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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

育児に参画するお父さんを引っ張る「キャプテン」。
子供も保護者も共に学び、育ち合う幼児教育が信条。

橋本憲幸(はしもと・のりゆき)

橋本憲幸(はしもと・のりゆき)


学校法人アソカ学園 美波幼稚園 園長


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学校法人アソカ学園

初の男性教諭という立場で幼児教育の道へ

 私が幼稚園教諭になったとき、浜松市内の私立幼稚園に私以外の男性教諭はひとりもいませんでした。
 浜松市私立幼稚園協会では、1972年に私立幼稚園の統一採用試験を導入したのですが、私が男性受験者の第1号なんです。受験したのは1982年。それまでの10年間は、受験者はすべて女性でした。
 なぜ、女性の職業とされていた幼稚園教諭になろうと思ったのか。私は、縁者や知り合いに幼稚園関係者がいるわけではありません。ですから、当時、私の進路に周囲の人たちは皆驚いていましたね。しかし、理由は単純なんです。それは、音楽と体育と図画工作が得意だったから。なかでも、長年エレクトーンを習っていたので、ピアノの技能が求められる幼稚園教諭に向いていると思ったんです。
 私は、4歳の頃から、オルガン教室に通っていました。始めたのは、園内の音楽教室をいつも羨ましそうにのぞいていた私を見て、幼稚園の先生が母に手紙を書いてくれたからなんです。母が私に話をすると、私は「やる!」と即答したそうです。そして、小学校に入学した際には、自らエレクトーンを選んで習い始めました。
 元をただせば、今の私があるのは、当時の幼稚園の先生が私の小さな行動を気にとめてくれたからだと言えるかもしれませんね。子供のいいところを見抜き、興味関心を的確にとらえ、保護者に伝える。そして、その子にきっかけを与える。それは、幼稚園教諭にとって、仕事をする上でのやりがいのひとつです。私は、そんな仕事の意義を自身の体験から感じていたからこそ、小中学校ではなく、幼稚園の教諭を目指したのだと思います。
 進路を決めてからは、男性であるために戸惑うことは少なからずありました。男性を受け入れる養成学校がなかなか見つからなかったり、入学した専門学校に300人中男子学生が3人しかいなかったり。しかし、私には「女性ばかりの世界だからこそ、男性がきっと必要だろう」という確信がありました。
 私が就職試験を受けに行ったとき、実は市内の私立幼稚園の園長先生方の間で話し合いが行われたそうです。「これからは男性の先生も必要な時代になるだろう。どこかの園で採用してみないか」と。そこで手を挙げてくださったのが、当学園の、今年亡くなられた朝元欣笑前理事長でした。このことを知ったのは、ずっと後のことです。今思えば、可能性を買っていただいてこの世界に入ることができ、私は幸運だったと思いますね。

両親ともに学び合い、育児に参加することが重要

 私は現在、幼稚園園長として現場に身を置く一方で、家庭教育やお父さんの子育て参加についての講演をさせていただく機会もあります。
 女性の社会進出があるならば、男性の家事や育児参加も必要だろうというのが、私の考え方です。女性だけが家事をして仕事もするというのでは、社会でも家庭でも調和が取れませんよね。そこで私は、子育て世代の父母が、共に子育てに参加できるような社会の仕組みや文化を作ることがまず必要だと感じました。幼少児を持つ家庭にアプローチしていけば、その家庭で育つ子供も、両親の姿を見て自然と学ぶでしょうから。そして、その子供たちが大人になる頃には社会も変わるはず。そんな持論が、男女共同参画にも繋がるとの評価をいただき、思いがけず(笑)、静岡県男女共同参画会議委員なども務めさせていただくようになりました。現在は、男女共同参画的な視点から、子育てについてお話をさせていただくこともありますね。
 私は、子供たちが情緒豊かで、心身ともに健全に育っていけるような幼児教育を常に心がけています。現在園長を務める幼稚園では、「育ち合い」をテーマとしているのですが、これには2つの意味合いがあります。
 ひとつは、子供たち同士の育ち合いです。開放的な環境のなかで、さまざまなやりとりを繰り返しコミュニケーション能力を高めていくこと。そしてもうひとつは、お父さんやお母さんが子供たちと共に育ち合うことです。そこには、子供が成長するには、両親や保護者も学び、成長しなければならないという考え方が基本としてあります。そのために、父親の懇話会を設けてお話をさせていただくなど、さまざまな機会を用意しています。お父さんやお母さんには、園での3年間をとおして、子供たちと共に育っていただきたいと願っています。

