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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

税務からコンサルタントまで、
時代のニーズに応え、地元企業を縁の下で支える税理士。

鈴木素子(すずき・もとこ)

鈴木素子(すずき・もとこ)


税理士


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鈴木素子税理士事務所

資格があれば生涯通じてキャリアアップできる

 「女性も仕事をもてる資格をとったほうがいい」――母は私が子供の頃から、盛んにそう言っていました。私が税理士になったのは、ある意味、そういう母の教育の賜物かもしれません。
 母は専業主婦でしたが、洋裁も得意で和裁や調理師などいろんな免許をもっていて、仕事をしようと思えば、いつでも働き口が見つかるような人でした。きっと子供の手が離れたら、社会で羽ばたこうと思っていたのではないでしょうか。でも私はときどきカギっ子になるのが耐えられなくて、確か中学生のとき「帰ってきたら家にいてほしい」と言ってしまったんですね。それ以来、母はいつでも家で待っていてくれるようになりました。そのことを感謝していますが、今にして思うと申し訳なかったと思っています。
 母が「女性も資格を」と言い続けてくれたおかげで、私は税理士の仕事をしながら、3人の子育てもしてきました。できるだけ短期間で税理士試験に合格するため、大学院に進学して財政学を専攻し、税理士試験の科目免除制度を活用しました。それ以外の科目は試験を受け、修士課程修了の翌年、1986年に試験に合格しました。
 学部を卒業するとき、周りの友人たちほとんどが就職を希望していたので、私も一応、就職活動はしたんです。商社からも内定をいただいていたので、就職するか、大学院に進学して税理士を目指すか、最後まで悩みましたけれど「生涯続けられる仕事」ということを考えたとき、出産や子育てなどで中断しても復帰できる仕事、莫大な開業資金が不要で、知的財産と人脈があればこじんまり開業できる仕事――といった点で、やはり税理士を目指そうと。就職してからの経済的なことを考慮しても、地元でできる仕事の魅力は大きかったですね。
 大学時代の女性の友人は、新卒で就いた仕事を結婚や出産を機に、一度退職し、現在は当時とまったく別の仕事をしているケースが多いです。銀行のパート職員とか、塾や予備校の非常勤講師、ソーシャルワーカーなど、大学で学んだ専門性とは違う仕事がほとんどです。それはそれで「生き方」だと思います。新たに勉強したり、資格を取ったり、第二の人生という選択肢もいいとは思いますが、現実的に1度辞めてしまうと、同じ会社に勤め続けるのは難しいですし、場合によってはキャリアが振り出しに戻ってしまったり、大手企業で活躍したくても中小企業にしか道が開かれていないなど、いろいろな障害も多いですよね。私は自分の仕事が好きですから、ずっと継続できる税理士の道に進んで良かったと思っています。母のおかげですね。

3人の子育てでワークライフバランスも実現

 大学院を卒業した後は東京から沼津に戻りました。三島市内の税理士事務所に就職しまして、子育て期間中はパートタイムで税理士の補佐的な仕事をしていました。
 1990年に税理士登録し、「鈴木素子税理士事務所」を開業したのが95年です。そんなに早く開業するつもりはなかったのですが、勤めていた事務所の先生から、「早いうちに開業したほうがいい」と勧められたんです。当時はまだ全然自信がなかったのですけれど、今にして思うとチャンスをいただいたようなものですね。一番下の子が幼稚園に入った頃で、時期的なタイミングも良かった。
 仕事も子育ても自分が納得する形でやりたかったので、周囲の理解と協力を得て、両方ともできる限り自分でこなしました。実家が近かったおかげで、母や妹に手伝いをお願いしたり、あとは月曜から金曜まで習い事に行かせていました。スイミング、そろばん、書道、空手……「あんなにお稽古行きたくなかった」「もっと遊びたかった」と、子供たちからはいまだに文句を言われます。幸い一番上が女の子だったので、2人の弟の面倒を見てくれたんですね。
 子育ては本当に面白かった。ワークライフバランスという言葉を待つまでもなく、仕事だけでは得られない経験やつながりが生まれした。こんな言い方すると、子供たちに怒られてしまいそうですが、どんなペットを飼うより面白い。子供たちはよく「イヌが飼いたい」「ネコを飼ってくれ」と言いますが、うちには「可愛い3匹」がいるからいらないよと言うんです(笑)。私にとって3人の子供たちは、「コミュニケーションがとれる可愛い生き物」なんです。

