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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

みんなが責任をもって働く協同組合は、
「しゃべり手」仲間の心のよりどころ。

長谷川玲子(はせがわ・れいこ)

長谷川玲子(はせがわ・れいこ)



フリーアナウンサー協同組合
舎鐘(しゃべる)代表理事


- WEBサイト -

舎鐘
静岡のフリーアナウンサー長谷川玲子のつぶやき

現場復帰して「アナウンサーっていいな」と実感

 静岡放送にアナウンサーとして入社しました。まだ、女性は活躍する場を与えられていませんでした。女性アナは男性アナの横にかわいくいてニコッと笑っていればよかったのです。入社したとき、「まあ3年は働いてちょうだい」とか「女の君には期待していないから、適当にやってくれればいい」っていわれて、すごくくやしい思いをしました。7年目に、静岡放送で女性では初めてアナウンサーから報道記者になりました。原稿を読むことはできても、どう取材してどう書けばいいのかまったくわかっていなかったのですね。現場に行っても男性記者はいい顔しなかったし。結局、3年間結構苦しい思いをして、体調をくずし、やめました。
 しゃべる仕事からいっさい手をひいて、5年間専業主婦をしましたが、36歳のとき、転機がきました。静岡放送のラジオ番組のオーディションに受かって、復帰することができたのです。楽しかったですね。私にとってアナウンサーは天職で、評価をもらえる仕事だとわかりました。
 ずっと、仕事を逃げ出したという挫折感があったのですが、復帰する機会をもらえて、ようやく素直になれましたね。20代のやり直しです。復帰していちばんうれしかったのは、「待ってたよ、お帰り」っていってくれたリスナーさんがたくさんいてくれたこと。ありがたかったです。

みんなが集まっているから助け合える

 ラジオ番組が終わることになり、やっとこの仕事だと納得したのに、また主婦にかえるのかと思うとせつなくなりました。そこで、フリーでやりたい仲間たち5人と「舎鐘」という事務所を始めましたが、まったく手さぐりだったため、問題が発生したときだれが責任をとるかなど考えていませんでした。これはまずいと思って。フリーアナウンサーたちがゆるく集合しながら、個人の責任で仕事をするいいシステムは作れないだろうかと考えていたら、協同組合はどうだろうというアドバイスをいただきました。あ、私たちの目的にかなっているなと思いましたね。利益のためではなく、相互扶助。セフティーネットの役割が大きく、お互いに助けあっていけるって感じですね。
 これは、従来にない形です。東京などでは大手の事務所に所属というやり方が多いのですが、私たちは、1人のフリーアナウンサーであることが大前提ですので、自分個人が築いてきた仕事にはノータッチ。みんなが集まったことによって発生した仕事は、お互いに助けあいます。体調が不良だったり不測の事態が起きたときは、仲間に仕事を替わってもらえるし、お客様に迷惑かけなくてすみます。
 ただ問題点もあります。利益を追求しないので、もうけが発生しません。組合に入ってくる収入は、すべて運営費や研修費にあてています。私は代表なので雑務をこなしますが、ボランティアです。舎鐘は、前例がない日本ではじめての協同組合ですので広がってほしいのですが、あとが続いてこないんですね。大変そうだということで。また、組織としてどう変えていけばいいのか、という課題もあります。いまベストメンバーですので少数精鋭でいくか、それとも組織の拡大をはかって会員をつのったほうがいいか、つねにジレンマを感じています。が、日本ではじめての組織をそうそう簡単につぶしてたまるか! 意地ですね。

いつまでも現役でいられる場所づくりをしたい

 年をとったアナウンサーの居場所をみつけるのは、大変です。みんなで、「おばあちゃんになってもがんばろうね」といい合っています。年輪を重ねたとき、自分たちのキャリアを生かせるようなことを考えていて、静岡にはアナウンサー養成の場がないのでつくりたいと思っています。そのとき、みんなの力が必要になりますね。いくつになっても現役で、あったかい美しい声でみなさんとつながっていたい、そう思います。
 私個人では、ひとつでも「これは」っていえるようなメディアでの仕事にかかわりたいな、と思っています。人と人がふれあえるような、自分のライフワークと思えるような、そんな仕事を長~く続けていけるといいなあ。細く長く続けられたら幸せだと思います。

取材日:2010.10



静岡県静岡市生まれ 静岡市在住


【 略 歴 】

1991 静岡放送株式会社入社
2000 静岡放送株式会社退社
2007 フリーアナウンサー協同組合舎鐘設立
静岡県男女共同参画社会づくり活動に関する知事褒賞受賞

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