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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

男女双方の視点で栄養士の活躍の場を広げ、
幼児から高齢者までの食と健康を守りたい。

寺田直哉(てらだ・なおや)

寺田直哉(てらだ・なおや)


管理栄養士
社団法人 静岡県栄養士会 理事


- WEBサイト -

介護老人保健施設「アポロン」
静岡県栄養士会

栄養士は決して「女性の仕事」ではない

 私は現在、介護老人保健施設で管理栄養士として働いています。栄養士の世界は女性が主流で、男性は1割にも満たないくらい。ですから、男性が女性の職場に進出したという、男女共同参画社会の実例のように言っていただくこともあります。しかし、もともと私には、栄養士という職種が女性の仕事だとも感じられなかったし、女性社会に進出したという気負いもありません。ごく自然に栄養士を仕事に選んだのです。
 日頃から、男だから、女だからという区別を、私はあまり感じていません。それは、私が育った家庭環境から培われたものだと思います。我が家は、母親が美容師として忙しく働いていました。ですから、食品関係の会社に勤めていた父が、日常的に家事を手伝っていたんです。夕飯時や休みにも仕事で忙しい母に代って、父が料理をすることもありました。ソース野菜炒めが定番でしたね。私は男ばかり3人兄弟の真ん中なんですが、兄も弟も料理をするのが苦ではないようですから、そんなところは父親の影響なんでしょう。
 母はといえば、忙しい仕事の合間に、よく喫茶店につれていってくれました。きれいなインテリアの店で、おいしいものを食べる楽しさ、幸せを、子供心に感じていたんですね。中学生の頃には、将来は喫茶店など、飲食のお店をもちたいと思うようになっていました。そうなるためにはどうしたらいいか。そこで図書館で、「なるにはブック」という進路関係の本を読み、「調理師」のほかに「栄養士」という仕事があることを初めて知ったんです。じゃあ、この資格を取ってみようじゃないか、と思いましたね。中学のころから進路を決めていたと言うと、なんとしっかりした子供かと思われるかもしれませんが、実はそのあとが、なかなか思うようにはいかなかったんですよ。

何となく大学を卒業し社会に出て後悔する

 栄養士をめざし、大学は東京農業大学農学部の栄養学科を選びました。男子学生の多い大学で、比較的女子学生の多い栄養学科でも、全生徒のうち約3割が男子でした。ですから、違和感なども全くありませんでしたね。
 私の大学生活は、サッカーのサークルと飲食店でのアルバイト、あとは大学生らしく青春を謳歌する日々でした。つまり、勉強にはあまり身を入れていなかったというわけです。とはいえ、飲食店での仕事を2年間続けたことで調理師試験の受験資格を得ることができ、大学4年時に調理師免許を取得することができました。必要な単位を満たし、卒業時には栄養士の資格も得ました。国家試験に合格すれば管理栄養士の資格も取得できたのですが、勉強していなかったので、それはかないませんでしたね。
 いよいよ就職の時期を迎えて、同期の男子学生の大半は、食品会社に就職していきました。現在、栄養士として働いているのは、わずか数人だけです。
 私はといえば、実家のある焼津市に帰って、企業の社員食堂や、施設の給食を委託される給食受託会社に就職。いくつかの職場への配属を経て、24歳の時に島田市の老人施設に配属されました。そこで栄養士の資格を活かしながら、調理師として厨房で働くという仕事を3年間続けました。働き始めた頃は、願いどおり栄養士にはなったものの、それほどモチベーションは高くなく、「なんとなくこのまま、厨房で働いていければいいかな」と安易に考えていたのです。
 しかし少しづつ、委託業者として働く生き方に、後悔を覚えるようになりました。将来への不安を感じるようになっていたのです。そこで25歳の頃から、自分のスキルアップのために、まず管理栄養士の国家資格を取ろうと、独学で勉強を開始したのです。そのために、会員になっていた静岡県栄養士会が企画する、「肝臓病患者の食事」「高齢者の食事」といった研修会に積極的に参加するようになりました。しかし、働きながらの勉強は大変で、結果的に試験に2回、失敗しました。大学時代に、勉強の基礎ができていなかったんですね。時には「自分は向いていないのではないか」「このまま管理栄養士の資格をとらなくても、生きていければそれでもいいのではないか」、という疑問も覚えました。ですから、26歳で試験に合格した時には、うれしかったですね。
 そして翌年、私にとって、大きな転機が訪れることになるのです。

