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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

全国49加盟団体と課題を共有、国に届けるのが役目。
組織力を活かしより良い地域、暮らしを創造する。

夏目智子(なつめ・さとこ)

夏目智子(なつめ・さとこ)



全国地域婦人団体連絡協議会 事務局長
特定非営利活動法人ふぁみりあネット 理事長


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全国地域婦人団体連絡協議会

地域に軸足を置き、地域の声を重視する全地婦連

「地域主権」「新しい公共」という言葉が近頃、盛んに言われています。市民が自らの住む地域を自らの力でつくっていく――その担い手として、市民活動団体が広く認知されています。しかし、住民が地域社会のあり方を決める権利をもつということは、問題を解決する責任も負うということ。そこに、住民の力量による地域間格差が現れてはなりません。格差をなくし、地域をつくる住民の主体的な力を高めていくためには、横の連携を意識した組織づくりが重要だと私は考えます。
 私は地元、袋井市での婦人会活動、NPO法人設立などを経て現在、東京にある全国地域婦人団体連絡協議会(全地婦連)で事務局長を務めています。全地婦連とは、全国の地域婦人会や女性会、地域女性団体の都道府県ごとのネットワーク(地婦連)を結ぶ連絡協議機関で、事務局では全国49団体のマネジメントを行っています。来年60周年を迎えますが、創立以来、誰もが安心して暮らせる地域社会の創造に取り組んでいます。
 全地婦連は戦後の混乱期、日々の暮らしと女性の地位向上をめざし各地で立ち上げられた地域婦人会が、市町、都道府県、全国組織へと繋がっていくことで形成されました。以来、組織力を活かし、新たな婦人運動の道を切り拓いてきました。
 1955年には、きわめてユニークな、母親の手による映像制作運動を実施、現在も継続する「桜映画社」を設立。高度経済成長期の1968年には、地婦連の女性たちの声により100円化粧品「ちふれ」を生みだしました。「ちふれ」の名は「地婦連」に由来するものです。ちふれ化粧品は「値段が高いほど品質もいい」という「化粧品神話」を覆し、企業秘密が当たり前だった構成成分の公表とともに、肌や環境へ配慮した原料の使用、製造年月の表示、容器や宣伝費削減による低価格を実現しました。
 また、1970年には全地婦連による「二重価格表示の実情調査」をきっかけにカラーテレビの買い控え運動を展開。全国の一般消費者の支持を得て、二重価格解消と実売価格の引き下げに大きな成果を収めました。また、「LPガス使用についての実態調査」では不当な市価を引き下げ、LPガス新法の成立に尽力。1978年、国連に核兵器完全禁止を要請する日本国民代表団への代表派遣の際には、532万余名の署名を集めました。このほか、災害時の募金活動なども幅広く行っています。
 また、2009年9月の消費者庁・消費者委員会発足には、他団体と連携をとり、長年の消費者団体の願いであった消費者目線の省庁を作ることを、実現させました。
 全地婦連ではこのように、全国に網の目のように張り巡らせた地域婦人会の力を結集し、さまざまな先進的な活動を展開してきたのです。

