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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

誰もが自由に発言できれば、社会は変わる。
「生きにくさ」を市民活動に変えたNPOのプロ。

荻野幸太郎(おぎの・こうたろう)

荻野幸太郎(おぎの・こうたろう)


ふじのくにNPO活動センター センター長
特定非営利活動法人プラットフォーム静岡 代表理事


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ふじのくにNPO活動センター
プラットフォーム静岡
うぐいすリボンProtect the Freedom of Expression


静岡各地の拠点をつなぎ「社会的資源」を開拓

「ふじのくにNPO活動センター」は、NPO活動を支援する静岡県の拠点です。私がセンター長に就任したのは、2010年4月。代表理事を務めているNPO法人「プラットフォーム静岡」が、同センターの管理運営を請け負う団体のひとつになった関係で、センター長を務めることになりました。新しいセンター長が29歳ということで、周囲には、年齢の面での驚きもあったようです。
 これまで市民活動は、定年退職した人などが、余暇に行うイメージが強かったのではないでしょうか。実際、活動の現場でも、若い世代に比べ60代以上の方々の姿が、多く見られたように思います。
 しかし、時代は変わりつつあります。さまざまな分野で、NPOへの期待が高まるなか、プロフェッショナルとして活動に従事する人材が、各分野で求められています。それはNPO支援の分野でも言えることで、他県でも市民活動センターの責任者などに、20~30代の人が就任するケースが出てきたと聞いています。
「変化」という点では、「ふじのくにNPO活動センター」も、例外ではありません。第一に、各市町に誕生したNPO支援センター間の連絡調整や、地域を越えたネットワークづくりという新たな役割を担うようになりました。NPOが増えたことで、県内でも活動支援センターを独自に設置する市が増えてきました。民間のセンターも誕生しています。そうした地域の拠点をつないでいくことが、私たちの新しい役目です。
 もうひとつ、各NPOがさらに発展していくために、必要な「社会的資源」を見つけ出し、提供していくという、新しいミッションを掲げています。NPO活動を活性化していくためには、活動協力者や情報収集ルートなどの「社会的資源」の開拓が不可欠です。
「社会的資源」の開拓をサポートするには、どこにどんな人物がいて、どんな得意分野をもち、どんな活動をしているかなど、キーマンとなる人物の存在や考え方を理解しておくことが重要です。特にセンター長である私は、幅広い視野と人脈をもつ存在でありたいと考えています。

「ココロの隙間を埋めるボランティア」に憧れて

 NPOのプロとして活動するようになったのは、ごく自然な成り行きです。
 今から10年前、放送大学の学生だった21歳のときに、行政書士の国家資格に合格しました。ちょうどNPO法人制度が、世間的に認知されはじめた時期でした。法人格を取得し、任意団体からNPO法人への移行を目指す団体がたくさんあったんです。
 私はその頃、ボランティアとして、学校に行けない子供たちのためのフリースペースの活動に関わっていました。「法律の知識があるのなら、是非、事務を手伝ってほしい」と頼まれ、NPO設立の相談にのったところ、その評判がクチコミで広がったんです。
 当時は、市民活動を支援する「社会的資源」が、まだ乏しかったのでしょうね。多いときには、1年間に3つ以上のNPOの立ち上げに深く関わりました。もちろん、当時はすべて無償です。
 大学院に籍を置く頃には、セミナーでの講演やシンポジウムの司会を依頼されるようになり、思いがけず「NPOのセミプロ」のような状態になりました。2006年には、不登校児童や高校中退者を支援するNPO法人「リフージョ」、2009年からは、市民活動を中間支援するNPO法人「プラットフォーム静岡」で、役員を務めるようになりました。
 しかし、振り返ってみると、ボランティアや市民活動への関心は、既に小学生の頃、芽生えていたのかもしれません。というのも、私はテレビアニメの「笑ゥせぇるすまん」の大ファンだったんです。
 主人公の喪黒福造(もぐろふくぞう)は、悩みを抱える人々のもとに、「ココロの隙間を埋めるボランティア」として現れます。さまざまな人たちの悩みを解決する一方で、ある意味、人生をメチャクチャにしてしまう。一話完結のストーリーで、内容としては結構ブラックです。
「ココロの隙間を埋めるボランティア」という存在に、心を魅かれました。ただし、「ボランティアで社会の役に立ちたい」というのではなく、「世の中を変えるために、モノを申す活動がしたい」――漠然と、そう考えていたんです。私のなかには、その頃から、社会の「生きにくさ」を、何とか変えていきたいという思いがありました。

