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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

子どもの問題解決のために、家族の総合支援に奔走。
家庭の男女共同参画めざし、男性支援にたどりつく。

阿津坂博(あつさか・ひろし)

阿津坂博(あつさか・ひろし)


IBSカウンセリング研究所 統括研究員



家族の総合支援を行う研究所を設立

 私は2004年に、富士宮市に「IBSカウンセリング研究所」を立ち上げました。同研究所は、対話療法を中心とした支援活動の研究を行う任意団体です。ここでの私の役割は「統括研究員」。研究員に研究の助言をしたり、支援員が担当するケースの方針の検討や指導を行っています。そのほか、各関係機関との連携や情報交換も私の仕事です。
「IBSカウンセリング研究所」には、地域の乳幼児、児童、思春期青年期の子どもをもつ父親と母親への総合支援を目的にした「地域支援部」があります。総合支援というのは、子育てや夫婦関係、家族関係、子どもの問題など、家族に関わる問題を総合的にサポートしようというもの。具体的には、乳幼児から大人まで、幅広い年齢層の相談に対応していて、面接相談だけでなく家庭訪問、子育てをする母親たちのグループワークなども行っています。
 一方で、私個人としては、15年以上にわたりボランティアとして関わってきた東京の「三田カウンセリング研究所」で「思春期・青年期相談員」としての仕事もしており、家族や相談当事者のグループワーク・ファシリテーターもしています。これは、グループでのプログラム活動を通じて、相談者が互いに影響を受け、成長する過程を側面から援助するという役割です。このほか、家族ガイダンスや家庭環境調整なども行ってきました。
 ここ数年は、静岡県内の各行政機関などの仕事にも積極的に携わるようになりました。たとえば、保育園の子育て支援員や小学校の相談員、児童相談所・一時保護所の指導員、教育委員会の教育相談員、ハローワークの職業相談を行う就職支援ナビゲーターなどです。さらに、静岡市の保健センターでの認知症の家族会、清水の精神障害者の生活支援、犯罪被害者支援活動にも関わるなど、静岡県内でのネットワークを徐々に広げてきたわけです。

子どもの問題行動に直面した家族への支援を開始

 私が、問題行動を起こしている子どもたちへ直接関わるだけでなく、その親や家族の支援を始めたのは、保育園の子育て支援と小学校の相談員を経験したことがきっかけでした。
 保育園で出会ったのは、知的障害のある1歳半の女の子。彼女は高い所に登ったり、昼食時に机を蹴ったりと問題行動を起こす子で、よく保育士さんに叱られていました。0~3歳児は、言葉のコミュニケーションで自分の気持ちを上手に伝えられず、感情的になり、泣きわめいて暴れることもあります。そんな時、みんなと同じことのできない子どもは、「困った子」とラベリングされてしまう。大人の偏見や教育への考え方が、子どもを受け入れるどころか、集団から排除してしまうこともあります。
 このような子どもには、普通の躾も褒める子育ても通用しません。それどころか自己成長力、修復力、可能性を歪めることにもなりかねません。そこで私は、その女の子のありのままを受けとめるよう努めました。良くないことは駄目だと、分かる方法で少しずつ伝え、良い行動を増やすようにしていきました。すると女の子は、私のところへ飛んでくるようになり、いつの間にか、私は彼女の担当ということになりました。
 しばらくすると、徐々に彼女は落ち着くようになり、それまで避けていたお父さんともよく遊ぶようになりました。それに伴い、お母さんからは父親への賞賛と子どもの成長の喜びの言葉を聞くことができました。
 小学校4年生で、ADHD(注意欠陥多動性障害)の男の子も印象に残っています。彼とは半年間を一緒に過ごしました。彼も物を投げたり、机の上を走ったりと少しも目が離せない子で、私は朝一度トイレに行ったきり、ずっと彼のいる教室を離れませんでした。
 問題行動を起こす子どもを抱えた母親は、自分の子育ての仕方が悪いとネガティブになりがちです。母親に湧きおこる怒りや不満、不安が子どもに情緒的影響を与え、そのことで問題行動が増幅し、時に両親の夫婦関係に影響を及ぼすこともあります。その男の子の家庭でも両親の不和がひきおこされ、祖父母まで巻き込んだ家族問題に発展していました。
 ここで誰が悪いのかと原因を追及しても、何も解決しません。まだカウンセラーとしての技法が未熟だった私は、「彼のために、とにかく家族で歩み寄ってほしい」と頭を下げて回りました。しかし、家族問題のケアには長い時間が必要なのです。この時は赴任期間が短かったため私自身が満足のいくケアができず、その後は在籍校の先生へ引き継ぐことになりました。
 この2人のケースで私が思ったことは、子どもたちの発達、知的障害の問題だけに対応していては、問題の半分とも言える重要な側面を見落としてしまうことも多々あるということ。その背景には、子どもをめぐる環境の問題が絡みあっていることが多いのです。大切なのは、保育園や教育現場の子どもへの関わり方や、愛情や養育といった家庭での関わり方。それらが調和を生むと、子どもは情緒的に落ち着き、良く育つのだということです。

