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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

地域住民の健康を守る黒一点の男性保健師。
看護長を務める妻とお互いの仕事を支え合う。

荻野洋二(おぎの・ようじ)

荻野洋二(おぎの・ようじ)


長泉町役場 福祉保険課 保険年金チーム


- WEBサイト -

静岡県長泉町

長泉町役場初の男性保健師として特定健診を担当

 私は、長泉町役場の職員としては初めての男性保健師です。現在は、特定健康診査(特定健診)の実施や、生活習慣病予防のための健康指導、健康相談などを中心とした業務に携わっています。
 特定健診は2008年から始まった保健制度で、一般的には「メタボ健診」と呼ばれているものです。40歳から74歳までの公的医療保険加入者を対象としており、メタボリックシンドロームの該当者や、その予備軍と判定された方たちに対しての特定保健指導も義務づけられています。メタボリックシンドロームは生活習慣病の一因であるとされ、将来的に動脈硬化や脳梗塞、心筋梗塞になる確率を高めます。それを未然に防ぐために、特定健診では厳しい基準を設け、対象となる方々に対しての指導や相談を行っているんです。早い段階で生活改善をしてもらえれば、将来かかる可能性のある病気にならずに済むかもしれない。少しだけ日々の生活に気をつければ、健康でいられるんです。それを住民の方々にお伝えしていくのが私の役割です。
 長泉町役場での勤務は今年で3年目になります。1年目は保健センターにおいて、各種住民検診や健康相談などを担当しました。保健センターとは、老若男女、健康に不安がある人もない人もすべての人を対象に、健康を維持、増進してもらうための施設です。地域における母子保健の拠点でもあり、地域で子どもが産まれたときは、必ずご自宅まで新生児訪問にも伺います。初産の方はいろいろな不安をかかえている方が多く、相談に乗ったり、アドバイスをしたりするのも私たち保健師の役目です。
 私は、以前は看護師として病院で勤務していました。保健師の仕事に興味をもったのは、看護師が病気の患者さんたちと関わっていくのに対して、保健師は病気の予防という観点で人々と接するところに惹かれたからです。看護師時代には、患者さんと接していて未然に防げた病気もあるのではないかと思っていたので、その部分でのお手伝いができればと考えたんです。また、地域や在宅におけるケアをとおして、住民の方々と密接に関わっていける点も、保健師の仕事を選んだ理由の1つですね。

家族で協力できるような生活改善策を提案

 現在は、特定健診の結果から生活改善が必要だと思われる方々に対して、1人ずつ面談を行っています。お話をさせていただくのは、それぞれ1時間程度なのですが、その方の家庭環境や個人的なことにも話が及びますね。というのは、生活改善策を提案するには、まずはその方の普段の生活を理解する必要があるんです。ライフスタイルは人それぞれで、職業や年齢、性別によっても異なります。例えば、食生活改善をすすめようと思っても、その人が普段食事をつくっているのかどうかによって話す内容が変わってきます。運動をするにしても、なかなか1人では続きませんから、一緒にできる人がいるのかどうかも聞いたりします。私は、仕事でも日常生活でも、健康づくりにおいても、家族の存在が大切だと思うんです。家族で協力しながら、楽しんでできるような提案をしていけたらと思いますね。
 また、こちらが一方的に話をしても、相手の方に興味をもってもらわなければまったく伝わりません。ですから、世間話も交えながら相手の方に自らの健康について関心をもってもらえるように心掛けています。そのためには、相手の方の話をよく聞くことも大切ですね。
 面談は昨年から始めたのですが、うまくいかないなと思うこともあります。いざというときは病院にいけばいいと思って、安心されている方も意外と多いんです。しかし、今から体質改善に取り組めば、病院に行くことなく健康でいられるのだということを、1人でも多くの方にご理解いただければと思い、取り組んでいます。
 私は、これまで看護師として患者さんと関わってきた経験から、病気になったらどうなるかという点について、具体的な話ができるのが強みだと思います。男性保健師としては、地域の方々に安心感を与えられるような、包容力のある存在になれればいいなと思いますね。

