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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

重要なのは「人々が社会をつくる」という視点。
常識を疑い国境にこだわらず、男女共生を考える。

森俊太(もり・しゅんた)

森俊太(もり・しゅんた)


静岡文化芸術大学文化政策学部 教授


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静岡文化芸術大学

「社会構築主義」で「当たり前」の縛りを解く

 私は日本の大学を中退した後、アメリカの大学、大学院で理論的立場が異なる多くの先生たちから多様な視点の社会学を学びました。博士論文で調査方法として援用したのは大学院の指導教授であるジョン・キツセ先生が提唱した「社会構築主義」でした。これは、「社会問題がどのようにつくられるのか」について考える理論および調査スタイルです。たとえば、個体および種の生存が目的で健康なことが望ましい人間が病気にかかると、症状を除くために薬を飲んだり、病原の除去のために手術をしたりします。しかし、人間を社会に置き換えてみると、同じように考えるわけにはいきません。そもそも、生き延びることが望ましい社会ばかりではないわけです。たとえば、国民の人権を蹂躙する独裁主義社会も1つの「社会」ですが、それが「健康」な状態の社会と考え、その存続を望む人はほとんどいません。
 注意しなければならないのは、ある「社会問題」について人々が「問題である」といっているから自分も「問題だ」と思い込んでしまうと、その「問題」についての理解が一面的になってしまうことです。たとえば不登校について「問題」なのは子供ではなく、学校や社会の側とも考えられます。つまり、なにが社会問題かは、社会をつくりあげている個人、集団、組織などの言動、活動と力関係によって決まるのです。だれかが「これは問題だ」と言いだし、周囲が注目し、社会的影響力を持つ個人や組織がその「クレーム」を後押しすれば、問題そのものの是非と性質にかかわらず、その解決が一部の人々の利益にしかならなくても、社会問題として認定されて、莫大な税金が投入されてしまうこともあります。指導教授のキツセ先生から院生時代に私が直接学んだことは、だれが、なぜ、どのように、あることを問題として提起(クレーム申し立て)して、社会的に認定され、展開したのか(またはされなかったのか)というプロセスを明らかにする姿勢です。
 アメリカの社会学入門の教科書にはよく「人種・民族、ジェンダー、階級、宗教」の、4つの大きな応用分野が載っています。一方、日本社会では、人種・民族と宗教は重要な視点ですが、国民を大きく区分する要素ではありません。最近では、いわゆる「格差化」が表面化し注目されるようになりましたが、ジェンダーも、歴史を通じて日本社会を解き明かす大きなカギです。いわゆる「男らしさ」「女らしさ」という概念は、誰がどのような経緯で決めたのか。他の国はどうなのか――ジェンダーの概念(コンセプト)とは、国や地域、文化によって異なります。社会構築主義の立場に立つと、女性学・男性学を詳しく学ばなくても、ジェンダーそのものも、社会によって作られた概念にすぎないと、すんなりと理解することができます。
 概念とは、人々によって作られた社会の決まりごとなのであれば、解体し作り直すこともできるわけです。つまり、「当たり前」は当たり前ではないのです。「人間は社会によってつくられるが、同時に、人間は社会を作り上げており、作り変えることもできる」が、私の学問および生活の信念です。

社会的にも個人的にも意義のある男女共同参画

 帰国後は、英国に本拠を置く、管理職向けの企業研修会社でしばらく講師として働きました。その後、学校法人で国際交流や企画の仕事をしてから、大学で教えはじめ、高齢者の生きがいに関する国際比較やジェンダーについての研究を行ったり、男女共生や若者についての教科書作成にも携わってきました。そのため、さまざまな自治体の男女共同参画会議の委員を務めたり、講演などを行う機会も多くあります。
 研究面では、現在は「社会問題」「家族の変容」「家庭と仕事との両立」などをテーマとしています。財団法人静岡県勤労者福祉基金協会の「静岡ワークライフ研究所」の研究員でもあり、そこで、ワーク・ライフ・バランスの実態などについての調査、分析も行っています。
 ワーク・ライフ・バランスについての実態調査結果を見てみると、20~30代の家庭では、男女共同参画の意識が浸透してきたと感じます。この世代の男性は、育児と家事にもずいぶん参加しています。ところが年齢が上がるに従って、参加度は減少します。年配者を中心に、男女共同参画は、「男らしさ」「女らしさ」を全て無くてしまうと誤解する人もいます。私は、両性の平等と人権が保たれれば、個々の文化圏の性別に基づく文化は尊重されるべきと思います。重要なことは、「男らしさ」「女らしさ」と社会的・経済的不平等とは別の問題だということです。
 私は、男女共同参画社会のメリットは2つあると感じています。1つは、埋もれていた人材を活用できるという「社会的なメリット」。今の日本で活用しきれていない人材として、女性と高齢者、外国人が挙げられます。私は、中でも最も期待されるのが、日本の今までの制度疲労を起こしている仕組みにとらわれない発想を持っている女性だと考えています。国際連合などの国際的な舞台では、すでに日本人の女性が大活躍しています。これからの国際社会で日本が競争力をつけるには、女性の能力活用が鍵だと思いますね。
 もう1つが、「個人的なメリット」。私は個人の生きがいについて国際比較調査を行っています。そこでは、仕事と家庭の両方をもち、そのバランスをよくとっている人のほうが、どちらか一方しか持たない人やどちらかに偏っている人より生きがいが大きい、という結果が出ています。仕事や家庭、地域など、生活の中に多くのネットワークを分散してもっている人ほど、生きがいを強く感じているのです。この「生きがいメリット」は、男女の両方に言えることではないでしょうか。

