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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

子供の「生きる力」を豊かに育む保育を実践する
イクメン、カジダン、男性保育士の先駆者。

太田嶋信之(おおたじま・のぶゆき)

太田嶋信之(おおたじま・のぶゆき)


社会福祉法人あゆみ福祉会 竜南保育園 理事長兼園長


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社会福祉法人あゆみ福祉会 竜南保育園
社会福祉法人あゆみ福祉会

思いがけずサラリーマンから保育士に転身

 保育士は、もともと女性にだけ取得が認められていた資格でした。男性にも認められるようになったのは、1977年。私は、その2年後の1979年に、資格を取得しました。
 私の姉は、保育園を経営していました。養護教諭だった私の妻が、姉の仕事を手伝うために資格を取得することになり、「私も一緒にとろうかな」と、ほんの軽い気持ちで受験したんです。
 私は当時、信用金庫に勤務していました。すでに長男が生まれていて、夫婦共働き。子育てや家事は、妻も私も同じようにしていました。掃除、洗濯、料理、繕いもの……私は何でもできましたので、「イクメン」「カジダン」の先駆けと言えるかもしれません。
 夫婦ともども忙しかったので、勉強できるのは仕事から帰って、2~3歳だった息子が寝た後。2人で競い合って勉強した甲斐あって、揃って合格することができたんです。
 資格取得をした当初は、信用金庫での仕事を辞めるとか、保育士として生きていくということは、考えていませんでした。しかし、姉が新たにもう1つ保育園を設立することになり、結局は資格取得と同時に、現場に入ることになりました。
 安定していた仕事を辞め、保育士として働くことについては、全く抵抗はありませんでしたね。むしろ最初から、違和感のない仕事でした。というのも、姉の保育園の運営や経営に、それまでも多少関わっていましたし、長男の子育てもしていましたので、その延長でいいのではないかと思っていたんです。今にして思えば、自分の子育てと、保育園での仕事は、随分違うものでしたが。
 姉が園長を務める「あゆみ第2保育園」に8年間勤務した後、そこで園長になりました。静岡市が建設した「竜南保育園」の運営を受託してからは、そちらに移り、園長を務めています。竜南保育園が完全に民営化した現在は、経営に専念しています。
 保育士になって、気が付けば30年が過ぎました。理想とする保育を実現するために何ができるのか、子供たちや保護者の方々と向き合いながら、日々、試行錯誤しています。

子供時代の経験から、家事、育児にも自然に参加


 私にとって家事をすることは、子供の頃から生活の一部でした。小学校1年生のときに母を亡くしたため、基本的に、自分のことは自分でしなければならなかったんです。料理も洗濯も、「お手伝い」というレベルではありません。買物に行って料理しなければ、食べるものがない、洗濯しなければ、きれいな服が着られない――そういう状況でした。父や高校生だったすぐ上の姉も、いろいろしてくれてはいましたが、いちばん時間に余裕のある私が、ほぼ毎日、家族の食事を作っていたんです。
 家事のために、自分の時間が制約されると感じたことはありませんでしたね。勉強もしましたし、友達と遊んだり、映画に行ったり、好きなこともしていました。家事が辛いと思ったこともありません。ただ、友達の家に遊びに行くと、お母さんが家で迎えてくれるんです。自分にはそれがないのが辛かった。高校生になっても、母がいない寂しさを感じることはありましたね。
 なので、自分が結婚したら、子供たちが帰ってくると「おかえり!」というお母さんの声がする家庭を作りたいと思っていました。しかし、結婚してみると、自然と共働きになってしまったんです。私も当然、家事をしますので、2人とも働いていても、生活の面で困らないわけです。家賃を払ったり、車を買ったり、1人より2人分の給料があるほうが楽ですしね。
 当初は「共働きは子供が産まれるまで」と思っていた部分もありましたが、結局、息子が産まれてからも、「妻に家庭に入ってほしい」とは、思いませんでした。
 環境的に恵まれていたこともあります。姉が経営する保育園は、私たちの自宅の隣にあって、私も妻も、そこで働くようになりました。自分たちの子供は、もちろん園に預けていましたし、小学生になってからも、「ただいま」と、保育園に帰ってきていました。
 子供の頃、思い描いていた家族像とは、全然違う家族でしたが、家族が皆、集まることのできる保育園のおかげで、夫婦がともに働き、家事も育児も一緒に行い、子供たちに寂しい思いをさせないバランスを保つことができたんです。

