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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

汗を流して働いた会社員時代の経験を糧に、
地域と人を結ぶ男女共同参画の推進に取り組む。

高部宗夫(たかべ・むねお)

高部宗夫(たかべ・むねお)


NPO法人静岡県男女共同参画センター交流会議 理事


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NPO法人静岡県男女共同参画センター交流会議

女性の社会進出を印象づけられた会社のあり方

「市民活動に関わってみたい」。私が男女共同参画の推進活動に携わるようになったのは、そんなささやかな興味がきっかけでした。それで、浜松市男女共同参画推進協会の公募に応じ、同協会主催の市民フォーラムに参加したんです。そのときは「男女共同参画」という言葉については知っていましたが、中身については表面的な理解にとどまっていました。地域に役立つ活動がしたいと思って応募したので、推進するのは「男女共同参画」でなくてもよかったんです。もし、そのときの縁がなかったら、それ以来15年近く、現在の活動を続けることもなかったかもしれませんね。
 当時、私はまだ在職中で、スズキや日産自動車の自動車部品製造会社に勤めていました。日産自動車は、私が男女共同参画の活動を始めて間もない1999年に、フランスの大手自動車メーカーであるルノーと資本提携しています。社長兼最高経営責任者(CEO)に就任したカルロス・ゴーン氏の経営立て直しの手腕についてはつとに有名ですが、ゴーン氏は女性を多く登用したことでも知られているんです。実際、ルノーとの資本提携後に、私が関わる日産自動車の担当者も、女性が目に見えて増えました。マネジメントポジションにも多くの女性が就任し、経営者が変わると会社もこれほど変わるのかと実感しましたね。
 1999年は、男女共同参画社会基本法が施行された年でもあります。この頃から、わが社を取り巻く環境も変わり始めました。女性管理職が誕生したり、以前は結婚後は退職する女性社員がほとんどだったのが、結婚後も働き続けることが珍しくなくなりました。私にとって、2007年に定年退職するまでの数年間は、強く意識することはなかったにせよ、女性の社会進出を印象づけられる時期だったように思います。そんな時代の流れを感じたことで、だんだんと男女共同参画の取り組みについて興味関心を持つようになっていったのかもしれません。

女性社員の能力を家庭に眠らせるのは会社の損失

 私は、10代から20代にかけての時期を、高度経済成長の真っただ中で過ごしました。右肩上がりの成長を続ける製造業の現場で、昼夜を問わず働いていたんです。日曜出勤をして1週間休みなし、なんていうこともしょっちゅうでしたね。現場での機械作業は、肉体的にも大変な仕事でしたが、やりがいも感じていました。仕事は年々忙しくなっていったけれど、働くほどに会社の売上は伸び、自分自身の給料も上がっていきました。今思い返すと、毎日思いっきり働き、汗を流していたあの時代が私の青春だったのかもしれませんね。
 通算47年にわたる会社員生活の中では、生産管理、原価管理、社内報編集、経営企画など、現場以外の部門も数多く経験しました。その中では、労働組合連合会へ出向していた期間も12年あります。そのうちの4年間は東京本部に勤務し、さまざまな関連企業の経営者と話し合う機会を得ることができました。そこであらためて実感したのは、良い会社とは、人を大切にする会社だということです。人を大切にするということは、もちろん社員を男女で区別するようなことはありません。性別に関わりなく、その人の能力に応じた仕事を与えている会社は、総じて高業績を維持しています。しかし、当時はそういう会社は少数派だったように思います。その当時の経験は私の財産となり、その後に取締役として会社経営の一端を担う上で、大いに参考になりました。
 女性の社会進出に対しては、私は当初から比較的フラットに見ていたと思います。私の勤めていた会社では、女性社員は2割程度で、活躍の場も限られていました。しかし、経営計画を立てたり、年間予算を組むときには、一般的に女性のほうがきめ細やかな配慮や指摘ができ、私自身も助けられる場面が多々ありました。ですから、彼女たちが結婚して専業主婦になるのを、いつももったいないなと思って見ていましたね。
 1人の人間を一人前の社会人として教育するには、時間もコストもかかります。優秀な女性が家庭に入り、身につけた能力を眠らせてしまうのは、会社としても損失が大きいのではないでしょうか。私自身はそう考え、女性が結婚、出産後も働けるような環境を真っ先に整えることに前向きに取り組んできたんです。

仕事中心の時期を経て地域活動の楽しさを知る

 私は28歳のときに結婚し、3人の子供がいます。子供たちが小さかった頃は、仕事中心の生活で、子育てに関わることはほとんどありませんでした。東京勤務時は単身赴任をしており、その頃は、あまり家に帰ることもできませんでしたね。当時の印象的な思い出は、東京へ家族を呼んで、開業したばかりの東京ディズニーランドに出掛けたことぐらいなんです。
 生活が少しずつ変わり始めたのは、40代に入ってからのことです。仕事中心の日々は相変わらずでしたが、気持ちの面でのゆとりが生まれ、地域での活動に参加するようになったんです。
 子供たちともかかわるようになりました。町に点在する史跡を巡り、地域の歴史を子供たちに学んでもらうボランティアをしたり、次男が通う小学校のPTA会長を務めたりもしました。また、地元の仲間たちと「郷土をみつめる会」を結成し、地名の由来を調べたり、地域の寺院や神社、小学校などの歴史をまとめる活動も始めました。その成果は20冊の本となり、今でも地元で活用されています。私は、地区の西都台小学校の歴史を1冊にまとめたのですが、さまざまな方のお話を伺ったり、資料を見せていただいたりと、貴重な経験になりましたね。
 私が生まれ育った浜松市西区の志都呂町は歴史のある町で、江戸時代には陣屋が構えられ、俳句や和算などの文化活動も盛んでした。近くには佐鳴湖や新居関所などもあります。そんな地域の歴史を、子どもたちと学びながら紐解いていくのは、私自身にとっても、とても楽しいものでした。
 私の地域活動は、そんな地元への愛着がベースになっていると思います。私も子供たちもここで生まれ、育ちました。この地域をより良くし、歴史を繋いでいきたい。そんな思いが根底にあると思います。

