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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

「いつでも誰でも踊れる」コンテンポラリーダンス。
その自由さで、静岡発の文化を突きつける。

勝山康晴(かつやま・やすはる)

勝山康晴(かつやま・やすはる)


「コンドルズ」プロデューサー
ロックスター有限会社 取締役


- WEBサイト -

コンドルズオフィシャルウェブサイト

強者からの一方的な「押し付け」が大嫌い!

 昔よくテレビで父親が「誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ」って言うシーン、ありましたよね。私はあれが嫌いでした。それから、宴会の席で下ネタになったとき、女性が話の輪に加わったら「こいつは女なのに話がわかる」っていうのも。完全に男が優位に立っていますよね。そういう、強い立場の人が弱いものを見下したりするのって、昔から嫌いなんです。
 なぜでしょうね。実家は静岡県藤枝市で、父は公務員、母は専業主婦。でも別に父が威張っていたわけでも、母が肩身の狭い思いをしていたわけでもなかったんです。ただ田舎なので、たまに親戚が集まったりすると、男性だけが飲んだり食べたりして、女性たちは台所で忙しそうに働いている、なんてことはよくありました。私は台所で母や姉の手伝いをしながら、何気ない違和感はありました。
 あるいは子供の頃の経験でしょうか。私は学校では勉強ができる優等生でした。小学生の時の主要科目のテストなんて、6年間、ほとんど100点ばっかりでした。でも歌が苦手で。今でこそ、ダンスカンパニー「コンドルズ」のプロデューサーとして、舞台で踊ったり、バンドで歌ったりしていますが、音楽の授業って1人ずつ歌わせるテストがあったでしょう。クラスメートのなかには、勉強ができる私が音楽のテストで失敗するところを見たいと思う人もいたわけです。そうやって、一種やっかみの対象になったことはよく覚えていますね。アニメ好きというだけで変な目で見られたりもしました。
 共学の高校に進みながら3年間を男子クラスで過ごして、10代女子の実態に幻滅することなく「女性はすばらしい」と美化していたからかもしれないし、パンクロックの「1人ひとりが自由に生きていいんだ」というメッセージに感化されたからかもしれない。とにかく、もともと男性優位の社会に抵抗があったところへ、自分の好きなものが馬鹿にされることへのフラストレーションやなんかが重なって、今でも男性優位社会に限らず、理不尽な排除、上から一方的に押し付けられる感覚が大嫌いなんです。

学ランダンサーたちの「みんなで踊れる」ダンス


写真提供:ロックスター有限会社

 東京の大学へ行ったのも、そういう閉塞感から解放されたい、何か変わるかもしれないと期待したからでした。ところが、早稲田大学というリベラルな校風の大学にもかかわらず、ここでも「女は黙ってろ」と平気で口にするクラスメートがいたり、飲み会で女子にビールをつがせていたりした。先輩後輩の上下関係なら、ついだりつがれたりもわかるけれど、男子だから女子だからっていうのは、明確な理由が見えないじゃないですか。
 幸い、大学というところは高校までより格段に人の数も種類も多いもので、自由な、固定観念にとらわれない友人も周りに集まってきました。結果的に個性的極まりない、ある種「自由すぎる」仲間たちと出会い、コンドルズを結成することになるのですが。
 コンドルズは学ラン姿の男性によるダンスカンパニーです。主宰は近藤良平で、私はプロデューサーを務めています。ダンスを中心にした舞台をつくったりコントをしたり、バンドプロジェクトとして「THE CONDORS」改め「ストライク」もやっています。コンドルズのダンスは「コンテンポラリーダンス」といって、自由なスタイルのダンス。「誰でも踊れるダンス」というスタンスです。年齢や性別、体つきも一切関係なし。そもそもコンドルズ自体、背が高い人低い人、痩せている人太っている人、いろんな人間の集団ですからね。
 良平さんはとてもオープンな人で「みんなができる方が楽しい」というシンプルな理由で、独特な、それでいて誰もが踊れる振付を考えます。NHKの朝の連続テレビ小説「てっぱん」の「てっぱんダンス」もコンドルズのものなんですが、あれはよかったでしょう? 小さな子供からおじいちゃんおばあちゃんまで、みんなで一緒に踊って、しかも楽しい。ああいうのが理想です。
 舞台芸術にはいろんな価値観があって、誰が、いつ、どこで踊ってもいいというダンスがあってもいいと思っています。例えば、コンドルズのダンスを見て、「あれならできそうだな、おれもやっちゃおうかな」ってワークショップに参加してくれれば、願ったりかなったり。そういう人が増えればいいなとずっと考えてきました。最近は私たちのダンスに賛同してくれる方が増えていて、ワークショップにもたくさん参加してくださるので、すごくうれしいです。

