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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

佐鳴湖がこんなに豊かであることを、
湖の中が見える漁師の視点から伝えたい。

杉山恵子(すぎやま・けいこ)

杉山恵子(すぎやま・けいこ)


漁師
入野漁業協同組合 理事兼事務局長


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入野漁業協同組合

佐鳴湖の汚名返上のために漁師になる

 私は小学生の頃から佐鳴湖と一緒に生活してきました。父は佐鳴湖の漁師をしてまして、父が獲ったウナギがとてもおいしいということも知っています。天然なので養殖モノより身が引きしまり脂ものっていて、最近は愛知県や東京など首都圏の料亭向けに高値で売買されています。
 その他にもコイやフナ、ボラの子供とかハゼもいます。たまに浜名湖を通じて、アカエイやタツノオトシゴ、クルマエビが入ってきたりすることもあります。佐鳴湖にはだいたい50種類ぐらいの魚が生息しています。
 ところが今から9年ほど前、「佐鳴湖は日本一汚い湖だ」とテレビや新聞でバンバン報道されたことがあります。ワーストワンの根拠は「COD」と呼ばれる水中の化学的酸素要求量を示す指標ですね。しかし、CODはあくまで水質を示す一つの指標であって、それだけでは湖水の自然環境の良し悪しは計れないと思います。
 その証拠に、佐鳴湖ではウナギを獲っていますけど、人体に悪影響のある有害物質が入っているという指摘は一度もありません。そんなことになれば地元の漁師は操業停止になるわけですが、実際のところそういう事態は過去に一度もないんです。
 CODを測るには、専用の薬品を佐鳴湖の水の中に入れて、どのくらいの酸素量が出るかを測定します。CODの値は、どの場所で採った水かによって違いますし、季節によって異なるプランクトンの発生量も大きく影響します。
「佐鳴湖は日本一汚い」という汚名は、そういう本質的な情報抜きにCODの値が独り歩きしてしまった結果だと思います。佐鳴湖のイメージが悪くなって、イメージだけならまだしも、そこで漁を生業にしている人たちは致命的な被害をこうむったわけですね。
 「ワースト1」の報道があったとき、父は「湖の水を飲んでみろ」と私に言いました。「この水が本当に汚いかどうか、そんなものは飲んでみりゃわかる。自分のカラダにいいか悪いか、結果は自分の体に出てくるはずだ。ずっと湖で仕事をしているオレは全然なんともない」と。 そこで佐鳴湖がいかに豊かな湖かをアピールしたくて、地域の小中学校で「佐鳴湖学習」という出前授業を始めました。2002年のことです。そうした活動をするうちに、自分の体験から自分の言葉で佐鳴湖の豊かさを伝えたくなって、漁師になろうと。いわば佐鳴湖の汚名返上のために漁師になったんです。

正しい知識を広めるために「佐鳴湖学習」を

 確かに1960~70年代の佐鳴湖は、ひどい状態だったようです。父によれば、漁の最中に佐鳴湖の水しぶきが目に入っただけで、目がむずがゆくなって、目薬をさしても治らなくて、メガネなしでは漁ができなかったらしいです。当時は上流には染物屋、金属のメッキや製油工場があって、下水道が整備されていなかったので糞尿もたれ流しだったんですね。湖にゴミを捨てる心ない人も多かった。プランクトンが大量に発生して、湖の3分の1くらいがアオコで覆われていました。
 そんななか、浜松市は82年に「佐鳴湖をきれいにする会」を立ち上げて、市の事業として90~2000年まで「浚渫(しゅんせつ)」をやったんです。「浚渫」というのは、湖底に沈んでいるプランクトンの死骸とか泥を吸い上げる作業ですね。同時に、工場排水や下水の整備も進みました。10年の作業が完了するころ、佐鳴湖からはアオコが消え、たくさんの魚が棲む湖になりました。
 ところがちょうどその頃、COD値ゆえに「日本一汚い湖」と騒がれ始めたんです。何が何でもCODを下げれば、それでいいのかと思いましたね。飲料水でもない、治水として使っているわけでもない。COD値が高くてもいろんな魚が生きていて、その魚を食べても安全なわけです。 きちんとした情報がなくて汚いと言われてしまうなら、正しい知識をもってもらおうというのが「佐鳴湖学習」の大きな目的です。子供たちの反応は最初から素直でしたね。目をキラキラさせながら真剣に私の話に耳を傾けてくれました。
 でも、近所に住んでいる大人たちには「佐鳴湖のウナギなんて食べたら死ぬ」と。漁師さんが聞いたら、そこで大ゲンカが始まったでしょうね。私だって頭にこなかったわけではありませんけれど、自分に言い聞かせたんです。「どうしたらそういう誤解が正しい認識に変えられるか、伝え方を考えよう」とね。
 今にして思えば、そういう誤解や偏見があってこそ私は漁師になり、出前授業などの活動を育ててくることができました。そういう意味では感謝しています。

