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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

農家の連携を促す牧之原茶業界のリーダー。
「数値化できる」経営で後継者育成にも貢献。

赤堀有彦(あかほり・ありひこ)

赤堀有彦(あかほり・ありひこ)


赤堀園 経営主


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赤堀園ブログ

地域の名を上げるには農家間の情報共有が必要

 我が家の近くにある茶園には、桜の木が植えてあります。大きな木は40年前、私が家に入ったときのもの。その横にある小さな木は、13年前に長男が就農したとき。ピンク色の河津桜は2年前、三男が入ったときに植えたものです。私で3代目となる赤堀園は、家族経営の茶農家。「ゆとりと面白さを家族で味わう楽しい経営」をモットーに掲げ、近代的な農業経営の確立とともに、健康で明るい家庭づくりを目指しています。
 2011年9月現在、8ヘクタールの自園と、契約農家から加工前の茶葉である生葉を購入する「買葉」で計23ヘクタール分、年間5万kgの茶製造を行っています。代表的な茶品種である「やぶきた」の深蒸し茶をメインに、3年ほど前からは紅茶の製造も本格的に始めました。赤堀園では、自家工場にて茶葉を蒸し、揉み、乾燥させる荒茶加工をし、提携している茶商に販売します。その後、茶商で荒茶の選別、火入れ、ブレンドなどの過程を経て、消費者の方々に届く仕組みになっています。
 私が就農したのは19歳のとき。長男でしたから、子供の頃から家業を継ぐのは自然なことだと思っていました。工場の手伝いもしていましたし、お茶も好きでしたね。それで、高校は、菊川市にある小笠農業高校(現小笠高校)の茶業科にすすみました。茶業科とは全国唯一の科で、周辺地域の茶農家の後継者が多く在籍していました。私は、茶業科OBが集うセミナーの発起人の1人となり、現在、毎年彼らと勉強会も行っています。高校時代に培った、地元で茶業に従事する彼らとの繋がりは、私の財産ですね。
 その後、1990年には相良町(現牧之原市)茶業経営モデル工場研究会を立ち上げました。これは、それまで個々に勉強したり、さまざまな取り組みをしていた地域の茶農家間での情報共有を図り、意識改革を推進しようというもの。経営、管理、栽培などについてともに学び、ともに成長していくことを目的としています。3年ほど前までは私たち世代が中心となって運営していましたが、現在は次の世代に引き継いでいます。
 茶業振興とは、地域に密着して活動しなければ実現することはできません。たとえば、私だけが自らの茶園でさまざまなことを試みたとしても、意味がないんです。地元である牧之原の名を上げ、地域ブランドとしての価値を高めるには、地域の農家全体で取り組んでいかなければならないのです。

自ら学び続け、契約農家とともに成長する

 赤堀園では、父の代から生葉の購入をしていました。しかし、その生産農家を系列化したのは、私の代になってからのことです。現在、契約文書を交わしている農家は12軒。安定した品質の生葉を提供してもらえるよう、私が栽培管理の指導を行っています。生産された茶葉はすべてうちで受け入れ、そして、契約書こそありませんがほぼ系列化している茶商に販売するのです。
 生産、加工、販売に関わる農家や茶商を系列化すれば、生産前に予め販売計画を立てることができます。そのことにより、それぞれの経営が安定するメリットがありますね。また、意識統一を図るという点においても非常に有効です。私たちは、12軒全農家の茶畑を巡る茶園巡回や、グループ内の品評会である茶園共進会を実施し、相互の意識高揚に努めています。
 毎年2月には、茶業発展を祈願すべく、グループ員とその家族の30名ほどで京都の伏見稲荷大社への参拝も行っています。片道5時間程度の車中でも、経営のあり方についてじっくりと話し合っています。バスの中という密室が、じつは私の考えを浸透させるのにちょうどいい場所なんです(笑)。
 私は、グループ間で栽培方法や経営管理の手法を統一させることにより、農家にありがちな「どんぶり勘定」ではなく、きちんとした数字に置き換えられる経営を目指しています。そうすることで、グループ全体の茶葉の品質の均質化や経営安定も実現するのです。
 しかし、そのためには指導する立場である私が勉強し続けることが求められます。各種勉強会をはじめ、試験場の先生、地元の農協や県の農林事務所、知人の話やさまざまな分野の本など、あらゆるところから私は学んでいます。持続性の高い農業生産方式の導入に取り組む農業者である「エコファーマー」にも認定されており、より安心安全な農産物の生産にも取り組んでいます。堆肥や敷草、敷藁などの有機物をたくさん補給すること。化学農薬は極力使わず生物農薬をすすめること。私が学んだことは契約農家と共有し、グループ全体で続けています。私は、こうしてグループで成長していくことが、ひいては地域全体の底上げにも繋がると考えています。