さまざまな人や団体を繋げより良い活動を目指す

 私は現在、「静岡県男女共同参画センター交流会議」(あざれあ交流会議)の理事として、さまざまな講座やイベントを通じて男女共同参画の推進を行っています。これまでは県単位での活動がメインだったのですが、今後は各地域の特性に合わせ、より具体的な活動を行っていこうと計画をしています。
 私は県西部の市町を担当しているのですが、これまでの地域活動の経験も活かしながら、提案ができればと考えています。西部地区は女性活動が活発なエリアで、浜松市内だけで30ほどの女性団体があります。佐鳴湖をベースに環境活動などを行う杉山恵子さんをはじめ、女性活動家も多く活躍しています。私は、それらの人や活動をひとつに繋げ、より効果的で効率のよい活動に結び付けたいと思っています。さまざまな人や団体にお声掛けし、グループ討議などを行うことで知恵を出し合っていけたらいいですね。
 静岡県の男女共同参画に関する取り組みは、全国的に見ても積極的であると評価されています。しかし、各市町への浸透度という点に関しては、満足のいく成果が上がっているとはいえないのが現状です。たとえば、女性議員数や公立小学校の女性管理職者数などは全国平均を下回ります。女性の政策決定の場への参画については、県でも講座を開催するなどの取り組みを行っていますが、さらなる推進が必要な分野だと思います。
 私は、いろんな団体が、各地域で思い思いの活動をしている状況を見直していくことも、そんな現状の打開策のひとつとなるのではないかと考えています。

男女共同参画の視点をベースに地域活動に取り組む

 私はこれまで、男女共同参画社会を実現するには、国民運動が必要だと訴えてきました。それぞれの個人が持つ信念ももちろん大切ですが、すべての人が100%理解し合うことは難しいと思います。たとえ、ある部分では考え方が違うと思うところがあっても、共感できる他の部分を重視し、まずは一緒に何かを始めてみたらいいと思うんです。小異を捨てて大同につくということが、必要だと思いますね。
 少子高齢化社会の到来という観点からみても、女性の能力を活用しなければ、社会の維持自体が不可能となると思います。つまり、それは女性が男性と同等に働き続けられる制度が必ず必要になるということです。そんな危機的な状況に置かれていることを皆が自覚し、団結することを求めなければいけないと思います。それは、まさに国民運動と言えます。
 そのためには、行政による制度改革とともに、私たち一人ひとりが地域でできることをしていく姿勢も大切だと思います。私は、これまで、県男女共同参画審議会などでも発言を続けてきました。これからも、交流会議をはじめとした、地域活動の一層の充実のために活動を進めていきたいと思っています。
 今後力を入れていきたいことは、地域の高齢者の健康や生きがい作りへの貢献です。昨年まで地区の自治会長を務めたほか、今年4月からは、入野地区社会福祉協議会の事務局長に就任し、少子高齢化社会の問題についてあらためて実感させられました。高齢者が増え続ける状況下で、健康長寿、生きがい、働きがいなどの課題解決にひとつずつ取り組んでいきたいと思っています。
 これらの活動を進めるにあたり、男女共同参画の視点は、私にとってのベースとなっています。それは、どんな問題に取り組むにも、男女共同参画社会の実現が求められるということに他なりません。
 長年、忙しい仕事を続けてきて、定年後にはゆっくりしようと思ったこともありましたが、やはりなかなか落ち着くことはできないですね。考えてみれば、仕事にはやりがいを見出して楽しんできましたし、今も、地域に出てさまざまな人と会って話をすることに喜びを感じています。きっと活動している時間が好きなのでしょうね。
 これからも、生まれ育ち、今後も暮らしていくこの地域のために、私にできることを続けたいですね。そして、何らかの形で貢献ができればいいなと思っています。

取材日:2011.7



静岡県浜松市生まれ 浜松市在住


【 略 歴 】

1960株式会社富士鉄工所(現株式会社ユニバンス)入社
1973~1985全日産・一般業種労働組合連合会へ在籍専従として出向
1981全日産・一般業種労働組合連合会 東京本部 勤務
1990西都台小学校PTA会長
1997浜松男女共同参画推進協会 加入
2007株式会社ユニバンス 取締役退任
静岡県男女共同参画審議会 委員
2009浜松市西区志都呂町 自治会長
NPO法人静岡県男女共同参画センター交流会議(あざれあ交流会議) 理事
2011浜松市西区志都呂町入野地区 社会福祉協議会 事務局長

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