働く女性のために乳児保育や延長保育をいち早く展開

 姉が1971年に設立した「あゆみ乳児保育園」は、0~2歳児を対象とした保育園です。当時は、乳児保育を行う保育園がほとんどなく、0歳児から預かるところは皆無に等しかった。
 しかし姉には、「0歳から預かってもらえなければ、お母さんは働けない」という思いがあったんですね。勤めていた他の保育園を辞め、「女性が子育てをしながら、安心して働けるように」という願いで、1971年に「あゆみ保育園」となる「あゆみ乳児保育園」を立ち上げたんです。
 結婚後もフルタイムで働く女性は、当時は今以上に少数派でしたが、園の周囲には、県の官舎や大手企業の社宅などがあり、働きながら子育てをしたい女性が、たくさんいたんです。「産前産後6週間」という産休はありましたが、育児休業のない時代でしたから、出産を機に、女性は仕事を辞めざるをえなかった。
「あゆみ乳児保育園」は、設立後、あっという間に定員に達しました。0~5歳児が対象の「あゆみ第2保育園」は、1979年、「3歳を過ぎても子供を預かってほしい」という、お母さんたちの要望に応えて立ち上げました。
 1981年に延長保育の制度ができるまで、保育園で子供を預かれるのは18時まで。夕方、慌ててお母さんたちが駆け込んでくるのを見ては、「働きながらの子育ては、本当に大変だな」と感じていました。
 延長保育をスタートしたのは、あるお母さんが、「どうしても延長保育をお願いしたい」と、訴えてこられたのがきっかけです。近所の保育園で断られ、途方に暮れて、うちの保育園を訪ねてこられましてね。市役所に相談したり、採算をはじめ、想定されるさまざまなリスクなど、課題を1つずつクリアしながら、1987年、市内では周囲の保育園に先駆けて延長保育を実施しました。
 個別対応という形も含め、私たちは、保護者のニーズにできるだけ耳を傾け、柔軟に応える努力をしてきました。保育園を卒園し、小学生になった子供を預かる学童保育をしたこともあります。

男性保育士が将来を見据えて働くことが難しい現状

 最近、若い世代を中心に、男性保育士の数が少しずつ増えてきています。しかし、それでも、現時点で全国の保育士のうち、男性は4%程度。静岡市内のフルタイムで働く保育士、約1800人のうち、男性はわずか60名前後です。
 男性保育士が定着しないのは、男性が保育士として長く活躍できる土壌が整っておらず、将来を見据えた働き方が難しいことに原因があります。
 問題のひとつは、保護者とのコミュニケーションです。話題の中心である育児の悩みなどは、子育て現役世代を過ぎた40~50代の男性保育士には相談しにくいということも、考えられるでしょう。
 経験や知識が豊富でも、「男性である」ということ自体、保護者の不安につながるケースもあります。「男性も女性と同じように、育児に参加するのが当然」という社会になれば、そういう意識も変わっていくのだと思うのですが、まだ時間がかかると思いますね。
 賃金体系の問題もあります。現在の処遇では、10年後、20年後といった、他の業界ではごく一般的なベースアップを期待することができません。少しずつ状況が変わってきているとはいえ、「男性が経済的支柱となって家族を支える」という旧来の価値観から脱しない限り、男性保育士が働き続けるのは難しいでしょう。処遇改善には、行政の力が必要です。ワークシェアリングなど、多様な働き方を可能にする制度も待たれるところです。
 そういう状況ですので、男性保育士の採用数は、保育園によって大きく違います。経営者の方針ひとつで、男性保育士が何人か活躍している園もあれば、全く採用していない園もある。男性が保育士の資格を取っても、就職が容易ではないというのが現状なんです。
 私は、さまざまな個性がある多様性こそ、社会の豊かさにつながるように思うのですが、現実の社会は、多様性を受け入れられる懐の深さが、まだまだ足りません。男性保育士の問題もそうですが、職業ひとつとっても、選択の自由以前に、男女の役割分担が固定化されていたり、閉鎖的な部分が根強く残っています。
 男性保育士に対して不安をもつ人は、実際に雇用している経営者や現場の職員、お子さんを通わせている保護者の声を聞けばいいと思いますね。是非、私たちの声を聞いていただきたい。