男女共同参画社会の実現には規制や罰則が有効

 男女共同参画社会の推進活動に加わってみると、法的な整備はある程度進んでいるにもかかわらず、積極的な運用が進展せず、なかなか男女共同参画は進んでいないという印象を受けます。本来であれば、国が法律をつくり、行政が主導するよりも、草の根レベルで社会変化を進めることが望ましいと思います。アメリカでは、多くの犠牲を伴う市民運動(公民権運動)があり、つづいて女性解放運動が起きました。日本でも、まずは、講演会の開催や条例策定などにとどまらず、そのような活動が、勤労者による職場の性別役割や組織を見直し、学校の生徒・学生間、交際中の男女や夫婦による話し合いのきっかけとなればいいと感じますね。
 その上で、男女共同参画をより推進するためには、罰則を含む法律の設定を進めるべきと思います。アメリカには、人種や宗教、性別などによる差別を禁じる法律があり、女子職員の待遇に関して訴えられた日本企業もあります。またアメリカやEU諸国では、公共事業の入札で企業を決定する時に、管理職の女性比率や、育児休業後の職場復帰率を判断材料にすることも行われていますし、日本でも自治体により、類似した取り組みが広がりつつあります。
 私自身について言えば、初対面から「性別」「年齢」「人種」や「国籍」で対応の態度を変えることはあまりありません。10年以上のアメリカや他国での生活や、国際結婚など、さまざまな外国文化との出会いをとおして、自然にそういう意識が培われたのだと思います。
 私が生まれたのは、いわゆる「国際的」な環境ではなく、普通のサラリーマン家庭でした。4人兄弟の末っ子だったためか、両親とも私のやることにはあまり口をださず、自由にさせてくれましたね。家族や親類など、周りの大人の話からも、いろいろな影響を受けていたと思います。
 私は小学生のころ、将来は「国連の事務総長になって、国際平和に貢献したい」と思っていたことがありました。高校卒業後の浪人期間中に、素直に受験勉強に力を入れることができず、予備校と古くからある東京の語学学校に3ヵ月間通ったんです。そして、短期間に語学力を伸ばしてくれたその学校の英語の先生を含め、いろいろな出会いが重なって、結果的に大学受験せずにイスラエルにいくことになりました。

