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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

コーラスもボランティアも、男女共同参画も
「2人で1人」の夫婦が実践した、認め合う生き方。

佐野秀明(さの・ひであき)

佐野秀明(さの・ひであき)


富士宮市民楽友会コールエーコン 代表



歌を届けるボランティアを展開する合唱団

 かつて、この富士宮市に「コールエイコン」という合唱団がありました。「エイコン」は、「どんぐり」という意味だそうです。創立者の先生が、1981年の富士宮市民文化会館の建設にも携わったほど歴史ある合唱団だったそうです。先生が体を壊されて以来、合唱団の活動はなくなりましたが、4年前、縁あってその名前を引き継ぎ、新たに「富士宮市民楽友会コールエーコン」として始動しました。
 会員は25人。女性が7割ぐらいです。私たちのように、夫婦で参加しているメンバーもいます。いちばん多いのは60代。月2回の練習を中心に、市内外のイベントや高齢者施設などへのボランティアの演奏活動を行っています。
 施設にボランティアに行くメンバーは、たいてい7~8人。多いときで15人ぐらいです。少人数での活動は、うちのRV車に楽器を積み込んで、「佐野一座」さながらに、出かけています。最近は衣装にも凝り始めまして、かぶりものも楽しんでいます。
 レパートリーは混声四部合唱の合唱曲から、童謡、歌謡曲までさまざま。春には春の歌、夏には夏の歌と、季節に合わせて歌います。ただ聴いていただくだけでなく、手拍子を取ったりタンバリンをたたいたり、なるべく皆さんが参加できる曲を選ぶんです。1回1時間、間にトークも挟んだりして、目いっぱい楽しんでいただいています。
 おもしろいですよ。今日は盛り上がったね、という日もあれば、全然ダメだったね、という日もある。どうしてもお年寄りだけだと、盛り上がり方が分からなかったり、こっちのペースに巻き込めなかったりするので、施設のスタッフの方にもご協力いただきます。一緒に楽しんで口ずさんでくださったり、涙ぐんだり……後でスタッフの方が「めったに笑わない人が、今日は楽しそうだった」と。まだまだ勉強不足ですが、なるべくお1人おひとりにお話しするよう心がけています。
 発足当時は、名前を知っていただきたくて、新聞社に活動の取材を依頼したり、チラシを配ったりしました。2008年に富士宮市ボランティア連絡会に登録し、今では市内10カ所以上の福祉施設から声をかけていただけるようになりました。

早期定年退職後「何かやってみたい」が現実に

 私は妻の宏子と2人で「コールエーコン」の代表を務めています。名刺にも2人の名前を連名で入れていますし、イベントへ行くときも一緒。たいてい2人一緒に行動します。結婚して40年近く、ずっとこのスタンスでやってきました。
 私は静岡市に本社のある会社で長年、ガス部門の工事現場監督として働いていましたが、2006年、55歳で早期退職しました。妻と「定年後、2人で何かやりたいね」とずっと話していたので、60歳を過ぎてからよりは、早くスタートした方が、いろんなことができるかもしれない、と。3人の息子たちもすでに独立しましたし、退職時には子供のために経済的な心配をしなくてよかったということもあります。
 しかし、何か具体的なことを考えていたわけではないんです。ただ漠然と、何かやろうね、というだけで。それで退職してから「さて、何をしようか」と考えました。
 コールエーコンを立ち上げたのは、退職から1カ月後でした。息子が中学でお世話になった音楽の先生が「コールエイコン」創設者のご子息だったのですが、その先生が、その教え子と親が集まったとき「これだけ人数がいるんだから、コーラスをやったら?」とすすめてくださって、「じゃあ、やってみる?」と。みんなで集まって歌って、楽しく健康維持ができればいいなと、まあそんな感じでした。
 富士宮市では毎年10月に「童謡のつどい」というイベントが開催されていましたので、手始めにそれに出場するのを目標にしました。「出るからには恥ずかしくないように」と猛練習しましたね。というのも、ほとんどのメンバーは「歌なんてカラオケで演歌を歌うくらい」とか、「鼻歌すら歌ったことがない」なんていう人もいる状態だったんです。無謀と言われながらも、本番では2部合唱で「みかんの花咲く丘、小さい秋見つけた」を歌ったのですが、猛練習のおかげで、これがなかなかうまくいった。人前で歌って、拍手してもらって、私たちけっこううまいんじゃない?なかなか面白いじゃない?と(笑)。それで本格的に練習を始めたんです。

