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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

ハーモニカを手に、高齢者の自立と交流を語る。
「朗らか人クラブ」でいきいきした人生を。

渥美よしひろ(あつみ・よしひろ)

渥美よしひろ(あつみ・よしひろ)


浜松ハーモニカグランパ+1 代表



雄踏中の仲間で定年間近にハーモニカバンド再結成

 私は「浜松ハーモニカグランパ+1」というグループの代表を務めています。キーメンバーは男性4人。現在は女性のメンバーが1人加わり、5人で活動しています。
 ハーモニカを始めたのは中学生のときですから、もう50年以上のつきあいですね。なぜハーモニカかというと、昭和20年代は終戦から間もなく、音楽部といっても楽器はハーモニカぐらいしかなかったからなんです。
 当時「全日本学生ハーモニカコンクール」という大会があり、東京で東日本大会が開かれていました。地方予選で優秀な成績をおさめると出場できるのですが、先輩から「ただで銀座見物してきたぞ」と自慢話を聞かされまして、俄然練習に熱が入りましてね。幸いにも私は2年生でアンサンブル、3年生のときはソロで出場する幸運に恵まれました。
 定年間近になって「やる事がなくなったら大変」と気付き、雄踏町内在住の仲間に呼びかけたのが再びハーモニカを手にしたきっかけです。すぐに4人が賛同してくれ、1997年「雄踏町ハーモニカグランパ」が誕生しました。翌年、「浜松まつり」協賛の「ハーモニカ100曲リレーコンサート」に出場しましたが、演奏レベルは中の上といったところでしょうか。「昔とった杵づか」で、練習を重ねるとレベルも向上しましたね。また、高齢者施設からの依頼で慰問演奏もしたのですが、これが思いがけず大好評でした。お客様が演奏に合わせて歌い、涙を流す姿を見て、私たちも感動してしまいました。
 地域社会への「恩返し」として慰問演奏を心がけてきましたが、「また来て、もっと来て」という声が多く、だんだんとそのすべてに対応しきれなくなってきました。それで「ハーモニカグループを増やそう」と、最近はハーモニカ指導者の育成に力を入れています。グランパのメンバーはすべて指導員の資格を取っており、「+1」の神田ちよさんもその1人です。最近ではテレビ出演の話をいただくこともあり、「雄踏」ではわからない人も多いので、グループ名を「浜松」に置き換えたんです。
 私はほかに「NPO法人浜松日中文化交流会」の常任理事を務めていますが、2010年の中国親善旅行でもハーモニカが役に立ちました。私が作曲した「漓江下り」(中国曲名は「桂林山水甲天下」)に、訪問先の大学の学生さんに詞をつけてもらったんです。この、日中合作の記念曲をハーモニカの伴奏で歌ってもらい、日中交流イベントは大いに盛り上がりました。

町議会議員を経験、「老人クラブ」役員への転機

 私は大学卒業後「帝人」に入社、おもに設計や工事部門で働いていました。自宅を離れ、大阪や四国の松山に長年勤務していたんです。
 ところが私が40歳になる前に、父が心筋梗塞で倒れまして、私は一人息子で跡取りでもあったため、郷里の雄踏町に帰る決心をしました。その後、元教員の両親が自宅で近所の子供たちに学習指導をしていた縁で、「学習塾まなびや」を開業しました。父のアドバイスで教員免許も取得していましたので、とくに不安はありませんでしたね。その間に、中学校のPTA会長も経験しました。
 雄踏町の議員に立候補したのは54歳のときでした。先輩議員の後継として、小山地区から出馬し、地元の皆さまから大変あたたかいご支援をいただきました。今、地域のためにボランティアしようという気持ちの根幹には、そのときのご恩返しをしなくてはという思いがあるんです。
 その1つとして、私が今もっとも力を入れているのは「老人クラブ」の活性化です。その発端は、2008年3月末に地域の長老といわれる方3人が来訪されたこと。「老人クラブの役員になってくれ、受け手がないとつぶれてしまう」と、「小山老人クラブ」への誘いを受けたんです。「小山老人クラブ」では、当時すでに137人から年会費ももらっているのに、役員の受け手がないと解散しなければならず、何とか助けてほしい、と。
 私は、自分にできることがあればしようと、副会長と会計を引き受けることにしました。 

