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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

男性も女性も仕事と家庭を両立できる制度が充実。
現場の「お互い様」の発想が子育て世代を支える。

社会福祉法人 聖隷福祉事業団

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社会福祉法人 聖隷福祉事業団 総合病院 聖隷浜松病院
看護部A4病棟 看護師

福井諭(ふくい・さとる)


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社会福祉法人 聖隷福祉事業団

病棟内で男性看護師初の育児休職を取得して

 私は、聖隷浜松病院で看護師をしています。循環器内科・心臓血管外科病棟に勤務していますが、36人いる看護師のうち、男性は現在3人です。私は、男性看護師としては院内で初となる育児休職を、今年7月に1ヵ月間取得しました。その期間は、2歳の長男と9ヵ月の次男の育児に専念することができ、私にとってとても貴重な時間になりました。
 私は病棟では中堅としての位置におり、日常業務ではリーダーを務める機会も多くあります。私が抜けることで、他のスタッフには迷惑をかけたと思います。しかし、子供はあっという間に大きくなってしまいますし、一緒に過ごせる時間も限られています。私は、今子育てをしたいという気持ちが強かったんです。
 私には、私が育休をとったことを息子たちにいつか伝えたいという思いもありました。というのも、彼らが大人になり親になったときに、やはり育休をとってもらいたいと思うんです。私の父は、当時の男性の常として家事育児にかかわることは少なかったのですが、子供たちには、私のように積極的に子育てをしてもらいたい。私は、今後受け継がれていく歴史の最初の1ページとして、父親である私が育児休職を取得したという事実がほしかったのかもしれません。
 妻は、現在は専業主婦ですが、長男を出産するまでは私が以前勤めていた病院で看護師として働いていました。来年には常勤として職場復帰する予定ですが、今は家事育児に専念してくれています。
 私は、料理も洗濯も掃除も大好きなんです。だから、結婚してからも、妻と一緒に家事をしていました。同じ仕事をしていましたから、それが当然だったんです。しかし、子供が産まれて妻が退職した途端、役割が完全に分かれてしまいました。
 子育てについては、一通りのことはしていましたが、自分の空いている時間にしかできず、付きっきりで世話をすることはできませんでした。しかし、そういう「手伝い感覚」の育児は、私にはしっくりこないんです。24時間子供と真正面から向き合い、育児をしてみたいという気持ちはずっとありました。一方で妻は、常に子供たちと一緒にいて大変な思いをしている。そんな妻の手助けもできたらと思い、育児休職を取得することにしたんです。

妻との役割交換がお互いにとってプラスに

 育児休職中の1ヵ月間は、北海道の利尻島にある妻の実家に、一家で滞在しました。これまではなかなか帰省することができず、義父は次男と会うのも初めてだったので、とても喜んでくれましたね。
 義父はウニ漁などをする漁師なのですが、漁の後には、家族総出で中身を取り出す作業などをするんです。それで、妻も毎朝手伝いに行っていましたね。その他に、天気のいい日の午後には、知り合いのコンブ漁師さんの仕事を手伝うアルバイトもしていました。ですから、1日のうちの5時間半ほどは、ほとんど私と子供たちだけで過ごしていたんです。
 私の1日と言えば、朝は長男にご飯、次男に離乳食を食べさせ、2人の着替えをさせ、オムツを換え、公園に行って帰ってくる。妻が戻り、一緒に昼食を食べた後は、子供たちを寝かしつけるために島一周のドライブへ。午後は長男の手をつなぎ、次男をおんぶしてまた公園に行く。夜は2人をお風呂に入れて寝かしつけて――と、本当に24時間子供と一緒でした。その間はずっと、他のお父さんは経験できない、貴重な時間を過ごしていると感じていましたね。子供たちの寝顔を見ていると、「おっぱいさえでればな」と思うんです。それ以外のことなら何でもできるのに、と。
 この1ヵ月間は、私にとって本当に貴重な期間でしたが、妻にとってもそうだったんです。妻は、育児から解放され外に出ることで、気持ちが晴れ晴れとするとずっと言っていました。私は1ヵ月という短い期間でしたが、妻はもう何年も、24時間育児にかかりきりだったんです。私も、子供たちと家にいる間は、彼らがたとえ眠っていても心が休まらないことを実感していましたから、妻が子供と離れる時間を持てたことはよかったと思います。
 育児休職の取得は、周囲の協力がなければ実現できません。私の場合も、病棟のスタッフが理解をしてくれ、快く送り出してくれたからこそ、不安もなく1ヵ月を過ごせたのだと思います。「もし、自分の夫がそんなふうに休みを取ってくれたらうれしい」と言ってもらえたのもありがたかったですね。私の職場では、男性の育児休職が単なる制度上だけのものでなく、女性と同様に当然の権利として認知されていると実感することができました。