「家族経営協定書」に家事給、資格給を盛り込む

 家族経営の農家では、家計と経費の切り分けができておらず、家族の役割や労働時間、報酬なども曖昧になっていることが多々あります。しかし、それでは経営がどのような状態にあるのかを把握することができません。私は、自ら簿記をつけることで経営状態を数値化し、家庭と経営の境界も常に意識するようにしています。
 家族経営を持続的に発展させていくには、農業経営だけでなく、後継者育成や老後の計画など、生活設計についても家族で共有していくことが必要です。そのため、我が家では、長男が県立農林大学校に通っていたとき、家族旅行の機会を利用して話し合いを行いました。そのときの内容が後に、我が家の「家族経営協定書」として形になったのです。
 家族経営協定とは、家族農業経営に携わる者がやりがいを持って働けるよう、経営方針や労働条件について家族間で取り決めるもので、協定書は公の文書として認められています。私は県の担当者のすすめで協定締結しましたが、うちの場合はそれ以前からの取り組みがベースになっているんです。
 我が家の協定書は現在、経営主である私と妻、後継者である長男と三男を対象としています。大きな特徴は、基本月給とボーナス以外に、妻に「家事給」、息子に「資格給」を支払っている点。家事給は月5万円、資格給は1件につき月3万円です。家事給については、農業の仕事に加え、家事や育児もしてきた妻の労働に対する対価として導入しました。また、妻が担っている役割の大きさを彼女自身に認めてもらう意味合いもあり、月給とは区別しています。
 資格給には、後継者である息子たちのスキルアップの目的に加え、彼らへの励ましの気持ちも込められています。長男は5つの資格を取得していますから、月給に資格給15万円が毎月上乗せされることになります。モチベーションを高くもち、さまざまなことを学んでほしい。安定した給料は、何かを勉強する際にも役立てられるものなのです。

安定した給料が息子や妻名義の土地購入を後押し

 近年、土地を手放す農家が増えており、赤堀園ではそれらの農地を積極的に取得しています。そのなかで、将来の経営移譲を視野に入れ、土地を息子たちの名義で購入することが増えてきました。これは、息子たちの月々の給料が安定しているからこそ可能になったこと。彼らは自身の給料を積み立て、土地購入資金に充てているのです。現在、長男が1ヘクタール、三男が70アール、妻も15アールの農地をすでに取得しています。
 彼らが今から土地取得しておくことは、相続によって農地を継承するより相続税の面で有利になるという利点があります。加えて、「自分の畑」という意識をもつことで土地に愛着をもち、より手をかけるようになるだろうという期待もあります。現在はそれらの畑の管理は共同で行っていますが、いずれはすべてを任せ、自分の土地の売り上げはその人個人のものとなるようにしたい。そうすることで、彼らの経営感覚もより磨かれていくと思うのです。
 家族経営協定書には、経営計画の策定、家族会議といった条項も盛り込んであります。我が家では、毎年12月に行う家族会議で、1年間の実績について家族に示し、そこであぶり出された課題を翌年の経営計画に反映させています。このとき息子たちには、農業経営、生活管理それぞれの分野における自らの取り組みを、毎年使用している評価シートをもとにチェックさせます。これにより、自分の仕事の成果がどこに現れているか、または何が不足していたかを自分に認めさせることができるのです。次年度に向けて、年末に行うこの振り返り作業は、私たち家族にとって非常に重要なステップです。また、息子たちにとっては、経営について実践的に学べる場となっています。

