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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

外国人児童の授業補助、翻訳、通訳を担当する支援員。
自身の経験を踏まえ、子どもの目線に立ったケアを行う。

平良マリアーナ(たいら・まりあーな)

平良マリアーナ(たいら・まりあーな)



浜松市立砂丘小学校 就学支援員


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浜松市立砂丘小学校

獣医の夢を叶えるために大学を休学、再び日本へ

 ブラジルから来日したのは、私が5歳のときのことです。当時のことは今でもよく覚えているのですが、日本語がまったく話せなかったために、いつも心細い思いをしていたんです。入学した小学校で外国人だったのは十数名で、母国語が話せる友達はクラスにはいませんでした。授業が始まっているのかどうかも分からず、持ち物や給食の時間なども分からなくて。周りを見渡しても「不思議な世界」という印象でした。

 ただ、日本人のクラスメートたちは言葉が分からなくても一生懸命話しかけてくれました。初めのうちは一言も分からずとまどうばかりだったのですが、言葉を覚え始めると、分からないことは友達に聞けるようになりました。「土曜日の次は何だっけ?」「日曜日だよ」というふうに、少しずつ日本語を理解していきました。

 小学校で一番大変だったのは給食ですね。ブラジルにいたころは魚を食べる習慣がなかったので、給食で魚が丸ごと一匹出てきたときは頭をかじれず、食べても「苦いな」と思ったり。昼休みの間もずっと残って食べていました。楽しかったのは遠足やプールの授業、図工、音楽など。ちなみに、音楽の授業はブラジルにはないんです。今になって実感していますが、あの頃は当たり前にやっていたことで、ブラジルではできないことがたくさんあるんです。

 4年生を終えたときに一旦帰国したのですが、そのときに母国語であるポルトガル語の読み書きが上手にできないことに気づきました。それで、日本に戻ってからは、ポルトガル語を勉強するためにブラジル人学校に移りました。5年生では林間学校、6年生では修学旅行もあるし、私としては日本の小学校に戻りたかったのですが。結局、ブラジル人学校には中学卒業まで通いました。

 中学卒業後は帰国し、現地の高校に通いました。そして、10歳のころからの夢だった獣医になるために獣医大学に進学したんです。私は動物が好きで、小さなころはカメや金魚、自分でお小遣いを貯めて買ったミニウサギを飼っていました。ずっと欲しくて買ってもらったゴールデンレトリバーは、飛行機に乗せてブラジルまで一緒に連れて帰ったほど。他にもインコにカエル、チワワ、ミックス犬、チンチラと、小さなころからずっと動物に囲まれていたんです。挙げてみると、自分でもその多さにびっくりしますね(笑)。大学は5年制で、ちょうど半分になる2年半の間通いました。しかし、私立の大学だったので学費を払うことが難しくなり、休学せざるを得ませんでした。そこで、自分で授業料を貯めるために、再び日本に来る決意をしたんです。

外国人児童の支援員として授業補助や翻訳を行う

 私は、5年生のときにブラジル人学校に入学して以降は、日本の学校には通っていないし、とくに日本語の勉強もしていませんでした。ですが、ブラジル人学校に通っているときも日本のテレビを観たり、日本人の友達と遊びにいったりすることはあったんです。帰国してからも、小学校時代の親友と文通をしていたこともあり、日本語を忘れることはありませんでしたね。その友達は、結婚したり子どもができたりしたときには写真を送ってくれたりと、近況を知らせてくれていたんです。現在は浜松で主婦をしているのですが、今でもよく一緒にご飯を食べに行っています。

 再来日してからは、色々なところに履歴書を送りました。その結果、浜松市教育委員会から派遣される外国人児童生徒就学サポーターとして働けることになり、翌年には常駐の支援員となりました。現在は、派遣先である浜松市砂丘小学校で、平日に6時間の勤務をしています。砂丘小には65名前後の外国人児童が在籍していて、全クラスに外国人がいるんです。日本語が話せない子も多いので、通常クラスのほか、外国人児童を専門に担当する先生が行う「個別授業」があります。個別授業では、国語や算数を通常より段階を下げて指導するほか、集中的に日本語を学ぶ授業も行います。私は、通常クラスに入って授業についていけない子のサポートをしたり、日本語が分からない子は、個別に指導したりしています。

 このほかに、学年だより、行事予定、アンケート、成績表などの翻訳も行っています。先日、4年生が「1/2成人式」を行ったのですが、その際におばあちゃんに手紙を書いたブラジル人児童がいて、その手紙をポルトガル語に訳してあげたりもしましたね。また、1、2年生の予定帳には「お母さんから」という欄があるのですが、そこにブラジル人のお母さんからの質問が書かれていた場合などは、翻訳して担任の先生に渡し、その返事をポルトガル語で書いて戻す、ということもあります。

