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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

「やってあげる」でなく「やってみせる」育児が信条。
親が学び合う子育て相互支援を見据え、現状に物申す。

久保田力(くぼた・ちから)

久保田力(くぼた・ちから)


相模女子大学学芸学部子ども教育学科 教授


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相模女子大学
いらっしゃいまし、久保田です

親が互いの子どもを育て合う「プレイセンター」

 私の専門分野は、子育てや子育て支援文化に関する国際比較研究です。ニュージーランドで1940年代に創設された幼児教育施設で、保育所、幼稚園に次いで利用者の多い「プレイセンター」の活動をひとつのモデルとし、日本における子育て支援のあり方についての提言などを行っています。
 私は、大学と大学院では教育学を専攻していたのですが、当時の研究テーマは現在とはまったく異なります。幼児教育について学んだのは、保育士や幼稚園教諭の養成機関で教鞭をとるようになってからのことなんです。加えて、同時期に私自身が親になり、子どもや子育てについて強い関心をもつようになったことも影響していると思います。
 プレイセンターについて知ったのは、1994年にフィールドワークでニュージーランドを訪れたときのことです。プレイセンターは、現地では70年余りの歴史があり、親たちが自分たちの子どもを互いに「育て合う」という、独自の活動が広く展開されていました。
 プレイセンターには、保育士や幼稚園教諭など、専門職としての指導者はいません。指導を担当するのは、すべて保護者です。親たちが、当番制で自分たちの子どもの保育をしているんです。そして、専門職の先生がいないために、親たちが勉強会を設けているのも大きな特徴です。
 私は現地でプレイセンターの活動を見て、「この活動を日本向けにアレンジできないか」と考えました。日本の子育て支援策にはさまざまな課題がありますが、そこに新たな流れを生み出せるかもしれないと思ったんです。

「プレイセンター」を支持するのは子育て積極派

 プレイセンターが誕生したのは、第2次世界大戦中のこと。子育て世代の家庭では、夫は出征し、妻が留守を守っていました。欧米の文化圏では一般的に、結婚をしたら家を出るのが普通です。1人で育児を担わなければならない母親たちがそのときに考えたのが、交代制で子どもたちの世話をする施設。それが国じゅうに広がり、現在のプレイセンターとなったわけです。
 現在は、全国組織であるニュージーランド・プレイセンター連盟(NZPF)のもと、地域ごとに32の協会があり、そこに500近いプレイセンターが所属しています。プレイセンターには、同じ年代の子どもの15~17%程度が通っています。
 それぞれの施設は、現地の保護者たちの裁量で運営されているので、園舎があるところもあれば、公民館や教会の地下を借りているところもあります。普通の民家を開放しているところもありますね。開園日も施設によってさまざまです。共通しているのは、受け入れは基本的に25組までということ。その人数が、保護者だけで無理なく運営できる規模だということです。
 プレイセンターの活動内容は、子どもと大人の「遊び(セッション)」とワークショップの2本立てとなっています。セッションは、子どもたちのあらゆる自発的な活動に支えられており、遊びを通じて学んだり、感情や想像力を発達させることを目的としています。一方、ワークショップは、大人が学習する場です。ここでは、プレイセンターの理念や運営方法、子育てに関する知識や技術などを学びます。施設管理者も保育の専門家もいませんから、保護者自らが知識を身に付けなければならないわけです。プレイセンターの大きな意義は、保護者たちがともに学ぶことによって、それぞれが子育てをする力を伸ばせる点にあると私は思います。
 ニュージーランドには、父母の育児参画の重要性を掲げた総合的就学前教育課程「テ・ファリキ」があり、すべての就学前教育機関に適用されています。プレイセンターでも、保護者が「テ・ファリキ」について学び、それに沿った幼児教育を展開しているため、保護者による運営施設でありながら、政府からの補助金が認められているんです。
 プレイセンターは、広く普及しているとはいえ、保護者が担う役割も大きいため、現状では保育所や幼稚園を選ぶ家庭が多数派です。しかし、プレイセンターで子どもを育て合っている人たちは、子育てに対して責任とプライドをもっています。子育てに対する意識が高い人にとって、プレイセンターは魅力的な場であり、だからこそ、現在まで続いているんです。

