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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

「いのち・こころ・からだ」を語り合い、学び合う。
「母力向上委員会」での出会いが、地域の笑顔を生む。

塩川祐子(しおかわ・ゆうこ)

塩川祐子(しおかわ・ゆうこ)



母力向上委員会 代表


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母力向上委員会

見知らぬ土地での育児に孤独を感じる日々

 25歳のときに結婚し、長女を出産しました。当時は看護師として救命救急センターに勤務しており、出産で命の危機に陥る方もたくさん見ていたんです。ですから、自分が出産する際は高度医療の中で安心して産みたいと思っていました。それで看護師として直前まで働きながら、勤務先の総合病院で出産するという選択をしました。
 病院の体制や環境などは自分でよく分かっていたのですが、いざ出産してみると、孤独感でいっぱいで、泣きながら「早く帰りたい」と思うような状態だったんです。といっても、母もいてくれましたし、看護学校時代の友人が家族と偽って(笑)陣痛室まで付き添ってくれたりして、とても幸せな出産だったんですよ。ですが、私は出産後すぐに母乳育児でつまづいてしまって、「あと○グラム出して」とか、やっと飲みだしたら「これ以上時間がかかるとおっぱいに負担がかかるから、もうおしまい」などと言われて、どんどん落ち込んでしまいました。周りのお母さんと比較して自分はなんて駄目なんだろうと思ったり。今思えば、細かな数字にこだわり、真面目に頑張りすぎていたんです。
 一方で出産は、自分が命を産み出せたことや、こういうふうに生まれるんだということを実感できた、とても大きな体験でした。それまでは自分のことに関しては、忙しさを理由に食事も適当だったし、考え方もネガティブなところがあったんです。それが子供ができてからは、自分自身のことも大事にするようになりました。この子を育てるために私もしっかり食べなくてはと思ったり。独りよがりだった命から、私も産んでもらった大切な命、そして自分が産んだ命を見守らなくてはというように、命に対する見方がシフトしていきました。
 出産後は退職をし、地元の浜松から主人の実家のある富士宮へ引っ越しをしました。見知らぬ土地での慣れない育児は、当時の私にとって辛いものでした。近くに公園もなかったし、どこへ行けばいいかも分からず、散歩の帰り道にベビーカーを押しながら泣けてきてしまうこともありました。もし自分がこの子と部屋の中で倒れても夫以外に気付いてくれる人がいない。ここで自分のことを知っている人間は夫と夫の家族以外には誰もいない。そんなふうに思いつめることもありました。つまりそれは、地域との繋がりがないということですよね。それでまた孤独を感じていました。

助産院との出合いで出産育児への思いが膨らむ

 このままではいけないなと思い、仕事を始めたのは長女が9ヵ月のときのことです。子供を保育園に預け、保健師としてフルタイムで働き始めました。ここでは周りに子育て中の保健師さんもいて、温かく受け入れてもらいましたね。それ以降は、職場の仲間ができたことや地元の育児サークルに参加し始めたことで、富士宮でも少しずつ人間関係ができていきました。それで、次女は実家に甘えず富士宮で出産することにしたんです。
 二度目の出産は、総合病院でなく産婦人科医院のお世話になりました。ここではスタッフ数が限られていたので、いつも同じ先生、同じスタッフがいてくれて安心でき、信頼感も増しました。個室で母子同室だったことも落ち着けましたね。
 また、こちらの助産師さんたちは、おっぱいも「赤ちゃんが飲みたいだけ飲ませればいいよ」「無理しないでいいよ」と言ってくださったんです。こんな母乳育児もあるのか、と思いましたね。それからは、おっぱいをあげるのも楽しくなりました。
 次女が産まれてからは、無理なく働ける非常勤勤務の仕事をしながら、地域活動にも積極的に関わるようになりました。託児付き講座の受講をきっかけに様々な立場の女性と知り合い、富士宮地域の女性限定コミュニティサイトの立ち上げに携わったり、自らフリーペーパーを発行したりしていました。
 三女の出産では、地元の助産院でお世話になりました。次女の出産の際に助産師さんの存在の大きさを感じていたので、次はぜひ助産院で子供を産みたいと思っていたんです。選んだのは、民家の中に診察室や入院室があるアットホームなところ。街の保健室的な存在で、お母さんたちが頼りにできる場所です。私がお世話になったのはベテランの助産師さんで、ゴッドマザーみたいな方。お母さんといるみたいに気持ちが落ち着き、通院も実家に遊びにいくみたいなんです。「産むのはあなただから自己管理をしっかりしなさい」と励まされた十月十日でしたね。私自身も「産むのは私」と、安産に向かって主体的に努力をしました。そうして覚悟をし、家族とともに臨んだお産は、何とも言えない達成感のようなものがありました。「私、産めた!」という気持ちでしたね。
 その助産院では毎年同窓会を開催してくださっていて、子供たちや旦那さんたちも含めて80人くらいが一堂に会するんです。そこで、産後のセルフケアやボディフィットネスの普及活動をされている伊藤加奈子さんや、「誕生学」を知るきっかけになった小野美智代さんと出会いました。誕生学とは子供たちに命や生まれる力の素晴らしさを伝えるライフスキル教育プログラムのことで、私はその後講座を受講し、アドバイザーの認定を受けました。その方たちと話をしていると、それぞれが妊娠や出産に関する思いが色々とあり、とても盛り上がったんです。そこで、私たちがやりたいことを形にしてみようかということで「母力向上委員会」を立ち上げることになりました。