「対話療法」で、害を与えない支援をめざす

 私が目指しているのは、相談者に害を与えない相談、それぞれの家族の価値観や文化を大切にした支援です。これは、あたりまえのことのようですが、なかなかできないことなのです。
 相談者に害を与えるというのは、相談者の自己変容力や自己治癒力、自己回復力を奪ってしまうことです。支援する側が自分の価値観や常識で話の方向付けをしてしまったり、性急に問題を解決しようと不適切な助言や情報提供をしてしまうと、相談者に自分で考えることを停止させ、依存的にさせてしまうことがあるのです。
 それでは、どうしたらよいか。私は、ひたすら黙って聴くことだと思います。目の前で語っている事柄や内容、感情の激しさにとらわれることなく、問題行動や言動の向こうにある感情を大切にすること。本当に訴えたいことは何なのか、問題の本質は何か、そしてなぜ今ここへ来られたかなどを考えながら、相手の気持ちをしっかり聴くことが大事ですね。
 とはいえ、聴くということもなかなか難しい。聞き出すことにはリスクが伴うんですね。相手の痛みや攻撃性に関わることで、支援者自身がネガティブなエネルギーを受けとってしまい、自らが攻撃されて、潜在していた怒りや問題を浮き上がらせてしまうこともあります。そこで、私たちが行う「対話療法」では、相談者の苦しみに感情移入するのではなく、きちんと境界線を作って観察者になることを心がけています。
 そのためには、簡単なあいづちを打つことやオウム返しをすること、自分の体験を話すことは禁物です。私は、「お気の毒に」とか「お気持ちはわかります」という言葉がけもしないようにしています。ただただ、全身を耳にして、相手を傷つけないように常にアンテナを張り巡らして話を聴きます。聴くことは、まさに私にとって一生の課題ですね。
 大切なのは、一緒に涙を流すことではなく、その人が自分の力で冷静に対処できるように手助けをすること。相手の自己治癒力や自己回復力を起動できれば、時間がかかったとしても、相談者は自らの力で道を拓き、歩んでいけます。そのためには今、その人に何が必要なのかという現実的な支援をしていくことです。世間話をすることは、相談ではないのです。
 劇的な効果や即効性のある支援は魅力的であり、支援者がすぐに使いたくなりがちですが、細く長く続ける伴走型の支援、きめ細やかな見守りを大切にしたいと思っています。

学びへの欲求が導いたカウンセラーへの道

 私には子どもの頃から、空き時間をフル活用し、興味をひかれた事柄について学びたいという強い欲求がありました。中学の時には考古学の発掘調査に参加したり、高校の時に始めた手話の勉強は、社会人になるまで続けました。そうした勉強を通じて誰かに出会い、さらに新しい世界に導かれるという経験を、私はこれまで何度もしてきたのです。
 外資系部品メーカーに就職してからも学びへの欲求は消えず、最初に配属された総務課の3年間で、安全衛生関係の9つの資格と、防災関係の7つの資格を取得しました。次に配属された人事課では、外国人や女性、障害者などの雇用に関する仕事を担当しました。そこで取得したのが「障害者職業生活相談員」と、労働大臣認定の「産業カウンセラー」の資格。これが、カウンセラーの仕事に出会うきっかけとなりました。その時、私の中に芽生えたのは、「本格的に、心のケアをするカウンセリングをしてみたい」という思い。そこで、病院の精神科で開かれていた、不登校児童の「親の会」に参加してみることにしたのです。その会の主催するセミナーでは、多数のお母さんたちの中に1人参加していた30歳の私に、精神科病院の院長先生が関心をもってくださり、次回「親の会」への参加と主催者である「三田カウンセリング研究所」への参画を薦めてくれました。
 これを契機に、私は、「三田カウンセリング研究所」で思春期青年期問題相談員を務めることになり、不登校やひきこもりなどの問題に取り組むボランティア活動を始めました。
 一方、会社では、産業カウンセラーの資格を生かし、労務相談などに従事。その仕事ぶりが認められ、人材派遣会社に誘われて転職しました。そのころ人材派遣会社では、若い人たちが仕事になじめずに辞めてしまい、自信を失ってひきこもりになってしまうという問題が起きていたのです。しかし当時の私は、カウンセラーとして独立することは、全く考えていませんでした。とにかく、会社員として出世したいと思っていたのです。
 やがて大きな転機がやってきました。その頃、私は転勤のため富士宮市に移り住んでいたのですが、体調を崩して退職することになったんです。「三田カウンセリング研究所」での約10年間のボランティアの末に、グループ・ファシリテーターとして認められたのと同時期のことです。この時から、プロのカウンセラーとしての、私の活動が始まることになったのです。