各世代に向けた消費者教育活動の必要性

 全地婦連の取り組みは、男女平等の推進、青少年の健全育成、高齢化社会への対応、世界平和の確立など多岐にわたります。敗戦体験をした先輩方にとって大切な課題だったのは、安心して子どもを産み、育てられる社会をつくることだったのでしょう。消費者運動も平和運動も、「子どもたちのために平和で安全な社会を」という彼女たちの思いが根底にあったのだと思います。その上で、地域の女性だからこそもっている暮らしの視点に立ち、全国の会員同士で結び合って活動してきたことが力となりました。
 だからこそ、暮らしに直結する消費者問題には、これまでずっと力を入れて取り組んできました。先ほど申し上げたテレビの二重価格表示やLPガスの価格差問題などもその一例です。
 私が事務局長に就任したのは2009年のことですが、同年に消費者庁ができたことで、あらためて国を挙げて消費者問題に取り組む方針が打ち出されました。これまで、何らかの被害に遭っても消費者は声を上げられない状況があったのですが、それが軌道修正され、少しずつ消費者の声に生産者や企業側が耳を傾けるようになってきたように思います。
 たとえば、ガスコンロにSiセンサーの取り付けが義務付けられたこと。以前は製品事故が多発していたにも関わらず、誤使用という理由で消費者は泣き寝入りせざるをえませんでした。しかし、たとえ消費者の不注意でもそれが続けば、製品として改善すべき点があるのではないかという視点が広く認められるようになってきたのです。
 しかし一方で、子どもや高齢者などをねらった詐欺事件などは後を絶ちません。情報や法律にうとく、心優しい人たちが被害に遭うことには強い憤りを覚えます。現在、消費者教育推進法が議員提案されていますが、現状では学校でも家庭でも十分な消費者教育がなされているとは言えない状況です。小学生でも携帯電話をもち、容易にインターネットに接続できる時代ですから、あらゆる年代に向けた教育が早急に必要です。ですから、私たちも地域に根付いたネットワークを駆使して活動に取り組む必要があると考えています。
 取り組みの1つとして、消費者庁の創設と同時に、加盟団体である地域女性団体連絡協議会(県地女連)では高齢者への聞き取り調査兼訪問を実施しました。街頭でパンフレットを配るだけでなく、1軒1軒お宅を訪問し、高齢者に説明をしながらパンフレットを手渡し、注意を呼び掛けました。この活動は高齢者との結びつきを強くする効果の点で、国からも注目されることになりました。
 今後も、消費者被害の救済対策はもちろんのこと、消費者自らが被害を未然に防ぐ能力を養い、同時に、持続可能な社会を実現するための消費者市民を育成する教育や啓発活動の必要性を感じています。

防災分野での女性の視点が求められる避難所問題

 男女共同参画社会の実現は、私たちの活動の大きな目的です。かつて、男女共同参画推進運動は女性の権利ばかりを主張しているととらえられ、猛烈なバックラッシュ(反動)に遭ったことがありました。しかし、本来女性にとって生きやすい社会とは、子どもや高齢者、男性などすべての人にとって生きやすい社会であるはず。その前提のもとに、昨年策定された第3次男女共同参画基本計画では、男性と子ども、高齢者、障害者などの視点に立った施策が新たに打ち出されました。加えて、地域、防災といった重点分野も新設されています。これまでの課題を洗い出し、その対応策が盛り込まれたことは意味のあること。今後は、実際の現場でどのように推進していくかが問われていくと思います。
 女性の視点の必要性が広く認められたのが、今年3月の東日本大震災での対応です。これまで防災体制を決定する場にほとんど女性は入っていなかったために、男性が気づかない細かな問題がたくさん起こりました。たとえば、避難所の問題。女性は男性と違い、着替えにしてもその場でというわけにはいきません。子どもをもつ女性であれば授乳する場所もなくてはなりませんし、女性特有の生理にかかわる備品なども必要です。しかし、避難所ではプライバシーも、必要な備品も十分に確保されていませんでした。また、リーダーが男性ばかりなので、声を上げにくいという状況もありました。
 従って、避難所には男性と女性リーダーをツートップで配置することが最低限必要なことだと思います。非常時においては生命を救うことが第一義ですが、その次は、きちんと性や年齢等に対応した環境づくりを求めていきたいと思います。
 全地婦連が行った支援活動としては、地震発生の3日後、3月14日に全国の加盟団体に対して募金の呼びかけを行いました。現地ではお金がまず必要になりますから、被害の大きかった3県の団体に100万円ずつお渡しし、必要なものの購入費用に充てていただきました。同時に、被災した団体の状況確認と不足物資の聞き取りを実施。それをもとに、全国から寄せられた9600万円の募金と必要な物資を集めて送るという両面からの支援活動を行いました。
 私たちのところには、被災した女性の声が直接届きます。報道にもあるように、今でも十分な支援が行き届いているわけではなく、状況は千差万別です。私たちは、必要な物資を会員に直接配分するという方法をとることで、目に見える形で支援を繋いでいます。今回被災したのは主に3県でしたので、その他の都道府県はすべてサポートに回ることができました。その点でも、迅速で手厚い支援が可能になったと思っています。

