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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

男性としての生き方の多様性を自ら提示。
経験に基づき家族やジェンダーの問題にも取り組む。

勝又洋(かつまた・ひろむ)

勝又洋(かつまた・ひろむ)


静岡県立沼津工業高等学校 教諭


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静岡県立沼津工業高等学校

「男女共修」後も男性教員が増えない現状

 私が中学、高校生だった頃、家庭科は女子だけが履修する科目でした。現在は男女とも必修となっていますが、男女共修となったのは中学校が1993年、高校が94年になってからのこと。30代以降の人の多くは、女子は家庭科、男子は同じ時間に技術や体育の授業を受けたという記憶があるはずです。
 私が教員になったのは、1996年。男女共修になって間もない頃で、男性にも家庭科教員への道が開かれ始めた時期でした。とはいえ、その頃社会人になった男性は、家庭科の授業を受けていない世代。男性教員は稀な存在でした。
 それから15年が経ち、「共修世代」も社会に出始めています。しかし、男性教員は増えていないのが現状です。静岡県でも、いまだに私を含めて2人しかいないのです。家庭科教員イコール女性という性別役割意識を払拭するためにも、男性教員の定着が待たれます。
 私は現在、県立沼津工業高校で教鞭をとっています。家庭科教員は私1人。生徒は1学年240人中、女子は15人ほどです。家庭科は1年次が必修、3年次は選択科目となっており、必修は2単位の「家庭基礎」を採用しています。高校全体の流れとして大学の受験科目に時間を割く傾向があり、家庭科の授業時間は減少傾向にあります。
 しかし、家庭科とは生活に直接的に関わっており、社会に出ても必ず役立てられる教科です。家庭科を学ぶことで知ったり、経験したことは、将来の暮らしを支えるものになるはずです。私は、家庭科の授業を通じて、生徒たちに自立して生活するための準備をしてもらいたいと思い、授業に取り組んでいます。

手伝い好きな子ども時代を経て家庭科教員へ

「先生になりたい」という気持ちは、高校生になる前からもっていました。小学生の頃からずっといい先生に恵まれ、自分も同じ仕事に就きたいと漠然と思っていたんです。ただ、教科までは考えていなかった。理科や数学もいいなと思ったし、ものを作ることも嫌いではなかったので、家庭科にも興味がありました。
 私は、子どもの頃から母の手伝いをよくしていました。当時のことは今でもよく覚えています。台所に立つ母の隣で料理の手伝いをしたり、味見をしたりするのが好きな子どもでしたね。高校生の頃には、家にある材料で自ら料理を作ることもありました。とくに教わったわけではありませんが、母を見ていて自然と覚えたのだと思います。裁縫も母がやってくれましたが、自分でもボタン付けをしたりと、一通りのことは当時からできました。
 実家は自営業だったのですが、鶏を飼ったり、野菜を作ったりもしていました。我が家の「家の味」として印象深いのは、家のぬか床で漬けた漬物や、芋がらやサツマイモの蔓、サトイモの茎などが入った味噌汁。自分たちが食べるものは自分たちで作るのが基本で、なんでもおいしかった。
 あと、高校時代のことで覚えているのは、妹が家庭科の授業で浴衣を作ってきたときのこと。自分で作った浴衣を着てお祭りに行くと言っている妹を見て、なんとなく「いいな」と思ったんです。
 結局、進学先には、家庭科の教員免許が取得できる生活科学科を選びました。伝統的な暮らしを大切にする家庭に育ったことが、やはり影響しているのでしょうね。その頃にはすでに家庭科が男女共修になることが決まっており、高校の担任の先生が後押ししてくれたことも大きかったです。
 大学では、40人ほどいる同級生のなかで男性は私1人でした。実習では同級生たちと関わることももちろんありますが、講義ではいつも1人。なかなか女性グループの中に入ることができず、いちばん前の席で授業を受けていました。そんな私をサポートしてくれたのは、先生方です。国家試験前には、家庭科教員だった高校時代の教頭先生が自宅に呼んでくださり、実習の勉強を教えてくれたこともありました。大学の先生も夏休みに補習をしてくれたりと、常に私のことを気にかけてくれましたね。そんな支えのおかげで、家庭科教員として一歩を踏み出すことになったのです。

家族や子どもを扱う分野を重点的に指導

 男女共修になってから、家庭科の学習内容はより幅が広がりました。調理や被服の分野と同様に、家族、保育、高齢者、消費者行動など、現代社会のさまざまな問題についても多くの時間を割くようになっています。
 私がとくに力を入れているのが家族や子ども、高齢者に関わる分野。生涯を見通して人の一生について考え、ライフステージごとの特徴や課題についての理解を促すというものです。授業の進め方はさまざまで、教材として絵本を使ったり、クラスの生徒それぞれのいいところを無記名で書かせて集めたり。レポートを書いてもらうこともあります。高齢者を扱う単元では、介護体験実習も行います。
 授業を通じて生徒たちに望むのは、自分を見つめ直し、自分自身について客観的に知ること。そして、他の人のことを思いやる優しい心を育んでもらうことです。その上で、子どもの発達や発育、生活について学び、合わせて将来親になることや歳を重ねることについても考えていきます。
 同時に、自立することの必要性についても話をします。今は親や大人たちに頼っているけれど、いつか新しい家族をもったり、守らなければならない相手ができたときに、彼らに主体性をもってほしい。彼ら自身が周囲の人たちに育まれてきたように、自らも行動してほしい。生徒たちにはいつもそう伝えています。
 家族や自立の問題を扱う際には、男女共同参画やジェンダーについても必ず触れるようにしています。例えば、「ある歯医者の息子がいるが、その歯医者はその子の父親ではない。これはどういうことでしょう」というような例を出して、身近なジェンダーについて気づきを与えたりします。
 今の生徒たちは、以前に比べればジェンダーに対する意識からかなり自由になっていると思います。しかし、やはりすぐに「歯医者が母親」だとは思わない。一部ではまだ固定観念が残っています。とはいえ、その人の考えはその人の生き方でもあり、私は訂正する必要はないと思うんです。ただ、より広い視野を獲得してもらいたいし、それを伝えるのは教師としての役目でもあります。
 私が強く思うのは、ジェンダーにとらわれて自分がしたいことができないような、また、誰かがしたいと思うことを阻むような社会や組織を、将来彼らには作ってもらいたくないということです。