「子育て代行」から「子育て相互支援」へ

 ニュージーランドのプレイセンターが、保護者の参画を促す「子育て相互支援」であるのと対照的に、日本の子育て支援策には、「子育て代行」と呼ぶべきものが多いように感じます。親たちが少しでも楽ができるように、何でもやってあげてしまう。行政などの支援もそうですし、お稽古事なども当てはまります。本来であれば、保護者たちも子育てを通じて学んでいく必要があるはずです。しかし、子育てが人任せになったら、保護者の学びは阻害されてしまいます。保護者たちがより良い子育てができるようにすることこそ、本当の支援だと私は思います。
 一方で、プレイセンターは、保護者が学び合い、支え合い、育ち合っていくことができる場です。日本の子育て支援に欠けているものがそこにあると感じたからこそ、私はプレイセンターに注目しているんです。
 しかし、日本においては、ニュージーランドと同じようにプレイセンターを普及させることは難しいと思います。第1に、日本とニュージーランドでは、就業形態が違います。日本ではフルタイムの仕事に就く人が多いですが、ニュージーランドではパートタイムの仕事を複数もつというスタイルが一般的です。ですから、ニュージーランドでは平日であっても、仕事の合間に保育に携わることが可能なんです。
 母親だけでなく、父親の参加者も多いですね。砂場で子どもたちとにぎやかに遊んでいるお父さんもいれば、その傍らで、フィンガーペイントを子どもと楽しんでいるお母さんもいる。それぞれができることをするのが、当たり前の光景になっているんです。日本では共働き夫婦も増えており、同様の対応を親に望むことはできません。
 また、日本においては、保育士や幼稚園教諭の専門職性が高く、保護者が教育や保育にかかわりにくいことも挙げられます。専門家に預けられるがゆえに、保護者は安心して丸投げしてしまうんです。たとえば、保護者の方々は、幼稚園や保育所で自分の子どもが今、国が定めたカリキュラムのどの部分について指導を受けているか知っているでしょうか。子どもを幼稚園に通わせていて、文部科学省の「幼稚園教育要領」を読んだことがある保護者が、はたして何人いるでしょうか。
 保護者が子どもとともに育っていくためには、勉強し合っていくことがぜひとも必要です。そのために、私は保護者の意識改革も促していきたいと思っているんです。

日本版プレイセンターを草の根的に広めたい

 では、プレイセンターの活動をどのようにアレンジすれば、日本で子育ての相互支援を実現することができるのか――。私は現在、家庭教育の分野において、プレイセンターを活用する道を模索しています。
 プレイセンターの活動理念は、親子がともに成長するのと同時に、お互い助け合うことで、家族同士でも成長し合っていくことにあります。それぞれの家族の成長が、ひいては国全体の成長へと繋がる。そう考えられているんです。私は、この理念は日本にも通じるものだと思っています。これまで家庭内で行われていた教育を、プレイセンターの活動をとおして共有する。それによって、家庭教育全体の質が底上げされると考えているんです。
 具体的な取り組みとしては、私が勤務する相模女子大学で、学生を交えたプレイセンター活動を行っています。未就園児と保護者、一般の方を対象にしており、お母さんたちと学生が輪になって話をしたり、一緒に託児をしたりしています。「子育て支援論」の授業と連動させたワークショップも行っており、子育てに関する基礎知識や技術などについて、参加者の経験を相互に共有しながら、学習し合っています。
 また、1996年に子育て情報誌「静岡こども情報mikan」編集長の小林惠子さんと、編集に携わっていたお母さんたちで、三島市でプレイセンターを立ち上げました。子どもの成長とともにお母さんが入れ替わり、15年経った現在も、「みしまプレイセンター」として週2回の活動が続いています。私は、創設当初は毎回手伝っていたのですが、だんだんとお母さんたちが自主的に活動するようになり、今では私の出番は減っています(笑)。
 活動内容はセッションが中心で、小麦粘土やフィンガーペイントなどを取り入れています。年数回のワークショップでは、ニュージーランドプレイセンター協会の関係者を招いて交流会を行ったり、市の出前講座を利用して絵本作りを学んだりしています。私が講師としてプレイセンターについてお話をさせていただくこともあります。
 みしまプレイセンターの形が最終形だとは思いませんが、お母さんたち自身が運営し、活動を続けていることは意義があると思います。私は、ニュージーランドのプレイセンターが自然発生的に生まれ、広がったように、日本での活動を少しずつ、草の根的に広めていきたいと考えています。

子どもとともに寝て、ともに起きる育児を実践


 私は、自分自身の子育てにおいても、子どもたちと積極的にかかわり、そこからさまざまなことを学びました。最近は、子どもより自分のことを優先する親が多くなっていますが、私は、子育てのある時期においては、自分のことを後回しにするのは当然のことだと思っているんです。
 私は、子どもたちが小さかった頃、彼らのために時間とエネルギーを割き、彼らに合わせて生活リズムも変えました。子どもと一緒に寝て、夜中に起きて仕事をし、明け方にまた少し寝て、子どもと一緒に起きる。そういう生活を送ったんです。たとえば、親がおもしろそうなテレビ番組を観ていて、子どもに「早く寝なさい」と言っても子どもは寝ませんよね。だったら、一緒に寝ればいいんです。そして、観たい番組のある時間に起きればいい。子どもに合わせて、ちょっと工夫をすればいいんです。
 私は、子どもたちに「勉強しなさい」と言ったことはありません。その代りに、私が仕事をしている姿を見せました。夕食後にも、テレビを観たりしないで、机に向かう。子どもは、「お父さんが勉強しているから自分もしなきゃ」と言って、自発的に勉強してくれました。
 スポーツや習い事なども、子どもたちがすることであれば、私も何でもしました。そのひとつが日本拳法です。親戚が開いた道場に誘われたことがきっかけでしたが、これは大事だと思ったんです。武道には、礼法など、「道」の付くものに共通する一種の精神性があります。これは子どもたちにしっかりやらせたいと思い、私も習い始めたんです。子どもたちと同じように汗をかき、畳の上で同じ練習をすることを徹底しましたね。うちに帰って親子で練習することもありました。汗を流す親の姿を見ていたからかどうかはわかりませんが、子どもたちは全国レベルで活躍するまでに上達したんです。