マネージャーが率先して職場環境の改善に取り組む

 私は、以前は神奈川県内の病院に勤めていましたが、長男が産まれた際に、実家のある静岡県に戻りました。転職する際に、聖隷浜松病院を選んだのは、技術でも制度でも、新しいものを取り入れることに積極的で、常に変化がある病院だと聞いたからです。私は、看護には絶対ということはなく、日々変化するものだと考えていたので、この病院は私に合っていると思いました。今年で3年目になりますが、組織に柔軟性があり、男性でも女性でも、それぞれの能力を活かせる職場だと感じています。
 職員のワーク・ライフ・バランスを推進していることも、この病院を選んだ大きな理由です。聖隷浜松病院には、904人の看護師、助産師、准看護師が勤務していますが、看護職の職場環境向上のため、病院独自の取り組みも行っています。2008年には、日本看護協会の「看護職の多様な勤務形態導入モデル事業」の事業所として、小学校3年までの子供を持つ看護職員を対象とした、短日・短時間勤務制度を試験実施しました。そんな実績もあることから、院内全体として職員の働き方に対する意識がとても高いと感じますね。
 聖隷浜松病院で実際に勤務するようになって気づいたのは、勝原裕美子副院長兼総看護部長をはじめ、現場のマネージャーが率先して職場環境の改善に取り組んでいることです。マネージャー自らが、ワーク・ライフ・バランスの実践者として見本を示してくれているとも感じますね。
 また、聖隷三方原病院の吉村浩美総看護部長は、育児休職やワークシェアなどの制度については、「お互い様」だといつも言います。さまざまな制度を導入すると、同時に現場の負担は増えます。しかし、若い職員が子育てをしているうちは他の職員が協力し、復帰したら、今度はその人が別の職員をカバーしていこうと呼びかけているんです。

仕事も家族も犠牲にしない働き方をしていきたい

 職場の理解や、マネージャーの意識は、制度を活かしていく上でとても重要だと思います。制度が整っていても、たとえば上司が「男性が育休をとるなんて」と思っていれば、実際に制度を利用することは難しいでしょうから。その点、聖隷福祉事業団では、マネージャーの意識の高さが他の職員にも良い影響を与えていると思います。
 聖隷福祉事業団では、社内報や広報などを利用した啓発活動にも力を入れていると思います。たとえば、男性医師の育児休職取得について紹介したり、介護休職を取得して親の看取りをした職員の体験談を掲載したり。具体的な事例が紹介されていることで、職員の意識向上にもつながっていると思いますね。制度の導入と並行し、職員への啓発を続けてきたことで、今の職場風土があるのだと思います。
 私が看護師になったきっかけとして、高校生のときに、1日看護体験に参加したことがあります。当時は、自分の将来について悩んでいて、「自分は何のために生きているんだろう」と考えていました。そこで、先生からの紹介に、何となく「行ってみようかな」と思ったんです。両親が共働きで、小さい頃から祖父母と過ごす時間が長かったため、2人に万一のことがあったときに助けることができたらいいなという思いもありました。
 訪れた病院では、辛い思いをしている患者さんや、看護師さんのすることに対して泣いて喜ぶ患者さんと出会いました。そのときに「小さなことで悩むのはやめて、この人たちのためにがんばりたい」と思ったんです。それで、患者さんのいちばん近くに寄り添える看護師の仕事を選びました。今でもそのときの気持ちは変わりませんね。
 仕事と家族。この2つは、私にとって、どちらもかけがえのない大切なものです。どちらかのために、もう一方を犠牲にすることがないよう、今後も歩んでいきたいと思っています。
 聖隷福祉事業団は、1930年に浜松市で創立、医療・保健・福祉・介護サービスを柱とし、6つの病院をはじめ、検診センターや特別養護老人ホーム、有料老人ホームなどの施設運営を通じて、総合的なヒューマンサービスを提供する社会福祉法人だ。現在は、1都7県で114の施設を運営する。
 職員数は現在1万1618人、うち女性は8242人。全職員の7割以上が女性だ。浜松市にある聖隷浜松病院では、2027人の職員のうち女性が1506人おり、74.3%を占めている。
 数字を見ても明らかであるが、医療福祉の現場は女性がいなければ成り立たない。このことから、同法人では施設を運営する上で、女性が働き続けられる職場であるということが前提となっている。
 たとえば、聖隷浜松病院には、35年以上前から、職員の子供だけを預かる院内保育所がある。対象となるのは、交代制勤務を行う看護職員だ。
 一方で、女性中心の職場ならではの課題もある。医療現場に共通する問題としては、結婚や出産に伴う女性職員の退職がある。同法人でも、退職者の8人に1人は出産や育児の負担を退職理由に挙げていた。また、育児休職取得後に退職した職員の8割が、子供が3歳になるまでに退職していることもあり、以前から対策が求められていた。優秀な人材を長期安定的に確保することは、施設利用者の満足度向上や、経営の安定を図るためにも必要なことなのである。