子供たちのヒーローになるべく父親サークルを設立

 お父さんたちの育児参加や、子育ての学びの場を自ら作りたいと思い、同学園の城北幼稚園在職中の1995年、父親サークル「キャプテン・パパ」を立ち上げました。当時は、お父さんのための会というのは、全国的にも珍しい存在でしたね。
 その頃の幼稚園を取り巻く環境は、職員も、来園する保護者もほとんどが女性でした。園でお母さんたちと接していると、孤軍奮闘しているなという印象を受けましたね。お父さんは仕事が忙しく、子育てはお母さん任せ。核家族化が進み、相談できるおじいちゃんやおばあちゃんもいない。特に第一子の場合は、お母さん自身がひとりで悩みをかかえこみ、正しい判断ができていないことも多い。一生懸命なんだけれど、それが空回りしている若いお母さんが目立っていたんです。
 そんなときに考えたのが、「お父さんがもっと子育てに参加すれば、お母さんの苦労が和らげられるだろうな」ということです。家庭でひとりで子育てをしているお母さんは、周りのことが見えなくなり、世間からの隔絶感を持ってしまいがちです。そこにお父さんの客観的な視点を取り入れることで、育児のバランスが取れるのではないか。お父さんたちの会を立ち上げて、父親の子育て参加がムーブメントになれば、何かが変わるのではないか――。
 立ち上げに際しては、不安よりも、何人集まってくれるだろうという期待が大きかったですね。そして、蓋を開けてみると、なんと30人を超えるお父さんが集まった。しかも、当時は私の長女が1歳の頃で、幼稚園のお父さんたちと同世代だったんです。子供の頃の遊びも一緒、観ていたテレビも一緒、興味の対象も一緒。これで盛り上がらないわけがない(笑)。それからは、運動会や餅つきなど、園内のさまざまなイベントでお父さんたちが大活躍しました。ほとんどの方が会社員でしたが、平日のイベントにも積極的に参加してくれましたね。子供たちからも「キャプテン・パパ、かっこいい!」と評判になり、私を含め、皆が子供たちのヒーローになった気分で、ますます張り切るようになりました。