38歳のときに「人間改造」され、経営改革に着手

 私が現在のような、数値に置き換えられる家族経営を志すようになったのは、38歳のときのこと。それまでは自分も「どんぶり勘定」の農家だったんです。それが、県農林事務所が主催していた講座で経営コンサルタントの中村英勝さんと出会い、経営方針を一から見直すことになりました。
 といっても、そこで私が得たいちばん大きなものは、経営のノウハウではありません。私は中村さんと知り合うことで、いわば「人間改造」されたんです。「農家」という人間を、企業的な「農業人」に変えてもらった。彼の話を聞いていて、自然と「このままではだめだ」と思えたんですね。
 一旦、意識改革がなされれば、後はいろんなことが自然と身に付くようになります。経営やマーケティングなど、自らが欲する知識をどんどん吸収するようになる。それまでと違った視点を手に入れることにより、自分の立場を相手の立場に置き換えてみるようになる。うまくいかないことがあり自分を犠牲者だと思っても、見方を変えれば、勉強が足りないことに対する警鐘だと捉えることができるようになるのです。
 家族経営協定のなかで家事給や資格給を導入しようと思ったのも、自身の意識改革によって生まれた発想によるものです。以前の私であれば、家事労働に対価を認めたり、息子に若いうちから土地を買えるほどの給料が必要だなんて思いもしなかったでしょうね。
 協定書は、締結するだけでは意味がありません。経営主が意識を高くもち、実行していかなければならないものです。企業であれば、売上が減って苦しいときでも、給料を支払わないわけにはいきません。それは家族経営でも同じこと。家族ということに甘えていたら、どんぶり勘定からは抜け出せません。経営主が意識を改革していくこと。それが大事なことです。
 私は、いろいろな場で家族経営協定の話をする機会があるのですが、集まるのは女性が中心です。しかし、協定書を意義のあるものにするには、男性の意識をまず変えていかなければならないと思いますね。きっかけさえあれば、人間は変わることができます。私が38歳のときに人間改造され、経営改革に乗り出したように、多くの人にきっかけをつかんでもらいたい。周囲が変わるのをただ待つのではなく、自分が変わることによって周囲を変えていってもらいたい。そう思っています。

家庭生活を楽しめるのは妻の支えのおかげ


 我が家の経営理念としてまず挙げているのは、「農業経営を通じて明るい家庭を築く」こと。それは、家族経営協定書でも明文化されています。「結婚記念日には2人で外食をする」「年1回海外旅行、もしくは、温泉旅行をする」という一文もあるんですよ。家是やモットーもそうですが、取り決めを明文化することで、意識づけになるんです。そして、それが意識改革、人間改造に繋がっていく。中村さんには、書いたものを貼りだし、毎日読むのがいいと言われましたね。
 実際、我が家ではよく家族や夫婦で旅行にいきます。赤堀園に研修できていた中国人青年が暮らす中国河南省に遊びにいった際には、少林寺や龍門石窟大仏などの世界遺産を車で案内してもらって、楽しかったですね。そのほかにもアメリカのフロリダに行ったり、家族で屋久島の縄文杉まで登山をしたり。富士山にも登りました。子供たちが小さな頃からそういうことは続けています。
 高校時代の茶業科の仲間と結成したバンドの活動も楽しみの1つ。過去には600人を集めたコンサートを開催したこともあるんです。私はギター、妻はボーカルとしてともに活動しています。牧之原市で昨年から行っている、茶専門店や生産者が無料でお茶を提供するイベント「お茶カフェ」の際には、自宅でもライブを行いました。60人ほどのお客さんが集まってくれて盛り上がりましたね。
 我が家が明るい家庭を築けているのは、ひとえに妻のおかげ。私が勉強会などで家を空けることが多くても、彼女が潤滑油となってくれているからだと思います。妻の支えがあるからこそ、仕事と家庭のバランスもとれている気がしますね。彼女自身も、仕事も家事もこなし、農協女性部の活動や「農山漁村ときめき女性」の活動を通じてたくさんの人と交流しています。我が家のもう1つの理念である、農業経営を通じて地域社会、地域農業の発展に寄与するという点においても彼女の貢献度は大きい。感謝しています。

