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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

DVを絶つために必要なのは加害者更生プログラム。
ベースとなる人間関係を育む性教育にも取り組む。

松林三樹夫(まつばやし・みきお)

松林三樹夫(まつばやし・みきお)


松林カウンセリングルーム 代表


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松林カウンセリングルーム

DV加害者へのケアが被害者支援にも繋がる

 私は、心理カウンセリングを中心に行う「松林カウンセリングルーム」を自宅で開設しています。見えてくださる方1人ひとりとしっかり向き合いたいと思い、じっくり時間をかけて話を聞かせていただいています。その方の抱えている問題や悩みを聞いたり、アドバイスをさせていただくことで、気持ちが少しでも楽になったり、心の中が整理されて前向きになっていただくことができればと思い、活動を続けています。
 相談内容は、引きこもりや家族関係の問題、うつ病の悩み、性に関する悩みなどさまざまです。そのなかでも、現在最も多いのが、ドメスティックバイオレンス(DV)の男性加害者からの相談です。DV被害者については、県や各自治体などによる支援体制が整ってきていますが、加害男性には、相談するところがほとんどないのが現状です。しかし、被害者と同じ数の加害者がいるわけですから、彼らにも何らかのアプローチが必要であると私は考えています。
 DV加害者の男性が相談に訪れるのは、被害者である妻が何らかの行動を起こした場合がほとんどです。妻にカウンセリングを受けるよう懇願された、家を出ていかれてしまった、離婚調停を申し立てられた、といった具合です。
 DVの問題は根が深く、100%の人が克服できるというわけではありません。しかし、DV加害者プログラムを受けていただくことで、少しずつパートナーの苦しみに気づき、その思いを受け止めることができるようになります。
 加害者本人は、最初は自分がしてきたことに対する自覚がほとんどないんです。妻に暴力をふるっていたとしても、それが暴力だとは思っていない。一種のしつけであり、愛だと思っている。だから、自分から暴力的な言動を反省するということもほとんどないのです。妻への暴力の根底には、夫の甘えや依存があります。だからこそ、妻が離れていったときの彼らの驚きや喪失感は、言いようのないほど大きなものがあります。
 DV加害男性も、どうしていいか悩んでいます。被害者のケアは当然大事で、私も力を入れています。しかし、加害者がいなくならなければ、被害者も減らないんです。被害者支援のためにも、加害者に二度とDVを繰り返させないためにはどうすればいいかを学び、考えてもらう機会が必要であると私は考えています。

過去に暴力を受けたDV加害者に寄り添うサポートを

 DV加害者に対するケアについて考えるようになったのは、実際に加害男性が私のところへ相談に訪れるようになってからのことです。カウンセリングのベースになるものとして、「傾聴、受容、共感」というアプローチ法があるのですが、私は話を聞くだけではこの問題に対処することはできないと感じました。DV問題においては、加害男性の話を一方的に受け止め、受容と共感に終始したら、場合によっては暴力を肯定することにもなりかねません。そこで、「アウェア」という民間団体が実施している、DV加害者プログラムを取り入れることにしたんです。
 アウェアのDV加害者プログラムは、アメリカ・カリフォルニア州認定のプログラムを応用して作り上げたものです。週1回のペースで年間52回のプログラムを組んでおり、独自の教材に沿って加害者のDVの問題について明らかにしていきます。順序としては、加害者本人に、パートナーに対して行ってきたことを自覚してもらうことから始め、そこから自分を変えていくためのサポートを行っていきます。
 私は、このプログラムとカウンセリングを併用して使っています。というのも、DV加害者は、自身も過去にDVを受けている場合が多いんです。さらに、「暴力を受けたのは自分にも責任がある」と、暴力を受けたことを頭のなかで合理化し、肯定してしまっている傾向があります。しかし実は、本人も被害を受けたことで傷ついており、それが心の傷となっています。DVを克服するためには、そこに焦点を当て、認識を深めていくことが重要なのですが、それにはカウンセリングの技法が有効になるんです。加害者プログラムとカウンセリングと、この異なる2つのアプローチ法によって、多面的なケアを行うことができるのが私の強みだと思っています。
 こうしたDV加害男性への支援については、批判的な見方もあります。例えば、被害者の苦しみを考えれば、なぜ加害者をケアしなければならないのかという意見もあります。結局、DV加害者は変わらないのではないかという言う人もいます。しかし私は、DV加害男性の暴力性も、持って生まれたものではなく、育ちの中で身につけたものだと思っていますし、だからこそ、DV加害者もDV加害者プログラムを受け、学び直していくことで、己れのDV性を克服できていくものと思っています。そういった意味で、加害男性へのケアも必要だと考えているんです。

