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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

イクメンを経験してたどりついた
仕事も家事も育児も「頑張りすぎない」バランス感覚。

渡辺健一(わたなべ・けんいち)

渡辺健一(わたなべ・けんいち)


渡辺農園 園主


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梨やさん 渡辺農園

育児だけに没頭するイクメンには反対!

「イクメン」が、育児だけに専念する男性を指す言葉だとしたら、私はそれには反対です。選択肢が他にないなら仕方ないけれど、男性が無理にすべてを投げ出して、子育てをする必要はないんじゃないかと思う。欧米のように、男性の子育てが習慣化されているなら、受け入れられる土壌があるでしょうが、日本にはまだそういう素地がないと感じますね。
 ちょっと前まで、働き盛りの両親に代わって、おじいちゃんやおばあちゃんが孫の面倒を見ることで、子育てをサポートしていました。でも、私たちの親の世代は、定年退職を迎える年齢を過ぎても、しっかり働き続けていないと経済的に厳しい。高齢者も忙しい時代なんです。
 おじいちゃんやおばあちゃんに子育てを頼めないとなると、子育てする人がいない。であれば男性がやりなさいという発想は、あまりに安易だと、私は思う。何か違うんじゃないですかね。というのは、2人の息子が保育園に通っている頃、私自身、イクメンをやっていたんです。しかし、何も自ら進んで、イクメンになろうと思ってなったわけではありません。
 わが家は、ナシを作っている専業農家です。大学卒業後は、農業機械メーカーに勤務していましたが、長男なので、いずれは「自分が農家を継がなければ」という気持ちはありました。
 2003年、突然、父が亡くなりました。当初は、平日は会社勤めをして、土日だけ農業ができないものか兼業も考えたんです。でも無理でした。ナシというのは、栽培にとても手間がかかるうえ、作業の機械化が難しい。結局、会社を辞めて、計画より早いタイミングで、後を継ぐことになりました。
 ちょうど同じ頃、次男を生んだばかりの妻が、慢性関節リウマチを発症しました。妻は市役所に勤務する公務員です。実は、会社を辞めたもうひとつの理由は、「会社員より農家のほうが、時間的にゆとりができるだろう」という思惑もありました。病身の妻に代わって、自分が子育てや家事を引き受けられると思ったわけです。
 自分の場合、そんなふうにいろんな事情が重なって、イクメンにならざるを得なかった――というのが、本当のところです。

会社員から農業への転身で夫婦の立場も逆転

 会社員時代は「光で味を測る」仕事をしていました。仕事、好きでしたね。このリンゴは甘いか甘くないか、このコメはどっちがおいしいか、糖度やタンパク質の量を光で測ると、食べる前に味やうまさが分かる。そのための測定器を作っていました。実験でどこまでも精度を追い求めていく……ワクワクするじゃないですか。自分の仕事が社会の役に立つということに、やりがいも感じていました。
 ただしその分、家庭や地域活動、子育てなどには積極的じゃありませんでした。会社員時代は、いつも仕事の忙しさを、言い訳にしていましたね。「お子さんが熱を出しました」と保育園から連絡があっても、仕事が順調であと30分実験を続けたい状況なら、優先順位は子供だと思いながらも、「忙しいから無理」と――。親戚との付き合いや大掃除などの地域の活動も「年末は忙しいから」と逃げていました。何とか段取りを組んで、時間を作ろうと努力しなかった。
 農業をやるようになって一変しました。それまで会社の仕事に没頭していた全エネルギーを、そっくりそのまま農業と家事と育児に注ぎました。全部、一生懸命頑張ったんです。ところが、ふと気が付くと、何でも私がやることが「当り前」になっていたんです。
 例えば洗濯――。洗濯機が止まっているなと思って、干して、乾いたら取り込んで、たたみますね。最初は、気が付いた自分が、善意のつもりでやったわけです。しかし、いつの間にか、私の仕事になってしまった。「洗濯はお父さんがやるもの」だと、家族みんなに認識されてしまうと、今度はやっていないと怒られるわけです。おまけに、たたみ方にまで文句を言われる。
 保育園へのお迎えも、以前なら、私も妻も行けないときは、父か母に頼む、あるいは保育園に頼んで待ってもらっていました。ところが私が会社をやめた途端、おのずと、いつでも私が行かなければならない。家にいるとは言っても、私だって仕事をしているわけです。公務員としてフルタイムで働く妻は、行けるかどうかを考えてみてもくれない。何か不公平ですよね。
 かなり抵抗しました。そりゃそうです。「こっちは今まで10やっていたことを、11や12に増やして頑張っている。君だって、少しはキャパシティを増やそうよ」とか、「今日は自分がお迎えに行ったんだから、次は行ってね」――そういうことを、言い続けました。でも、いくら言っても、本人にその気がない限り、一方通行です。