婦人会解消と同時に「レディースネット袋井」設立

 私はじつは、袋井市最後の婦人会会長だったのです。役員として関わるようになったときには、9つある小学校区のうち3地区にしか婦人会組織はありませんでした。少ない地区で地域全体の活動を支えるのは難しく、当時すでに組織は解消の方向に向けて動いていました。
 その頃の婦人会は縦割り組織で、社会の変化に柔軟に対応することが難しい面をもっていたのは事実です。しかし、婦人会はまちづくりに女性の声を活かしていくために必要な組織でもあり、その機会を失うわけにはいかないと私は考えました。幸い、同じように考えてくれる仲間がいたため、婦人会の代わりとなる新たな組織である「レディースネット袋井」を1995年に立ち上げました。
 レディースネット袋井には当初、袋井全域から60人ほどのメンバーが集まりました。少なくても1地区1,000人程度の会員からなる婦人会に比べると小さな組織ですが、自分たちのやりたいこと、これまで行われていなかったことをやろうと精力的に活動しました。
 私たちがしたかったこととは、次世代の担い手の育成です。その上で子どもたちの支援はもちろん、子どもを育てる親の世代の支援も必要だと考えました。そこで、行政との協働により、働く女性を支援するための講座を実施したり、地域の子育て情報が十分でなかったことから子育て情報誌「ひまわりキッズ!」を発行しました。さらに、全国で普及し始めていたファミリー・サポート・センターの設立をめざし、子育て支援のニーズ調査を行いました。
 ファミリー・サポート・センターの設立には行政の支援が必要です。ですから、腰を上げてもらうために、利用者の見込数の調査に加え、育児や介護などを行うサポーター会員の養成も行いました。利用者を確保するとともに、担い手も育てたわけです。それで県の単年度事業として認められ、翌年、厚生労働省のファミリー・サポート・センター事業として「ふくろい・ファミリー・サポート・センター」の開設にこぎつけたのです。

地域での活動が県、国へと学びの場を開いた

 レディースネット袋井は2001年、特定非営利活動法人化にともない「ふぁみりあネット」として新たな一歩を踏み出しました。それまでは女性のみの団体だったのを、これを機に垣根を取り払い、男性の協力も募りました。これまで女性の社会参画をすすめる上で男女平等についても学んできたことで、メンバーたちから「まちづくりをするのに男性も女性もない。一緒にやりましょう」という意見が出たんです。当時の社会的な流れもありましたし、メンバーが成長したとも言えますから、正直うれしかったです。
 特定非営利活動促進法(NPO法)の施行により民間のNPO法人でも受託が可能になったため、翌年にはふくろい・ファミリー・サポート・センターを運営していくことになりました。NPO法人による子育てと介護の両部門、1市2町の広域運営という性格をもつファミリー・サポート・センターは全国でも初めてのことでした。
 その後、2003年に袋井市内に3つの放課後児童クラブが発足するのを機に、3クラブの一括運営も受託。現在は市内7クラブと土曜クラブを運営しており、ファミリー・サポート・センターの運営とともに当法人の2本柱となっています。
 私は袋井市の婦人会最後の会長として務めさせていただいた間に、市議会をはじめ、袋井のあらゆる行政の仕組みを経験させていただきました。また、婦人会、NPO法人の活動を通じて静岡県地女連とも関わることになり、袋井でのみ活動していたときとは違う新たな視点を手にすることができました。そこから静岡市に拠点を置く女性組織との繋がりも生まれ、そして現在は、東京に来て国のことについても学ばせてもらっています。
 私は、本当に周りの方に助けられています。活動を続けているのも、そのお返しをしたいという気持ちによるものが大きいですね。ここまで育てていただいたのだから、私にできることはすべてしよう。そう思っています。

