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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

人と人とのつながりが私の活動の原点。
富士から市民活動の輪を広げていく。

松本玲子(まつもと・れいこ)

松本玲子(まつもと・れいこ)



きらり交流会議 委員長


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きらり交流会議

市民活動の拠点として

「きらり交流会議」は富士市の「フィランセ」(旧・保健女性センター)で活動する市民団体の「利用団体委員会」です。現在加入しているのは、41団体と9個人、それぞれ男女共同参画、福祉、教育、環境、子育て、消費など実にさまざまな分野で活動しています。
 20年以上前、女性のグループがたくさん誕生し、それを市が後押ししてくれたんです。それまで「男は仕事、女は家庭」っていう考え方が主流だったのですが、「今後、高齢化社会になるだろうから、女性にも活躍してほしい」という市長の考えの下に、市が活動してる人たちを集めてグループを作ったんですね。そのグループ(福祉を語る富士市婦人のつどい)から素晴らしいリーダーとなる人材がいっぱい出てきて、その方たちと一緒に学びを深めたりボランティア活動をするなどして、自分の目的にあったグループを立ち上げた、そういうケースが富士市にはいっぱいあります。
 ただ、フィランセができた時、そこを拠点とすることは決まりましたが、その時はまだ、グループが大同団結するには至っていませんでした。それぞれが、それぞれで活動をしていたんです。団結のきっかけは「女(ひと)と男(ひと)のフォーラム」。平成元年から年1回市民に呼びかけ実行委員を募集し、団体からも大勢参加するフォーラムを続けていく中で各団体が自分たちの活動を発表するフォーラムに変わりました。その中で、「年に1回ではもったいない」という声が上がりました。せっかくみんないい活動をしてるんだから、1つの大きなグループ枠を作って登録し、みんなで発表し、刺激し合って学ぼう、と。それで「富士市男女共同参画センター利用団体委員会」が平成14年に発足しました。その後今まで自分たちの活動にしか関わっていなかった人も、他の分野で活動する団体と交流を持つようになり、協力するようになりました。利用委員会という長い名前を呼びやすい名前にしようと公募の結果、「いつでもきらりと輝いていたい」という意味合いで、又、行政主体の男女共同参画に関する情報誌が「きらり」だったので「きらり交流会議」という名前がつきました。

会議をつなげる「男女共同参画」

 そんな経緯で発足した「きらり交流会議」、各団体全部トータルすると5000人以上。活動している団体はゴミ問題だったり、子育てや教育だったりそれぞれ目的が違います。それらが何で結ばれるかというと「男女共同参画」なんです。憲法を学ぼうという団体、子育て中の現役ママたちが主宰するもの、エコロジーを考えるグループ。中にはウオーキングの会もあって、男の人も女の人も一緒に楽しもうよという趣旨だったり。とにかく千差万別ですが、各団体の活動を認め、活動時にはこの場所を無料で貸し出すということで。フォーラム開催時には、その中に必ず「男女共同参画の視点」を入れてください、という1本の筋は通してもらっています。こんなふうに「しばり」がゆるやかな「きらり」ですから、参加団体が増えています。行政からは「委託金」ということで、助成金をいただいておりますが、フォーラム開催団体と調整会議を持ち、相談し合って譲り合って、うまく配分できています。いろんな考えの人がいて「そういう見方もあるんだね」と認め合う。おばあちゃん、おじいちゃんでも、若いお母さんたちでも、お互いに共感が持てる部分で、みんなで力を合わせてやっていけるんですね。これこそ、男女共同参画の基本である「互いを認める」っていうことじゃないかと思うんです。

活動のきっかけと「紙ふうせん文庫」

 私自身が市民活動に携わるようになったのは、長泉町に住んでいたころ、PTAに関わったのがきっかけでした。当時、子供が通う幼稚園にお母さんたちによる部活動があり、私は「図書部」で子供たちに読み聞かせをしていました。そんな中、「移動図書館を作ってもらえないかな」という話になったんです。長泉には大きな企業があるので全国からの転勤者も多いんです。その頃の長泉には町の中央部に古い図書館が1つしかなく、お母さんたちは子供を連れて本を借りに出向くには、大変でした。もっと気軽に本を借りられたら…という思いをみんなでまとめ、町へ要請したところ、それが実現して。あっ、市民活動ってこういうことなんだ、こうやって思いって届くんだ、って思って。そこで面白さを感じたのが私の活動の原点。それ以来、地域を拠点に活動を続けています。
 私が関わる地域の活動の一つに「紙ふうせん文庫」があります。もう26年続いています。地域の公会堂で毎週土曜日の午前中、読み聞かせなどをしていますが、特別なことはしません。お母さんたちには「土曜日の午前中は松本さんがあそこにいるからね」っていう形で覚えていただいていて、ときには3人のお子さんがいる方が「上の子が風邪引いたから病院へ行く間、2人見てて」なんて、ミニ託児みたいな感じで預けていくんです。安心だからでしょうね。こういう場所があちこちに広がれば、子育て中のお母さん、悩まないと思うんです。病院に行くだけにわざわざ託児を頼んだりしなくてもいいし。ましてや子育てのこんな事業をやってます、なんて肩ひじ張ったのでもなく「土曜日は公会堂が開いてるよ」と言えば「ちょっと見てて」って言える。そういう地域がふえればいいなと思ってるんです。昔は隣のおばあちゃんやおじいちゃんが見てくれたりしました。でも今の若い人は声かける勇気、なかなかないじゃないですか。だからこういう「半公的」なところがあると安心していられますよね。そう思って続けているんですが、今私にとって一番楽しい時間なんです。26年やっていると小学生だった子がパパやママになって、2代目が来たり、中学の頃不登校気味だった子が高校に行ってもときどき来たりするんです。ここが一番ホッとするから、なんて言ってね。そういう、ホッとするような場所が子供に用意されてると、大人が「こうしなさい、ああしなさい」って言わなくても、子供自身の力で伸びていけるし、両親とは違う「地域のおばさん」が関わることで、きっと何か1歩踏み出すきっかけになれるのかなと思っています。