子育てに没頭しすぎて、いつしか「お母さん」に

 保育園にお迎えに行くのは、もっぱら私ですから、当然、保育園との関わり方も、関係性も変わりました。あるとき、保育園で長男がいじめられていることが発覚したんです。気付いてやれなかったことがショックでした。保育園と相談したり、関係する父母の方たちと話し合いをしたり、解決に向けて奔走するうちに、どんどんのめり込んでいってしまいました。
 母親と違って、父親というのは、日々の細かな子供の様子――例えば、昨日と顔色が違う、声に元気がないという部分まで、気にしないものですよね。私もそれまでは、ごく普通のお父さんでした。
 しかし、毎日送り迎えをし、先生から「昨日こういうことがあったんですが、お家での様子はどうですか?」と聞かれると、「言われてみれば、元気がなかったかも……」と、突然、気になってくる。それまで意識していなかったのに、いろんなことが気になってくるわけです。そんなふうに、周囲に期待されたことで、子育てにのめり込んでいったのだと思います。
 保育園の役員を引き受けたり、行事のたびごとに出席ということが続くうちに、保育園からの連絡や行事依頼は、すべて私に来るようになりました。「○○くんのところは、お父さんが来てくださいね」と。
 そうなると、妻が保育園に行きにくくなってしまった。ある日、妻が「私から母親役を取るな!」と切れたんです。「私だって保育園に行きたい!」。
 その言葉で気付いたんですね。私は毎日、2人の息子の送り迎えをして、ときには他のお母さんたちと立ち話をすることもありました。つまり実質的には「お母さん」のポジションにいたんだと。母親が保育園から何も期待されないというのは、あまりに可哀想だと思いました。
 今だから、こんなふうに言えますが、最初は「何という贅沢を言ってるんだ」と、頭に来ましたね。「あなたが全部出ちゃうから、私の出番がない」と言われて、私も言い返しました。「出たいところだけ出るのはずるいじゃないか」と。「いいお母さんの役として、イベントにだけ出るのはずるい。熱が出て病院に連れてくとか、買い物に行くとか、そういうこともやってほしい」
 そこから、お互い、いろんな条件を出し合いながら、折り合いをつけるようになったんです。

友人の死が教えてくれた「頑張らない」幸せ

 またしても同じ頃、もうひとつ大きな出来事がありました。大学時代の友人が病気になり、余命1年と宣告されたことです。
 彼が病気になったのと、父が亡くなって私が農業を始めたのは、まったく同じタイミングでした。農業を始めた当初は、ただがむしゃらにやるしかなくて、ゆとりがなかったんですね。それまでは、結構連絡を取っていたのに、しばらく連絡をしなかった。どうにか1年が経ち、ナシ作りが軌道に乗って、久しぶりに連絡をして初めて、彼が1年前に余命1年を宣告されていることを知らされたんです。
 いろんなことを後悔しました。会社員をやめても、結局、仕事や家族という目の前のことにしか目を向けられなかった。彼が逝ってしまったことで、自分にとって何が大切かを考え直さなければならないと、心から思いました。
 周りが見えなくなるほど、仕事に熱中する。その結果、友人の病気に気付けなかった。子供のいじめにも気付けなかった。今度は育児だけに熱中する。その結果、妻の気持ちに気が付けなかった。頑張りすぎると、どこかにしわ寄せがくる――大事なのはバランスなんですよね。
 今の自分は、農業と家事と育児を、バランスよく回しているという自負があります。どれも完璧じゃありません。でも、少なくとも確かなことは、「これでいいや」と思っている自分は、不幸ではないし、頑張りすぎて「自分が犠牲になっている」という感覚もありません。「幸せですか?」と聞かれれば、間違いなく「幸せです」と、自信をもって答えられます。仕事だけしていた頃より、自分自身が豊かになったようにも感じます。
 農業には、会社勤めをしていた頃のような、大プロジェクトを完成させる達成感はありません。でも、それはおそらく、目標に向かって成果上げていく会社での働き方と、時間をかけて自然と向き合っていく農業との、大きな違いなんじゃないかと思うんですね。農業に関わったからこそ、今まで知らなかった幸せに、気付くことができたし、子育てについても、長距離ランナー的なスタンスに立てるようになったのかもしれない。農業はどこか、子育てに似ていると思います。

