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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

人と人の出会いを結び、デザインするプランナー。
大学と地域が協働したプロジェクト型授業を提案。

平野雅彦(ひらの・まさひこ)

平野雅彦(ひらの・まさひこ)


静岡大学人文学部 客員教授


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平野雅彦なら、こう考える。【型があるから、型破り】

広告、出版業界での実務経験を教育の場で活かす

 さまざまな情報とどのように向き合い、接していくか。そして、それをどんなデザイン、カタチ(意匠)にのせていくか。私たちの周りに転がっている問題を視覚化し、そこから新しい価値をつくっていくこと――それが、どんな対象、商品を扱うときでもすべてに共通する私の方法論です。
 この方法を私は「情報意匠」と呼んでいます。現在、静岡大学で「情報意匠論」という授業を担当していますが、この授業では、地域のさまざまな課題と向き合うことが大きな柱となっています。情報化社会に必要な解釈、企画、編集について学びながら、企業、団体などの課題を掘り起こし、解決へと導く過程を体験します。
 私は、広告、出版などの分野で、プランナー、クリエイティブ・ディレクターとしてさまざまな企画に携わってきました。図書館や博物館の立ち上げ、ブックギャラリーの運営、企業キャンペーンと、さまざまな仕事で培った知識や経験を活かし、大学と地域を結ぶことが私のミッションだと考えています。学問のもつ可能性や深い洞察、企業や組織がもつ独自の知識や技術、手法、手続きなどといったものにはそれぞれの特色があります。自分はここを橋渡しするコンダクターになりたい、オーケストレーションをしたいのです。
 一方で、社会の人と繋がるといっても、学生はあくまでも学生であるべきだと考えています。それを忘れてはいけない。学生のうちに、学校内でやるべきことがたくさんあるんです。外に出て学んだことも大学に持ち帰り、その手法を研究なり、部活動なり、学内で応用していくことが大事だと思います。大学は企業の予備校ではないのですから、社会で通用する「ハウツー」を覚える必要はありません。たとえ覚えても、自分で考え、応用する力が身に付いていなければ、新たな問題が起こったときに解決することはできません。
 学生たちを見ていると、さまざまな才能をもっているにもかかわらず、「自分はこの程度」だと思い込んでいる場合が本当に多い。ですから、私は彼らに「あなたはここがいいから、ここを伸ばしたら」というアドバイスをたくさんしたいと思っています。そういう気持ちが、私を学生たちの教育へと向かわせる理由の1つです。

結果より、そこに行きつくまでの過程が大切

 情報意匠論の授業は、ある意味偶然ともいえるのですが、2004年、静岡大学の国立大学法人への移行とともにスタートしました。市民と大学、学生との交流、「知」の共有の場を設けることなどを目的に「市民と静大・共同企画講座をすすめる会(アッパレ会)」を市民と教員、事務方の有志で設立し、新たに2つの講座を開設したんです。そのうちの1つが情報意匠論です。私は縁あってこの会の設立発起人の1人となり、授業を担当することになりました。
 受講生は、毎年平均して50名ほど。それを5つか6つのグループに分け、それぞれ異なるプロジェクトを立ち上げます。授業期間は半年間ですが、実際は、学生たちは自らが関わるプロジェクトが終了するまで課題に取り組むことになります。なかには2年越しになるプロジェクトもありますから、すでに「授業」という枠を超えているかもしれません。
 プロジェクトの内容は、種々様々です。企業、公共施設、行政、各種団体ほか、静岡大学を対象としたものもあります。企業の新聞広告を制作することもあれば、学内の履修の手引きを再編集したり、記念式典でのパネルディスカッションの企画を提案し、学生自ら参加したこともありました。
 授業では、まずは課題をもっていると思われる企業や団体などにお声掛けをし、担当の方に現状の問題点についてオリエンテーションをしていただきます。それから、ディスカッション。課題の解決策について、先方と学生とで一緒に考えていきます。最後に学生がプレゼンテーションを行い、採用されたら実際の制作に入っていくというのが全体の流れです。
 たとえば、昨年から今年(2010-11)にかけて、島田市博物館と協働したグループがあります。学生たちは、地元の博物館を地域により浸透させるために、今まで以上に授業で活用してもらうことを考え、小学校に提案しました。ところが、カリキュラムの問題で博物館活用の時間がとりにくい理由でこの案はボツになってしまった。そこで、博物館に何度も足を運び、新たな課題に取り組んだんです。それは、訪れた人に常設展示をしっかりと見てもらい、理解してもらうこと。常設展示はその博物館の顔です。そのために、展示に物語性をもたせることで内容をより良く伝える方法を提案したんです。学生たちがあきらめずに2年弱を費やした結果、できあがったのは小さなパンフレット一枚。当初の企画とは違う形になったものの、重要なのはそこに行きつく過程です。その間に、学生たちはいろんなことを学ぶことができたのではないでしょうか。この経験をぜひ学びの場にも活かして欲しいのです。