お母さんたちが集ってお産を語る会を始める

 その頃は、出産施設がどんどん減っていて、お母さんたちが産みたいように産めないという状況にあったんです。地域でも、産婦人科が減っていたり、近隣の病院の産婦人科病棟が閉鎖危機にあったりして。そこで、私たちのように助産院を利用する人が増えればいいのにと思いました。病院と助産院が上手に連携すれば先生たちのハードな仕事の助けにもなるのではないかと考えたんです。でも、助産院に対する認知度は決して高いとはいえません。私たちの力では勿論、病院を増やすこともできません。じゃあ、私たちにできることは何だろうと考えたとき、当事者であるお母さんたち自身がどうやって子供を産みたいか、どんな子育てをしたいかを考える力を身につければいいのではないかと思いました。そして、どこで出産するとしても、しっかりと先生たちとコミュニケーションをとればお産の在り方も変わるのではないかと。そこでまずはみんなでお産を語ろうということで、お産を語る会を始めました。
 会には定員を超える人が集まりました。ゲストとして助産師の先生も来てくださり、「自分たちでお産を考えるのはすごく大事なこと」と太鼓判をいただきました。参加者の方々も、こんなにお産のことで話し合えると思わなかったと言ってくださり、それ以降定期開催することになったんです。さらに、お産が終わったら子育てが大事、ということで育児やお母さんの体のことについても勉強していくことになりました。
 第二回は、お母さん自身の体を大切にしてほしいという思いから、乳がんの自己検診方法などを学びました。それ以降は、勉強会をするごとにどんどん人が集まるようになり、「あれも勉強したほうがいいんじゃない?」ということも増えてきたんです。そして、「お母さんたちが語る生の声や学んだことをもっと多くの方に届けたい!」という思いが積み重なり、フリーペーパー『Umidas(ウミダス)』が生まれました。Umidasとは、「情報を生みだす」「笑顔を生みだす」「赤ちゃんを産みだす」ほか、お母さんの膿も出しちゃおうという意味を込めたネーミング。20代前半から30代後半くらいのお母さんたちが集まって企画会議をし「ウミダス」(笑)フリーペーパーです。

地域を繋ぐ「ファミリーめっせ」を開催

 母力向上委員会の活動を多くの方たちに知っていただきたいと思って開催したイベントが「ファミリーめっせ」です。富士宮市民文化会館の全館を使って2009年と2010年に開催し、第1回は500名、第2回目は1000名以上の方に来場いただきました。企画から制作まで完全な自主運営で、お母さんたちが子供をおんぶに抱っこしながら頑張ったんですよ。これまでの勉強会に来ていただいたゲスト講師の方々の講座や親子で楽しめる体験ブース、ヘアアレンジなどのステージイベントなど盛りだくさんの内容で、準備には半年かかりました。それぞれがブログやツイッターで発信するなど広報活動にも取り組み、やっと開催にこぎつけたという感じですね。地域とつながることで、みんなで妊娠や出産、子育てをシンフォニーのように奏でられる場にしたいという思いが多くの方々に届き、やってよかったねとみんなで話しているんです。
 大きなイベントを自分たちで開催できたとことで、関わったお母さんたちが本当にいい顔をしていたのも印象的です。私たち自身が充実感を味わえたことも大きかったですね。お母さんたちの中には教員、保育士、設計士などをされていた方もいて、社会からは離れたけれど、それぞれの得意分野を活かすことができてうれしかったという声もありました。
 私はもともと歌が好きで、浜松でゴスペルチームに所属していたのですが、富士宮でもやりたいなと思って声を掛けたら、たくさんのお母さんが集まってくれて。このイベントはチームの発表の場でもあるんです。お母さんたちにスポットライトを当てて、家族に見てもらうことは家族にとってもいいことだと思います。輝いているお母さんを見るのは、子供たちにとっても旦那さんたちにとってもきっとうれしいことですよね。
「ファミリーめっせ」は、当初は自分たちの活動を発信することから始めたのですが、だんだんとそこから広がっていったような気がします。素敵な人やお店、お母さんたちの癒しになるものなど、地域に存在するものたちの出会いの場となればいいなという思いで大きくなっていったと思いますね。このような活動の中で私たちは、妊娠・出産を通過点とし、より人生を楽しむための選択をするために一緒に学び、悩みや迷いを受け止め合い、思いを共有し、楽しく成長し合っています。母となることを主体的に考え、地域での出会いや支え、繋がりが生まれたことに感謝する日々です。
 私自身も、富士宮に来たばかりのころは泣いてばかりいましたが、だんだんと「発散したい」「こんな殻打ち破りたい」「やりたいことをやりたい」という気持ちになってここまできました。今は、誕生学の講座を開催したり、助成金をいただいて地域に密着した情報を集めたガイドブックも制作しているんです。これからも、地域とお母さんたちを繋いでいきながら、出産や育児を応援するとともに、お母さんたちがより自分らしく自己実現ができるようサポートしていきたいですね。そして自分自身も成長できればいいなと思っています。

取材日:2011.2



静岡県浜松市生まれ 富士宮市在住


【 略 歴 】

2001 結婚、長女出産
地域の保健センターで臨時保健師として勤務
2004 次女出産
2006 「ふじのみやイニム」立ち上げスタッフとして参画
地域密着型子育て支援フリーペーパー『DOKIDOKI SUNKIDS』発行
2007 三女出産
「富士宮子育て支援マップ」(富士宮市役所 福祉事務所 こども未来課)作成に市民参画
2008 『富士宮市の子育て支援ガイド』作成に市民参画
母力向上委員会 設立
2010 日本誕生学協会認定 誕生学アドバイザー取得
2011 富士市民活動センターにて誕生学講座開催
私とBabyのガイドBOOK2011『Umidas 特別保存版』刊行予定(3月)

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