人と人との関係の重要性を感じ教職を志す

 私は、30年間を中学校の社会科教師として過ごしました。
 大学では法学部に在籍していましたが、入学して早々に、選んだ学部を間違えたと思いましたね。何となく司法関係の仕事に憧れていたのですが、自分には合っていないことに入学してから気づいたんです。真面目に勉強して大学に入ったものの、自分は本当は何がしたいのか。どう生きていけばいいのか。自分とはいったい何なのか、人間とは……と、どんどん突き詰め、答えのみつからない問いにぶつかってしまった。授業に行くのも嫌になってしまったんです。
 私はもともと読書が好きで、そのときも何かを得ようと本を読み続けました。なかでも、とくによく読んだのは夏目漱石とドストエフスキーです。夏目漱石の『行人』に出てくる「人から人へ掛け渡す橋はない」という言葉は今でも印象に残っていますね。そのとき私は、逆に人間が求めているのは、人から人へかける橋なんだと思ったんです。人間関係にはいろんな葛藤や軋みがあり、男女関係には大きな難しさがある。それでも、いかに人は人を求めるか――。私は、夏目漱石もドストエフスキーも、同様に人間関係をテーマにしているところに惹かれたのだと思います。
 結局は、人は人なしには生きられません。「人との関係が人間にとっていちばん大きなテーマなんだ」。それが、悩みながらも私なりに導きだした考え方です。
 司法関係の仕事を目指すなかで裁判を傍聴する機会もあったのですが、私はそのときも違和感を覚えました。犯罪者とは、そこに至るまでにさまざまな生い立ち、経過があって罪を犯しているのであり、それを法というものだけで裁けるのか。そもそも、人が人を裁くことなんてできるのか。そう思えたんです。
 そんななかで私は、罪を犯した後ではなく、それより以前に、人を育てていく仕事がしたいと思うようになりました。それで、大学2年生から教職課程も履修し始めたんです。社会科を選んだのは、社会科教師の使命とは、子どもたちに平和の心や平和を求める心を伝えていくことにあると思ったからです。具体的には、戦争について子どもたちにしっかりと伝えていくことが、社会科における大きな意義だと考えました。
 今思えば、大学に入った当時の迷いは、自分自身と真剣に向き合う貴重な経験だったと思います。そのときの人生の迷いが、カウンセリングにも活かされていると思いますね。

中学生の問題行動から性教育の必要性を実感

 私が中学教師として力を入れたのは、社会科の授業に加えてもう1つ、性教育があります。今でも、カウンセリング業務を行う傍ら、県内各地の中学校や高校で「思春期の生と性」について話したり、高校や大学で「デートDVの防止」などのテーマで話をしたりしています。
 性教育の必要性を感じたのは、中学校で子どもたちの問題行動を目の当たりにしてきたことが大きなきっかけとなっています。例えば、万引きをしたり、夜間に出歩いたり、服装が乱れていたり、学校に来なかったり。引きこもりや不登校もあります。それらを探っていくと、背景にあるのは家庭問題です。当時は離婚率が上昇しはじめた時期で、両親の離婚によって子どもは翻弄されるわけです。「団らん」という言葉が死語になり、夕飯を1人で食べる子どもが増えたことも話題になりました。そんな寂しい家庭に育った子は、早く温かい家庭を持とうとして若いうちに結婚し子どもを産むけれど、結局は破綻してしまうことが多かったんです。そして、寂しい家庭を再生産してしまう――。
 中学校の養護教諭を通じて生徒の妊娠の話を聞くこともあり、私は、男女の関係や家庭のあり方について、きちんと学ぶ機会が必要なのではないかと思いました。それは子どもたちの幸せに直結することであり、現代において、社会科でめざす平和を求める心にも繋がると考えました。そうしたなかで、養護教諭と相談しながら性教育を始めたんです。最初は自分のクラスの生徒を対象に、それから他の先生たちにも呼びかけ、学年単位、全校単位と活動を広げていきました。
 10代の思春期の子どもたちは、性についての関心が非常に高く、私が性教育に取り組み始めた時期には、性的な行動も活発になり始めていました。なかには、「性教育は寝た子を起こすのではないか」と言う先生もいましたが、子どもは漫画や雑誌などをとおして、とっくに起きているんです。しかし、それらの媒体には女性を蔑視したり、女性を性のおもちゃのように扱う表現も多く、子どもがそれを性の知識としてしまうことが問題でした。私は、子どもたちがそういう歪んだ性の情報に大きく影響を受けてしまう前に、体や心の仕組み、人間関係や家庭のあり方をきちんと学ばせたいと思ったんです。私がめざした性教育とは、人間関係教育、生き方教育、さらには男女平等教育でもあるんです。