初めて芽生えた栄養士としての意欲

 病院や老人介護施設で栄養指導などをしながら働くためには、管理栄養士の資格を保有していることが必要です。しかし、管理栄養士の求人は決して多くはありません。病院や施設などの、働ける場所が限られていることと、その場所で管理栄養士のポストに空きがあることが必要だからです。
 27歳の時、それまで委託業者として働いていた老人施設の職員から、「同じ島田市の介護老人保健施設で管理栄養士を探しているから、就職の面接を受けてみたらどうか」と勧められました。それが、介護老人保健施設「アポロン」です。この施設への就職がかなった年は、プライベートでも結婚をし、私の人生の大きな節目になりました。 
 介護老人保健施設というのは、病院に入院されていたお年寄りの家庭復帰や、在宅介護のお年寄りの自立を手助けするために、リハビリテーションなどを行う施設です。いろいろな施設がある中で、「アポロン」が魅力的だったのは、地域の人々にとても愛されている施設であること。それは、運営団体である「医療法人社団健祉会」の理事長が、レシャード・カレッドさんという、アフガニスタン人の医師であることに関係しています。レシャード理事長は外国人でありながら、島田に深い愛着を持ち、地域に貢献したいと「アポロン」を設立したのです。
 また、勤めて5年ほどたった頃には、私の母方の祖母が、「孫のいる施設にお世話になりたい」と、入所してきました。今までは共に住むことがなかった祖母と、ここで一緒に過ごした1年半は、祖母にとっても、私にとっても幸せな日々でした。レシャード理事長や祖母をはじめ、仲間たちとの日々が、ここでの仕事の大きな喜びになっています。
「アポロン」での私の主な仕事は、管理栄養士として、入所者と通所者のための食事の献立を考えることでした。食数は、朝・夕食が80食、昼食は120食です。この新しい仕事についてから、私の中には、ある変化が起きていました。以前も、同じような老人施設で調理していたのですが、新しい職場では、求められる姿勢が全く違っていたのです。前は厨房の中にいて、安全でおいしい料理をつくることだけが必要でした。しかし「アポロン」では、厨房の外に出て利用者と直接触れ合い、さまざまなニーズに答えていくことが求められたのです。つまり、それまで仕事に受け身だった私が、初めて自分で考え、積極的に工夫することになったのです。

施設に企画提案する食のプロデューサーに

 まず行ったのは、メニュー構成や食形態の見直しです。もっとおいしく食べてもらえるように、食材や味付け、献立などを工夫しました。やわらかい食事なら、ペースト状やムース状に加工するなど、見た目を良くするように手を加えました。
 施設長や事務長などで構成する給食委員会では、施設における食の専門家として、ミニイベントの企画提案もするようになりました。たとえば、全利用者を対象にしたバイキング形式の食事などです。こうした参加型でイベント性のある食事は、非日常という魅力があり、お年寄りの五感を刺激する効果が期待できます。年に2回、お寿司や中華バイキングを、少人数の利用者に交代で提供する「アポロン亭」も好評ですね。
 また、リハビリテーションの一環として、月に2回ほど、参加者数人に調理してもらう「お料理クラブ」も開催しています。前回は、80代~102歳の女性6人と一緒に、サラダ手巻き寿司や肉じゃがを作りました。リハビリテーションですから、野菜を切ったり、鍋で煮たり、酢飯を混ぜたりと、出来ることをしてもらうのですが、どの人もとても生き生きとした表情を見せてくれます。
 こうした企画をとおしてお年寄りとの会話が生まれ、1人ひとりの笑顔が見られるのは、とてもうれしいですね。喜んでもらえると、やりがいがあります。もちろん栄養士として、利用者の皆さんの名前や顔、食べてはいけない食品や、食べ物の硬さ指定などの食事形態を覚えるように、常に努力しています。
 心がけているのは、栄養士とはいっても、介護者の一員であるということ。普段から車いすを押すなど、できることは何でも手伝うようにしていますし、夏祭りや誕生会などのレクリエーションの企画には、スタッフとして参加しています。スタッフの中には、男性の介護士や理学療法士も多いので、ここでも「男性の栄養士」という特別な意識はないですね。