兄弟それぞれの適性を活かし新たなステップへ

 現在、赤堀園の経営規模は、父の代の3倍程度に拡大しています。今後のビジョンとしては、現在8ヘクタールある自園を、15から20ヘクタール程度にまで増やしたいと考えています。というのは、12軒の契約農家が、それぞれのもつ畑の面積が小さく、十分な年間所得を得ることが難しい状況があるからです。そこで、赤堀園の茶園を増やし、彼らに従業員としてそこで働いてもらえないだろうかと考えたわけです。グループ員を含めて1つの企業とすることも視野に入れていますが、そのためには現在の規模ではまだ早い。今後は、現在のように茶商との付き合いだけでなく、自販や小売部分を強化していくことも必要となるでしょう。現在模索中ですが、次の代の課題となりますね。
 契約農家に安定的に生葉を供給してもらうことは、赤堀園にとっても重要です。しかし、それだけでなく、グループ員とその家族を大切にすることを第一に考え、彼らの経営支援を行っていきたいと考えています。
 赤堀園には2人の後継者がいます。長男の嗣人と、三男の久人。嗣人は茶業経営モデル工場研究会に参加しており、農協青年部の一員として、品評会で最高賞である農林水産大臣賞を受賞したこともあります。農林大学校時代から地道に勉強を積み重ねており、生産分野を成長させていってくれると思いますね。一方、久人は、商工会などとの付き合いをとおして、加工や商品開発の分野にも興味をもっています。ブログでの発信も行っていて、広報活動も得意とするところ。2人の性格や適性に応じて役割を分担し、それぞれの分野で情報収集したものが1つになれば、これほど頼もしいことはない。兄弟で相談している姿を見ていると、幸せな気持ちになります。バックアップも、知らず知らずのうちに力が入りますね。
 後継者育成は、私の使命だと考えています。我が家では、うれしいことに2人の息子が赤堀園に入ってくれた。そのことと、私の経営方針は無関係ではないと思っています。農家では、後継者の非就農が危惧されていますが、赤堀園の契約農家では、うちと同じ経営手法を取り入れることで、次男が家に入ったという例が4件あります。
 私は、人間改造され、経営改革を行うことができて、本当によかった。繰り返しになりますが、経営主の意識改革とは、とても大切なことなのです。そうすることでより合理的な経営ができる。家族で楽しく暮らせる。後継者も育つ。そして、地域が元気になる。茶業界を盛り上げていくためにも、これからも私は発信し続けたいと思います。農家は今、変わらなければならないのだと。

取材日:2011.9



静岡県牧之原市生まれ  牧之原市在住


【 略 歴 】

1971赤堀園3代目として就農
1990相良町茶業経営モデル工場研究会 発足
静岡県農業協同組合青壮年連盟 委員長
1991静岡県農業経営士 認定
1999「相良町茶業経営モデル工場研究会」の取り組みが、第23回全農新聞賞「青年農業者グループ活動コンクール」内閣総理大臣賞 受賞
親父バンド「はらの虫」復活
農林水産省「エコファーマー」認定
2000家族経営協定書 締結
2010牧之原市茶業振興協議会お茶宣伝隊メンバーとして「静岡牧之原茶のおもてなし無料お茶カフェ」プロジェクト実施
2011静岡県農業経営士協会 茶部会 部会長 就任

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