 具体的な対応策として同法人では、育児・介護休業法で子供が最長1歳6ヵ月になるまで認められていた育児休職期間を、2009年に最長3歳までに延長した。復帰後の再取得も1回であれば可能だ。また、ワークシェア制度をテスト導入し、短日・短時間勤務も可能となっている。ワークシェアは、未就学の子供をもち、夜勤交代制勤務を行っている看護職と介護職が対象で、現在の利用者は42人。対象者は週3日または4日勤務もしくは、1日6時間か4.5時間の勤務を選ぶことができる。
 これらの制度には、未就学児をもつ職員を対象に実施した「子育てに関するアンケート」に寄せられた声が反映されている。他にも、労働組合などの要望から職員の具体的なニーズを把握し、実現できることから制度改定を進めている。
 育児休職制度については、期間延長された2009年4月以降、利用者は477人に上る。また、そのうちの3割は1歳以上の子供を持つ職員だ。取得者数は導入以前と比べて3割ほど伸び、男性職員の利用も少しずつ増えてきた。以前は男性職員の育児休職は取得実績がほとんどなかったが、制度実施以降、すでに6人が利用している。制度を利用する職員が増えることにより、相乗効果も出てきている状況だ。
 聖隷横浜病院では、女性医師を対象にした「ジョブシェアリング」を取り入れている。これは、1人分の仕事を2人で分担して行う仕組みで、短日勤務でありながら常勤として勤務できるのが特徴だ。完全復帰を視野に入れつつ、キャリアを積み重ねることができる制度として利用する医師にも好評だという。
 同法人では、これらの仕事と家庭の両立を図るための取り組みが認められ、2009年に、静岡県男女共同参画社会づくり活動に関する知事褒賞を受賞している。


取材日:2011.7




【 沿 革 】

1930長谷川保ら数名のクリスチャンが重度の結核を患った青年のお世話を始める
1942聖隷三方原病院の前身、聖隷保養農園附属病院 開設
1962聖隷浜松病院 開設
1975聖隷浜松病院の院内保育所「ひばり保育園」開設
2003聖隷横浜病院 開設
2008聖隷横浜病院で、女性医師を対象に「ジョブシェアリング」を実施
看護・介護職の退職者を対象に、再就職のための登録制度を実施
2009聖隷浜松病院が、日本看護協会の「看護職の多様な勤務形態導入モデル事業」事業所となる
育児休業期間を子どもが最長3歳までに延長
看護・介護職員を対象に、短日勤務、短時間勤務を試験導入
静岡県男女共同参画社会づくり活動に関する知事褒賞 受賞
2010日本経済新聞社「第5回にっけい子育て支援大賞」受賞(聖隷横浜病院)

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