学校に行けない自分に理解を示してくれた両親


 私は、子供社会になじめない、とけこめない子供でした。幼稚園に入園したその日、4歳にしてこう思ったんです。「自分の話は、周りの子供たちに全く通じない。この子たちとは、とても一緒にはやっていけない。どうしよう……」と。
 実はその後も、小学校や中学校にはきちんと通っていません。中学時代は、教室ではなく、保健室に顔を出し、出席簿にハンコだけ押して帰ってくる毎日でした。
 学校になじめなかったのは、私が同性愛者であることと、無関係ではないでしょう。同性愛者であるということを、ことさらにアピールしていたわけではありません。しかし、周囲の子供たちは、私の異質な部分を見抜き、強い抵抗感をあからさまにしていました。彼らにとって、私は「気持ち悪い存在」だったわけです。
 その傾向は、小学校の高学年から中学生くらいが、最も顕著でした。思春期というのは、男女としてのセクシャリティの分化が起きてくる時期でもあります。不安定な年頃の子供たちにとって、私のような異質な存在を受け入れることは、難しかったのだと思います。
 そのうち、「荻野なら殴ってもいい」という雰囲気が、生まれてきました。そうなると、かなり危険な状況になってきますし、私が学校にいると、かえって必要な対処ができません。
 両親は当初、私が幼稚園や学校を嫌っていることに、困惑していました。しかし、長い時間をかけて、私の置かれた状況や立場を、少しずつ理解してくれました。学校での暴力が深刻になる前に、私の現実を受け入れ、「学校に通わなくてもいい」「教室に行かなくてもいい」と、応援してくれるようになったんです。
 同じ頃、メディアでは、同世代の自殺が頻繁に報道されていました。辛い境遇にあっても、私がそこまで追い詰められずにすんだのは、両親の理解が大きかったと思います。ひとりっ子だったので、自分ひとりの時間や場所を確保し、考えごとや読書ができた点も、恵まれていたのだと思います。
 私は当時から、自分が置かれた状況を、客観的に理解しようと努めていました。そして、「自分が学校になじめないのは、個人の問題というより、社会構造に原因があるのではないか」と、考えるようになりました。それが、自分を救うポイントだったように思います。

大人になれば自分の生き方が自分で選べる

 私と両親は、学校以外で勉強できる場所を探しました。特別に高い身体能力をもっていたわけでも、手先が器用ということもなかったので、将来、働くためには、とにかく勉強を続けていくことが必要だと考えていました。
 それで、近所で塾を開いていた女性に、勉強を見てもらうことにしました。塾に通う以外にも、家庭教師に来てもらい、数学と英語を学びました。国語や社会などはほとんど独学です。
 その後、高校の卒業資格を、単位制課程と大学入学資格検定の弊習で取得してから、放送大学で法学と社会学を大学院まで学び、23歳で学士号、25歳で修士号を取得しました。2010年からは、静岡大学の大学院に在籍しています。NPOの活動は、理論と実践のキャッチボールなので、常に勉強が必要なんです。
 自分なりの社会参加を模索していた私が、社会問題に本格的に取り組むようになったのは、20代の初め頃、ボランティア活動に携わったのがきっかけでした。「かつての自分と同じような困難を抱える人の助けになりたい」と考え、不登校の子供たちに勉強の場を提供する活動に参加したんです。
 その時点では、既に「学校」とか「学校化された社会」とは、違う生き方を選べる年齢になっていたのでしょうね。「大人になる」ということは、「自分で自分の生き方を選ぶことができる」ということに他なりません。
 考え方や感じ方が周囲の人々と違っていても、誤解や摩擦を乗り越える、何らかの方法があるものです。人と人とのつながり方は、決してひとつの類型に留まりません。働き方にもコミュニケーションのとり方も、さまざまな方法があります。
 学校の人間関係から疎外され、苦しんでいる子供たちに伝えたいのは、「大人になれば、自分自身の責任で、いろいろな生き方が選べる」ということ。もちろん困難はあるかもしれませんが、だからこそ、自分自身で問題解決の方法を見つけ出し、それを実践してほしい。