「キャプテン・パパ」の活動が男性の意識を変える

「キャプテン・パパ」の活動のベースは、定期的に行う座談会です。お父さんたちのなかには、子育ての悩みを相談するために参加する人もいれば、普段子供との関わりが少ないからと、情報収集にくる人もいます。積極的に育児参加しているお父さんもいれば、参加したくても、どうしても時間がとれないというジレンマをかかえるお父さんもいるんです。
 私は、お父さんたちとお話をさせていただくときに、「もっと子育てに力入れて」「休日にはもっと子供の顔を見て」というようなことは言いません。努力を強いるようなことは、苦痛となり、ストレスとなるだけです。でもせめて、子供の担任の先生や、クラスの名前は覚えてほしいとお伝えしています。新聞を読むようなつもりでいいんです。その人が努力せずにできることを実践するだけで、家族の関係は大きく変わります。子供に対して関心を持っていれば、きっと自然にできることだと思いますね。
 立ち上げの2年後には、活動の転機となった出来事がありました。1997年、14歳の少年によって複数の小学生が殺傷された、神戸連続児童殺傷事件です
 事件をきっかけとして、子供にとっての家庭教育の重要性が、さまざまなメディアで議論されるようになりました。そこからさらに、家庭において父親が子供とどう関わっていくかに焦点が絞られていったんです。
 当時、私たちは活動内容を紹介するホームページを開設していました。しかし、同様の団体によるページは皆無に近く、結果として全国から取材が殺到したんです。活動当初は、私がお父さんたちを引っ張っていかなければと思っていました。しかし、注目度が増すにつれ、彼らの意識も高まっていったんです。「子供のためなら何でもする」という彼らを、ときには抑えなければならないこともありましたね。その頃の私の役割は、お父さんたちの企画が子供たちにとって安全なものなのかを判断し、調整することくらいでした。
 そして、「キャプテン・パパ」の活動は、1999年に旧文部省特色教育振興モデル事業に指定され、800人を収容するイベントを開催するまでに成長したんです。
「キャプテン・パパ」に賛同してくれたお父さんたちは、自分たちが主体となって活動する場を求めていたのかもしれません。だから、私が会を立ち上げたときに「待ってました!」とばかりに集合し、生き生きと活動し始めたのだろうと思います。
 サークル設立時には、園には300人の園児がいました。メンバーは30人ですから、ほぼ全体の1割です。人には得手不得手がありますから、残りの9割のうち1割の人は、私たちの活動にはまったく興味を示さないかもしれない。しかし、あとの8割の人たちは、1割のキャプテン・パパたちの存在を知って、少しは心が動くのではないかと思うんです。そして、何かきっかけがあれば、大きく変わるかもしれません。
 そんな草の根的な活動が広がっていくことで、父親の育児参加や家庭教育の土壌が少しずつでも耕されていけばいいと思いますね。

男性の大胆さや遊び心が子育ての絶妙なバランスを生む

 私の母は専業主婦だったのですが、今思えば、男女共同参画の意識が高い人だったのだと思います。私と弟は、小さな頃から料理も仕込まれましたし、掃除もしました。洗濯物をたたんだり、ボタン付けも自分でしていました。父は家では何もしない人でしたから、母はそんな父を反面教師にし、私たちには家事を苦にしない大人になってもらいたかったのかもしれません。
 そんな母の教育のおかげか、私は料理を含め、家事は何でもこなします。妻は養護教諭としてフルタイムで働いていますから、家事はそのときにできるほうがするようにしています。
 仕事で妻が家を空けるときは、2人の娘は私に「お弁当つくって」と言ってきますね。私も妻と同じように料理を作るので、母親がいなければ父親に頼むということが娘にとって自然なんです。他の父親はどうあれ、「うちのパパはこうなんだ」と思っているのでしょうね。
 私は、職場でも家庭でも、男女という区別を取りたてて意識することはありません。できる方がするというのが、私たち夫婦の間において、自然に生まれたシンプルな役割分担です。
 たとえば、育児をしていた頃、夜泣きをする娘を泣きやませるのは、妻より私のほうが得意だったんです。私が抱けばすぐに泣きやむのですが、妻が抱っこすると、10分以上は泣いていました。それはなぜか。妻には1分1秒でも早く泣きやんでほしいという意識がありましたが、私は、好きなだけ泣けばいいと気長に構えたんです。そんな私の態度のほうが、わが子には心地よく感じられたんでしょうね。
 私には、ある意味ではズボラな部分があるんです。そして妻には、私とは反対に、几帳面な部分がある。子育てとは、決して自分の思い通りにいくものではないけれど、初めからそう思っていれば、すごく楽になれるものなんです。子育てに対して、そんなほどよい距離間を保つのは、一般的に言えば男性のほうが得意なのではないでしょうか。私は、お父さんが客観性を活かしながら子育てに参加することで、お母さんは安心し、子供も伸び伸びと育つのではないかと思います。ほど良い夫婦のバランスが子育てには必要だと感じます。