経営が厳しさを増すなか変わる税理士の役割

 税理士というのは、お客様の帳簿が正しいかどうかをチェックし、税金の申告書や申請書の作成や提出を代行する仕事と思っている方も多いかと思います。確かにそれが基本なのですが、それに加えて最近は特に、経営の根幹に関わる業績管理のサポートなど、コンサルティング的な役割が求められています。
 単に数字を処理するだけではなく、出てきた数字を見て、どうやったらもっと利益を残せるか――経費をこのくらい抑えなければいけないとか、売上げはあとこのくらい増やす必要があるなど、具体的な方策について相談に乗るわけです。事務所を立ち上げた頃は、「ここまでの相談があるのか」と思うこともありましたが、逆の言い方をすれば、そうだからこそお客様との信頼関係が築けますし、資産管理までのトータルな相談を依頼されるのだと思います。やればやるほど奥が深い仕事です。
 ご存知のとおり日本の経営環境は、バブル崩壊以降、年々厳しさを増しています。リーマンショック、デフレ、空前の円高など、景気回復の兆しがなかなか見えてこないなか、中小企業の経営者の皆さんは本当に苦労されながらも、頑張っていらっしゃる。そういう方々を元気づけるために、経営改善に向けた効果的なポイントを助言し、税務的にもメリットが出る方法の有無を検討して、総合的なアドバイスを行っています。
 また、会社設立や開業支援、経営再建といった業務には、人事労務、会社法など幅広い知識と人のつながりも必要です。弁護士、司法書士、社会保険労務士、行政書士といった先生方とも連携できるよう、日頃から密なコミュニケーションを心がけています。
 こういう時代ですから、税理士にもお客様に対する愛が必要ですね。正しい税務計算をするのは当然のことですが、それだけではお客様に前向きな勇気を与えることはできないと思っています。うちの事務所ではお客様に対し「できません」と言わないことを信条としています。どんな要望にも最善の対応をしていくには、やはりスタッフ全員がスキルアップしていかなければなりません。人材あっての仕事ですから、人材育成が事務所の品質につながるわけです。
 私たちの仕事も競争が厳しくなっています。税理士の仕事は、公認会計士の資格保持者もできます。公認会計士の数も増えていますから、競争は相当厳しくなっていますね。いい仕事をして信用をいただくために、できる限りの努力をしていきたい。

地域に貢献できる活動が自分の世界を広げる

 私は沼津出身で、地元が大好きなんです。故郷ですし、幼稚園から小中高と過ごし、友達もたくさんいますし、思い出もたくさんあります。
 そんな気持ちもあって、仕事以外に、地域のさまざまな役職をさせていただいています。現在は、静岡県の医療審査会、企業局の経営評価委員会、沼津市の社会教育委員、沼津まちづくり株式会社の監査役、簡易裁判所の民事調停委員や司法委員……など。基本的にお断りしないようにしています。1回お断りすると、2度とお声がかからないかもしれません。どんな役職も新しいつながりのチャンスだと捉え、お役に立つことがあるなら、自分世界を広げるためにも挑戦しようと思っています。
 こういう役職は、自分にできる社会貢献だと思うんですね。税務の支援事業もそうですが、公益的業務に参加することは、私たちにできる社会貢献です。税理士業務以外の分野で、税理士の職能を活かすことに対する社会的ニーズもあります。ニーズがあるのであれば、できるかぎりその期待にお応えしたい――そういう気持ちです。
 「ATGネット」の立ち上げも、当時、青年会議所の理事長だった方が「地域に女性の異業種交流会があってもいいのではないか」と提案されたのを受け、同級生などに声をかけ、5人の働く女性でスタートしました。
 ミレニアムを迎えようとしていた当時、キーワードは「21世紀は女性の時代」としました。さらに、どういう目的の会にするか、メンバーと話し合うなかで気付いたのは、働く女性というのは「家庭や子育てがあるので、男性に比べ仕事上のつながりが希薄である」一方、「仕事をしているので、専業主婦と比べ地域とのつながりに乏しい」ということ。つまり、一見いろんなつながりをもっているようで、いずれも中途半端だということがわかったんですね。
「働く」とは、「傍(はた)」を「楽」にするはずなのに、周囲を楽にしている女性が悩み事をかかえ、孤立しているのではつまらない。であれば、働く女性が「明るく(A)、楽しく(T)、元気になれる(G)」活動をしようと、3つのポイントの頭文字をとって「ATGネット」を1999年に設立しました。
発足から6年の間、私が会長を務めましたが、今はメンバーがもち回り制で役員を務めています。制約の少ない柔軟な暗黙のルールで運営していくことが、こういった会を長続きさせるコツでしょうね。こんなに長く続くとは、設立当時、思っていませんでした。

「働く女性」となる娘の今後の人生が楽しみ

 実は長女がつい最近、公認会計士の試験に合格しました。母と違って私は、娘に「資格を取りなさい」と言った覚えはないんです。ただ、これからの時代、資源も乏しく広大な土地もない日本で生き残っていくためには、知的な仕事を売りにするのが、ひとつの得策だとは思います。ですから、大学時代は目標をもって過ごしたほうがいいという助言はしました。
 娘が私と同様、「働く女性」として生きていくことは、ある意味、楽しみな部分も大きいです。私の頃とは世の中も違いますから、また違った人生を歩んでいくのだと思います。今は女性が働くことも珍しくありませんし、男性も家事や育児に対して抵抗なく関わる時代です。仕事もしたい、家庭をもって子供も育てたい、生涯誇りをもって専門性を活かしていきたいという、彼女なりのキャリアプランがあるようです。
 本当のところ、彼女も沼津に帰って来て、私と一緒に仕事をしてくれたら、ゆくゆくは事務所の顔になってくれたら、もっと嬉しいですけれどね……。それは本人に直接は言えませんね。今のところ戻って来るつもりはないみたいなことを言っていますし。

取材日:2010.12



静岡県沼津市生まれ 沼津市在住


【 略 歴 】

1985早稲田大学大学院 商学研究科財政学専修 博士課程前期 修了
1986税理士試験合格
1990税理士登録
1995「鈴木素子税理士事務所」開業

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