男性が育児休業を取得する難しさを実感

 授業では、私自身の体験談を交えることもよくあります。やはり、結婚し子どもをもったことが、教師としての私自身にも大きく影響を与えていますね。
 私が結婚したのは27歳のとき。子どもは10歳の息子と5歳の娘がいます。妻も養護教諭として仕事をしているため、家事も育児も2人で行っています。
 私は、長男が産まれたときに育児休業を取得しています。子どもと一緒にいたかったということもあるし、育児をしっかり体験したかったという思いもあります。働いていると24時間一緒にはいられませんから、とにかく子どもを中心とした生活を送ってみたかった。それで、妻と入れ替えで育休を取ったんです。
 しかし、じつは育児休業を取得するのは簡単なことではありませんでした。なかば強引に取ったというのが実情です。
 男性教員が育児休業を取得する例は、現在でもあまりありません。私が当時の上司に相談したときも、男性の育休の必要性について話をした結果、期間が当初の希望より短い1ヵ月ということになりました。それでも、私は取得することができ、その間子育てを思い切り楽しむことができましたから、恵まれているともいえます。しかし、現在の社会ではまだ、周囲の理解が得られずにやりたいことが制限されたり、自分らしく生きることが難しい状況があることも感じました。
 こういうことは、誰が悪いということではありません。私は、生徒に育休を取れと言いたいわけでもありません。ただ、彼らには、大人になったときに部下が育休をとりたいと言ってきたら、取らせてあげてくれと言っています。最近は、今の子どもたちが大きくなる頃には世の中も変わってくるのかな、なんて思ったりもします。次の世代がどんな社会を築いてくれるのか、楽しみですね。

父親である自分の姿から生徒に学んでほしいこと

 私は、自分が男性教員であることをとくに意識したことはありません。ただ、自らの姿を見せることで、生徒に多様な生き方があることを示せる点はメリットであるかもしれません。また、現在のように男子生徒が中心の場合は、教えるのが同性ということで、調理や裁縫もより身近に感じてもらえている気がします。
 食生活の分野では、調理の基本的な技術を習得し、実生活に活用できるようにするとともに、健康的な食生活を営むための知識を身につけることを目指しています。私の家には、母が祖母から受け継いだ味があり、私はその味を繋げていきたいという気持ちをもっています。ですから、生徒たちにも各家庭の味があれば受け継いでもらいたい。「うちで漬物を漬けてます」という生徒がいれば、教えてもらうよう言ったりしますし、米と魚介、野菜などを中心とした、伝統的な日本型食生活について話もします。私自身が母の手伝いをすることで料理を覚えたように、生徒にも家では手伝いでも味見でもいいからするように言っています。
 なかには、料理に興味のある生徒が放課後、「これ作ってみたいんだけど」と私のところに来ることもあります。いつも「じゃあ、ちょっとやってみようか」なんて言いながら作っていますね。日頃から家で料理をしている生徒もけっこういて、なかにはお菓子や料理の専門学校に進学した生徒もいます。
 私は、自分が親という立場になったことで、これまで両親にしてきてもらったことをより意識するようになりました。また、同時に自分の子どもに同じことをしてあげたいという気持ちも生まれたんです。以来、生徒に話をするときにも、親としての実感をベースに伝えることができるようになりましたね。

家庭科教員として生徒の選択肢を広げていきたい

 私が教員になった頃には、男性の家庭科教員ということで生徒たちに驚かれることがありました。私自身も、たとえば子どもの学校で保護者と会ったときなどに、自己紹介するのが恥ずかしいと思うこともあったんです。しかし、今はそういうことはまったくありませんね。
 先日、ジェンダーに関する授業を行ったときに、生徒たちに感想を聞いたのですが、自分のなかにある偏見に気づいたという意見もあれば、親が共働きだから気にしていなかったという意見もありました。工業高校イコール男子という意識に気づき、興味があってもあきらめなければならなかった女子がいるかもしれないという指摘もあれば、将来子どもと遊ぶことが夢だから、自分たちから社会を変えていきたいという意見もありました。
 家庭科教員として私にできることは、授業を通じて生徒たちにさまざまな価値観を提示すること。男女共同参画やジェンダーもその1つです。女性にも社会に出て働く楽しみがあること。男性にも、子どもとお風呂に入ったり、家族にご飯を作って「おいしい」と言ってもらう喜びがあること。仕事も家事もしたいという人にとっては、片方では楽しみが半減してしまうこと。もちろん、家事と育児に専念したいという人もいれば、仕事に没頭したいという人がいてもいい。判断し、選択するのは彼ら自身です。私は、これからも自らの教師としての生活、家庭での生活を紹介していくことで、生徒の選択の幅を少しでも広げられればと考えています。また、日々移り変わる社会について学び続け、新たな認識や価値観を彼らと共有していきたいと思います。

取材日:2011.10



静岡県御殿場市生まれ 富士市在住


【 略 歴 】

1995静岡大学教育学部 卒業
1996県立三島北高等学校 教諭
2001県立富士特別支援学校 教諭
2004県立静岡工業高等学校 教諭
2007県立沼津工業高等学校 教諭

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