男女に関わらず「保育士になりたい人」に道を開く

 私は、男性保育士は保育園に必要な存在だと考えています。それは単に、私が男性だからということではありません。保育園というのは、教育の場であると同時に、養護の場、生活の場。「子供たちを中心とした小さな社会」です。幼稚園に比べ、子供たちの過ごす時間は圧倒的に長く、なかには朝7時から夜7時までいる子供もいます。
 いろんな生活があり、さまざまな人間関係がある保育園で、子供たちは、たくさんのことを学んでいきます。そういう場であるからこそ、保育園にはいろんな大人がいたほうがいいんです。女性も男性も、お姉さんやお兄さんみたいな人、お母さんやお父さんみたいな人、おばあちゃんやおじいちゃんみたい人……多様な環境が理想だと思いますね。
 竜南保育園には現在、私を含め3名の男性職員がいます。将来について話すこともありますね。私は彼らに、定年まで安心して勤めるにはどうすればいいか、一緒に道を探していこうと言っています。
 男性保育士がサバイバルするための、ひとつの方向性として、高い専門性を身につけるということがあります。ソーシャルワーク、看護、運動、音楽など、他の保育士にはない専門分野での知識を深めれば、園児たちの指導だけでなく、職員のスキルアップにも貢献できます。独自の専門性を、是非、現場の実践につなげてほしい。そうすることで、年齢に関係なく、何らかの活躍の場が開かれる可能性があると思います。
 私自身、女性中心の職場に飛び込んだ1人ですから、男性保育士にとって働きやすい職場を作るために、今なおたくさんの課題が山積している現状を理解しています。子供が好きで、「保育士になりたい」という人に対し、男女関係なく、道を開くのは当然のことです。今後も、環境整備を実践していく一方で、男性保育士の地位・処遇向上のために、課題解決の必要性を訴える努力を続けていきたい。

子供たちのためにワーク・ライフ・バランスの実現を

 保育園を運営するうえで、私が心がけていることは、保護者の方々との連携です。保育園は、保護者を支援したり、家庭の役割を補完する場であるべきだと考えています。懇談会などでは、「ご両親と保育園が両輪となって、ともに子供を育てていきましょう」とお伝えしているんです。
 また、保育園は、同じ地域に暮らし、同じ世代の子供をもつ保護者の方々が集まる、小さなコミュニティです。さまざまなコミュニケーションが生まれ、地域と繫がっていくことは、非常に意義があることだと思います。地域に園を開放しているのは、そのためです。地域全体で子供たちを見守っていける、「子育ての拠点」「頼りになるコミュニティ」を目指しています。
 現代の社会では、子供たちが幅広い人間関係を築く機会が、どんどん減っています。子供たちに、そういう機会を与えられる環境づくりも、保育園は担う役割のひとつでしょうね。彼らが大人になったとき必要とされる、人と関わる力を身につけ、社会に出るための基盤を作ってあげる。生きていく力を育むことが、私たちができる手助けだと思うんです。
 今後、社会全体に期待しているのは、ワーク・ライフ・バランスの実現です。
 いうまでもなく家庭環境は、子供にとって、とても重要です。例えば、子育て中の共働き世帯では、両親のいずれかが、子供のために必ず早く帰れるような仕組みが、社会全体でつくれればいいなと思います。ある程度、時間の余裕が生まれれば、子供と接する時間が増え、それだけ愛情を注ぐこともできます。子供への虐待という問題も、軽減できるかもしれない。
 さらに、ワーク・ライフ・バランスの実現で、男性がもっと家事や育児に参加しやすくなれば、男女の固定的な役割分担にも、柔軟性や多様性が生まれるでしょう。最近は、保育園に来るお父さんたちのなかにも、洗濯をしたり、食事を作っている方が増えています。お母さんだけが、外で働きながら、ひとりで家事や育児をこなしていくことには、限界があります。これからは必然的に「イクメン」「カジダン」が増えていくでしょうね。そういう流れが、めぐりめぐって男性保育士の活躍の場を、増やしていくことにも繋がっていくのだと思います。
 保育園での仕事は、自分にとって、天職みたいなものです。それは子供の頃から家事をこなし、家庭をもってからも、妻とともに家事や子育てを行ってきたことで、「男だから」「女だから」という固定観念に縛られずに生きてきたことが、大きく影響しているのだと思います。
 職員のこと、保護者の方々こと、社会の動きなどを考えると、正直に言えば悩みは尽きません。いつも「これでいいのかな」と自問自答しています。
 しかし、これまで自分で道を切り開いてきたことは、生きる糧になっていると思いますし、いくつになっても自分の人生を自分らしく生きていけたらいいなと思います。

取材日:2011.6



静岡県静岡市生まれ 静岡市在住


【 略 歴 】

1979保育士資格取得
社会福祉法人あゆみ福祉会「あゆみ保育園」へ転職
1987社会福祉法人あゆみ福祉会「あゆみ第2保育園」園長
1997静岡私立保育園連合会 会長
1998社会福祉法人あゆみ福祉会 理事長就任
2001静岡市より公設民営保育園(竜南保育園)を受託し開園
2009静岡県保育所連合会 会長 
静岡市功労者表彰 社会福祉功労 受賞
2010静岡県知事表彰 社会福祉功労 受賞

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