国籍と性別意識が消えた「キブツ」での体験

 語学学校に通っていた19歳の時、新聞で見つけたのが、イスラエルの農業共同体「キブツ」でのボランティア募集の記事です。政治経済や公民科目に関心があった私は、旧ソ連のコルフォーズ・ソフホーズ、中国の人民公社などの共同体に興味をもっていましたので、この記事が目に付いたのでしょう。仕事は農作業ですが、地域や歴史を知ることができ、また世界中から若者が集まるので、結果的に国際交流ができるということで、これはおもしろそうだと思いました。家族には危ないと心配されましたが、私自身は若かったからでしょうか、冒険心が先に立ち、応募してしまいました。
 滞在したキブツ「デガニア・アレフ」は新約聖書に登場するティベリア湖岸、ヨルダン川河口に位置するもっとも古いキブツです。海面下200メートルを超す地球の「へそ」と呼ばれる地形のためか昼間はとても暑く、野外作業は午前中に済ますため朝5時頃に始まる農作業を経験しました。主にグレープフルーツの選定と収穫を行いましたが、かなりの重労働でしたね。一方、現地での生活は、北アメリカやイギリス、オランダなど世界数十か国から若者が集まっていて、すべてが新鮮でした。そのような集団にいると、はじめは「民族」や「国籍」というカテゴリーを意識します。しかし、数ヵ月過ごすうちにほとんど気にならなくなる。個人の人間であることの方が重要になるんです。
 イスラエルとパレスチナの抗争という、長く複雑な歴史的背景を持つ社会の矛盾については、深く考えさせられました。当時イスラエルは休戦中でしたが、緊張状態であることに変わりなく、キブツに住んでいた人たちは、居住地から外に出るとライフルなどの武器を持っていました。キブツでもイスラエル社会全体でも、あまり「男女」の固定的な役割分担はありませんでした。イスラエルでは女性も徴兵制度の対象となっていて、彼女たちは、肉体的にも精神的にもタフだと思いましたね。
 その後、私は日本に戻り、大学に入学しました。ところが、日本の大学はあまり刺激がなく、キブツで出会った仲間に聞いたアメリカの大学生活のほうが魅力的に思えたのです。そこで英語のテストを受けて、入学審査書類をそろえコロラド州にあるリベラル・アーツ大学「コロラド・カレッジ」に編入学することができました。アメリカという国全体の社会や文化についての憧れはほとんどありませんでした。しかし、世界的に強い影響力を持つ国に実際に行ってみて、学んでみたいという気持ちが強くありました。

大学での教師や仲間との出会いがNGO活動へと導く

 アメリカの大学では、私を社会学へ導いた先生との出会いがありました。映画「ハリー・ポッター」シリーズに出てくる、ダンブルドア先生のようなひげを生やした若い先生。それが、社会学のジェフ・リヴェシー先生です。ディスカッションをしながら現代資本主義社会と文化を批判的に分析するという彼の授業が最高におもしろくて、私は「疎外」「格差」「社会学史」など、彼の授業を多く選択するようになりました。
 ジェフにはさまざまな影響を受けました。彼はベトナム戦争などの反戦運動にも参加していましたが、彼に影響を受けた学生たちが作った「ニュー・エイジ・コアリッション」(新時代連合)というグループに私も参加し、アメリカの海外の軍事活動に対する反対運動などを展開しました。私自身も在学中に人権擁護、難民救済などを行う非政府組織(NGO)「アムネスティ・インターナショナル」のコロラド・カレッジ支部を立ち上げました。そこでは、ソビエト連邦や中南米諸国での基本的人権侵害行為に対して、当時のソビエト連邦最高指導者である共産党書記長に抗議の手紙を送るなど、キャンペーンを行いました。
 こうした活動の背景には、子供の頃に体験したさまざまな社会問題が関係していたように思います。たとえば、京浜工業地帯の大気汚染が、近くに住んでいた私の小児ぜんそくを誘発した可能性が強いこと。伯父がシベリアに抑留され、事故で片方の聴力を失い瀕死の状態になりながら、なんとか帰国したにも関わらず進駐米軍のジープにひかれ死亡したこと。10年以上住んでいた神奈川県の家の近くに厚木飛行場があり、その騒音公害に悩まされたことなど。そうした社会的見聞が、学問的な関心や社会的な行動の動機となっていたのかもしれません。
 コロラド・カレッジ時代は、勉強にも活動にも全力投球をしてとても充実していました。卒業時には、社会学専攻の「全学成績優秀卒業生賞」をはじめ、さまざまな表彰を受けることができ、同年の秋に、カリフォルニア大学サンタクルズ校の大学院社会学博士課程に進学しました。大学院では奨学金を得たり、授業や研究の助手を勤め給料をもらいながら、社会学修士号を取得し、その後、働きながら博士論文をまとめて、博士号を取得しました。 ここ数年、日本の大学の春期休暇を利用して、コロラド・カレッジで客員教授として「日本社会論」の講義をしたり、最近では先方の先生と共同で、アメリカ人学生を日本に呼び、浜松を含む国内数カ所を移動しながら学ぶプログラムも実施しています。