湖の中が見える漁師に発信する使命がある

 私が漁師になると言ったとき、父は「最初は冗談だろうと思ってた」なんて言っていますが、実際は真っ向から反対はしなかったんですね。「私も船に乗りたいんだけど」って言ったらびっくりしてましたけど「別にいいよ」って。女だからどうこうということはなかったですね。多分、自分がやってきた仕事を娘が魅力的と思ってくれたこと、同じフィールドに立ったことを喜んでくれたんだろうと思います。
 漁師さんたちのなかには、古い人たちもたくさんいますから、「思いつきの遊びじゃないか」と、最初の頃、陰で言っていた人もいたみたいですけど。中傷されないようにちゃんとやっていれば、自然にそんなことは言われなくなるんです。大切なのは実際の「行い」ですね。
 佐鳴湖は生きています。水の色も四季を通して違うし、入ってくる魚も違います。私たち漁師は、佐鳴湖の中から佐鳴湖の状態を知ることができます。つまり佐鳴湖の自然にいちばん近いところにいるんですね。私たち漁師にしか見えないことを周囲の人々に伝えていくのが自分の使命だと思います。

自然の姿のままゴミひとつない湖にしたい

 「佐鳴湖学習」は地元の小学校5年生が対象で、毎年6校以上、のべ1000人以上の児童が参加しています。8年間毎年続けていますから、最初の年に5年生だった子供たちが今18~19歳ですよね。その子たちが「佐鳴湖にはいっぱい魚がいる」って、よそでも言ってくれるんですよ。そういう声が毎年何百人、何千人という単位で増えていくのは嬉しいです。
 こういう活動には行政の力も必要なんですけど、トップダウンじゃなくボトムアップの活動がしたいですね。生活に近いところで、みんなが「ここはこう変えればいい」というふうに。そして周囲の住民だけでなく、社会全体が自然を守ることは当然のことと捉えるようになってほしい。幼稚園や小中学校での環境教育は重要ですね。
 「佐鳴湖クリーン作戦」には子供から大人まで地元住民や市民グループが集まります。こういう活動をとおして、人々の佐鳴湖を見る目が変わってきました。自分たちもゴミを捨てませんが、最近では拾って歩いてくださっている方も多くいます。
 私としては、佐鳴湖が観光地になってほしいわけでなく、自然そのままの形で、犬の散歩やウォーキングなど、地元住民の憩いの場、癒しの場であってほしい。ゴミを捨てようとしている人に「ここにゴミ捨てちゃダメ」と誰もが声をかけるような、そんな場所であってほしいです。目指しているのは、整備されているっていうより、自然のままなんだけどゴミひとつ落ちていないような場所。いつかはカヌーなんかにも乗れる、みんながいろんな形で利用できる場にしたいですね。

取材日:2010.8



静岡県浜松市生まれ 浜松市在住


【 略 歴 】

2002 地元の小中学校で「佐鳴湖学習」の出前を開始
自分の体験を交えた話がしたいと思うようになり漁師に
2005「佐鳴湖ネットワーク会議」を設立
2006 静岡県環境審議会審議委員に
2008 入野漁業協同組合 理事に就任

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