60人中男性3人という環境で看護について学ぶ

 私は、大学の看護学部で学び、そこで看護師と保健師の資格を取得しました。高校時代に進路について考えたとき、看護師が自分に向いているのではないかと思ったのが看護の道を選んだきっかけです。
 家族や親戚に看護師はいませんが、子どもの頃に何度か入院したことがあり、私にとって病院は身近な存在でした。小児科の病棟は明るい雰囲気で、居心地もよかったんです。いちばん印象的だったのは、看護師さんがいつも近くにいてくれて、寄り添ってくれたこと。穏やかで、優しいイメージがずっと残っていたんです。私は研究職にも興味があったのですが、仕事として続けていくのであれば、そんな看護師になるのが私の性格に合っていると思いました。
 高校3年生のときには看護体験のイベントにも参加したのですが、そのときには「できるかもしれない」と確信に近い気持ちをもちましたね。医療技術的なことよりも、患者さんの話を聞いたり、体を拭いたりというコミュニケーションにやりがいを見出したのだと思います。自分にとってそうだったように、患者さんのいちばん近くで触れ合える存在として、看護師の仕事に魅力を感じたんです。
 大学では、同級生60人のうち、男性は私を含め3人でした。兄弟は男ばかりですし、高校は男女共学でしたが、女の子とはほとんど話したことがなかったという状況でしたから、すごい環境の変化です(笑)。しかし、不思議とここではそれが当たり前だと思え、抵抗感はまったくありませんでした。
 私は、平和主義的というか、周りの人たちと調和を保ちたいという気持ちが常にあるので、自然と集団に合わせるようなところはあったかもしれません。努力もしたのかもしれませんが、当時はあまり負担に思うこともなく、周囲に溶け込んでいたと思います。同級生たちも私が男性だからと壁を作ることはなく、同性と同じように受け入れてくれましたね。勉強をする上でも、着替えの実習というような場面以外では区別されることもなく、不便さを感じることもありませんでした。お腹に重りを入れる妊婦体験もしましたが、楽しかったですよ。大学時代は、看護師として働くのを楽しみにしながら、充実した日々を過ごすことができました。

男性看護師として患者さんのリハビリに取り組む

 大学卒業後は、NTT東日本伊豆病院に就職し、回復期リハビリテーションを行う病棟に配属されました。回復期リハビリテーションとは、脳卒中などを発症した患者さんが、急性期を脱して症状がある程度安定した後に、自宅での生活や社会復帰を視野に入れて行うリハビリのことです。そのなかでの看護師の役割は、患者さんの状態を観察したり、その方の意思やご家族の状況を伺った上で、リハビリの方針を決めていくことなどがあります。もちろん、看護師だけでなく作業療法士や理学療法士、言語聴覚士、医療ソーシャルワーカー、医師などとの連携が重要で、彼らとチームを組んで綿密な計画を立てていきます。生活面においても、食事をする際にはベッドではなく食堂でとるようにしたり、排泄もトイレで行うようにしたりと、日常生活に戻っていけるように日々を積み重ねていくんです。このように、リハビリに関わる現場では患者さんたちと常に密接に関わることができたので、やりがいも感じることができました。
 当時、院内に100名以上いる看護師のなかで、男性看護師は私を含めて3人しかいませんでした。とはいえ、その他の職種には男性も多かったので、女性だけの職場という雰囲気ではありませんでした。患者さんをベッドから起こしたり、車椅子に移したりするときにはパワーも必要なので、男性であることで多少活躍できたかなとは思います。あとは、お年寄りから頼ってもらえることもありました。しかし、それ以外では女性の先輩方に敵うところはなかったように思います。
 病棟では、6人の看護師で50人くらいの患者さんを診ていたので、いろんな作業を同時に進めたり、大勢の人に配慮が行き届くよう目を配ったりしなくてはなりません。そういうことに関して、女性はとても秀でているように感じました。男性は1つのことにとらわれて、他のことに目が向かなくなってしまうところがあるんですよね。また、ある程度経験を積むと自分の仕事の仕方に固執してしまったり、他の看護師の言葉を受け入れにくくなるところもある気がします。それが、男性が女性中心の職場で働く難しさなのかもしれません。
 先輩方にとっては、男性看護師である私とどう接すればいいか悩むことも多かったと思います。それでも男性特有の考え方や性質を尊重し、冷静に対応してくれたと感じます。私のことを受け入れ、育ててくれたことには感謝したいですね。