マイノリティの問題に取り組むことがNPOの役割

 学生時代のボランティア活動で知ったのは、「私の個人的な経験を活かせる機会がある」ということ。不登校の生徒のための進学相談で、「自分の言っていることを、初めて理解してくれる人がいた」と、涙する子供と出会うこともありました。
 個人的な経験が、他の人の助けになったという経験は、ひとつの転換点になりました。以来、「社会で生きにくさを感じている人の立場を守る」活動は、私のライフワークとなっています。
 私たちの社会が効率化し、システムが強固になっていくのと比例して、不登校や発達障害など、新しいタイプの「少数派」すなわち「マイノリティ」が出現しています。
 古今東西、人間社会においては、大多数の人々のあり方を、無意識のうちに「正しいもの」として、規範化してしまう傾向があります。「同調圧力」と言い換えることもできるでしょう。私がもし、小学校や中学校に普通に通い続けていたら、「同調圧力」ゆえに、致命的な制約を強いられ続けたのではないかと思います。
 しかし、少数派は多数派に合わせて、生き方を変えるべきなのでしょうか。同調を強いることには、2つの問題があると思いますね。ひとつは、平等の理念に反するということ。もうひとつは、多様性を失った社会は、活力を失い弱体化していくということです。
 よく知られるブラックジョークに、「目の見える人には気の毒だが、道路経費削減のため、街灯を撤去してはどうか」というものがあります。つまり、社会は常に多様な立場から検証されるべきだと思うんです。そこにこそ、市民活動の役割が存在するのではないでしょうか。
 行政が施策を決定するためには、大多数の人のコンセンサスが必要です。裏を返せば、少数派にとって重要な事柄は、「特殊な問題」として、プライオリティが低くなりがちだということ。市民活動に期待されているのは、そうした問題への柔軟な取り組みや機動力です。

女性に今いちばん望むのは積極的な政治参加

 市民活動には、男女共同参画社会の実現を目指す、啓発推進活動も含まれています。私にとって、理想の男女共同参画社会とは、「性の違いによって、それぞれの生き方が狭められることのない社会」。
 もちろん、理想的な姿を一足飛びで実現することはできません。男女共同参画も、理想の域には達していませんが、20~30年前に比べ、良い方向に進んでいるのは確かです。なぜなら、男女共同参画について、発言する人が増えているからです。
 発言する人がいるからこそ、それに対する反発や疑問も起こる。旧態依然の社会であったら、摩擦すら起きないでしょう。男女共同参画社会の議論の延長で、結婚制度のあり方や性教育、セクシャリティの自由など、さまざま問題提起もされるようになってきました。これは、とても良い傾向だと思います。
 社会を変えたいと思うとき、重要なのは、声を上げることです。最初に一石を投じようと発言する人は、辛い思いも覚悟しなければならないかもしれません。しかし、最初の一声が呼び水となり、発言者は増えてきます。
 男女共同参画社会の実現に向けて、私が女性に最も望むことは、是非、政治に参加してほしいということ。アファーマティブ・アクションを待つまでもなく、議員の女性比率は上げていけるはずです。
「プラットフォーム静岡」は、地域密着型のシンクタンクとして、政策提言や社会提言のための中間支援を行っています。2009年からは、年に3回程度、富士市で「タウンミーティング」を実施していますが、参加者の中から市議会に立候補する人も出てきました。