全国的に減少傾向の老人クラブ、その存在意義

「老人クラブ」は老人福祉を充実させるための全国的な自主組織ですが、価値観の多様化などで、会員数は全国的に減少を続けています。経済的、社会的に豊かな人生を送る高齢者が多い一方、引きこもりなどで寂しく孤独な余生を送る高齢者も少なくありません。老人クラブ会員数の減少は、健全な社会の安定という視点からみれば、極めて深刻な事態なのです。
 老人クラブの活性化は、増え続ける高齢者医療費や介護費の削減に結び付きます。だからこそ自治体を通じ、会員数に応じた活動補助金もいただけるのです。もちろん、この補助金を有効に使い、芸能発表会、講演会、輪投げ大会、グラウンドゴルフ大会、研修旅行など、さまざまなイベントを盛り上げることが大切です。老人クラブが団体として成り立たなくなれば、税金や医療保険費を納めるすべての人々にとっても大問題なのですが、そのことに気付かない人が多いと感じますね。
 全国的に会員数が減少している理由としては、価値観が変わったことが大きいと思います。昔はテレビも面白いものは少なかったですし、今は、高齢者のサッカー同好会、卓球の同好会、カラオケのグループなど、趣味が多様化している。老人クラブに入らなくてもできることが増えているんですね。
 ただ、趣味にも交友関係にも恵まれた人にはそれでいいかもしれませんが、知り合いも少なく、1人で家にポツンといる人も少なくありません。家族で住んでいても若い人と折り合いが悪く、寂しい思いをしているお年寄りも実際にいるのです。
 ですから、私はことあるごとに老人クラブの本質について人々に語りかけています。加えて、老人クラブの活動を見てもらう、マスコミにも顔を出して取材に来てもらう。ハーモニカの演奏に行った先で入会をおすすめする、ということをやっているんです。

言葉でなく実績で説得。「朗人クラブ」で会員1.5倍増

 私が役員になってすぐの2008年5月に「財団法人静岡県老人クラブ連合会」が若手委員会を立ち上げました。委員会の課題は、会員の減少傾向にどうやって歯止めをかけるか、若い人の加入を促進するにはどうすればいいか、という2点で、12月には提言書をまとめてほしいということでした。
 浜松市老人クラブ連合会傘下のクラブ役員のなかでいちばん若いという理由で、私は代表としてこの委員会に参加することになりました。この時点で、私はすでに中学の同級生や自治会の元評議員仲間などに呼びかけ、20人以上の若い新会員を確保していました。初会合のときには、まじめに話しすぎて「静岡県老人クラブ連合若手委員会」初代若手委員長という大役を背負うことになってしまったんです。
 若手委員は当然のことながら経験が浅く、「老人クラブとはいったい何なのか」というところから議論が始まりました。老人会というくらいですから、主要メンバーは80歳前後で、当時私は68歳。経験不足の若輩の提言を、クラブの長老や重鎮たちが受け入れてくれるかどうかという心配もありました。そこで、初代若手委員会の提言骨子は「会員をどう増やすか」ではなく「何をしたらどう増えたか」を実績で示すことに重点を置きました。世のため人のために自分は何ができるか、自ら考えて実行する――このことは、大役から解放された今でも、私の習い性になってしまったようで、ときどき頑張りすぎてくたびれて、後悔することもあるんですよ。
 小山老人クラブへの入会勧誘の際、断られる理由としてもっとも多いのは「まだ若い」というもの。たしかに、今は60歳だと「まだ老人じゃない」という人も多いでしょう。そこで老の字を「朗」に置き換えて、「朗らか人クラブ」だと宣言。これで加入率が上がりました。会長をはじめ、全役員の協力のおかげもあり、2009年4月には137人から207人に増えたんです。
 小山老人クラブの件が一段落した後は、雄踏町全域での会員増強にも取り組みました。その結果、3つの空白地域に老人クラブが復活。雄踏町の会員数は2007年度の522人から2011年度の774人と激増。来年以降が楽しみな結果となっています。