地域活動の意義を認めてくれた夫の支え

 現在は単身赴任で、週末に袋井に帰るという生活です。2人の子どもはすでに独立、4人の親も見送り、夫と2人だけの身軽な環境でしたので、東京勤務のお話をいただいたときにはすぐに「行こう」と思いました。
 夫の実家は農家だったのですが、夫自身は団体職員で、私も高校の教員として働いていました。同居をしていたのですが、両親とも私たちの生活スタイルや生き方について何か言う人たちではなく、黙って見守っていてくれたことは本当にありがたかったですね。ただ、好きなことをさせてもらっているのだからと、家事は一生懸命しました。
 一度、夫が下田市へ転勤することになり、子どもたちを連れて一緒に赴任したことがあります。そのときは専業主婦として付いていったのですが、半年で時間を持て余すようになりました。それで、ホテルのフロントで働き始めました。期限付きの赴任だったので腰を据えて仕事をすることはできなかったのですが、家でじっとしていることもできなかったです。
 夫も両親と同様、私がしたいということに対してブレーキをかける人ではありません。夫は現在65歳、高度経済成長期を支えた「働き蜂」の世代です。当時のサラリーマンとは、家庭を顧みず、残業して帰ることが美徳とされるような働き方を皆がしており、夫も同様でした。子供の幼稚園の役員をしてほしいという依頼があったときも、当然仕事が優先ですから断りました。そのときは私も仕事優先もやむなしと思ったのですが、ずっと後になって夫が、「ああいう仕事は企業とは違った世界のことだから経験しておけばよかった」と言ったのです。また、部下が当時の夫と同じ状況に置かれて相談にきたときには「できるならやったほうがいい」とすすめたのだそうです。「ああ、この人はそういうふうに思っていたのか」と思いました。その後、中学校での役員の話が来たときには、夫はきちんと引き受けておりました。
 夫は、「自分は仕事が忙しくて君のような地位での活動はできないけれど、君が活動してくれるのならいいよ」と思ってくれていたのです。夫が自分の生き方を認めてくれていたと再認識できたことは、とてもうれしかったです。定年を迎えた現在、夫はNPOの運営を共に支え、共に活動してくれています。夫の地域活動への理解には、本当に感謝しています。

地域の財産である若い力を大切に育てたい

 私の生き方とは、学んだことを地域で活かし、地域での活動が新たな学びに繋がり、そしてそれをまた地域に還元する、その連続である気がします。
 思えば、私はずっと勉強を続けています。教員時代には、社会科の教員として採用されたのち、通信教育で英語の教員免許も取得、英語教員となりました。じつは現在も学生で、日本女子大学の家政学部通信教育課程で食物学を学んでいます。きっかけは食生活改善推進員として活動に関わったことから、食についてトータルに学びたいと思ったこと。今年から内閣府の消費者委員会委員となり、食品表示の担当になったのですが、そこでも学んだことが活かせると思っています。
 食品分野は、消費者問題においても非常に大きな位置を占めています。表示とは消費者が商品を選択する際の最も大きな手がかりになるものですから、しっかりしたものでなければならないにも関わらず、偽装が後を絶ちません。今年の東日本大震災以降の放射能汚染の問題も大きな課題となっています。また、新しい食品も次々と送り出されていますから、それが本当に害のないものなのかをきちんと判断していく必要があると感じています。
 私は、全地婦連の事務局長として、各地域で活動している団体を見渡せる貴重な機会をいただきました。そこから学ばせていただくとともに、各地方で活動する人たちの声をきちんと国に届け、施策に反映していただくよう働きかけていきたいですね。そして、全国から集まった声を各地域にバックしていくこと。それも私の役割です。そうすることで地域で上がった声を隅々にまで行き渡らせることができると考えています。
 私は地域活動の「Uターン組」だと言っているのですが、外に出て学んでも、私自身の活動の場はやはり袋井にあるのだと思っています。現在、放課後児童クラブを利用する子どもは230人、ファミリーサポートセンターの会員は1,500人ほどいます。規模拡大にともなう社会的な責任の重さも実感しておりますから、さまざまなことに柔軟に対応できる団体運営を今後も続けていきたいと思っています。
 NPOを立ち上げてすでに10年が経ちましたから、次の世代に渡す準備も大切ですね。「ひまわりキッズ!」を一緒に制作したお母さんたちが今40代で、彼女たちに引き継いでもらえたらいいなと思っていますが、まだ方向性は見えていません。地域の若い力は財産ですから、大切に育てていきたいですね。

取材日:2011.11



静岡県袋井市生まれ 東京都在住


【 略 歴 】

1970法政大学社会学部 卒業
学校法人磐田東学園 磐田東高等学校 教諭(~1977)
1989学校法人笹田学園 デザインテクノロジー専門学校 非常勤講師(~2004)
1993静岡県地域女性団体連絡協議会 理事(1998~副会長、2002~2009会長)
1995レディースネット袋井 代表
2001特定非営利活動法人ふぁみりあネット 理事長
静岡県男女共同参画会議委員(2004~副委員長)
2002全国地域婦人団体連絡協議会 理事
2004静岡県男女共同参画センター交流会議 代表(~2008)
2009全国地域婦人団体連絡協議会 事務局長
財団法人全国婦人会館 常務理事
2010独立行政法人国立女性教育会館 外部評価委員
2011内閣府消費者委員会 委員

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