男性による男性の支援の重要性に着目

 近年、私が注目しているのが「男性による男性の支援」です。実は男性も、男女の役割について固定的な概念をもつ「ジェンダーバイアス」にとらわれて、悩んでいることがあります。たとえば、社会や時代の中で、「男はこうあらねばならない」という概念を押しつけられ、その圧力に苦しむ。一方では、「女性は男性に従うべきだ」という思いこみが強く、女性に暴力をふるってしまう。男であるがゆえに、子育てに参加できない、させてもらえないという悩みもあります。そんな男性を支援するのは、やはり同じ男性が適しています。同じような世代に育ち、同じ時代の影響を受けてきた男性なら、同じ立場でより共感できますし、男性であるがゆえに追い詰められ、身動きができなくなった人たちの味方になることができるからです。
 こうして男性支援の活動に参画し始めた頃、京都で毎月開催されていた、悩みを抱える男性のグループワークに、私自身が当事者として参加していたことがあります。というのも、問題行動を起こして言うことを聞いてくれない子どもに対して怒りを覚えるという、自分の内なる攻撃性に気付いていたからです。グループワークで参加者の言葉に耳を傾けるうちに、自分の生き方や、目の前の他者をポジティブに受け入れるスタンスを習得でき、同じ立場という「当事者性」をもって男性相談に関わることができるようになりました。
 それらの経験を活かし、現在、「男性電話相談」の相談員をしています。これは、男性の生き方や家庭の問題、健康の悩みなどの相談に、男性相談員が電話で応じるというもの。相談員の資質向上と、困難な事例を相談員相互で支え合うために、静岡県内の男性相談員は年に6回、東京や大阪から講師を招きグループスーパービジョンを受けています。いつか、静岡の風土や県民性に合った男性相談やグループワークができれば、と期待しています。

「お父さん応援プログラム」で育児参加を啓発

 さらに、父親に対する子育て支援の取り組みにも力を入れています。これは、静岡県社会福祉協議会が2008年度から始めた、「お父さんの子育て支援事業」への参加がきっかけでした。
「お父さんの子育て支援事業」は、埼玉県のNPO法人「新座子育てネットワーク」が全国の自治体および企業向けに提案しているもの。父親の育児支援に効果的な「お父さん応援プログラム」を開発し、ファシリテーターを養成して、各地で実践していくことを目的としています。そこで私も養成講座に参加し、このほど「FSN(Father’s Supporters Network Japan)認定ファシリテーター」として認定されました。男性のファシリテーターは、全国的にも少ないと聞いています。
 ファシリテーターの認定には、3回の実習が必要です。そこで県社協は昨年、県内6カ所で「お父さん応援プログラム」を開催し、私も研修スタッフとして参加しました。6カ所の中には企業も含まれていて、裾野市の矢崎グループ従業員家族で構成されている矢崎裾野団地自治会では18人程、浜松の「遠鉄システムサービス株式会社」では8人程のお父さんが参加してくれました。内容は、父親の役割やワークライフバランスを考える講座や、積み木などを使ったワークショップなど。参加者の約8割が、満足度が高いと評価してくれましたね。
 企業にはさまざまな子育て支援制度がありますが、これからは社会の子育て支援制度も積極的に活用してほしい。県社協は今年度も、「お父さん応援プログラム」を開催する予定で、私もファシリテーターとして活動します。もっと男性のファシリテーターが増え、父親の育児サークルなどもできればいいと思いますね。