親が「やってみせる」ことで言わずとも子は育つ

 眺めるだけでなく、自分もかかわる。そして、やってみせる。これが私の子育てです。
 子どもたちが幼稚園や小学校に入学してからも、もちろん、どっぷりとかかわりました(笑)。子どもの同級生の父親に私の幼なじみが何人もいて、「見てるだけじゃつまらない」と、一緒に運動会の企画を持ち込んだこともありました。お父さん対子どもたちでの綱引きや、昔取った杵柄で、組み体操を披露したりしましたね。スポーツ少年団の活動にも、試合だけでなく、練習にも顔を出すようにしていました。そのおかげか、今でも子どもたちは親に対して隠しごとをすることはほとんどありません。
 今、息子は27歳、娘は24歳です。息子は犯罪心理学を学び、現在は法務教官として、少年院で社会復帰をめざす子どもたちのサポートをしています。少年院では、子どもたちが溶接技術などさまざまな資格を取得する機会があるのですが、そこで息子も一緒に試験を受け、資格をとっているんです。血は争えませんね。少年院にいる子どもを怒るのではなく、「面会にこない、手紙もよこさない」と、その親に対して腹を立てている姿を見たときは、うれしかった。「もしかして、自分の子育ては80点くらいはとれているのかな」と思いました。
 娘は、来年大学を卒業し薬剤師として働く予定ですが、希望したのが在宅高齢者のための訪問薬剤師というもの。お年寄りのお宅を訪ね、薬の説明をするような仕事がしたいそうなんです。これは、ホームヘルパーをしている妻の影響があるのかもしれません。
 私は、いわゆる「イクメン」ではありません。育児も、絵本の読み聞かせなど、自分が楽しいと思うことは積極的にしましたが、苦手なことは妻任せでした。しかし、できるだけ子どもたちと一緒に過ごし、そこで彼らに何かを学びとってもらうこと。その努力はしてきたつもりです。成長した子どもたちを見ていると、親の姿を見せることはやはり重要だと思いますね。親が子に与える影響力の大きさを実感します。

未来を担う子どものためには批判的考察が必要

 私は、学生への接し方も、自分の子どもに対するときと同じです。まずはやってみせる。学生に漢字能力検定試験を受けさせたときには私も一緒に受けましたし、新聞などへの投稿活動もともに行っています。
 海外へフィールドワークに出かけるときは、学生にも声を掛けます。日本の子どもや子育ての課題をより広く、深く考えるためには、外から眺めることが必要なんです。私自身が初めて海外に行ったのは、35歳くらいと遅かったのですが、そのときに、相対的に物事を見る重要性を実感しました。自分は日本で生まれ育ったのだから、日本のことを当然理解していると思っていたのですが、違っていました。それ以来、ニュージーランドをはじめ、アメリカ、カナダ、韓国、マレーシア、ネパールなどの国々へ足を運び、比較研究を続けています。そして、学生にも同じ機会を与えるようにしているんです。
 1997年以来、個人的に続けている、ネパールの村で暮らす子どもたちへ文房具を届けるボランティアにも、学生の希望者を募っています。と言っても、私は同行する学生に何かを「してあげる」ことはありません。切符の買い方を教えるなんてこともしません。ただ、自分のすることは見せますから、学生たちはそこから何かを感じることはできるはずです。私は、子どもたちにも、学生にも、私に与えられるものは、すべて伝えたいと思っています。ただ、私が「してあげる」のではなく、自分で気づき、学んでもらいたい。それは一貫しています。
 私は、日本の子育て支援のあり方に対して、若い親たちに対して、批判的なこともあえて訴え続けてきました。それは、自分たちの世代が、次の世代に伝えるべきことがあり、それを伝えることが私の責任だと思うからです。便利な子育て支援政策の恩恵を受け、学ぶ機会を失った親に育てられた子どもに、どんな子育てができるのか。プレイセンターの活動も、そんな危機感から始まっています。私は、これからも研究者として、私がなすべきことを見つめ、かかわり、そして実践していきたいと思っています。

取材日:2011.7



静岡県駿東郡清水町生まれ 駿東郡清水町在住


【 略 歴 】

1980筑波大学第二学群人間学類(教育学主専攻) 卒業
1980~1985筑波大学大学院博士課程教育学研究科(教育経営学専修)単位取得退学(教育学修士)
1985~1990帝京大学福祉・保育専門学校 専任講師
1991~1996常葉学園短期大学保育科 専任講師
1996~2001常葉学園短期大学保育科 助教授
1998NPO日本プレイセンター研究会 代表
2001~2005浜松大学経営情報学部情報ネットワーク学科 助教授
2003静岡県社会福祉審議会(児童福祉部会)専門委員
2005~2008浜松大学健康プロデュース学部こども健康学科 教授
2009相模女子大学学芸学部子ども教育学科 教授

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