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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

伝統工芸からアートへ。自由な表現を求めて、
下駄の可能性を広げたアーティスト。

鈴木千恵(すずき・ちえ)

鈴木千恵(すずき・ちえ)


塗下駄アーティスト


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ちの工房

自分らしいものづくりを求めて下駄の世界へ

 静岡はもともと下駄が地場産業で、下駄屋さんがすごく多かったらしいんです。それが時代の流れとともにサンダルなどの履物になったようですね。インテリアの専門学校を卒業後、私が就職したのも「ケミカルシューズ」という健康サンダルや足にやさしい靴を作るメーカーでした。
 あるときシューズデザイナーの高田喜佐さんの本を読んで衝撃を受けたんです。「靴って、こんなに自由に作れるものなんだ」と。でも、企業にいるとそういう自由なことはなかなかできませんから、それなら1人で全部作れるようになろうと思ったんですね。それで会社を辞めて、海外に勉強しに行こうと。勉強するといってもどこへ行けばいいかわからなくて、とりあえず下見のようなつもりでイギリスに探しに行ったんです。ところが探しにいった段階で、「あ、これ違う」と。
 当時はブランドブーム全盛期で、みんながルイヴィトンとかグッチのバッグを1人1個もってるようなときだったんです。「一体ブランド名が好きなのか、そのデザインが好きなのか」――そういうことに疑問を抱いていたところに、イギリスで目の当たりにしたのが、ブランドの店に群がる大勢の日本人観光客でした。
 自分がやろうとしていることも「海外で靴の勉強してきました」っていうステイタスというか、ブランド志向みたいなものなんじゃないかと思ったとき、「そうだ、日本人には下駄があった」とひらめいたんです。
 帰国して数ヵ月後、静岡の職人さんたちによる下駄の展示会に行って「下駄が作りたいんですけど」と言ってみたんです。そしたら「塗りと張り、どっち?」と聞かれて、実はそんなことさえわかっていなかったんですね。両方の職人さんがいる前で「わからない」とも言えなかったので、「張りは絵が描けないな」と内心思い「じゃあ、塗りで」と(笑)。絵を描くのは小さいころから好きだったんです。

師匠の高下駄が表現の可能性を広げてくれた

 1999年、駿河塗で伝統工芸技術秀士の佐野成三郎氏に弟子入りしました。弟子入りといっても、私の場合「どうせすぐに飽きちゃうだろう」と思われていたらしく、「とりあえず自分の下駄を作ってごらん」と言われたんです。カラフルな自分用の下駄を作らせていただきました。
 職人さんの弟子というのは本来、1日1つ延々と同じ作業をするものなんです。今日は下地、明日はペーパーがけというように。ところが私は「どうせすぐ辞めちゃうだろう」と思われていたので、お稽古のような感覚で楽しいことからやらせていただいた。それが、自分に合っていたのだと思います。
 しばらくして、静岡市の後継者育成事業である「クラフトマンサポート制度」を活用して、漆や彫り、細かく彫ったところに金粉を埋め込む「沈金」、卵の殻を張り付けて行く「卵殻」など、伝統技法なども教えていただきました。そういう経験を通して、「一生修行」という意味がだんだんわかるようになりました。
 あるとき、師匠がお祭り用の1本歯の高下駄を見せてくれたんです。怪しげな青い髭の顔がついている下駄です(笑)。私は何も知らずにこの世界に入ったので、下駄というと黒塗りに鼻緒がついてるものだと思っていたんですね。それが、佐野さんが作った1本歯の下駄を見て、こういう表現が「アリ」なのかとびっくりして。「こんな遊び心が許されるのなら、自分も好きなものを作ろう」と思いました。佐野さんの高下駄に触発されて最初に作ったのが、桜の模様の高下駄です。
 私の下駄作りは、通常の職人さんたちが磨く技術とはちょっと違ったアプローチだと思うんです。でも、一生修行という点では一緒ですね。次々と新しい表現をしていくには、新しい工法も必要ですし、同じ志で常にずっと勉強していかなければいけないと思っています。