「デザインしない」デザインが効果的な広告に

 プロジェクトのなかには、うまくいかなかったものもたくさんあります。たとえば、課題を与える側が、学生たちの取り組みをあくまで授業の一環としてとらえ、学生を「チェックする」というスタンスで関わった場合。そういうプロジェクトは、必ずと言っていいほど失敗します。そうではなく、企業や団体側と学生が一緒に考え、一緒に作り上げること――そういう場や雰囲気、信頼関係を築いていくことが大切なんです。
 2008年に、静岡市内を中心に展開するスーパーマーケットと取り組んだプロジェクトは、そういう点で成功した例だと言えます。
 そのスーパーマーケットは当時、折り込みチラシによる広域集客をやめ、その分の予算を地域のお客さんに還元しようと、さまざまなことに取り組んでいました。そこに学生が共感し、学生目線での企業紹介広告をつくることになったんです。
 学生たちは新聞の全段広告1本を担当することになったのですが、もちろん、広告の知識があるわけではありません。デザインもできなければ、キャッチコピーの作り方も知らない。しかし、それでいいのです。何が大事か、価値があるか、きちんと考えていくこと。そして仲間と向き合い、話し合っていくこと。そうすれば、自分たちの力で問題を発見することができるんです。
 学生たちは、何度も打ち合わせに通いましたが、担当者は学生の話を一切否定されませんでした。課題解決に共に取り組む者として接してくれたんです。そして、打ち合わせ用のラフスケッチを見て、これはいいからそのまま最終形にしようと提案してくださった。切り貼りして作ったもので、一見すると、そのスーパーマーケットを否定するようなコピーが書いてあるラフスケッチです。さすがにこれをもっていくときには、私も戸惑いました(笑)。しかし、そのラフスケッチが、そのまま新聞の紙面を飾ったんです。
 学生は、デザインしようと思わず、キャッチコピーを作ろうと思わず、自然に浮かんだ言葉を置いたんですね。そこには、対話から導き出されたものがストレートに反映されています。ある意味で、これはプロにはできないことかもしれません。だからこそ、評価をしていただけたのだと思います。この広告はかなりの反響があり、プロでも受賞することが難しい全国的な広告賞をいただくことができました。これは結果であり、目安にすぎません。しかし、学生にとって、自分たちが世の中で評価されたということは、ひとつの成功体験として、今後の人生の糧となっていくのではないでしょうか。

「会いたい人手帖」を作り積極的に人と出会う

 私自身、大学では理学部化学科に学んでいました。しかし、大学卒業後10年間、広告会社に勤務することになったのです。人生ってわかりませんね(笑)。学生時代に都内にあるコピーライター養成所に通っていたんです。当時コピーライターは花形職業で、何となく憧れがあったんですね。考えてみれば、静岡に戻ったのも、広告の仕事をするようになったのも、成り行きだったんです。
 広告会社では、本当にいろんな仕事をしました。企業のCMを作ったり、キャッチフレーズを作ったり、キャンペーンの企画を立てたりと、多くの貴重な体験をすることができました。しかし一方で、だんだんとコピーライターの仕事に満足できなくなりました。自分の書いたコピーに温もりが感じられないんです。見たことのないもの、行ったことのないものについて文章を書くことには違和感を覚えはじめました。私が求めていたのは現場に出て人々と対話することで、そこに根本的なものが見出せるのではないかと思うようになったんです。
 また、組織の仕組みに限界も感じていました。企業では、当たり前のことですが、企画書や稟議書を立ち上げて、それが通るまでに多くの時間がかかります。もちろんそれも理解できますが、私はもっと直観を大事にしたいという思いが強かった。「あの人に会ってみたい」「あの人と話をしたら何かが生まれるかもしれない」。そんな空気のなかで仕事がしたかった。それで、33歳のときに独立することにしたんです。
 独立してからは、会いたい、一緒に仕事をしたいと思う人に積極的にアプローチするようになりました。私は「会いたい人手帖」というのを作っていて、会いたい人の名前をそこにたくさん書いてあるんです。そして、機会をみつけては声をかける。そうして出会った人たちと一緒に企画したり、デザインしたり、書いたりと、そんなことばっかりしてきました。そして、それらの人たちと繋がっていくことで、私自身の仕事の幅も広がっていったんです。今、私がさまざまなことに関わっているのは、その人たちとの出会いがあるからこそなんです。