看護長を務める妻と無理のない家事分担を実践


 私の職場では、看護師はみんな仲がよく、後輩の面倒見もいい人ばかりでした。私も女性の先輩たちに交じって毎日のように飲みに連れて行ってもらいましたし、プライベートなことも相談できる間柄でした。じつは、4年半前に結婚した妻もそのときの先輩のひとりなんです。
 妻は、私が新人のときに配属された病棟の上司で、私より10歳年上です。そのときすでに10年以上のキャリアがあり、本当にいろいろなことを教えてもらいました。彼女は現在も同じ病院に勤めており、今年4月からは看護長を務めています。
 私が看護師を辞めて保健師になろうと思ったのは、妻と結婚したことも影響しているんです。私は、将来子どもが産まれたら、2人とも看護師を続けていては育児をするのが難しいだろうなと考えました。そう思っていた頃に、長泉町役場で保健師の募集があったんです。自宅も妻の実家もそばにありますし、夜勤などもないので規則的な生活ができるという点でもメリットがありました。それで受験してみたところ、合格したというわけです。
 もし同じ病院で看護師として働き続けていても、子どもができたら育児休暇をとるのは自分のほうだっただろうと思いますね。妻は仕事を辞めることはないだろうと思います。彼女は看護長ですし、キャリアも長いので、休みをとろうと思ってもなかなか抜けられないという事情もあります。しかし、私自身の考えとして、育児や家事を自分でやりたいという気持ちもあったんです。
 現在子どもはいませんが、共働きですから、結婚以来、家事は妻も私も同じようにしています。明確に分担しているわけではなく、早く帰ってきたほうがしたり、そのときに忙しくないほうがしています。2人とも忙しければ、どちらも何もしないこともあります。そういうときは、週末に2人で一緒に家事をするんです。子どもがいないので、今はお互い無理をするよりも、そのほうがいいと思っています。
 私の実家では、家事は基本的に母が担っていましたが、母が留守のときは父が子ども3人の食事を作ってくれました。両親が家庭での役割を押しつけ合ったり、権利を主張する場面は見たことがありません。私自身、母と一緒に買い物に行ったり、台所で母の仕事を手伝うのが好きでした。大学時代には1人暮らしをしていたので、家事をするのもそのときの延長で、とくに負担だと感じることもありません。「お互い様」という関係がいちばんだと思いますね。

夫婦でいることでお互いが自由を獲得できる関係

 今年度から妻が看護長になったことで、彼女も基本的には土日に休めるようになりました。仕事を家に持ち帰ることも多いのですが、ある程度生活リズムが規則的になってきたんです。昨年は私が新しい部署に異動になったこともあって、精神的には落ち着かない1年だったのですが、2年目になって、だいぶゆとりが生まれてきたように思います。
 妻は、私の仕事については「やりたいことをやればいい」と言ってくれています。もし働いているのが自分だけだったら、生活費を稼ぐという目的が先行すると思いますが、私はそうではないという点で自由です。自分のやりたい仕事、興味のある仕事を選ぶことができるんです。
 もちろん、それは私だけでなく妻にも言えることです。私は、自分と同じように、妻にも好きなことをしてもらいたいと思います。仕事を続けたいならそうしてもらいたいし、辞めたいのであれば、それもいいと思います。
 今は、妻が大きな仕事を終えると「おかげさまで家のことを気にせず仕事ができました」と声を掛けてくれるんです。今の私たちにとって、2人でバランスをとりながら働き、家事もお互いがするというスタイルが、それぞれが自由でいられるベストな形だと思いますね。
 男女共同参画社会の実現に向けて、女性の社会参加や男性の家庭参加を促すことは、もちろん大切です。しかしそのためには、家庭に閉じこもって孤立化してしまう女性や、大黒柱としての重圧を1人で背負って働かざるを得ない男性の立場も理解しなければならないと思います。新たな社会の仕組みや職場の理解なども求められると思いますね。その上で皆がお互いに助け合い、いつか男女共同参画という言葉を使うことがなくなる社会になればいいなと思います。

取材日:2011.8



静岡県富士市生まれ 駿東郡長泉町在住


【 略 歴 】

1999静岡県立大学看護学部 入学
2003静岡県立大学看護学部 卒業
NTT東日本伊豆病院 入社
2007結婚
2009保健師として長泉町職員となる

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