自然も子育ても自分の思い通りにはいかない

 うちのパートさんたちの働き方って、すごくルーズなんです。一生懸命やってくれますよ。でも、例えば、必ず午前中に30分間、お茶の休憩を取るんです。農業を始めたばかりの頃、それが無駄のように思えて、休憩を10分にできないか、5分にできないか、ということをやってみました。効率を考えれば、経営者として、当然のことです。
 しかし、そうすることでコストは下げられても、農業はうまくいかないのです。農業は、自分たちがコントロールできる範疇以外のところで起きることが、あまりにも多く、大きな影響力をもつから。
 畑へ毎日、足しげく通い、作物がどうなっているかをチェックするとします。仕事に対する姿勢として、一見、正しく見えるかもしれませんが、人間が頻繁に畑へ入ることで、土を踏みしめてしまったり、草をつぶしてしまったり、いいことばかりではないんです。「今日は畑に入りたいけど、雨が降ったから我慢しよう」「薬をまいた後は、結果が気になるから見に行きたいけれど、グッと我慢して、1週間待ってみよう」――こういう姿勢は、子育ても同じです。
 自然も子供も、思った通りになんて、全然いかない。家事の分担もそうです。ただ「やってよ」と言うだけでは、喧嘩になるのが関の山です。ちょっと手伝ってくれたときに「ありがとう、助かったよ」と言う。その方が、ずっと有効です。
 仕事も家事も育児も、「いっそ自分は手を出さない」という選択肢も、もてるようになりました。かなり取捨選択されて、余分なことは、やらなくなりましたね。気も長くなりました。こういうことは、みーんな、農業で失敗したから覚えたことなんです。「私が、私が」と頑張ったところで、思うように物事が進むわけじゃないんですよね。

出世も育児も求められる「男はつらい」時代

 男女共同参画について書いてあるものを読むと、多くの場合、「まず男がこうしなさい」と書いてあるでしょう? 「男も仕事を辞めて、育児に専念しよう」「仕事を休んで、育児に参加しよう」ということも、最近よく言われますが、私としてはやはり賛成できないですね。
育児や家事より、仕事のウエイトを上げる女性を是とすることは、私自身を否定することになると思うんです。私は、会社勤めや仕事に没頭することを文字通り諦めて、バランスを取りながら、仕事も家事も育児もやっているわけですから。
 今、仕事に集中できる状況ならば、仕事をやればいいし、家事や育児をやらなきゃいけないのなら、そこに力を注げばいい。大切なのはバランスだというのが、男女共同参画が唱える主義主張だったら、もっと賛同できます。
 先ほども言いましたけれど、私の妻は公務員なので、2人の子供で計6年の育休が取れるはずでした。でも、彼女はそれを選ばなかった。彼女の考え方だから、それはそれでいいと思います。農家に嫁いだものの、病気のために、農作業を手伝うのは難しい。となれば、公務員として仕事を続け、キャリアを積んでいくことが、彼女のアイデンティティを守る1つの手段だということは、十分理解できます。
 しかし、最近の世の中の風潮には、「育休を取らないのはおかしい」「男性も女性と同じように育休を取得すべきだ」という雰囲気があります。自分が男だから言うわけじゃありませんが、育児参加を拒否すると、白い目で見られる一方で、男性の社会的役割――出世や収入減といった周囲からの期待を、そう簡単に放棄させてはもらえない。となると、「イクメンって本当に必要なのか?」と、首をかしげたくなるわけです。男はつらいよと、言いたくなる。
 働くお父さん、働くお母さん、子育てするお父さん、子育てするお母さん――どれも大事です。男性だから、女性だからというような、明確な役割分担はナンセンスなんじゃないでしょうか。いろんな役割を、男性も女性も、バランスを取りながらやっていく時代じゃないかと思いますね。

子育ての究極の目的は「いい大人をつくる」

 しかし、父親の役割、母親の役割とは何か――。これについては、常に悩み続けています。今回の取材をお受けするにあたって、「自分の子育てって何だろう?」と考えてみました。
 いい学校に入れること、スポーツ万能にすること……そういうことじゃない気がします。結局たどり着いたのは、「いい大人をつくること」。2人の息子を、社会人として、まともに通用する男にすること。それを教えるのは、男親である自分の役目ではないか。洗濯物のたたみ方を教えたり、料理好きに育てるのは、私の役目じゃないけれど、息子たちが野球に興味を示すなら、キャッチボールをしたり、観戦に連れて行ったり。
 あるいは、「これからは男も、家事ぐらいできたほうがいいよ」と教えるのも、私の役目かもしれません。実は私自身、母親から、「料理や洗濯など、家事はひと通りできなければいけない」と小さい頃から教えられました。
「いい大人をつくる」ということを基準にすると、「いい大人を作るためのお父さんの役割」も、おのずと決まってきます。もちろん子供の成長とともに、具体的なことは変わっていきますから、その都度「親父のやるべきこと」を考えていけばいい。私が思う父親、母親の役割というのは、そういうことです。
 息子たちは、今のところ、私を家族でいちばんの味方だと思っているようです。将来、息子たちが大きくなったとき、今の私の姿を思い出して「自分も父親にこうしてもらったから」と、次の世代にも受け継がれていくこと――そういうことが大切じゃないかと思いますね。

取材日:2011.6



静岡県浜松市出身 浜松市在住


【 略 歴 】

1986高校時代、子供会活動リーダー「おにぎり会」に所属
1993静岡大学農学部 卒業
農業機械メーカーに就職
1995東京勤務に
1996静岡にある農業機械メーカーに転職  結婚
2003会社員を辞め、実家の果樹農家を継ぐ
2004~保育園の保護者会や学童保育役員、青少年活動推進委員などの活動に関わる
2006~浜松市子育て情報サイト「ぴっぴ」内の「父さんたちの子育て日記」でブログを開始

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