「本の人」という世間のイメージの裏で必死に勉強


 私は、興味の対象を広げるためには、人を好きになることがいちばんだと思うんです。恋愛でも師弟関係でもいい。人に興味をもてば、その人が関心をもっていることに対して、自分も自然に関心をもつようになります。
 私は師匠を作るのが得意なんです。これほど幸せなことはないと思いますね。目標ができるし、お手本ができるわけですから。そういう人に出会うと、自分自身のステージもガラッと変わり、視野が一気に広がるんです。
 そんな師匠の1人が、松岡正剛さん。編集者であり、日本文化研究の第一人者でもある「知の巨人」です。31歳のときにある講座で出会い、やがて私が独立するひとつのきっかけをつくった人でもあります。以来、松岡さんの立ち上げた学習ソフトウェア開発プロジェクトに深く関わったりと、お付き合いをさせていただくようになりました。
 松岡さんはインターネット上で書評「千夜千冊」や、丸善・丸の内本店のショップ・イン・ショップ「松丸本舗」なども展開されており、多読家としても有名な方です。松岡さんとお話をすると、自分がいかに本を読んでこなかったか、いかに自分が不勉強かということを痛感させられます。ですから、松岡さんと出会って以後は、猛勉強の日々でしたね。
 松岡さんと関わるうちに、私自身にもなんとなく「本の人」「本に詳しい人」というイメージが付いたのか、あるとき、書評の仕事をいただきました。しかし、このときは、引き受けてから必死で勉強したんです。実際には、書評をするような知識も技術ももちあわせていませんでした。しかし、私としては、できれば皆さんの期待と実態との差を埋めたいなと思ったわけです。結果として、このときの仕事は、次の仕事へとつながり、私はさらに勉強することになりました。そういうことを繰り返すうちに、だんだんと「本の人」に近づいていったような気がします。
 振り返ってみると、これまでの私はそういうことの連続でした。新たな課題を与えられ、自分に足りないものを突きつけられるたびに猛勉強し、それが自分を育ててくれました。そして、いつしかそれが新たな自分の一部になっていったんです。

高い能力をもちながら男性に対して萎縮していた母

 私が会いたいと思った人たちのなかには、もちろん、女性もたくさんいます。独立して以来、優秀な女性と仕事をする機会に数多く恵まれ、そのたびに、私は女性の才能を目の当たりにしてきました。男女共同参画の大切さについては、大抵の人は理屈としては理解できると思います。ですが、私は現場で彼女たちと仕事をしてきたことで、実感を伴って大事なことだと断言できるのです。
 私が独立した理由の1つには、そのプロジェクトに適任だと思う人を、その都度自由にキャスティングできるということもありました。企業では、基本的にはいつも同じ人と仕事をしなければなりません。しかし、同じ考え方、同じ発想をする人と組んでも、おのずと結果は決まってしまいます。私は、仕事はキャスティングで9割は決まると思っているんです。ですから、「この人だ!」と思う人と仕事がしたい。そこに、男女を区別する気持ちが入るはずがありません。それは、他の人の企画にスタッフとして関わるときも同じです。
 しかし、とくに組織のなかでは、女性の能力が抑えられている状況が存在するのも感じます。高い能力をもっているにも関わらず、男性の補助的な仕事に徹しなければならない人や、自分の才能をうまく発見できず、本来活躍できる場所にたどりつけない人がたくさんいると思います。私の身近な存在では、母がそうでした。
 私の実家は農家で、両親とも朝日が昇る頃に畑や田んぼに出て、日が落ちるまで働くという生活を送っていました。父は晴耕雨読の人で、自由気ままな性格だったのですが、母には、父や1人息子である自分の顔色を窺うようなところがありました。私は、そんな母にずっと違和感をもっていたんです。
 母は学問的な知識は何ももたない人ですが、コミュニケーション能力がものすごく高いんです。現在は80歳を超えていますが、仕事のやりとりをする際にも、メモは一切とりません。次々に入ってくる注文や連絡にもその都度てきぱきと対応し、内容も全部覚えているんです。私だったら、手帳に書き込まなければ何も覚えられないでしょうね。近所の人たちとのコミュニケーションもうまいですし、きっと、その能力は社会でも活かせる場がたくさんあったと思うんです。しかし、そんな能力がありながら、今でも男性に対して萎縮しているのを見ると、私はどこかに小骨が刺さっているような感覚を覚えざるをえません。
 自由に、と言っても今の母にはもう無理なのでしょうね。母を見ていると、男女という意識は、若い頃の環境や学習によって根付いてしまうものであり、なるべく早い段階で解き放たなくてはならないものなのだと感じます。