森英恵の目にとまったことが大きな転機に

 下駄職人は男の世界というか、若い女性が珍しかったので、弟子入りして数カ月したころから取材がくるようになりました。最初はお断りしていたんですけど、「お前にできることはメディアに出て下駄を広めることだ」と師匠に言われて、お世話になっている恩返しができるならと、取材をお受けするようにしました。
 でもそのおかげで、活動範囲が広がっていったんです。ある雑誌で取材していただいた記事が、デザイナーの森英恵先生の目にとまって、「表参道のオープンギャラリーで展示してみませんか」という依頼をいただいたんです。もちろん2つ返事で「やります!」と。 2008年8月、森英恵ビルで作品を展示させていただき、2009年には水戸芸術館の「手でつくる 森英恵と若いアーティストたち」に参加させていただきました。さらに森先生が「徹子の部屋」に出演されて水戸芸術館の宣伝をされたとき、番組で私の作品もご紹介くださったんです。その縁で高島屋さんからも「巡回展しませんか」というお話をいただき、2010年5月から全国6か所で巡回展をしました。巡回展に合わせて、今度は私が「徹子の部屋」に出演させていただき、それから本当に突然、文字通り180度、生活が変わってしまったんです。 「徹子の部屋」の放映の翌日が、高島屋での巡回展初日でした。「お客さん来てくれるかな」と思いながら会場に行ったら、すでにごった返しだったんです。何というか自分が浮いてしまっているというか、居場所はどこにあるんだろうっていうような……昨日までの生活と全然違うところに、ポンと投げ出されてしまったような感じでしたね。
 これまでの作品はすべて1点ものだったんですが、巡回展で予想以上にたくさんの注文をいただきまして、急きょ受注販売に切り替えました。実は現在、制作が追いつかない状態です。
 最近、特に思うのは、「人とのつながり」がいちばん大事なんだなということです。いろんな人たちのおかげで、たくさんの方に作品を見ていただく機会が与えられたのだと思いますし、「人とのつながり」があって私の人生がこういうふうに展開したのだと思います。 実は、下駄の世界に入りたいと思ったとき、最初にお願いした職人さんは「やめた方がいい」と断られたんです。それで佐野さんが「じゃあ、試しにうちに来てみたら」と言ってくださった。その好意がなかったら、今の自分はなかったわけです。11年目にしてようやく気づくなんて、遅いと怒られてしまいそうですけれども(笑)。 

実用性を捨ててみたら新しい可能性が生まれた

 私は特に決まった肩書きはなくて、自分でも何と呼んだらいいかよくわからない。「徹子の部屋」では「下駄アーティスト」、別のテレビ番組では「塗り下駄職人」、工房のある静岡市の施設では「伝統工芸デザイナー」……みんなバラバラです。形式とか好きじゃないんで、肩書きもなく、やりたいことをやっていきたい。いちばんいいのは「わがままクリエイター」かもしれないです(笑)。
 下駄のデザインにしても、普段あまり考えないんですよ。作ろうと思ったときに思いついたものをそのまま形にしていくことが多いです。まちを歩いて何か思いついたりするとメモで残すことはありますが、机に向かって「よし、今日はデザインを考えよう」とかいうのはないですね。
 一応、デザイン画のスケッチブックはもっていて、高島屋の巡回展では50点考えなきゃいけなかったのでアイディアを描きました。でもはっきり言って、デザイン画というより落書きみたいな感じです。だいたいこういうふうに描いていても、実際に作るときは全然違うものを描いているんです。神社の入り口にいる「阿吽」を描こうと思って下駄に向かったとたん、なぜか龍を描いてるんですから。
 森先生からの依頼でも、実用性よりインパクトやオリジナリティーが求められました。なので、師匠の1本歯の下駄を思い出しながら、最終的には「もう履くという概念を捨てて、面白いものどんどん作ろう」と。見ていただく方も、ただ履くための下駄だけじゃなく「下駄ってこんなふうになるのね」という発見があればいいなと思います。

一生作り続けていくことがいちばんの幸せ

 実は去年、これまで10年間続けてきたアルバイトを辞めたというか、忙しくて辞めざるをえない状況になってしまって。ときどき求人で良さそうなバイトを見つけると、応募したい衝動にかられます。もちろん下駄だけでやっていきたいという気持ちがなかったわけじゃないんですよ。でも焦らなくても「独立しなければならない時機は来る」と思っていました。
 知り合いのクリエイターさんたちが、東京で次々お店を出して「何で独立しないの?」と聞かれることもありましたが、私からすれば「何でみんなそんなに独立したがるの?」と。自分はまだ早いなっていう感じで、のんびりやってきたんです。
 本当に死ぬまでものづくりしていこうと考えたら、バイトできちんとお給料もらいながら、合間に好きなものを作っていけば、それでいいと思うんですね。まあ私の場合、マイペース過ぎて、追い込まれないとやらないという問題はありますが(笑)。今は忙しすぎて、新しいものを作る時間がなくなってしまったっていう葛藤もありますね。
 よく、「自分の人生を逆戻りさせるとしたらいつがいい?」というようなことを言いますよね。でも私は全然、昔に戻りたいとは思わない。いつも「今がいちばんいい」と思っていますから。海外進出のチャンスがあれば、それはそれで嬉しいでしょうけど、それが5年後でも10年後でも、もっと言えばそういうチャンスが来なくても、それはそれでいい。自分が作りたいものを一生作り続けることができれば、それがいちばん幸せです。

取材日:2010.09



静岡県静岡市生まれ 静岡市在住


【 略 歴 】

1998 静岡市伝統工芸技術秀士の佐野成三郎氏に弟子入りし、静岡の郷土工芸品である塗下駄の世界に入る
2006 ミラノのファッションウィーク期間中に開催されるUPSIDE(アーティスト部門)に出品
2008 森英恵氏のすすめで東京・表参道のオープンギャラリーに出品
2009 水戸芸術館で開かれた「手で創る―森英恵と若いアーティストたち」に出品
2010 高島屋全国6店舗巡回展

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