ダンス嫌いが一転した、衝撃の「革命」

写真提供:ロックスター有限会社

 とはいえ、私は最初はダンスに興味はなかったんです。大学で好きになった女の子がモダンダンス部にいるからというだけの理由でモダンダンス部に入り、そこで良平さんと出会って誘われたからコンドルズの立ち上げメンバーに加わった、という流れ。ですから、結成後も5年間「僕はダンスシーンは出なくていい」と言い続けました。実際、舞台に立ってもダンスを楽しいとは思わなかったし、なるべくダンスシーンを減らしてもらっていたぐらいです。練習も嫌でしたね。途中からはプロデューサーとして作品全体の流れを考えたり音楽を選んだり、そういう方が楽しくなってきていたので、寝っころがって文句つけてる係がいい、なんて思っていました。
 ところが、忘れもしない2001年、福岡公演で「革命」が起きたんです。ダンスの技で「コンタクト」という2人がかりの技をする場面があり、私はメンバーの古賀さんに「リフト」、つまり持ち上げてもらったんです。舞台上の、さらに高いところから客席を見て――その瞬間、稲妻が落ちるように気付いたんです、「ダンスってこんなに面白いんだ」って。そのとき初めて、真面目にダンスに取り組まなかった5年間を悔いました。この瞬間がなかったら今、間違いなく踊っていなかった。それほどの衝撃でした。
 近々、学校教育のカリキュラムにダンスが取り入れられることになったようですが、コンテンポラリーダンスみたいな方がいいと思うんですよ。ヒップホップだと、向き不向きがはっきりするんじゃないかな。コンテンポラリーダンスは不思議なジャンルですが、これがカッコイイという決まりがないから、きみはきみで、僕は僕でいいんだ、と言える。コンドルズも子供向けのダンスをいくつも手がけていますが、続けることで誰でも「稲妻が落ちた」みたいなひらめきを感じられると思うんです。だから学校でダンスを教えるなら、私が小学生の頃に経験した「学校唱歌が歌えない子は歌がヘタ」みたいに「ヒップホップができない子は踊りがヘタ」になってしまわないように、みんなが「ダンスって面白い」と感動するきっかけを導き出せるように教えてほしいですね。

人を集める努力と、つかず離れずの関係

写真提供:ロックスター有限会社

 1996年以降、国内外での数々の活動を経て、コンドルズは今年結成15周年を迎えました。15年の間に変わった部分もありますよ。まず許容範囲が広くなった。若いうちは「僕らの世界観をわからないなら見なくていい」と突っぱねていた部分もありました。でも最近は「お客さんに喜んでほしい」という気持ちが大きくなって、以前なら「こんな曲で踊るなんて恥ずかしい」と思っていた曲も、ためらいなく使います。
 同じ時期に活動していたグループはたくさんあったけれど、軒並み解散したり活動停止してしまいました。そのなかでコンドルズが続いているのには理由があって、1つは順当に成功したこと、もう1つはメンバーがそんなに仲よくなかったことです。
 人が集まるには理由が必要です。そして集まるには成功しないとだめ、華やかさがないと人は離れていきますからね。成功してないなら、プロデューサーが成功している雰囲気を演出しなければならない。コンドルズにも、停滞して観客動員数が増えない時期がありました。でも「今日は芸能人の○○が見に来る」と言うと、みんな成功した気分になるんです、「おれたち注目されてる?」って。プロデューサーとして「言葉巧みに成功感を植えつける」ことは欠かしませんでした。
 仲がよくないというと語弊がありますが、私たちは普段から一緒にいるわけじゃないんですよ。言うなれば「任務があるときだけ集まって、終わったら会わない、ルパンファミリーやオーシャンズ11のような集団」。離れている間、何をしているかは互いに知らないんです。コンドルズに、スキンヘッドの光二郎さんというメンバーがいるんですが、彼が何で生計を立てているのかいまだに不明です。コンドルズの活動だけでは生計が成り立たないはずなのに、彼は金がないと言ったことがない。みんな彼についてあえて知ろうとしないし、永遠に謎でいい。プライベートな悩み相談もしないし、つるまない。舞台のために特化した集団なんですから、分かち合うのはステージの熱狂だけで十分なんです。