影響大きかった生家の教え

 今の私にもっとも影響を与えているのは、私の育った環境だと思っています。明治生まれの祖父はエンジニアで、大正、昭和と技術者としても経営者としても地域の中で評価されていた人。祖母もしっかり者で、生活が苦しい中で5人の娘を全員女学校に行かせています。私の母は一番上で、妹の面倒をみながら手伝いと勉強をした人です。私が生まれた頃にはお手伝いさんが何人もいるような家になっていましたが、とにかくしつけは厳しかったですね。私は医者の誤診で病気がちになり、小学校3年生ぐらいまで学校にも行けなかったんですが、1人の人間として、放り出されても生きていけるよう最低限のことはやりなさい、と、3年生位から、ご飯の炊き方から掃除の仕方まで叩き込まれました。特に祖父母は「今は使用人でも、たまたま今お金がないだけ、働けば必ずお金がついてくる。だからお金がないというだけで人をばかにしてはいけない」という確固とした意思を、小さい私に伝えました。祖父母、両親とも地域のために労力を惜しまず、多くの仕事をすすんで引き受けていました。みんな1人では生きて行けない、世の中にはいろんな人がいて、支え合っているから、自分も生きていけると、教えられました。もちろん思春期の頃には「こんな厳しい家は他にない」と不満でしたよ、反発もしました。友達が遊びに行ったりする中、私一人、家の手伝いをさせられていたんですから。でも「人はみんな支え合って生きる」ことを教えられたことが、結果として自分が結婚して家庭を築いていくときに役立っていると感じています。だからでしょうか、誰かのために何かすることに力を惜しまず、みんなの幸せのために動くのは、私にとってとても自然なこと。それは、必ず自分に返ってくること、人はみんな平等だという意識、それらはすべて祖父母や両親から受け継いだことです。

学びは仲間とともに高め合う

 男女共同参画についての、私の中での一番古い記憶は母の言葉です。父が婿として家に入ったとたん、母は仕事から離れることになってしまったんです。それまでバリバリ仕事をしていたのに、当時は「女は結婚したら家に入る」という時代。母は「なんで女だけが鍋釜を洗わなきゃならない」って言っていましたね。その後、私たちも成長する中で、「男だから、女だから」という教育を受けてきました。おかしいなって思いながら結婚し、そこでも「男はこうあるべき、女はこうあるべき」。これっておかしいんじゃないかな…と思っている時に、通信で、県の婦人大学の講座を受ける機会を得て、女性学を学んだんです。私、思いのたけをレポートに書いて出していました。
 当時「男女共同参画」という言葉はまだ出来ておらず「女性問題」と言われていました。そんな学びをしてるうちに、静岡県が女性の海外派遣事業を始めて。私もずっと行きたかったんだけど、夫が何年も反対していました。それが平成5年、突然「行ってもいい」と言ってくれて。それでデンマーク、ハンガリー、フランスへ行きました。県内各地域で活動してる女性たちと一緒に参加して実感したのは「自分の考えだけでは世の中は変わらない」ということ。特に外国の世界を見たことで、私の中でいろんなことが大きく変わりました。男女共同参画という理念がしっかり根付いているデンマークやフランスは、人権に、非常に敏感です。「やっぱりこういう視点を活かして行かないと、私が過去疑問を持ってきたことは解決できない」と感じましたね。帰国後はリ-ダーセミナーを始め、ルネッサンス等あざれあの事業に通いました。40代から始めた学びは、海外研修へ参加した50代に開花して、何でも知りたくて勉強しましたね。
 その6年後にSWOSスタディーツアーを計画・実施しました。「1人の人が体験してもだめ」ということを痛感したから。大勢の仲間が体験しないと、前へ進まないことってあるんです。みんなで北欧へ行って来たら、前は「本当はこうだよ」って言っても通じなかったことが、一緒に体験してくるとすぐに理解できる。行くまでは「事前研修がいやだ」って言ったりした人が、帰ってくると、私たちが一緒に勉強した以上に本人が納得するんです。外国には違う考え方で、違う行動をする国民がいて、それが世界を動かしている、それを見て、一緒に学ばなきゃだめだって感じますね。行動を起こしたいとき、自分だけで満足してちゃだめね。仲間と同じ体験をして共有していく中で、次に自分たちが何をしたらいいのかを考えなきゃ、と実感しているんです。