気軽にできる「レクダンス」で女性会員を引き込む

「小山朗人クラブ」の会員増強の仕掛けの1つとして「レクリエーションダンス」があります。通称「レクダンス」と呼ばれるこのダンスは、フラダンスと盆踊りを足して2で割ったようなもので、誰でも楽しく気軽に踊れて、全国的にも取り入れるクラブが増えているようです。
 レクダンス同好会は、小山だけでは人数が足りず、町内全域から会員を募りました。現在の会員は35人で、クラブ間の交流が深まる一方、イベントで踊ってもなかなかの迫力です。練習だけでも親睦と健康増進で意義がありますが、町の運動会やふれあい広場などにも出場しています。華やかな衣装はお年寄りに明るい印象を与えてくれ、その効果は期待以上のものがあります。もちろん、そのたびに、ナレーションで老人クラブをPRすることも忘れません。
 昨年、磐田市で開催された県主催の「ふるさとふれあいフェスタ」には、結成2年足らずの「雄踏レクダンスチーム」が浜松市代表として出場することができました。これに自信を得て今年5月、雄踏地区老連主催で「レクダンス交流親睦研修会in雄踏」を開催したところ、市内全域から約200人が参加してくれました。これから始めたいというクラブもありましたので、その後「老人クラブレクダンス同好会立ち上げセミナー」も実施しました。その結果でしょうか、今年9月開催の浜松市老連レクダンス発表会は、参加者が394人で、昨年より120人も増えました。

「ひかえめ」より「前へ」、地域で個性ある活躍を期待

 レクダンスを率先して教えて下さるのは、浜松市老連副会長の鈴木美恵子さんです。レクダンスの普及に熱心で、積極的に西へ東へ飛び回っていらっしゃいます。年齢は80代だそうですが、若々しくて元気はつらつ、とてもそのようなお年には見えません。雄踏レクダンスチームも美恵子先生のご指導で成長しましたが、「レクダンス交流親睦研修会in雄踏」でも中心的な役割を果たしていただきました。
 日本社会では昔から、女性は「ひかえめ」がよしとされてきました。しかし、今は時代が違います。女性がもっている個性や能力を、もっと社会のなかで活かしていけば、高齢者の未来はいっそう明るいと思うのです。老人クラブの役員は一種のボランティアだと思いますが、「ひかえめ」ではボランティアは務まりません。リーダーは自分の信念を貫ける人、責任のとれる人でないとだめですね。レクダンスに限りませんが、いろいろな行事をこなすうち、人の世話ができる人、そういう素養のある人が見えてきます。女性は本来、レクダンスでもハーモニカでも、趣味をもち、地域と接点をもつことで、どんどん活躍できる人が多いと思いますね。

役員の負担を減らす工夫で、続けていける環境作り

 老人クラブを運営する上では、世話人さんの過重な負担を減らす努力も必要ですね。その1つとして、小山朗人クラブでは、女性役員のお茶当番をなくしました。例えば、70~80人分の湯呑み茶碗を洗ったり片づけたりするのは大変な重労働ですから、お茶缶やペットボトルを利用するようにしています。会計帳簿の整理方法にも改善余地が多く、その研究会を開いたこともあります。
 ハーモニカの演奏会では、お客様に満足していただけるようにプログラムを組んで練習しますが、メンバーの演奏者にも満足してもらえるように気を配ります。老人クラブの運営も同じことで、イベントの後で世話人に疲れだけが残り、満足や充足感が得られないとその組織は長続きしません。たまには役員だけの慰労会を設けるのも一案でしょうね。
 私はあと2~3年で、ハーモニカ教室は閉じるつもりで、生徒さんには告知してあります。だんだんと「自分の時間をもっと大事にしたい」と思うようになったのです。ハーモニカは指導者が大勢育ったので、もう私が直接教えなくても大丈夫かなと思いますね。老人クラブのほうも、立派な後継者が育ちつつあります。
 ここ数年を振り返ってみますと、そこそこの実績が得られたのは、よき協力者と理解者に恵まれた結果です。あらためて、関係者のみなさまにお礼を申し上げたい気持ちでいっぱいです。

取材日:2011.8



静岡県浜松市出身 浜松市在住


【 略 歴 】

1955全日本学生ハーモニカコンクール東日本大会出場 中学生独奏の部 3位入賞
1962静岡大学工学部化学工学科 卒業
帝人(株)入社、主に設計工事部門を担当
1977学習塾まなびや 開業
1993~2001雄踏町議会議員
1997ハーモニカカルテット「雄踏ハーモニカグランパ」発足
2008小山朗人クラブ副会長・会計就任
町老連ねんりんクラブ雄踏理事
2008静岡県老人クラブ連合若手委員会発足、委員長就任(1年任期)
2009町老連ねんりんクラブ雄踏若手委員会発足、委員長に就任
2010浜松市若手委員会発足、委員長に就任(12月解散)

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