて深く考えることにより、市民が自らのジェンダー意識に気づくことができるという利点があります。市民の意識改革を促す上でも、ディベートは有効なのです。
 つまり、ディベートとは、その手法を身につけることで本人の社会参加を促すと同時に、ディベートそれ自体が男女共同参画を推進するツールとして活用できるものだということが言えるのです。

これまでのすべての仕事が女性支援に繋がる


 さらに、私は現在、外国から静岡へやって来る観光客の受け入れ体制の整備にも力を注いでいます。観光は静岡における成長産業の1つであり、女性が英語を活用して活躍できる場もたくさんあるのです。
 私が静岡に赴任した動機の1つには、じつは富士山静岡空港の開港もあるんです。空港ができることで国内外からの観光客が増えれば、新たな交流も生まれます。私は、航空業界で活躍できる人材を育てたい気持ちもありましたし、国際交流を通じて観光振興や地域発展にも貢献したいと思い、勇んで静岡に来ました。ゼロからのスタートですから、自分にも何か役に立てることがあるのではないかと。昨年までに通訳案内士と中型バスドライバーの免許も取得し、準備は万端ですね(笑)。昨年は、知人がいる韓国の大学から30人近くの学生を迎え、県立大学での授業に参加してもらったり、富士山観光にも案内しました。バスの免許も活躍しましたね(笑)。
 私の妻も観光業界で活躍する女性の1人。現在、旅行会社のツアーコンダクターとして働いています。海外に行くことも多く、月の半分くらいは留守にしているんです。昔から旅行が好きで、福岡での公務員時代にも海外研修の機会があれば自ら手を挙げたりしていましたから、この仕事は天職だと言っていますね。家事や育児については、お互いの仕事の都合を調整しながら協力してやっています。私も食事の支度はもちろん、小学6年生の長男のお弁当作りもしますし、長男自身も両親とも家を空けているときには料理をしたりしています。
 振り返ってみると、これまでに私が取り組んできたことは、すべて女性支援に結び付くんです。英語を身につけることは、子どもにとっては未来を生きる力となり、女性にとっては経済的自立のためのツールとなります。英語幼稚園、英語託児の普及は雇用拡大のほか、子育て、就業支援にも繋がります。男女共同参画の推進に携わるようになったのも自然なことだったと今では感じますね。
 男女共同参画とは、私の仕事にも生活にも、密接に関わるもの。今後も、私の役目である人材育成や子育て支援に取り組みながら、男女共同参画社会の実現に寄与していけたらと思っています。

取材日:2011.10



東京都生まれ 静岡県静岡市在住


【 略 歴 】

1988高校教諭を退職
米国ペンシルバニア州立ウエストチェスター大学で日本語を教えながら大学院で学ぶ
1990ペンシルバニア州立ウエストチェスター大学大学院でMa-TESL(第二言語としての英語教授法修士)修了
香蘭女子短期大学国際教養科に赴任
1996福岡市男女共同参画懇話会委員
1998常葉学園短期大学英語英文科 助教授
以後、常葉学園富士短大、富士常葉大学助教授を歴任
1999静岡市男女共同参画課主催「しずおかディベート大会」開始(~2004)
2002富士市男女共同参画プラン推進会議副委員長(~2004)
2004常葉学園短期大学保育科 助教授
静岡県立大学経営情報学部 非常勤講師(兼任、現在まで)
2005常葉学園短期大学英語英文科 教授
2011 常葉学園短期大学保育科 教授

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