保護者のサポートや子どもたちの相談にのることも

 子どもたちだけでなく、保護者も日本語が分からないことが多いので、自然と保護者と先生を繋ぐことが多くなりますね。保護者が学校に来たときには通訳をしたり、先生に頼まれて電話をかけたりすることも多いです。お互いの意思がそれぞれに伝わるよう、私たち支援員が間に入っているんです。日本人であれば、学校の情報は近所の方など他から仕入れることができますが、外国人だとそれが難しい場合もあります。子どもたちが学校からのお便りを保護者に渡さないと、保護者は情報を得るすべがなくなってしまうんです。だから、先生と相談して、お便りを翻訳するときに保護者のサイン欄を作り、後日回収したりしたこともありました。

 子どもたちから相談を受けることもよくあります。学校で起きていることであれば先生に伝えて解決してもらいます。家庭でのことであれば、話を聞いてあげるくらいしかできないんですけど、それでも子供たちは色々話に来てくれます。最初のうちは不安で泣いてしまう子もいるんですが、そういうときは私自身の話をしますね。「私も小学生のときは大変だったんだよ」「私も全然日本語が話せなくて泣いてばかりいたんだよ」と言うと、「そうなのぉ?」と反応が返ってきて、会話が生まれることがあるんです。大変だったのは自分だけじゃないと分かって、落ち着いてくれるんですよね。私も同じ経験をしているので、子どもたちの気持ちはよく分かります。子どもたちの不安は、暗闇の中を一人でさまよっているようなもので、実際に経験しなければ分からないとても辛いことです。だから、できるだけ早く学校生活に慣れるように、そして子どもたちの不安を取り除いてあげられるように毎日頑張っています。

 とはいえ、子どもたちはみんな、私よりずっと逞しいんです。日本語がしゃべれない子は、1年生の初めのうちは外国人同士で固まってしまうことがあるんですが、すぐに打ち解けて、自然と日本人の子とも仲良くなっています。給食も一生懸命食べていますし、勉強も頑張っていて。「私ってどんなに駄目な1年生だったんだろう」と思って、反省することもあるくらいなんです。

日本で受けた教育により現在の自分があると実感

 再来日して4年が経ちましたが、その間に私自身も成長できたことを実感しています。砂丘小の先生は優しい方ばかりで、私が分からないことがあればいつでも根気強く疑問に答えてくれるんです。言葉の意味だけでなく、「昔はこういうことをして、こういうことがあったから、こういう言い方をするんだよ」というように、聞いたことに対してだけでなく色々なことを教えてくださいます。日常的な会話のなかでも「こういうことわざがあるんだけど、知らなかったらー」と教えてくださったり(笑)。外国人児童担当の先生や1、2年生の担任の先生とも、とくに打ち合わせをしなくても常にコミュニケーションができる環境なので、何かあればすぐに相談することもできます。ここでは毎日のように新しい発見があり、とても勉強になった4年間でした。

 日本語の語学力も働き始めてからどんどん向上しました。つい先日、日本語能力試験でもっとも難易度の高いN1に合格したときは本当にうれしかったですね。合格通知を学校に持っていき、先生たちに見せびらかしてしまうほどだったんですよ。2、3年前に当時の2級を受けたときより、今回のN1のほうが正答率も高くて成長を実感できました。

 今の私がいるのは、日本の小学校で教育を受けたおかげだと思っています。もし、日本へ来ていなかったら、まったく違う自分になっていたでしょうね。ブラジルの学校に比べると、日本の学校は指導が徹底的なんです。時間を守る、何事も計画する、目標を持つ、というような、日本では当たり前とされる基礎的なことも、ブラジルでは指導されることはありません。私は考え方が日本人に近い部分があるので、ブラジルの学校ではルーズだなと思うこともありました。ですがそのために、外国から来た子どもたちが習慣の違いに戸惑うことがあっても、「日本らしさ」を教えられるのだと他の先生からおっしゃっていただいています。もちろん、ブラジル人としての気質もあり、クリスマスなどのイベントがあるときは、ブラジルの盛大なパーティが懐かしくなるんですけれど。私は日本もブラジルもどちらも好きで、それぞれのよさがあると思っています。

 今年の3月で支援員としての仕事は終了し、4月にブラジルに帰国します。再び獣医になる夢に向かって勉強を始めるつもりで、今はそのことに喜びを感じています。研究者になれればと思っていますが、開発もおもしろそうですし、動物園の動物の治療をしたい気持ちもあります。どこかで日本語を活かしたいとも思っているんです。進む道はこれから探していきたいですね。夢を追うために日本に来て努力をしたことが、結果として自分の成長に繋がり、今は周りの人たちへの感謝の気持ちでいっぱいです。日本で出会った人たちや思い出は私の一生の宝物です。

取材日:2011.2



ブラジル生まれ 静岡県浜松市在住


【 略 歴 】

           
1991 来日
1992 浜松市立与進小学校 入学
1996 ブラジル人学校へ転校
2001 帰国
2004 ブラジルサンパウロ州バウル市UNIP 獣医大学合格
2006 来日
外国人児童生徒就学サポーターとして働き始める
2007 外国人児童生徒就学支援員として働き始める
2011 日本語能力試験N1 合格

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