「説得」ではなく「共感」によって人は動くもの


 男女共同参画とは、結局は人権の問題なのだと思います。男性、女性という以前に、隣にいる人をどうやって思いやり、その人とどうやって共感をつくっていくかを考えるべきです。隣の人の苦しみに近づき、自分と重ねて痛みを分かち合うこと。シェアしようという気持ちが大切なのです。
 教育の場や企業においても、共感することはとても大事なことだと思います。たとえば、「これをやらなければ単位がもらえない」とか、「納得していないけど社長が言うから」という理由でも人は動きます。しかし、これは「説得」によるものであって、「共感」ではありません。人が心から動きたいと思うのは、共感したときだけです。いい映画や芝居を観たときに、人は説得されたりしていませんよね。この人の作品をもっと観たい、この人たちのためにもっと何かをしたい、そういう共感によるエネルギーが、さまざまなプロジェクトを動かしていくのです。
 私は、学生に対しては2つの言葉しかもっていません。「いいんじゃない」と「もっとこうしたらよくなるんじゃない」。プロジェクトが始まったら、学生たちに基本的には任せるようにしているんです。学生のすることを最初から否定してしまっては、学生も嫌になってしまいますし、それでは結局、学生を自分の作品作りの道具にするのと同じです。ここでは、学生に共感し、後方支援をするのが私の役割であり、またそうすることで学生の能力を最大限に引き出すことができます。
 私はこれまで、さまざまなプロジェクトや活動に関わってきました。そのすべてにおいて実現したいと思っているのは、「よく生きる」ということです。私自身が「あの人に会えてよかった」と思える日々の積み重ねにおいてもそうですし、私たちのデザインが生み出しうる結果においてもそうです。ただモノを売るためだけでなく、より良く生きていくためにもデザインは必要なのです。どうしたら人と人がふれあうことができるのか。そういう視点が大切なのではないでしょうか。
 社会は常に変化し、必ず新たな課題が持ち上がります。そのなかで私は、これからも学び続け、新たなデザインを作り続けていきたいと思っています。

取材日:2011.9



静岡県静岡市生まれ 静岡市在住


【 略 歴 】

1983広告会社入社
1993独立
1998~静岡県掛川市生涯学習講座 講師
2005静岡市図書館協議会 会長(~2007)
静岡大学人文学部 非常勤講師
2006~財団法人満井就職支援奨学財団 評議員
静岡新聞広告賞 グランプリ受賞、静岡新聞広告賞読者が選ぶ広告賞 銅賞受賞
  (静岡大学人文学部言語文化学科「情報意匠論」学生プロジェクト)
2008第28回日本新聞協会・新聞広告賞 広告主部門 優秀賞、静岡新聞広告 奨励賞受賞
  (静岡大学人文学部言語文化学科「情報意匠論」学生プロジェクト)
静岡県男女共同参画センターあざれあ「ねっとわぁく」編集アドバイザー(~2010)
2009~静岡大学 人文学部 客員教授
2011東海大学短期大学部 経営情報学科 非常勤講師

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