海外の先進的な性教育現場を知り視野を広げる

 性教育について学び始めた頃、アメリカとヨーロッパの教育現場を視察で訪れる機会がありました。世界を見ると、本当に勉強になりますね。そこでは、目から鱗が落ちるような発見がたくさんありました。
 アメリカでは、以前は性教育があまりなされておらず、10代の妊娠中絶がとても多い地区や学校があったそうです。それが、性教育を徹底することで、妊娠率が下がったのだと言います。性教育により、妊娠や避妊などについての正しい知識を得た結果、子どもたちの性行動が慎重になったことが、統計にも示されていました。これは、「寝た子を起こす」という考え方とは逆の結果で、性教育の実際的な効果を表すものです。他にも、性教育の先端を行くキンジー研究所での研修などをとおして、同性愛やエイズの問題についても目を開かされました。
 ヨーロッパでは7ヵ国を訪れたのですが、印象的だったのは北欧の国々です。北欧は、高福祉や男女平等を推進してきたことでも知られていますが、そのベースにあるのが性教育なんです。生き方教育や男女平等教育を含む性教育を、幼稚園から高校まで一貫して行っており、それが障害者や高齢者の福祉、女性の人権拡大といった、国の政策にも活かされていました。
 北欧諸国で、国の様子を見て改めて思ったことは、女性の人権が尊重され、女性が生きやすい国というのは、結局は男性にとっても生きやすい国なんだなということでした。男性も肩ひじ張らないで、自分らしく生きていけるんですね。
 スウェーデンで訪れた高校の校長先生の話にも驚かされました。その高校では、性教育もきちんと行いますが、それでも生徒が妊娠した場合は、産むか産まないかは本人に判断させると言います。それで産むことを選んだとしても、学業と育児が両立できるように学校として全面的に支援するのだそうです。この話を聞いたのは20年前のことですが、日本の高校では、そのようなことは現在でも望めません。
 日本の教育現場では、今でも性教育がほとんどなされていないのが現状です。しかし、海外の性教育の現場を見ても、その重要性は明らかです。私は以来、20年以上にわたり性教育の活動を続けていますが、これからも必要性を訴え続けなければならないと思っています。