地域の中での栄養士の活躍の場を模索

 私は、35歳の時に静岡県栄養士会の理事になりました。現在、入会している栄養士は、約1,700人。その中で、理事は22人。理事の中で男性は、私を含めて3人だけです。理事になったことで忙しさは倍増しましたが、その分、視野が広がったように感じています。
 静岡県栄養士会には、「病院協議会」「学校研究教育協議会」「地域活動協議会」などの7つの協議会があり、私は「福祉協議会」に所属しています。理事になったことで、初めて、ほかの協議会の仕事の内容がわかるようになりました。協議会同士のつながりや、境目などが見えるようになったのです。これまで受講してきた研修会を、今度は企画する立場になったことも、勉強になりました。それらの経験を通じて、私の中での「栄養士」のとらえ方が、次第に変わってきたのです。
 介護老人保健施設に就職した時は、「これから自分は、高齢者の食事について考える栄養士になればいいんだ」と単純に考えていました。しかしそうではなかった。栄養管理や栄養指導の仕事をするのなら、高齢者だけでなく、子供も成人も、あらゆる職業の人についての栄養の知識を持っていなければならないのです。今の私にとって、「理想の栄養士」とは、幼児の食育から始まって高齢者の栄養相談まで、すべての人に関わり、地域で活躍できる存在になることです。
 近年は、栄養士の働ける分野が広がりつつありますが、もっともっと栄養士がスキルアップし、社会の中で認められるようになればいいと思っています。そうすれば、スポーツ栄養士のように、新たな活躍の場を開拓できるのではないか、と。そのためには、栄養士が積極的に地域の中に出ていくことが必要でしょう。そこで地区の栄養士が協力して、地域の中で「健康祭り」を開催するなどの活動も行われています。私も志太榛原地区の「健康祭り」に参加していますが、こうした活動をすればするほど、仕事のおもしろさが増してくるように感じています。

栄養士の父として家庭の中での食育を実践

 あらためて、男女共同参画という視点で自分自身を見つめてみると、平均点が50点だとしたら、60点ぐらいはとれるのではないかと思っています。
 私の家庭は、高校の同級生だった妻と、8歳の長男、5歳の長女、2歳の次女の5人家族。仕事が休みの時は、たいがい家族一緒に過ごします。子育てにも積極的に参加していますね。私は子供が好きで、幼稚園のお友達家族と公園などに行くと、他の子供たちも一緒に引き連れて遊びます。子煩悩な父親であると自認していますよ。
 家事については、栄養士である自分があまり口を出しすぎると、妻が料理しにくいだろうと思い、あえて炊事には手を出しません。洗い物は手伝いますけれども。たまの休日に、カレーをつくる程度です。それでも栄養士の父親なのですから、いつも食の話をしようと心がけています。しかし、食育というのは大変ですね。子供の偏食を直そうとしても、なかなか難しい。「食べなさい」と無理強いするよりは、スーパーに行く時など折にふれて、食の大切さを話すようにしています。
 最近では、サッカーをしている長男が「しっかり食べて筋肉つければ、負けないよね」と言ったり、長女が「このお豆腐は、何でできているの」と聞いたりします。子供たちは、父親が栄養士という仕事をしているということを理解しているんですね。
 妻は、私の最大の理解者です。最近では忙しくなった栄養士会の仕事や、趣味でやっているサッカーの活動で家を空けても、理解してくれています。彼女は現在、食品会社にパートで勤めていて、商品開発とか企画の仕事などをしているようです。時々、「高齢の方は、どんな商品が好きだろうか」などと相談されることもあって、私なりにアドバイスすることもあります。誰よりも同じ時を過ごし、よく話をしていますね。

職場での男女双方の視野が社会を活発にする

 私は、数年前に栄養士の研修のために静岡市にある「静岡県男女共同参画センターあざれあ」を訪れ、そのときに男女共同参画という言葉を初めて知りました。その時には「まだまだ女性の社会参加は、一般的には進んでいないんだな」という意外感をもちましたね。というのも、私の周りは、栄養士としてバリバリがんばっている女性ばかりなんですから。むしろ私の立場では、「これからはもっと、男性の栄養士がどんどん誕生して、活躍してほしい」という願いがあります。1つの職業に男性ばかり、女性ばかりというのは、やはりおかしい。男性と女性の視点には違う点があるのですから、双方の視点が生かされることが、社会が住みやすくなるために必要なのだと思うのです。
 私は男性として、栄養士という仕事を選んで、本当に良かった。一生、栄養士として生きていきたいと思っています。将来は、可能であれば、レシャード医師の診療所などで栄養指導をしてみたいと思っています。食事をするのは当たり前のことだし、今が健康であれば、誰もが自分は大丈夫と思っているのでしょうが、実は意外に偏りがあったり、不足する栄養素があったりするものです。そんな食の問題点を、科学的なデータに基づいてわかりやすくアドバイスできたら、と思っています。地域の中で、「食事と健康のことなら、ちょっと寺田さんに相談してみようか」と、気軽に思ってもらえるような存在になりたい。そのためには、やはり人と人のつながりが大事なのでしょうね。相談される人に、心から胸の内を開いてもらえるような栄養士でありたいと思っています。

取材日:2011.9



静岡県焼津市生まれ 焼津市在住


【 略 歴 】

1993東京農業大学農学部栄養学科 入学
1996調理師免許取得
1997東京農業大学農学部栄養学科 卒業 栄養士資格取得
給食受託会社に就職
2000管理栄養士資格取得
2001介護老人保健施設「アポロン」入社
結婚
2010静岡県栄養士会 理事 就任

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