家庭教育において求められる保護者の「良識」

 私が幼児教育に関わるようになって、もうすぐ30年になります。その間に、家事や育児に関わる男性は増え、父親の意識という点においては少しずつ向上してきたと思います。しかし、私は一方で、家庭教育力は低下しているのではないかと思っているんです。
 家族のあり方が変わっても、変わらないものがあります。それは、親の良識です。「常識」とは、移り変わるものです。たとえば、男性の家事がそうです。25年前には非常識だったことが、今では常識になりつつあります。しかし、「良識ある親心」は変わってはいけないと思うんです。幼い子供の受動喫煙の問題や駐車場のいたわりゾーンへの迷惑駐車、TPOをわきまえない服装の問題まで。子供の健康を守ることや、大人として正しい振る舞いを子供に示すこと。そんな家庭で行うべき教育が、おろそかになっているのを感じます。ですから、何か気付くことがあったときには、耳が痛くなるような話でも保護者の方々にお伝えするようにしています。
 古典的な家族、たとえば漫画の「サザエさん」に出てくる家族を見ると、男女共同参画という観点では見習うべきところはありません。お父さんが「母さん、お茶」なんて平気で言う家族ですからね。しかし、庭には必ず季節の花が咲いていて、食卓には旬の食材を使ったおかずが並んでいます。食事中にテレビがついていることはありません。日本の家庭教育においては、そんな一つひとつのことが重要なんです。しかし、今の子育て世代には失われつつありますね。家庭教育を実践する上では、私たちは戦前戦中を生きた両親や祖父母の世代から学ぶべきことが多いと思います。

幼稚園とは、将来実を結ぶための種を植える場所

 私は、幼児教育と家庭教育には、重なる部分が多々あると考えています。たとえば、家庭で行うべきことのひとつに子供の健康管理があります。しかし、子供の偏食などに対して、対応しきれない家庭もあります。子供の健康増進のために、幼児教育者として何ができるのか。本来なら家庭教育にかかる分野においても、私たちが補う必要がでてきています。
 夫婦共働きの家庭が増えている中で、子育て支援のあり方についても議論する必要性を感じます。現在、行政やさまざまな団体が子育て支援活動を行っていますが、それらを見ていて思うのが、「便利すぎやしないか」ということです。
 お父さんやお母さんが子育てをしやすいように、周囲がサポートをすることは大切なことです。しかし、何でもしてあげるというスタンスが、保護者自身の学びを阻害しているのではないかと思うのです。
 当園では、たとえば1時間園庭を開放したとしても、その時間は保護者の方に自由に使っていただきます。子供と遊んでもいいし、お母さん同士で交流するのもいい。しかし、自分で考えて行動してもらっているんです。そこにいけば何でもあり、何でもしてくれるということは決してありません。そして、その中で専門家と接する時間を別に設けて、そこからも学んでもらえるようにしています。
 私は、幼稚園とは、子供や保護者にいろんな種を植えることができる場所だと思っています。家庭教育の種。男女共同参画の種。子供はまだ小さいし、子育て世代のお父さんやお母さんはまだ若いんです。ここで植えられたさまざまな種は、いずれ「できる力の芽・わかる力の芽」となり、大きく成長していくことができるはずです。幼稚園での3年間というのは、とても大事な過程だと思いますね。
 男女共同参画においては、男性が変わらなければいけない段階に来ています。私は、同じ男性という立場から子育てについて話をすることで、お父さんたちの共感を得ることができたのだと思いますね。「キャプテン・パパ」を立ち上げ、お父さんたちと信頼関係を築くことができたのは、やはり私が男性教諭だったからだと思います。「幼稚園には男の先生も必要だ」と考えた18歳の頃、私自身にも種がまかれたのかもしれません。そして30年近く経った今、ひとつの実を結び始めたのかもしれませんね。

取材日:2011.7



愛知県生まれ 静岡県浜松市在住


【 略 歴 】

1983名古屋保育専門学校 卒業
学校法人アソカ学園就職、城北幼稚園勤務
1985学校法人アソカ学園 朝田幼稚園勤務
1993学校法人アソカ学園 城北幼稚園勤務
1995父親サークル「キャプテン・パパ」設立
1999~2000キャプテン・パパ活動が旧文部省特色教育振興モデル事業に指定
2002学校法人アソカ学園 遠州浜幼稚園 園長就任
2004~2005静岡県男女共同参画会議 委員
2006~2007浜松市新男女共同参画計画策定委員会 副委員長
2008学校法人アソカ学園 美波幼稚園 園長就任

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