社会の課題解決のために自由で活発な議論の場を

 社会を変えるためには、まず発言をすることが怖くない社会を、作らなければなりません。私が考える理想の社会とは、「意見や立場の異なる人々が、フェアに対話をし、問題を解決できる社会」。実現に向けて、2010年、「うぐいすリボン」を考案し、インターネットを中心に活動を開始しています。自由な社会と豊かな文化を、次世代に伝えるために、表現の自由を守る活動です。
 NPO活動の場でも、社会を良くしたいという同じ思いをもちながら、団体によって、目指す方向性やアプローチが異なる場合があります。「自然を守ろう」という共通の目標に対し、ある団体では、自然の中にできるだけ人間を入れないようにしたいと願い、別の団体では、人間が積極的に自然の手入れをすることが必要だと主張する。そういう二律背反の関係になることもあるわけです。
 私は、そのような場合こそ、異なる意見の人と対話すべきだと思います。最終的に合意に至らなくとも、自分の考えが問われる一方で、異なる見解に触れることもできるからです。そうした一連のプロセス自体に、大きな意義があるんですね。
 ご存知のとおり、インターネットの影響力は大きなものになりました。人々が自由に発言する場として、インターネットの存在は無視できないどころか、あらゆる社会運動の発祥の場にもなっています。「うぐいすリボン」考案の背景には、そうしたネット社会の発達もあります。
 ネット上の世界であっても、問題を提起する際、「実名で発言できるかどうか」は、重要なポイントです。フェースブックやツイッターなど、実名で発信するタイプのソーシャルネットワークが普及したことで、これまで以上に、建設的な発言を、責任をもって行う人が増えてきたように思います。
 社会の制度や規範に、完璧ということはありません。検証していけば、必ずどこかに問題点があります。民主政における市民参画とは、そのような制度や規範の問題を、市民自らが指摘し、議論を闘わせ、変えるべきか否かの選択をしていくことです。
 選択するには、選択肢のそれぞれについて、十分に知ることが必要です。自由な議論が存在しなければ、他者の意見を誤解したまま否定したり、誤った見解を検証できないまま是認してしまうことになりかねません。
 だからこそ、表現の自由は、きちんと保障されるべきだと思うんです。誰かが制度や規範の問題点に気付き、発言することでしか、社会の間違いが正されることはありません。人間社会はこれまでも、こうしたプロセスを経て、奴隷制を廃止し、身分制度を廃止し、人種差別を否定し、女性参政権を確立し、性的指向による差別を否定してきました。それまで「当然」とされてきた社会の価値観を、合理的な議論が覆してきたわけです。
 私が今、最も力を注いでいるのは、社会的な課題について、自由で活発な議論の場をつくることです。NPOのプロとして、社会に問い続ける存在、世の中を変え続ける原動力でありたいと思っています。

取材日:2011.6



静岡県富士市生まれ 富士市在住


【 略 歴 】

2000単位制課程と大学入学資格検定の併習により、高等学校の卒業資格を取得。放送大学に入学
2002行政書士の国家試験に合格
2004放送大学を卒業し、放送大学大学院に入学
2006特定非営利活動法人「リフージョ」 理事
放送大学院 文化科学研究科修士課程 修了
2007特定非営利活動法人「夢楽団」理事
2009特定非営利活動法人「プラットフォーム静岡」を設立。代表理事に
2010「ふじのくにNPO活動センター」センター長に選任
静岡大学大学院 人文社会科学研究科 入学

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