子どもには「父親と母親が協力して行う育児」が理想

 父親だからこそできる子育てがある、と私は思っています。以前、児童相談所一時保護所に勤めていた時、スタッフの中で一番読み聞かせが上手だったのが男性スタッフでした。低い声でゆっくりと読み聞かせをすると、子どもたちが落ち着くんですね。何か悪いことをした時に感情的に叱っても反発する子どもが、タイミングをみはからっての男性の冷静な一言で涙することもあります。引きこもりや不登校の子どもに、うまいタイミングで父親が関わると、状況が好転することもあります。
 ところが、私たちの上の世代が仕事一辺倒で子育てには関わらなかったために、今の男性には、父親の良い手本がないんですね。最近の父親のなかには、自分の都合の良い時だけ子どもと遊び、大変なときは手を出さないような人もいる気がします。そしてそれに対して母親は、育児に参加しない、変わらない男性をただ責めていた時代が長かったのはないでしょうか。
 子どもにとって、父親と母親が協力する子育て、家庭の中の男女共同参画は理想です。とはいっても、社会にはまだまだ性による差別や、男尊女卑の考え方があると感じています。社会はすぐには変わらない。しかし、家庭を変えることはできます。別々の育ち方をしてきた夫婦は、つい相手をコントロールしようとしがちです。しかし、これでは支配につながってしまう。大切なのはお互いによく相談して、自分を変えていくこと。変わるという冒険を楽しむ柔軟性です。
 かくいう私も毎日の仕事に追われ、家庭の男女共同参画度は理想とは程遠い状態です。我が家には1歳半の娘がいるので、育児にはできるだけ参加しています。たとえば、娘とお風呂に入るのは妻の役目。私は、先に上がった娘の体をふき、服を着せ、膝に乗せて絵本を読んでやります。その間、妻はのんびりお風呂を楽しむことができます。また、食後は家族それぞれが自分で食器を運びます。娘が手伝うと、うんとほめてやりますよ。時には私が全部の食器を洗って片付けることがあり、いつもは家事に追われている妻も、ゆったりと娘の相手をしています。時間があればもっと育児に参加して、理想の家庭に近づきたいですね。

静岡のネットワークを生かした独自の支援を

 最近では、東日本大震災で被害を受けた父親たちへの支援活動にも関わりました。「東日本大震災 父子家庭+父親支援プロジェクト」の一環で、支援員向けのビデオ制作に協力したんです。このプロジェクトは、日本ユニセフがNPO法人「新座子育てネットワーク」に企画・開発から実施を要請したもので、父子家庭になってしまった父親や、復興ストレスを抱える父親への支援をすることで、養育放棄や児童虐待、一家心中などの予防をめざすものです。
 震災によるストレスを抱える父親の心のケアは、とても難しいものです。被災者の自己回復力や自己治癒力を損なわずに支援するためには、支援員の心得が必要となります。そこで、支援員向けのビデオを通じて「FSNファシリテーター」でもあり、カウンセラーとして活動している私が、「害を与えない支援」について説明することになったのです。
 過去に起きたことは変えることはできません。しかし、未来はその気になれば変えることができます。過去を悔やんでも、誰かのせいにしても、ネガティブになるだけで前向きに生きることは難しいでしょう。私は、今日1日を丁寧に大切にし、ポジティブに暮らしていくことで、未来は拓けていくものだと信じています。
 こうしたさまざまなカウンセラーの仕事をとおして、私は自分が生かされていると感じています。これまでの人生のすべての経験や出会いが集約されて、子どもたちの支援や家族の支援、男性への支援にたどり着いたんです。今では、専門性を持ったプロであるというプライドも持てるようになりました。これからは、東京での活動で培った支援サービスを静岡でも提供しながら、静岡ならはでのネットワークも生かして、独自の支援を展開していきたいですね。
 1人でできないことでも、チームでできることがあります。今後も、子育て中のお父さん、お母さん、関係者の方々のお力を借りながら、活動を続けていきたいと考えています。

取材日:2011.9



福岡県生まれ 静岡県富士宮市在住


【 略 歴 】

1992労働大臣認定「産業カウンセラー」合格
1993「三田カウンセリング研究所」思春期・青年期問題相談員に就任
2004「三田カウンセリング研究所」グループ・ファシリテーターに就任
任意団体「IBSカウンセリング研究所」を立ち上げる
2007「IBSカウンセリング研究所」地域支援部、統括研究員に就任
2011NPO法人新座子育てネットワーク「FSN認定ファシリテーター」に認定
日本ユニセフ「東日本大震災 父子家庭+父親支援プログラム」に参画

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