「国際結婚」だけでなく、結婚はすべて「○際結婚」


 私の家庭での「男女共同参画度」は、おそらく100%と言えるのではないかと思います。その主な理由は、妻が仕事で多忙であり、外国人であること、そしてあらゆる家事や育児をいとわない自分の性格と、海外で1人で生きてきた経験だと思います。妻は、イタリア半島中部に位置する小さな国「サンマリノ共和国」の出身です。私は大学で教え始める前に、英国に本社がある人材教育研修会社に勤めていたことがあり、主に多国籍企業で体験型の社員研修を行っていました。そこで出会ったのが、当時、スイスの投資銀行の東京支店に勤務していた妻です。
 妻はイタリア語教師のほかに翻訳や通訳の仕事もかかえており、最近では週末も仕事で家をあけることが多くなりました。ですから、私が家にいる間は、家事や育児のほぼすべてが私の仕事です。
 子供は、現在長女が大学生で、長男が小学校6年生です。2人とも日本の公立学校に通わせました。妻は同時通訳を仕事にするくらいで、日本語の読み書きはほぼ問題なくできますが、幼稚園や学校、習い事・塾との連絡などのこまごまとした用事は、ほとんど、私と分担してきました。私は、大学の仕事も大切ですが、家族・家庭の日常生活をきちんと「まわす」ことも大事だし積極的にします。子供たちの発達と成長の過程に関わることで、親としての充実感をもつこともできますし、地域活動に参加すると近所付き合いもできます。社会学の実践とも言えますね。
「国際結婚家族」には、それなりの難しさもあります。たとえば、両親の母国語が異なる家庭の子供は、どちらの言語能力も中途半端になってしまう可能性がありますし、さらにアイデンティティ(自分はいったい何者なのかという自己同一性)が不安定になる場合もあります。それを避けるためには、「国際結婚」を安易に考えず、メリットと高い離婚率などのデメリットをよく理解すること、相手と相手の家族をよく知ること、子供の将来について両親が十分に話し合い協力することなどが重要です。これらはもちろん、同国人同士も含めどんな結婚にもあてはまる、それこそ「当たり前」のことですね。正直言って「国際結婚」などという言葉がなくなることが望ましいですね。結婚はある意味、すべて「○際結婚」ですから。

好奇心、努力、チャレンジから出会いが生まれる

 結果的に、さまざまな国の文化に触れてきた私の人生ですが、必ずしもいままでの生き方が良いとばかりは言えないと思っています。別に外国にいかなくても、日本国内で多文化、異文化経験もできるし、視点を変えると日本社会も十分に多様です。大事なのは、国内か国外かではなく、好奇心を持ち、チャレンジを続けること。いい出会いを通じて、自分を成長させ、社会に貢献することだと思います。
 高校の同窓生と会う機会があると、彼ら彼女らから、「自由に好きなことをしてきてうらやましい」と言われることもあります。確かに、節目節目にかなり悩み、失敗も多くありましたが、最終的に大事なことは自分の意思で選んできました。
 海外に行き、失敗や苦労もしました。しかし、いろいろなことをしたおかげで自信がつき自由になった気がします。「国際的」なことをしてきた結果、自分にとって「国際状態」が「当たり前状態」になり、「国際」を意識しなくなったというか。同じような感覚を持つ人は世界には多いです。日本では「国際」を意識しすぎだと思います。とにかく、これまでの人生に悔いはありません。
 子供たちが成長し、手がかからなくなって、ようやく自由になる自分の時間が増えてきました。好きなサイクリングや山登りの時間も持てるようになりました。研究面では、今後まず、今までの調査や研究の成果を本、できれば授業で使用する教科書としてまとめることに力を入れていきたいですね。次に、海外のネットワークを生かして、異なるいくつかの国や地域で、インタビューを中心としたフィールドワーク調査を行い、人々の細やかな心情まで映し出すような研究成果をまとめたいです。教育面では、ゼミの学生を中心に、私が大学と大学院で受けたように丁寧に指導を続けるつもりです。研究でも教育でも大きな影響を受け尊敬している、キツセ先生やジェフたち、そして、ここでは触れませんでしたが小学校から高校までの多くの先生たちから受けた恩を今後も学生に還元できるよう、恥ずかしくないように頑張りたいです。

取材日:2011.9



東京都出身 神奈川県在住


【 略 歴 】

1976イスラエルのキブツにボランティアとして滞在
1979上智大学 中退
コロラドカレッジ 入学
1981コロラド大学アムネスティ・インターナショナル支部 設立
1982コロラドカレッジ卒業 学士号取得
1985カリフォルニア大学サンタクルズ校大学院(博士課程前期)修了 修士号取得
1994カリフォルニア大学サンタクルズ校大学院卒業(博士課程)修了 博士号取得
1996いわき明星大学 助教授
2000静岡文化芸術大学 助教授
2004静岡文化芸術大学 教授

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