性教育でも迫りきれないものを感じカウンセラーに

 子どもたちの問題行動というのは、つまりはSOSのサインです。心に問題をかかえているからサインとして問題を起こすのです。子どもたちはそのかかえている問題をわかってほしいと願っているのに、忙しくて子どもたちの心にゆっくり向き合っていくことができない。私が教師をしているときには、そんなジレンマもありました。
 当時は、ゆとり教育が推進され、授業時間がどんどんカットされていた時代です。しかし、中学では高校入試に備え、教科書の内容を詰め込まなければなりません。結果として、私が力を入れていた戦争について学ぶ単元や性教育に割く時間は、年々、削っていかざるをえなくなりました。
 そして、子どもたちと接するなかで、性教育だけでは解決できないものがあることも感じるようになりました。例えば、その頃はテレホンクラブや伝言ダイヤルに関わる子どもたちが社会問題となっていました。性教育の視点とは、「そういうことに関わらせないためにはどうしたらいいか」というものです。しかし、そういうことに関わる子どもたちの心の奥に入り、その行動の背景にある問題について一緒に考えていくにつれて、性教育の視点だけでは割り切れない、心の深い部分を感ずるようになりました。もっと深い心の闇の部分があったのです。私は、それに迫っていくのがカウンセリングの分野だと思いました。それで、教師をしながらカウンセリングの勉強も始めたわけです。
 学校組織のなかで教師として子どもたちとかかわるよりも、カウンセラーとして人々と向き合うほうが自分らしさが出せるのではないか。私は、だんだんとそう考えるようになりました。そして、自分の子どもが自立した53歳のときに退職し、翌年カウンセリングルームを開いたんです。
 しかし、社会科教師として30年間子どもとかかわってきたことや、中学校で性教育に取り組んできたことは、今の私の活動の原点となっています。DVの問題を扱うようになったのも、社会科教育をとおして社会の平和を考え、性教育を通して人間関係の大切さや難しさを学んできたからです。私にとっては、これまで取り組んできたすべてのことが必然の流れであり、それによって今があるのだと思っています。

男性に求められるジェンダーに対する意識改革

 DV加害者支援でも、性教育でも、根底にあるのは男女平等の視点です。男女平等なくしては、さまざまな問題が解決することはありません。
 DV加害男性は、性別役割分業意識を強くもっていることが多いです。女性を見下す気持ちが根深くあり、女性が男性の言うことを聞くのが当然だと思っていたりします。だから、女性を束縛しようとするんです。例えば、夫が「ご飯は自分が帰る時間に合わせて炊くように」とか、「料理は○品以上用意しろ」などと言い続けると、妻は米を研げなくなってしまうことだってあるんです。夫の命令や束縛によって、それだけのストレスをかかえてしまう。これがDVなんです。妻が働きたいと言っても、「自分に迷惑をかけるから」と認めない。これもDVです。DVが引き起こされる要因のひとつは、ジェンダーバイアス、つまり女性に対する差別偏見にあります。ですから、男性のジェンダーに対する意識が変わらないことには、DVの問題は解決しません。これは、女性の経済的な自立を阻むという点においても言えることだと思います。
 現代は、本当に悩み多き時代です。かつて中学校の教員として生徒や保護者と接してきたこと、また今カウンセラーとして相談者の悩みを聞いてきたことを通じて、それを実感しています。問題のない家庭や夫婦、カップルなどはないのではないでしょうか。
 私は、現代の人たちは忙しすぎることや、直接的な触れ合いが減ってきていることが、さまざまな問題の要因として考えられると思っています。家族の団らんがなくなってしまったり、子どもたちの遊びもテレビゲームばかりで、ぶつかり合い、触れ合いがありません。そういうことなどによって、コミュニケーション不全に陥っていくのではないかと思っています。
 また私は、人間の心はコップのようなものだと思っています。人はストレスをかかえると、そのコップにストレスがどんどん溜まっていきます。しかし、溜まる量には限度があり、限度を超えれば溜まったものはあふれ出てしまいます。それがいろんな問題行動という形をとって現れるんです。DVもそのひとつです。しかし、よりよく生きるためには、コップに溜まったものを出さなければなりません。私は、コップを傾けるという行為がカウンセリングであり、流れ出たものの受け皿がカウンセラーだと考えています。
 私には大した力があるわけではありませんが、人の悩みや苦しみに寄り添い、一緒に答えを探していきたいと思っています。じっくり、じっくりと、時間をかけてやっていきたいですね。

取材日:2011.8



静岡県御前崎市生まれ 藤枝市在住


【 略 歴 】

1975静岡県公立中学校教諭になる
1985“人間と性”教育研究協議会(性教協)会員
1987アメリカ性教育視察研修旅行(性教協主催)に参加
1991ヨーロッパ性教育視察研修旅行(性教協主催)に参加
2000社団法人日本産業カウンセラー協会認定 産業カウンセラー資格 取得
2005中学校教諭を退職
全日本カウンセリング協議会認定 心理カウンセラー資格 取得
2006松林カウンセリングルーム 開設
2009「アウェア」にてDV加害者プログラム、デートDV防止教育プログラムを学ぶ
2011静岡県公立中学校のスクールカウンセラーになる

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