認め合い、責任を持つのが男女共同参画

 海外のこと、もちろん日本のことも学んでくると、海外でも、日本でも「男女共同参画」は、まだまだ理解されていなし、問題は解決されていないと感じます。「男女平等」は憲法でも保障されていますが、「男女共同参画」は、単に平等だけではなく、企画の段階から両性が、意見を交換して物事を決めていく、―――それぞれが特質を出すべきなんですね。もともと、女性と男性は身体が違うのだから、同じにすることはできないという方に出会いますが、体の違いは厳然たるもので、どうにも変えられないけれど、行動する範囲の中で男だから女だからって規制されることはないと思いまね。一番大切なことは自分のやったことに責任を持つこと。男女共同参画は「何でも好きなことをやっていい」ではなく「好きなことをやってもいいけど責任はあなたが取るんですよ」ってこと。互いに話をして、徹底的に自分のやったことに責任持つというようになれば、男女共同参画社会も、もう少し進むのではないか、そう思うんです。
 私が今、一番歯がゆいと思うのは「地域」ですね。男女共同参画が一番進まない部分です。自治会や町内会には古い体質が根強く残っていて、静岡県の中でも、連合町内会で女性はまだ1%もいないんです。PTAはずいぶん女性が大勢出てきています。都会は逆に夫が忙しいからって女性ばかりのPTAになり困っていると聞きますが。地域によって全然違うでしょうが、どこでも男性がいたり女性がいたりバランスよく物事が決まるといいなと思っています。まず町内会をどうやって変えて行くかは難しい問題だと思います。

人と人とのつながりで世の中を変える

 こういった問題を解決していくには、やはり地道な活動を続けていくしかないでしょうね。「きらり交流会議」もできるかぎり門戸を広げていますが、まだまだ入りにくいと感じる人がいると思うので、PRをしていかなきゃと感じています。一昨年、富士市が男女共同参画都市宣言をしたんですが、男女共同参画週間の時には期間中たくさんの講座を開いたんです。これに合わせて富士市にある6つの高校の新聞部がポスターも作ってくれたんですよ。この時は実行委員長を務めましたが、こうやってたまに花火を上げることが必要ですね。地道な活動を続けながら、みんなが興味を持つようなフォーラムをやっていくことが大切だと思っています。昨年は、20の団体が、計24回フォーラムを開催しました。
 海外研修のこと、そしてこの「きらり」の活動など、いろいろな活動を通していろんな方にお会いできた、その巡りあわせこそ、私の宝です。一緒に行動する人がいて、一緒に話ができる人がいる。「人と人とのつながり」が何にも増して大切だなということを思いながら活動してるんです。もちろん困ったこともありますが、互いに話し合える、聞いてもらえる人がいる。私も聞いてあげる。互いに共感した中で「次はこうやっていこうよ」と前に進める。どんなにいい目的を持って、いい活動をしても、人と人のつながりが希薄だと続いていかないと思うんです。
 今、若い人たちに伝えたいのは「自分がやってみたいことはやってみること」。たとえ挫折しても挫折と思わないで、いい経験だと思うこと。その経験は必ず次の時に役に立っているはずですから「やってみたい」と思ってるなら挑戦してほしいですね。特に、大学生や若者には、世界を見てきてほしい。私が世界を見に行ったのは50歳の時でしたから、もっと早かったらもっと違う活動をしていたかなと思うんですよ。日本は本当に安全でいい国ですが、他の国がどういう考え方で暮らし、国を動かしているかを知らないと、知らないうちに日本は置いてかれるんじゃないかって気がするんです。
 デンマークでは、議会を見学したんです。議会を夕方5時からやるの。お勤めしてる人も傍聴できるようにね。議員はみんなボランティア。保育園の代表とか、福祉施設から代表としてハンディのある人も出ている。そういう議会を見て日本に帰ってくると、一緒に行った人たちと「何が違うんだろうね?」って疑問を持つようになるんです。だから若い人たちは、いろんなことに敏感になって、柔軟な発想を持ってみんなで町を作っていってほしい。そうやって人と人とのつながりが大きな力となることを願っています。

取材日:2011.3



静岡県富士市生まれ 富士市在住


【 略 歴 】

1977 長泉町の移動図書館を町に要請し、実現
1985 「紙ふうせん文庫」を立ち上げる
1993 静岡県海外研修でデンマーク、ハンガリー、フランスへ
1995 第4回世界女性会議へ参加
1999 全国男女共同参画リーダー会議静岡県代表
2000 富士市男女共同参画プラン策定推進会議委員長
2002 男女共同参画センター利用団体委員会(のちのきらり交流会議)副委員長
2005 静岡県男女共同参画社会づくり県知事褒章受章(個人)
2006 富士市社会教育委員会委員長、きらり交流会議委員長
2007 文部科学大臣表彰(社会教育)
2010 富士市社会福祉協議会副会長
静岡県男女共同参画社会づくり県知事褒章受章(きらり交流会議)

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