男女共同参画センター利用団体に登録したきっかけ

 コールエーコンのおもな活動目的は、歌によって健康維持や地域貢献をすることですが、それ以外に「男女共同参画意識の醸成」という側面ももっています。私も妻も、男女共同参画フォーラムの実行委員を務めていまして、そちらの活動にも深くかかわっているからです。ただ、コーラス同様、こちらも最初から興味や関心があったわけではないんですね。
 コーラスの練習場所を探していて、たまたま見つけたのが富士宮市総合福祉会館でした。そこで男女共同参画センター利用団体に登録申請すると、無料で部屋を借りられることと知りまして、それなら、とすぐに申し込みました。早い話が「男女共同参画」が何かもよく分からないまま、ただで部屋を借りる目的で登録したんです。実際、私も妻も「男女共同参画」という言葉も概念も知らなくて、昔「男女平等」なんて言っていたことが、今はそういう言葉で言われるんだな、という、そんな程度の認識でした。
 登録にはいくつか決まりがありました。男女共同参画についての勉強会やセミナーに出席すること、そして毎年2月に開催される「男女共同参画フォーラム」に参加することです。勉強会やセミナーに、私たちは必ずといっていいほど、夫婦そろって出席しました。そこで初めて「ジェンダー」という言葉も知り、いろんな講座を受けて、男女共同参画の歴史や考え方を勉強しました。
 ただ、知らないことだらけで初めて聞く話も、私たちにとっては特に目新しい考え方ではなかったんです。「それは当然じゃないの?」と感じることも多かった。例えば「互いを尊重する」。私たちはずっとそうしてきた、と思っています。つまり、私たち夫婦が結婚以来、続けて来た「2人で一緒に」という姿勢って、「男女共同参画」だったんです。

夫は仕事、妻は家庭でも「男女共同参画」と言える!


 私たちは結婚当初から、半人前が2人一緒にいて初めて一人前、という感覚を強くもっています。例えば、私が仕事に必要な試験を受験しに東京や名古屋に行くと言えば、妻は子供を連れてついて来るんですね。交通費はもちろん1人分しか出ませんが、それでも一緒に来るんです。知人の結婚式にも必ず2人呼ぶようにお願いしましたね。そのための出費も大きかったのですが。それも必要経費と考える2人です。夏には家族でキャンプに行ったり自転車を車に積んで出かけたり。何かをやるには1人より2人、家族でやったほうが楽しい。それは今でも変わりません。だから2人の酒宴の話題はいつも尽きません。
 私は仕事ひとすじの企業戦士で、妻は自宅で学習塾を開き、仕事と家事、3人の息子たちの子育てをしてきました。ですから、傍目から見れば「男女共同参画」を実践しているようには見えないかもしれません。でも私も妻も、それが「女性だから、男性だから」ではなく、私の個性、妻の能力をそれぞれの立場で発揮していると思っていました。パートナーであり、ライバルなんです。家事を分担しなくても「2人で一緒に」家庭を営んでいる自覚があります。それは、家事をするしないでいがみ合うよりもはるかに「男女共同参画的」だと思うのです。
 最近は「イクメン」「カジダン」という言葉が使われ、男性が家事や育児に積極的に関わることイコール男女共同参画というイメージになっているように感じます。ワークライフバランスという言葉さえ、どんな夫婦も、仕事も家庭も五分五分にしなければならない、というふうに聞こえがちです。でも、そういうことではないと思うんですよ。個々の家庭に合った男女共同参画があるはずです。家族構成や年代、刻々と変化する状況に応じ、臨機応変な対応が必要ではないでしょうか。それぞれの家庭で、どちらかが仕事9、家事1という割合でも、互いを尊重することは十分できるはずです。実際、私たちがそうなのですから。