不満をエネルギーに、既存のものを変える勇気。

 良平さん中心のコンドルズですが、話し合いでは誰が意見を言ってもいい、面白ければ誰の意見でも採用されます。集団ではトップとイエスマンという縦社会になりがちですが、コンドルズは水平型社会、ネットワーク社会のようなチーム。上下関係はあまりありません。照明家や音響家、舞台監督がずっと同じなのも、同じ舞台を作るメンバーとして、忌憚ない意見が出るようにするためです。例えば、照明の坂本明浩さんは「最後はこういう照明でやりたいから、これに合わせて作って」と言ったりします。普通はありえない話ですが、その照明の案に「面白そうですね」と乗っかる。良平さんに対しても、面白くないと思えば「面白くないです」と言いたい放題です。良平さんの偉いところは、それを許すところでしょうね。
 コンドルズはこれから先も走り続けなくてはなりません。私たちは舞台をつくっているけれど、その原動力の1つは「不満」だと思うんです。不満を変えたくてみんなで意見を出し合って、もっといい舞台にしていく。今日、私は「静岡デザイン専門学校」で講義をしてきましたが、あそこの生徒は世の中に不満を持っているんじゃないかな。だって、今のデザインに満足している人は、自分で表現しようとは思わないでしょう。私はこんなデザインは嫌だ、私だったらこうするっていう野望をもっていてほしい。私も世の中の全ての舞台、バンドに不満があります。納得いっていません。何かを見て「こいつら最高!」と満足したら、とっくに辞めてるはずですから。どこかしら「おれだったらこうするのに」と不満がある。そういう不満があるから、やり続けるわけです。
 それは子供の頃、大人に対して抱いていた不満と似ています。「あんな汚いオトナにならないぞ!」っていう純粋な反骨精神、そういう不満をみんなもっていましたよね。男女共同参画も同じじゃないですか? 大人になるにつれ、この長い歴史の中で自分という存在は、そして自分たちの世代というのは、全然特別でなくて平凡極まりない、歴史上何度も繰り返されてきた人の営みとあまり変わらないことがわかってきます。でも、だからといって諦めたりするのではなくて、やっぱり、少しはこの世はましになったと思って死んでいきたいし、自分自身も少しはましな生き方をしたと思いたい。不満と反抗、そして何かを新しく変える勇気。新たなものをつくり出すには、それらが必要なんです。

静岡から発信する「完全静岡発」の文化

写真提供:ロックスター有限会社

 今、静岡市民文化会館と一緒に「南アルプスダンス」というご当地ダンスをつくっています。作詞作曲して、振付も考えていますが、コンドルズ静岡公演の前座でダンスを披露してくれた「コンドルズアーミー」の有志の方々が、地元ネタを盛り込むアイデアを出してくれまして、文字通り「誰もが踊れて、踊ることで皆が元気になるダンス」になっています。
 いったん静岡を離れて東京で暮らしてみると、静岡が首都圏の文化に侵食されているような気がしてきて、なんとなく悔しいんですよ。位置的にも静岡は東京と名古屋の間に挟まれていて、東京に対して憧れとも劣等感ともつかない思いを抱いている。無論、私も未だに持っているのですが。でも、その感覚を少しでも揺るがしたいんです。
 例えば「静岡には変なものがあるよね」「静岡でしか見られないから行こう」と、東京からわざわざ見に来るような。無論、そうではない人も多いのですが、東京のテレビ局とか広告代理店とか、いわゆる業界の人たちのなかには、自分たちが日本を支配しているような気になっている、勘違いしている人があまたいて、さっきの「上からの押し付け」と同じで、妙に気に入らないんですよ。そういう人たちをギャフンと言わせたい。東京で流行っているものの焼き直しじゃない、完全静岡発の「面白いもの」を、その鼻先に突きつけてやりたい。「東京ではテキトーなものが流行ってるみたいけど、静岡には静岡の楽しい文化があるしな」っていうほうがカッコいいじゃないですか。
 幸運なことに、今はインターネットの時代、静岡発が直にブラジルでウケてもおかしくありません。昔は東京経由でなければ発信できなかったものが、地方からダイレクトにアピールできる。地方で面白いものを作るチャンスなんです。最近流行っている、ご当地ゆるキャラなんて最高ですよね。ビートルズだって、リバプールという田舎の港町から出たバンドが全世界を席巻したから面白いんです。AC/DCだってオーストラリア出身。ロック界では田舎の国ですよ。でもそれがかっこいいんです。だから、自分が舞台などで培ったことを静岡にフィードバックしたい。静岡発の、すごい文化をつくりたい。もし私の代でできなくても、100年後にでもできていればいいんです。

取材日:2011.10



静岡県藤枝市生まれ、東京都在住


【 略 歴 】

1995早稲田大学社会科学部卒業
1996コンドルズ 始動
1999東京グローブ座公演
2001コンドルズ ニューヨーク公演
2001コンドルズ 海外ツアー、日本国内ツアー開始
2003『コンドルズ血風録』(ラピュータ)出版
2005コンドルズ 渋谷公会堂公演
2006ROCK STAR有限会社設立 取締役就任
バンドプロジェクト・THE CONDORS Vapからメジャーデビュー
2007THE CONDORS エピックソニーに移籍
2008『コンドルズ血風録』(ポプラ社)文庫版で出版
2010バンドプロジェクト・ストライクに改名し自主レーベールで活動開始
2011桐朋芸術短期大学 客員教授就任

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