男女共同参画フォーラムでは夫婦で中心的役割

 では、男女共同参画とは?と聞かれると、私は「富士宮市男女共同参画プランの基本目標」と答えます。すなわち「男女が互いの人権を尊重し、個性と能力を発揮できるまちを目指して」――これに尽きるのではないでしょうか。
 富士宮市ではこのモットーのもと、長年「富士宮市男女共同参画フォーラム」を開催して啓発に努めています。これは年に一度の「男女共同参画のお祭り」のようなイベントです。毎年2月、利用団体の活動内容のパネル展示や、コーラス、大正琴などの発表会をはじめ、基調講演や、実行委員出演による啓発朗読劇があります。登録団体の代表者が実行委員を務め、音響や照明まで担当する手作りのイベントですが、もう10年以上続いている富士宮市独自のスタイルです。
 コールエーコンを男女共同参画センター利用団体として登録したのが4年前の5月です。同じ年の秋に、男女共同参画フォーラムのパネル展示やステージの催しの打ち合わせがありました。私たちはそこで、コーラスで参加させてください、と申し込んだのですが、その際、いきなり司会を頼まれたんです。
 いつも夫婦そろってセミナーに出席していましたから、顔は覚えていただいていました。でも、かんじんの「男女共同参画」については、あまり知識がありませんから、最初は妻も私も勉強しながらの準備でしたね。今ではすっかり「男女共同参画」に詳しくなりましたが(笑)。今年度で3回目になりますが、啓発朗読劇は、妻が脚本を書き、私が舞台監督を務めているんです。ドメスティックバイオレンス(DV)やうつ、認知症といったテーマを選び、それに沿った内容にするんですが、いろんな意見を言い合います。ここでも2人一緒です。
 私が実行委員長を務めていた昨年、10年にわたってこのフォーラムを続けていることを評価していただき、「平成21年度富士宮男女共同参画フォーラム実行委員会」が静岡県知事褒章をいただきました。私たちは携わってまだ3年でしたから、私たちが知らない間も、多くの人たちが携わってきたこと、そしてこういうことを続けていく、訴えていく人々がいるというのは、すごいことなんだと思いました。落語家や講談師の方が、笑いをまじえて男女共同参画の話をするので、もしかしたらピンとこない人もいるかもしれません。楽しかったね、で終わってしまう人もいるでしょうね。それでも、少しでも誰かの胸の中に「互いを認め合う」ということの大切さが残ってくれれば。そう思っています。

もっと楽しみたい!「2人なら何でも実現できる」を実感

 夫婦2人で「いつか何かやろう」と話していたことが、たくさんの人を巻き込んで大きなうねりになってきたことが、私は素直にうれしいんですよ。私の世界は、サラリーマン時代は、規格と図面に縛られた四角四面の世界でした。今は、人の和と人の輪作りを通して、まさに縁と円、丸い世界です。この丸は自分から働きかけなければ描けません。今はいろいろな企画に加わっているので、自分の意見を提案し実現できる。自ら動く楽しさを、いろんな人に知っていただきたいと思っています。
 昨年度から、静岡県の人づくり推進員にもなっているんですよ。学校、家庭、地域の方たちを対象に「人づくり地域懇談会」の講師を行うというものです。そこで私は「エンターテイナーを目指しています」と話します。人に楽しんでもらうことの楽しさに気付いたのは、コールエーコンを始めてからです。そして、それは間違いなく、妻が一緒にいたからだと、胸を張って言えます。半人前が2人で一人前、「破れ鍋にとじ蓋」。でも、一緒にいれば何でもできる、と思えるんです。
 少し前に家族でマラソンも始めたんですよ。家族全員でホノルルマラソンにも挑戦しました。42.195km走破後の爽快感は最高でしたね!もちろんフルマラソンは苦しいですよ。30キロ過ぎるととたんに足が動かなくなるんです。しかしそういうとき、私はいつも自分自身に「もっと楽しめ、もっと楽しめ」と言い聞かせながら走るんです。これって、イベントやボランティアの後、妻がいつも私に言う言葉なんです。「お父さんがもっと楽しまなきゃ。今日はどうしたのよ」と。その言葉に背中を押されるように、私はもっともっと楽しんで、コーラスも、ボランティアも男女共同参画も、まちづくりも、「もっと楽しもう」「もっと感動しよう」と盛り上げていけると思っています。
 私たちもまだまだやりたいことがたくさんあります。これから2人で何ができるか、わくわくしているんです。

取材日:2011.08



静岡県富士宮市出身 富士宮市在住


【 略 歴 】

2007富士宮市民楽友会コールエーコン設立
富士宮市男女共同参画センター利用団体登録
2008富士宮市ボランティア連絡会登録
2009富士宮男女共同参画フォーラム実行委員長の時、静岡県男女共同参画社会づくり活動に関する知事褒賞を受賞
2010静岡県人づくり推進員に任命
富士宮市男女共同参画審議委員

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